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Chap.8 All in the golden night
Chap.8 Sec.2
しおりを挟む開いた私の目に見えたのは、薄暗い天井だった。意識がはっきりとするにつれて、頭上の照明が徐々に明るくなっていく。まぶしいと感じるほど光量が十分になったところで、真っ白な空間に寝ていることを知った。
ここはどこだっただろうか。目覚めた瞬間は自分が何者でどこにいるのか、そういう意味で混乱したが、その答えはもう取り戻している。何者かは相変わらず曖昧だけれど、記憶を失ったままの私であるし、場所も城館の中だと思う。手首には例のブレスレットの感覚がある。
そろそろと首を動かし、周囲に目を回す。傍らにはディスプレイがあり、天井に機械のアームらしき物が複数折りたたまれている。頭上にも、測定しているのかカメラのような機械が備え付けられている。物々しい雰囲気。まるで実験されているみたいな。
《——目が覚めましたか?》
いきなり響いた声に驚くと、傍らにあったディスプレイに青年の顔が映った。——ティア?
いや、まったく違う。その青年は、肩に掛かるかどうかくらいの髪の長さで、色も暗い。なぜ思い違いをしたのか分からない。似ているところをあえて挙げるなら、ほほえみ方、だろうか。
《ああ、驚かせてしまいましたね。挨拶が遅くなってしまいましたが……私の名前は、アリア・マキァヴェリです。ハウスでの医療行為は、おもに私が管理しています。貴方の治療についても、ロボットの管理をいたしました。……体調はいかがですか?》
アリアと名乗ったのが、分かった。
このひとが、最後のひとり。
《……おや? ひょっとして、音声が届いていませんか?》
低く澄んだ声をしている。
困った顔をして何か問うている気がするが、ぼんやりとした頭のせいかうまく言葉を変換できない。そもそも何故私はここにいるのだったか。記憶がかすんでいる。
ふっと映像が消えた。
静まり返った空間のなかで、ゆっくりと体を起こした。そこで気づいたが、私が寝ている薄い台はどうやら宙に浮いている。ベッドから顔を出して下を確認してみるが、支えみたいな物がない。どうなっているのだろう。上に乗っている身としては不安になる構造だ。
台が落下しないだろうか、と考えていて、唐突に記憶が繋がった。
そうか、階段の手すりから落ちそうになって——いや、落ちた、のかも。……落ちた? そのわりには、なんというか……とても、無事だ。それなりの高さだったはずだが、頭が割れた感じもない。ためしに頭に触れてみると、後頭部が少しだけ腫れているような気がする。気がする、という、その程度のもの。
夢でも見ていたのだろうか。
首をひねっていると、左手の白い壁が急に透過した。先ほどの青年が立っている。ガラスのような質感に変わった壁の、端の一部が長方形に割れてスライドし、その青年が入ってきた。
「音声に問題は無いようですが……大丈夫ですか? どこか痛みますか?」
「………………」
「私の声、聞こえていませんか? 聴覚に影響が出ているのでしょうか……?」
「…………わからない」
「……分からない? 何が、でしょう?」
「………………」
「……頭をぶつけた影響で、記憶が飛んでいるのかも知れませんね……。身体のほうは検査で異常ありませんでしたから、そんなに不安にならなくても大丈夫ですよ」
優しく微笑んでくれる顔にティアが浮かぶ。アリアも彼同様、怖いひとではないようだった。
近くで見る暗い髪色は、なんと表現したらいいのか——黒と金を混ぜたような色をしている。眼はターコイズブルー。グリーンの柔らかな服に白衣を羽織っていて、首にはチョーカー。眼と同色の透き通った石が下がっている。
眺めていると、隣の部屋へと誰かが入ってきた。
「アリスさん!」
メルウィンだった。くるくるとした茶色の癖毛をぴょこぴょこと跳ねさせてこちらに駆け寄ると、ぱぁっと表情を明るくし、ほがらかに笑った。
「目が覚めてよかった! どこも異常が無いって診断されてるのに、こんなに起きないから……ロボで調べられない異常があるんじゃないかって……でも……無事で、ほんとによかった……」
「…………?」
「ぁ……分からないですよね? あの、アリスさん、丸一日眠っていたんですよ?」
「……マルイチニチ?」
「丸一日というのは、朝から晩まで……えっとでも、アリスさんは昨日の夕方には眠っていたから……24時間以上で……太陽がぐるっと一周する……この喩え、誤解をうむかな? ……ええっと……時計がこう、ぐるっと」
「………ぐるっと」
「……つまり、とっても長い間、いっぱい眠っていたんですよ」
「……いっぱい、ねむっていた」
「はい」
言われると確かに、身体が妙にすっきりとしている。思考もクリアだ。ただ、手すりから落ちた前後の記憶だけがどうもあやふやだった。ロキに乗せられて、それで——落ちたのだっただろうか。逃げようとして自分から飛び降りた気が。なんて無謀なことをしているのだろう、過去の……私。
「……ゴメンナサイ」
「えっ? なんで謝るんですか! アリスさんは謝る必要まったくないですよ! ロキくんが悪いんですから!」
「……ろき?」
「ロキくんが、アリスさんを——」
「メルウィンさん」
横にいたアリアが、ふんわりとした声で遮った。
「目が覚めたばかりではありますが、用意していたお食事を、渡してはどうでしょう?」
歌うような話し方。アリアの発音は流麗な響きをしている。
メルウィンが、なるほど、といったような反応をした。
「アリスさん、お腹すいてますか?」
「…………おなか、すく?」
「ごはんは、食べられますか?」
ご飯。ワードを聞いて空腹感がめばえた。
「……はい」
「よかった。なら、僕すこし整え直したいので、調理室に行ってきますね」
「…………はい」
「待っていてください」
口角をゆるめて微笑したメルウィンは、部屋から出ようと背を向けた。そこにアリアが声をかけ、
「メルウィンさん、」
「うん?」
「ひょっとして……この方は、言葉が分からないのでしょうか?」
「ぁ……そう、そうなんだよ。共通語知らなくて……ティアくんが少し教えたから、簡単なことは伝わるよ」
「そうですか……そうなると、投薬の説明が難しいですね……」
「ぇ? 薬って何か入れたの? 食事あげても大丈夫?」
「サクラさんの判断で……いわゆる幸福薬を……」
「僕は薬使わないから詳しくないんだけど……幸福薬って、抗不安薬みたいな?」
「いいえ、不安を抑えるのではなく、幸福感を増す薬効成分を含んだものです」
「……それって、危険なもの……?」
「身体機能や認知機能は損なわれません。依存性も少ないので、危険とは言えませんが……本人に、伝えるべきかと……」
「それなら、サクラさんが伝えられるよ。サクラさんはアリスさんとお話できるみたいだから」
「そうですか……では、後ほどサクラさんに頼みましょうか」
「えっと……食事は、大丈夫かな?」
「ええ、影響ないですよ」
ふたりで言葉を交わしてから、メルウィンは出ていった。残されたアリアと目が合う。にこりと穏やかに微笑まれた。
「気分は、どうですか?」
「……キブン?」
「……痛くは、ないですか?」
「イタイ……ない」
「安心しました。私の名前は、アリアです。よろしくお願いします」
「……わたしのなまえは、うさぎ……か、ありす、です。よろしく、おねがい、します」
「お名前がふたつあるんですね?」
「……せと、と、てぃあが……そのなまえを……クレタ?」
「セトさんとティアさんが、あだ名を付けてくれたんですね? 本当のお名前は……内緒でしょうか?」
「……ナイショ?」
「秘密、でしょうか?」
人さし指をそっと唇に当てて、アリアは問いかけるように笑った。明るい眼には茶目っ気が見える。緊張をほぐそうとしてくれているのが分かった。
「……なまえは……わからない」
「そうなのですね。……では、私も呼び名を変えてもいいでしょうか?」
「……?」
「……兎もアリスも、小さい頃に読んだお話のせいか、あまり良いイメージがなく……できれば、別の名前で呼ばせていただいても?」
「べつの、なまえ……?」
「名前というよりは、呼び名ですね。本当の名前が、貴方にもあるはずですから……ひとまず、お姫様と、お呼びしても?」
「…………オヒメサマ?」
「不思議の国のアリス、というよりは、囚われのお姫様みたいだと……おや? これは失礼な比喩表現でしょうか?」
「…………?」
「お姫様は、お嫌いですか?」
「……オヒメサマ、なに?」
「何、と訊かれると、簡単な言葉で説明するのは難しいですね……可愛いひと、でしょうか?」
「……かわいい?」
「可愛いものは、嫌いですか?」
「…………いいえ」
「では、お姫様——と呼ばせてくださいね」
瞳が隠れそうなほど目を細めて微笑むその顔には、親しみがあった。この世界で目覚めてから、初対面という状況下で最も友好的なまなざしを向けられている。この世界の人間に対して私は偏見をもっていたのでは? と思わせるに充分な温かさがあった。ハウスに来てから出会ったひとたちは——ロキは、いったん抜くとして——意外にも優しい。覚悟していたような酷い目には遭っていない。
アリアの笑顔のおかげか、なぜか心に、気持ちが吹っ切れたような不思議な安定感があった。
「——それから、メルウィンさんが居ないあいだに、話しておきたいのですが……」
「……めるうぃん?」
「いいえ、ロキさんのことです」
「……ろき?」
「……覚えていませんか?」
「……?」
「……ロキさんに、貴方が目を覚ましたことを、伝えても……?」
「……ろきに、わたし?」
「貴方が起きたことを、ロキさんに、言ってもいいでしょうか?」
「? ……はい」
「……本当に、構いませんか? これは私の希望というだけなので、断ってくださっても……」
「…………?」
「……いえ、なんでもありません。……ありがとうございます。では、ロキさんに伝えますね」
アリアがブレスレットの着いた腕に意識を落とした。するすると操作する指先が長くしなやかで、そこもティアと似ているなと感じる。
すると、メルウィンが戻ってきたようで、ひょこっと顔を出した。細身の彼は身長はそう低くない(ティアと同じくらいだと思う。ハオロンよりは明らかに高い)のに、所作と雰囲気のせいか小柄に感じる。
「……あの、ちょっと……」
「メルウィンさん、どうかしましたか?」
「サクラさんとティアくんが、食堂に来ててね……ほら、もうすぐディナーだから。ふたりで話をしながら先に来たみたいで。それで、アリスさんがよければ……食堂で食べたらって……ティアくんが、言うんだけど……」
アリアはサクラくらいの身長かと考えていたところ、伏し目がちに喋っていたメルウィンの顔が、そろりと私に向いた。
「アリスさん……食堂、行きますか?」
「はい」
「ぇ……行きます、か?」
「? ……はい」
「でも……みんな、来るかも……」
「……?」
「……イシャンくんとか……ロキくん、とか」
メルウィンの双眸が心配そうに揺れている理由が分かった。私が彼らを恐れていると——イシャンに関してはどうして気づいたか分からないが——思って、会うことを案じてくれていたらしい。
「……だいじょうぶ」
「……ほんとうですか?」
「はい。……アリガトウ」
「そんな……感謝されることなんて、僕は何も……」
「ありあ、も……アリガトウ」
「いえ、貴方が元気で何よりです。では、一緒に食堂へ行きましょうか。お手を——どうぞ」
ひらりと、アリアの掌が差し出された。降りるのを手伝う、と。そういう意味合いの手だと思う。
その掌を見つめて、私は今まで何度も、この広げられた掌を見ていることに気づいた。
手を差し出すという動作は、相手を受け入れるという——そういう、思いやりがある。
サクラを始めとして、みなに嫌われているか好かれていないと(実際に好きではないとセトにも言われているし、ロキにも指摘されているので)思っていたが、知らずしらずのうちに、私は彼らの優しさを享受していたのか。たとえ、サクラが言うように、代償が根底にあるとしても…………——ほんとうに? 代償がなくなれば、この優しさはなくなると。そんなひとばかりだと、言いきれるだろうか。
掌を重ねて、考える。
——私は何を返せるのだろう?
その答えは、あるいはそれを考えること自体が、今の私にとって、とても大切な気がした。
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