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Chap.7 墜落サイレントリリィ
Chap.7 Sec.11
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落とす気は無かった。
言い訳ではなく、肩を押さえる右手を離すつもりはロキに全くなかった。彼は、彼女が手すりを掴んでいる以上そう簡単に落ちることはないだろうとも踏んでいて、まさか彼女みずから落ちようとする——などという蓋然性は彼の思考において、わずかも認められなかった。それ故に、手すりの向こうへと彼女が勢いよく身を投げ出したとき、ロキは反応が遅れ、腕や脚を掴むことすらできなかった。
手すりから腰を後ろに落としたその身体は、肩を捕まえていた力よりも遥かに強い重力に搦め捕られてするりと落下した。大げさなくらい重々しい音がエントランスホールにこだまして、ロキは片時のあいだ茫然とその余韻を聞いていた。
緊急事態の警告音が彼女のブレス端末と連動して空間に鳴り響き、ロキは醒めたようにハッとして階下に向かう。白い床の上には打ち捨てられた人形のような肢体が見えた。駆け寄ると、うっすらと開かれた双眸が虚ろで、それがよりいっそう人形じみていた。
「……お、おいっ……」
声をかけても眼球が動かない。意識を失くした瞳はどこか彼方を見ている。
警告のビープ音がやかましく、その音の隙間をぬって、「何かあったの?」食堂へのルートから現れたメルウィンの声が聞こえた。
「……ロキくん?」
近づいたその呼び名にロキが振り返ると、メルウィンの不安に駆られた丸い目が向いていて、次いで——床の上のそれを捉えた。
驚愕と恐怖が、暗いブラウンの眼に映し出される。
「アリスさん!」
大声なんて出せたのかと、ロキの思考の一部が思うほどの声量で名を呼び、メルウィンが駆け寄った。
「どっ……どうしたのっ? アリスさん、なんで倒れてるの? 何かあったの?」
メルウィンは矢継ぎ早に疑問をぶつけ、「……上から、落ちた」ロキから惨憺たる答えを得ると、悲鳴に近い声をあげた。
「なんでっ!? どうして! こんな所落ちないよっ? ロキくんが落としたのっ?」
疑念が詰問に変わる。
ロキがそれに応じるまでもなく、担架代わりの人を運べる大きなロボットが現れ、彼女の身体を揺らすことなく平たいアームですくい上げた。空間の警告音は停止されたが、彼女の手首に巻き付いたブレスレットが延々と意識レベルの低下を告げている。
運ばれて行く彼女の後を追って、メルウィンは食堂側の廊下へと向かった。ハウスにおける医務室は、食堂の前を進んだ廊下の先、エレベータの柱で直角に左折した所のすぐ右手にある。
担架ロボットに続いてメルウィンが室内に入ると、すでにひとりの青年がいた。
「——アリアくん!」
メルウィンに気づいて視線を返した眼は、鮮やかな水色。明るい光の下では緑掛かった輝きを見せるそれが、険しい色をしていた。
「アラートでこちらに来ました。消毒は済んでいますので、すぐに治療しますね」
「う、うん! アリスさん、階段の上から落ちたみたいでっ……頭とか打ってるかもしれない……」
「了解しました」
アリアの、肩に掛かるラインで揃えられたダークブロンドの髪が揺れる。ガラス張りの向こう側、隣の治療室へと彼女だけが運ばれ、アリアはガラスの手前に備え付けられたイスへと着席した。空間に浮かび上がる文字列から、メルウィンは情報を得ることができない。推測は可能だが、詳細に読み解く知識は得ていない。メルウィンは早期の段階で医療分野に関する学習を放棄している。
——アリスさん、大丈夫だよね?
そう尋ねたいが、メルウィンの声掛けが余計なものになることを懸念して、黙していた。
ガラスの奥で、治療台の上に寝そべる彼女の姿に、メルウィンは祈る。
この館の元主人は神を認めない。——よって神ではなく、彼女がもつであろう生命力に希望を託し、幸運を願った。
言い訳ではなく、肩を押さえる右手を離すつもりはロキに全くなかった。彼は、彼女が手すりを掴んでいる以上そう簡単に落ちることはないだろうとも踏んでいて、まさか彼女みずから落ちようとする——などという蓋然性は彼の思考において、わずかも認められなかった。それ故に、手すりの向こうへと彼女が勢いよく身を投げ出したとき、ロキは反応が遅れ、腕や脚を掴むことすらできなかった。
手すりから腰を後ろに落としたその身体は、肩を捕まえていた力よりも遥かに強い重力に搦め捕られてするりと落下した。大げさなくらい重々しい音がエントランスホールにこだまして、ロキは片時のあいだ茫然とその余韻を聞いていた。
緊急事態の警告音が彼女のブレス端末と連動して空間に鳴り響き、ロキは醒めたようにハッとして階下に向かう。白い床の上には打ち捨てられた人形のような肢体が見えた。駆け寄ると、うっすらと開かれた双眸が虚ろで、それがよりいっそう人形じみていた。
「……お、おいっ……」
声をかけても眼球が動かない。意識を失くした瞳はどこか彼方を見ている。
警告のビープ音がやかましく、その音の隙間をぬって、「何かあったの?」食堂へのルートから現れたメルウィンの声が聞こえた。
「……ロキくん?」
近づいたその呼び名にロキが振り返ると、メルウィンの不安に駆られた丸い目が向いていて、次いで——床の上のそれを捉えた。
驚愕と恐怖が、暗いブラウンの眼に映し出される。
「アリスさん!」
大声なんて出せたのかと、ロキの思考の一部が思うほどの声量で名を呼び、メルウィンが駆け寄った。
「どっ……どうしたのっ? アリスさん、なんで倒れてるの? 何かあったの?」
メルウィンは矢継ぎ早に疑問をぶつけ、「……上から、落ちた」ロキから惨憺たる答えを得ると、悲鳴に近い声をあげた。
「なんでっ!? どうして! こんな所落ちないよっ? ロキくんが落としたのっ?」
疑念が詰問に変わる。
ロキがそれに応じるまでもなく、担架代わりの人を運べる大きなロボットが現れ、彼女の身体を揺らすことなく平たいアームですくい上げた。空間の警告音は停止されたが、彼女の手首に巻き付いたブレスレットが延々と意識レベルの低下を告げている。
運ばれて行く彼女の後を追って、メルウィンは食堂側の廊下へと向かった。ハウスにおける医務室は、食堂の前を進んだ廊下の先、エレベータの柱で直角に左折した所のすぐ右手にある。
担架ロボットに続いてメルウィンが室内に入ると、すでにひとりの青年がいた。
「——アリアくん!」
メルウィンに気づいて視線を返した眼は、鮮やかな水色。明るい光の下では緑掛かった輝きを見せるそれが、険しい色をしていた。
「アラートでこちらに来ました。消毒は済んでいますので、すぐに治療しますね」
「う、うん! アリスさん、階段の上から落ちたみたいでっ……頭とか打ってるかもしれない……」
「了解しました」
アリアの、肩に掛かるラインで揃えられたダークブロンドの髪が揺れる。ガラス張りの向こう側、隣の治療室へと彼女だけが運ばれ、アリアはガラスの手前に備え付けられたイスへと着席した。空間に浮かび上がる文字列から、メルウィンは情報を得ることができない。推測は可能だが、詳細に読み解く知識は得ていない。メルウィンは早期の段階で医療分野に関する学習を放棄している。
——アリスさん、大丈夫だよね?
そう尋ねたいが、メルウィンの声掛けが余計なものになることを懸念して、黙していた。
ガラスの奥で、治療台の上に寝そべる彼女の姿に、メルウィンは祈る。
この館の元主人は神を認めない。——よって神ではなく、彼女がもつであろう生命力に希望を託し、幸運を願った。
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