【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.8 All in the golden night

Chap.8 Sec.9

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 小ぶりなワイングラスをかざすと、飴色の液体を通った光が、れぼれするほど美しい輝きへと変わった。太陽を浴びたフルーツの、甘く豊かな香りがする。口に含むと、期待を受けとめてくれる甘美な味。果実と香ばしいカラメルみたいな、コクのあるバターみたいな……先ほど食べたミルフィーユも重なる気がする、デザートのようなワイン。甘いもの好きならば、絶対にとりこになってしまう。

「……美味しい!」

 このワインと同じくらい、自分の瞳もキラキラしているだろうなと、ティアは思った。目尻が下がり、自然と顔がほころぶ。幸せってこういうことをいうのかも知れない。生きていてよかったと、こんなところで感動している。

「よかったな」

 どうでもよさそうな声が、目の前から。至福の飲み物を口にしているとは思えない顔で、ぱくりぱくりとドライフルーツやチーズをつまんでいる。すでにグラスが空になっていて、あらたに自分で——ロボットは呼んでいないので——いでいるが、文句は言うまい。(だってこれ、セト君のだし)

「アリスちゃんは、どう?」

 セトには訊くだけ無駄なので、隣の彼女に尋ねた。ひとくち飲んでグラスを見つめていた彼女は、

「……これは、あまい」

 語彙力ごいりょくって大事だな……と思わせる簡潔な回答をくれた。ティアの切なさを感じたのか、付け加えるように「おいしい」感想を述べる。もっと言葉を教えてあげよう。切実に思った。

「うん、美味しいね。……あっでも、わざわざ選んだってことは、もともと好きなの?」
「……?」
「アリスちゃんは、これ、好きだった?」
「……すき、だった?」
「ん~……なんで、これを選んだのかな? って」
「………………」

 意味は伝わったようだったが、彼女は不意にセトを見た。それに気づいたセトが「ん?」彼女を見返す。彼女は小さく唇を開くと「……あめいろ」ぽつりとつぶやき、記憶をたどるように間をおいてから、

「……せとのめは、あめいろ」
「は?」
「…………おいしい、いろ?」
「……何言ってんだ?」
「………………」

 伝わらなかったことにくじけたのか、セトのつれない態度に負けたのか、彼女は押し黙った。ちなみにティアには伝わっている。ともすればセトの圧に耐えきれず謝罪でもしかねないので、一応カバーしてあげようと口を開いた。

「セト君の眼と同じ色だから選んだ、ってことじゃない?」

 ぱちり、と。まばたきをしてから、セトは沈黙した。ワインに口をつけながらその表情を観察していると、なにやらとても複雑な感情の(怒ってるように見えちゃうけど、大丈夫? アリスちゃんおびえない?)顔で、「なんだその理由」愛想のないセリフをこぼした。彼女はおそらく怒られたと思っている。このふたり、つくづく相性が悪いな、と思う。
 無愛想なセトはそっとしたまま、ティアは横を向いた。

「たしかに、セト君の眼に似てるね? 暗い蜂蜜色で、ちょうど今の感じ。飴色だね?」
「……はい」
「それは、もしかしてメル君に教えてもらったのかな?」
「はい」
「やっぱり? 美味しい色って表現が、メル君っぽいよね」

 笑顔で会話をつなぐと、彼女はほっとしたように固くなっていた目許をゆるませた。目線をティアの眼に合わせて、

「……てぃあは、……びおら」
「ビオラ? ……あぁ、もしかして花の? ディナーに使われてたものかな?」
「……はい」
「なるほど、たしかに僕の眼に似てるかも? 僕のなかでは薄いブルーグレーなイメージなんだけど……まぁ、青紫っぽくも見える? ……ほかの色も教わった?」

 彼女の目線が上を向いた。

「……さくらは、あおいろ」
「うん、青だね」
「いちばん、たかい」
「うん? ……高価ってどういう意味だろ? 綺麗ってことかな?」
「……はおろんは、おれんじ」
「うんうん、明るいブラウンでオレンジっぽいね」
「ろきは……にじ、いろ?」
「う~ん? ……あれ? もしかして髪の話をしてる?」
「……ろきは、かみが、にじいろ」
「たしかに、カラフルだね」
「からふる」

 ワインを飲みつつ眺めていたセトが、「共通語、分かるようになってきたな」めずらしく感心した。

「ね、成長を感じるよね……って! セト君!」
「ん?」
「飲みすぎ! しかもそれ……ワインに何か混ぜてない?」
「ウィスキー。俺が全部飲んだら、お前また文句言うだろ? だから、別の混ぜるか、と思って」
「うそ!? 嘘でしょ!? ワインへの冒涜ぼうとくだよ!」
「気ぃ遣ってやったのに、結局文句言うのか……」
「ちょっとずつ飲めばいいだけの話だよねっ?」
「そんなんで酔えるかよ」
「酔いたいだけなら別の飲んで!」
「俺のだぞ」
「それはほんとにありがとうだけども!」

 ついつい息をするように不満がこぼれ落ちてしまう。どうしても彼らとのズレを感じずにはいられない。自分だって特殊といえる環境で育ったほうではあるが、彼らの金銭感覚はやはりおかしい。まっとうなときもあるけれど、飛びぬけて逸脱していることのほうが多い。

 ティアが苦悩というほどでもない悩みについて考えをめぐらせていると、セトが彼女へと「混ぜても美味いけどな。お前も飲んでみるか?」しれっと勧めていた。
 セトは自分のグラスで彼女のグラスを——ウィスキー入れてやろうか、という意味で——示したのだと思うが、勘違いした彼女は肩を前に寄せ、手を伸ばしてセトのグラスを受け取った。
 (え、それを飲んじゃうの? そしてセト君もあげちゃうの? 驚いてる場合じゃなくて止めたら?)横で見ていたティアは、胸中だけで突っこんだ。
 あやつり人形のような感じで、ひとくち。口に含んだ彼女の眉がきゅっと真ん中に寄った。

「……美味いよな?」
「…………はい」

 ぜっっったい違うよね? と言いたいけれど、セトも困惑しているみたいなので、同意を馬鹿正直に受け取ったわけではないらしい。

「……アリスちゃん、大丈夫?」
「……おさけが……すごい?」
「うん、ウィスキーが足されてるからね……」
「………………」

 手にしたグラスを見つめてどうしようかと考えている彼女の姿に、セトが身を乗り出して「無理して飲むなよ」グラスを取り返した。

「アリスちゃん、セト君のまねしたら死んじゃうよ? 気をつけてね?」
「……はい」
「俺が人間じゃねぇみたいに言うな」
「セト君はちょっと人間じゃないから」
「それさっきも言われたぞ。なんだよ、俺のどこがおかしいって言うんだよ……」
「え? 僕言ったっけ?常に思ってはいるけど……」
「お前じゃなくてメルウィンとハオロン……つぅか常時思ってんじゃねぇ」

 ティアに対して細い目で見返してから、セトはテーブルの上をすべらせて彼女にプレートを送った。チーズとドライフルーツとナッツ。そこそこの量が無造作に載せられている。
 セトは「なんか食っとけよ」きっと酔いが回るのを防ぐために彼女へ勧めたのだと思われる。ただ、それは伝わっているのか。彼女は手前のナッツをひとつ口に入れただけだった。セトの機嫌を損ねるのを恐れて、すべて応えているのでは? と思えなくもない。
 (セト君は怒った顔するけど、そこまで怒ってるわけじゃないよ?)
 教えてあげたいけれど、今この流れで、かつ本人の前で言っていいものかどうか……。

「——ティア」

 思考に割りいって、セトの呼び声が。迷っていたのを中断し、彼女からセトに意識を変えた。

「うん?」
「最近のサクラさん、お前どう思う?」
「……急にどうしたの?」
「べつに。深い意味はねぇけど」
「んん? 意味なく訊くことかな?」
「…………ハオロンは、俺らのこと大事にしてるって、さっき言ったろ?」
「うん、言ったね」
「……サクラさんは?」

 思わず、唖然あぜんとしてセトの顔を見つめてしまった。ティアの表情を見て尋ねたことを後悔したのか、セトは舌打ちし「やっぱなんでもねぇ。忘れろ」ぞんざいに言いきると、グラスを派手に傾けた。

「……セト君、あんまり飲むとほんとに死んじゃうよ?」
「これくらいで死ぬかよ」
「飲むペース落としたら? 身体によくないよ?」
「うるせぇな……お前は俺の母親か」
「君を産んだ覚えは微塵みじんもないかな」
「俺もお前から産まれた覚えなんてねぇよ」

 いやそうな顔をしてドライフルーツを口に放ったセトは、彼女に「ウサギ、大丈夫か? 酔ってねぇ?」君が一番危ないのに何言ってるの? と言いたくなるようなセリフをかけていた。しかし、たしかに彼女は少々ぼうっとしている。セトに呼ばれて、今度は何を言われたのかと身構えたふうではあったが、心配されていると分かったようで「だいじょうぶ」小さく返答した。

——サクラさんは?

 セトの質問に答える気はない。
 話題を変えることにした。

「セト君のお母さんってどんなひとだったの?」
「……どんなってなんだよ?」
「性格とか? 初めてセト君と会ったとき、僕いろいろ言ったでしょ?」
「言ったな……あれだろ、母親に愛されて育ったわりに愛情が分からない可哀相なやつ、とかいう……思い出すとムカついてきたな……」
「えっ……それなら思い出さないで。ほらアリスちゃん、これブルーチーズが合うって。どうぞ」
「露骨に話そらすな」

 彼女がチーズを口にいれて食べあわせを吟味する姿に、ちらりとセトの目が流れた。なんだかんだ彼女のことを常に意識に入れているのだが、セトはきっと自覚していない。もともと面倒見のいい人間ではあるのに、その配慮が彼女に伝わっていないのがなんとも言えない。
 ティアの心には気づかず、セトは口を開き、

「……今思えば、お前は初対面から性格悪いやつだったな」
「あれって僕が悪いのかな? ……じゃなくて、この話やめよう? せめてセト君のお母さんの話に戻そう?」
「俺の母親なんて聞いて何になるんだよ」
「興味本位かな? ……アリスちゃんも聞きたいよね?」

 こちらを見た彼女は首をひねった。

「セト君のお母さん、どんなひとだと思う?」
「せとの……オカアサン?」
「うん、あれ? 単語教えなかったっけ? 兄弟の話をしたときかな?」
「……はんぶん、きょうだい?」
「そうそう。兄弟じゃなくて……セト君を産んだ、お母さんのほうね」

 ジェスチャーで伝わったようだったが、セトの母親がどうしたの? という顔をしている。
 セトはグラスにウィスキーを追加しながら、

「お前のとこと違って、俺の母親は普通だぞ。……頭ん中が花畑なだけで」
「……うん? それどういう意味?」
「何言ってるか、基本的によく分かんねぇ。感覚で生きてるタイプだな」
「セト君が言う……? イメージがはっきりしないけど……具体的なエピソード、なんかある?」
「大抵のことは、歌って踊っとけばなんとかなると思ってる」
「わぁ……なるほど」
「ほんと理解できねぇんだけどな……とくに、昔からしつこく聞かされてる話があってよ。……運命の相手に会ったら、一目でわかるっつぅ……あれだな、一目惚れをすげぇ主張してて。ガキの頃、まじで俺の母親か? 血ぃつながってんのか? ってよく思ってた」
「時代錯誤ではあるけど、可愛いエピソードじゃない? ……うん、いいね。楽しい話が聞けた。予想以上に素敵なお母さんだったね」
「それ、褒めてねぇだろ」
「え? 褒めてるよ?」
「ほんとかよ……」
「アリスちゃんは? ご両親、どんなひとだった?」

 アルコールの効果かセトの口はスムーズだった。彼女もお喋りするかな? と思い、話を振ってみる。酔いのせいか頬の染まった顔がこちらに向いた。

「……リョウシン?」
「お父さんと、お母さん」
「……オトウサン、オカアサン、ない」
「えっ……と……そうだよね、感染で亡くなられてる……か」
「? ……わたし、わからない」
「え?」
「オトウサン、オカアサン……わたし、わからない。いる、いない、わからない」
「……そう、なんだ。……ごめんね? 無神経なことを訊いたね」
「? ……わたしは、だいじょうぶ」
「……うん」

 完全に余計なことを訊いてしまった。逃げる気持ちでワインに口をつけると、セトと目があった。(ばか、なに訊いてんだ。普通に考えても親世代はみんな死んでるんだぞ)(そうだよね……でもまさか、両親がもともといないとは思わなくて……)唇だけで言い訳した。

(だって、そんなふうには見えなかったよ?)

 相手の家庭環境に関する推測が外れるなんて、今までになかった。彼女は普段からも夢心地というか、現実感のない世界を生きているみたいな独特な空気で、両親に守られて育った箱入り娘、そして感染をきっかけに過酷な世界に放り出された、かと……思っていた。自分とすこし似ているかな、とも。

 沈黙が満ちる。
 落ちこむティアの代わりに、何か考えるように視線を斜め下に向けていたセトが、彼女に向けて口を開いた。

「お前、どっか行きたいとこねぇの?」 

 いきなり何を言い出すのか。固まるティア同様、隣の彼女も一瞬止まった。

「……いきたい、トコ?」
「お前が、行きたい所。どっかあるだろ? 出身地でもいいし、こうなる前に行ってみたかった場所とか。……俺が連れてってやろうか」
「ちょ、ちょっとセト君? なに言ってるの?」
「ここに居たくねぇんだろ? 無理して居る必要ねぇよ。引き止めた責任で、俺がどこでも連れて行ってやる。お前を入れてくれそうなコミュニティ、探してやってもいいし」
「……セト君、そういう甘言かんげんやめなよ……アリスちゃんからしたら、冗談で済まないよ……?」
「冗談じゃねぇよ。本気で言ってる」
「本気って、きみ……」

 その先を——言葉にできなかった。一度ハウスに入った人間を、そう簡単に出すなんて今のサクラが認めるわけない。そもそも招き入れたことが異例なのだ。それだけでも特例の彼女を、セトの判断で連れ出すことが何を意味するか、彼が分かっていないはずはない。

 何も言えなくなったティアは、彼女の反応を見守る。セトの瞳を静かに見つめていた彼女は、そろそろと唇を動かした。

「わたし……どこか、いく?」
「行きたいんだろ? どこがいい?」
「……せとは、わたし、……いや?」
「は?」

(うわ。ひどい誤解を生んでる)
 相性の悪いふたり、と。先ほどの意見が再び浮かんだ。
 セトの顔を確認すると、今度は怒っているようには見えない、ちゃんと焦っている顔で「そういう意味じゃねぇよ!」きっぱりと否定した。彼女は、神妙な顔でセトを見ている。セトが慌てたように視線をこちらに回してきたが、(や、そこで僕を頼られても……)ティアは首をすくめるだけで、口を挟むのは避けた。

「……違う、からな。出ていけって言ってるんじゃねぇぞ……? そういう意味じゃ、ないからな」

 セトはきっと、怒っていないことをアピールするために、話し方をやわらげたのだと思う。効果はあったようで、彼女は安心したように頷いた。

「わたし……いきたいところ、ない」
「……そうか」

 居心地の悪さからか、またしてもセトはグラスを傾け、中身を飲み干した。
 飲みすぎ防止に安全な話題を提供しようかと考えていると、セトが思いついたように呟いた。「そうだな。ここにはロキがいるしな」投げやりな感じで。

「……ロキ君といえば、アリスちゃんの言語をマスターしてきたの、驚きだったね?」
「……そうだな。まあ、あいつにしたら難しいことでもねぇのかもな? ……昔から、気に入ったやつには尽くすほうだったし」
「うん、それは分からなくもない。好きな子にまとわりつくタイプだ」
「よく分かってんな……けど、すげぇ飽きやすいんだよ。冷めるきっかけもよく分かんねぇ……」
「ふ~ん……ね、アリスちゃん。ロキ君が好きってほんと?」

 ちみりちみりとグラスのワインを消費している彼女に訊いてみる。

「……ろき?」
「アリスちゃん、ロキ君のこと、好き?」

 表情がくもった。どうしてそんなことを訊くのか、その質問は苦手なのだけど、という目をしている。ロキが好きだから恥ずかしくて答えられない、という顔では決してない。

「………………」
「……うん、答えたくないのなら、いいんだよ?」
「……ろきは、やさしい?」
「うん?」

 彼女の瞳が、言葉を探している。セトも答えを待とうと思ったのか、残っていたドライフルーツを口に運びつつ見ている。彼女の目が、こちらを見すえた。

「てぃあは、やさしい」
「……僕?」
「めるうぃんも、ありあも、……はおろんも、やさしい」
「…………」
「せとも、やさしい……みんな、やさしい。きらいじゃない。……アリガトウ」
「…………それは、よかった。どういたしまして」
「わたし……ここにいる、いい?」
「もちろん」

(僕が決めるられることでは……ないけど)
 その事実は、思うだけで口にはしなかった。

 思うことは他にも多々ある。そんなこと本当に思ってる? 〈やさしい〉なんて、嘘でしょ? 思い込みでしょ? ——そう疑う気持ちもある。
 今日の彼女は様子がおかしい。これはもう……間違いなく。しかしティアは、それを誰かに示唆しさできる立場ではない。
 笑顔でごまかして、甘酸っぱいワインの余韻にすがる。自分が誰かのためにできることなんて、限られている。

 ワインに逃げたティアを知ってか知らずか、セトがぼそりと、

「まぁ……あれだよな。思ってたよりも、仲良くやってる……よな? メルウィンとか、意外なくらい普通に話してたしよ。……ロキも、ウサギのこと、気に入ってるなら……こいつにとっては、いいことだろうし……」

 セトの意見には同意できない。ティアは、この状況はまったく好転していないと思っている。むしろ、誰かの——誰か? そんなの、ひとりしかいない——思惑によって、真っ直ぐに転がされていたはずが、思いがけない方向へと落ちているような……そしてそれは、もう予測できない未知の結末を呼び込むような——不安に満ちている。

 ……しかし、それよりも何よりも、今は気になることが。

「……セト君? ……なにしてるの?」

 セトがソファからふらりと立ち上がったところまでは、何も思っていなかった。そのままティアのベッドまで歩いて行ったかと思うと、周りを囲った天蓋のレースをさらりと開けたので、意味が分からず名前を呼んでいた。
 振り返ったセトの目が、とろんとしている。あ、やな予感。

「……ねみぃ。ベッド、借りる」
「……へっ!?」

 すっとんきょうな声が出た。ティア自身も恥ずかしくなるほど大きな声で、彼女が横でびっくりしていた。

「ちょっとまって!」

 ティアも立ち上がってセトを止めに行ったが、すでにころりと倒れこんだあとで、

「わりぃけど……俺あんま眠ってねぇから……仮眠する……」
「いやいやだめだよ! こんなとこで寝ないで! 自分のとこで寝て!」
「……すこし眠ったら、起きる……」
「だめだってば! 僕、他人がいたら嫌って言ったでしょっ? 困るよ!」
「……俺は他人じゃねぇし……すぐ起きるから……おやすみ」

 セトの肩を揺さぶっていた手を、ぺしっと跳ねのけられた。ティアがあっけにとられているうちに、すーっと、すこやかな寝息をさせて眠りについてしまった。

「信じられない……自由すぎる……信じられない……」

 ぶつぶつと不平をこぼしながらソファに戻ると、立ち上がってベッドの方をうかがっていた彼女と目があった。

「……せと、ねむる?」
「うん、眠ったね……」
「……ねむった」
「困っちゃうよね……アリスちゃんや僕が寝るかも知れないのに。なんでちゃっかりベッド使っちゃうかな……最低でもソファとかさ……」

 嘆息たんそくしながらソファに腰を下ろし、半分やけっぱちな気持ちで、ボトルに残っていたワインを遠慮なくグラスにそそいだ。

「もう全部飲んじゃう。……アリスちゃんも、要る?」
「……いいえ」
「そうだね……アリスちゃん、ちょっと酔ってるよね? お水でも飲む?」
「……はい」

 ワゴンに載りっぱなしだった炭酸水のボトルを手に、新たなグラスへといで、彼女へと渡した。

「アリガトウ」
「どういたしまして」

 彼女の口角がほんの少し上がる。セトが消えた途端、なごやかな空気になった。彼女とふたりの時間はとても穏やかだ。

「せとは……おさけ、すき?」

 グラスを手に持った彼女は、一度ベッドの方を見てから、ティアに向けて問いかけた。

「ん~どうかな? 僕が知るかぎりでは、本来あんまり呑まないんだけど……今日はちょっとひどいね」
「……ひどい?」
「酔いたくて呑んだって感じ」

 ——まるで、酔って忘れたいことでもあるみたいに。

「セト君にとって、僕もアリスちゃんも他人だから……気が緩むのかもね」
「……タニン?」
「そう。異母兄弟とは言ったけどね、じつは僕だけ、一緒に過ごした時間がそんなにないんだよね。……だから、こーんな感じで、距離がある」

 入浴のときの指人形劇で距離を表してみたが、彼女はよく分かっていないらしい。中途半端な頷きだった。

「……ほんとは、僕と君のほうが、近いんだよ」

 ささやくように唱えて、ワイングラスに口をつけた。琥珀こはくを溶かしたような液体が、口腔に流れていく。

 明るい色彩の果実を彷彿ほうふつとするアロマは、どこまでも幸福に満ちていて、とろけるほどに心地よい。舌の上に長く残るその甘やかな余韻が、いつまでも消えなければいいのに——。
 酔いが回る頭で、夢みたいなことを願った。
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