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Chap.9 盤上の赤と白
Chap.9 Sec.7
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結局一度もティアの部屋を出ることなく、夕食の時を迎えた。
一日中なにをしていたのかといわれると、答えは難しい。いつもどおりお茶もしたけれど、着せ替え人形みたいな時間があった。ティアが作ってくれた服のほかに、ハウスにあった物という服を数パターン合わせて、最後はヘアアレンジをしてくれた。楽しいとティアが喜んでいたので、いいのだけれど。……だけれど、これでほんとうにいいのか悩んでいる間に夕方になっていて、メルウィンから夕食のしらせが届いた。
服装は最終的に白いワンピースになった。ティアが作った物と色形は似ているが、長い裾周りに絵が描かれていて、まったく雰囲気が違う。翡翠に似た青みがかった緑色の水草に、ぼんやりした赤の金魚が泳ぐ姿。洋装だが浴衣の模様みたいで、私の感性からすると夏っぽい。髪は編み込まれてすっきりとまとめられている。過程は見ていたけれど、髪がどういうふうに留まっているのかは分からない。おそらく自分ではできない。ティアのいない所でほどけたら終わりだと思う。
「作った服は僕の部屋に置いとくね? 今着てるのはハウスのだし、どうなっても気にならないから……汚したり、気にしないでね?」
「……よごし、たり?」
「汚れてもいいし、転んで破けちゃっても大丈夫」
「……ころぶ?」
「もう転ばないかな? ……ロキ君に落とされないかぎり」
くすっと唇を可愛く曲げてみせるティア。出てきた名前と単語に、反応できず黙ると、薄いすみれ色の眼が上を向いた。
「ごめん……意地悪をするつもりは、ないんだけど……なんでかな? 意地悪になってるね」
「……てぃあは、おこってる?」
「ううん、怒ってないよ。……怒るってどんな感情かな? セト君の専売特許だよね」
「……せとは、おこる?」
「それも違うか……セト君は、ああ見えて怒ってないから」
「せとは、おこってない」
「うん、怒ってないよ。八割がた怒ってない感じ」
「……はち、わり?」
「5回に1回はほんとに怒ってる気がする。僕は、よく怒らせてる」
肩をすくめて笑う顔は、もう自然な笑みだった。ティアは、たまに含みのある微笑を浮かべる。蠱惑的な、雪の女王みたいな微笑み。美人だと思う気持ちと同じくらい、不安な気持ちも生まれる。
話しながらティアの部屋を出て、食事のために1階へと移動した。ティアの部屋は4階の——日の向きから推測すると、たぶん——東側。1階まで下がると、エントランスホールを通ることなくダイニングルームへと行ける。ダイニングルームというよりは、食堂の呼び名が合う。全員が集まって食べる空間。彼らは自由そうな人たちに見えるが、夕食だけ席を共にする習慣でもあるのか、この時だけはほとんどのメンバーが集まっている。サクラやイシャンは、このタイミングくらいでしか見かけていない気がする。ハオロンも。
ダイニングルームの——いや、食堂のドアの先には、すでに人の気配があった。ティアの背後から確認すると、廊下側の列に奥からイシャンとセト。窓側の列は奥がひとつ空いていて(きっとメルウィンの席だと思う)、ハオロンとロキがいた。ティアと私が来たことに、なぜか——全員の目がこちらを向いて、さわさわと流れていた話し声がぴたりとやんだ。
「えっ? ……なに?」
ティアが驚いて肩を上げた。一同の目の間をきょろきょろと往復してから、すべての視線の先が後ろの——私に向いていると気づいて、こちらを振り返った。
「……?」
私の顔を見て、けれども何も分からずに不思議そうな顔をする。すると、背後から、
「……ハツネさん?」
澄んだ穏やかな低音。呼びかけるように唱えられた、その名前らしい音は、どことなく聞き覚えのある響きをしていた。
振り返ると、長身のアリアがこちらを見下ろしていた。思い惑うような表情は、私の顔を正面から捉えて、はっと笑顔に変わった。
「ああ、……お姫様でしたか。髪型が違ったので、気づけませんでした」
長い指先で、自分の後頭部を示した。髪型のせいで誰か分からなかった、そんなニュアンスだった。
「てぃあが……して、くれた」
「お似合いですよ」
「……ありがとう」
にこりとして、アリアはテーブルの方に目線を移した。イシャンとセトがいる廊下側へと歩いて行く。それをきっかけにして、イシャンとセトの目は私から離れた。ハオロンとロキはまだ向いているが、ふたりでぽそぽそと「ねぇ、今気づいたんやけどぉ……あのひとに……似てるんかぁ?」「ン~? どォかねェ? 声は違うじゃん?」「声なんて覚えてないわ……」「……オレも、最初は似てると思った。けど、やっぱ似てないねェ……よく見ると顔も違う」小声で言葉を交わし合っている。
何か良くないことをしただろうか。ティアの顔をうかがうと、彼は白い肌を青くしていた。痛ましいくらい思いつめた表情で、私を置いて早足に廊下側を進み、セトへと、
「僕、まずいことした?」
「……いや、俺は似てねぇと……思ってるけど」
「俺は? でもセト君もちょっと驚いてたよね? なんで? 髪型のせい? ……あのひとっておろしてるイメージなんだけど?」
「……髪よりかは……たぶん、服。つか、相乗効果……お前が見た画がどれか知んねぇけど……休日とか、昔のイメージは、まんまあの感じだな。はっきりは覚えてねぇけど、服は完全に同じ物な気がする」
「うわ、最悪。……着替えてもらってくる」
「……そうだな。着替えられるなら、着替えたほうが……いいかもな」
ロボットからサーブを受けていたセトの目が、私に流れた。目が合っているようで合っていない。私の全身を眺めているようだった。セトとの会話を終えたらしいティアがこちらに戻って来て、「ごめん、ちょっと戻ろうか。あっメル君! 先に食べてていいから!」奥の調理室から出てきたメルウィンに声をかけ、動けずにいた私の肩に手を置くとドアの方へと促した。ティアにしては乱暴というか、配慮している余裕がない感じで、私を戻らせようと——
「……あっ」
開いたドアから現れた人物に、ティアが声をこぼした。
「サクラさん……」
その名前の響きを耳にすると、自然と身体がこわばる。身体の全神経が張りつめるように、緊張が走っていく。
目の先には、鮮やかな緋色の着物。赤い紅葉の色。目線を上げると、高い位置にあった青い眼が私を見下ろしていた。
こんなに近くで、この青い眼を見るのは久しぶりな気がした。ゆるやかにウェーブのかかった黒髪が青白い肌を縁どり、その青い眼はオレンジを帯びた照明の光を吸って、より暗い色に染まっていた。
サクラは私を見ても、ほかの人たちのように硬直はしなかった。能面のような顔で、あの冷ややかな微笑もない。表情を一切変えないまま私を見たが、すぐにティアへと視線をずらした。
「……どこへ行く?」
「え……や、ちょっと……部屋に……」
「私室へ戻るなら、それは置いていきなさい。もうお前に権利は無いよ?」
「そう……だね。うん……じゃ、なんでもない……かも」
「それなら、席に着きなさい」
淡々とした声でティアに命じると、廊下側を進んで、セトの隣に座っていたアリアの横へと着席した。それを見届けたティアが、細く息を吐き出す。
「……僕らも、座ろうか」
提案とともに、私の肩に置かれていたティアの手に力が入った気がした。ふと見返したティアの顔は、まるで自分に嫌気がさしているような後悔に満ちていた。私には、その感情の理由なんて分からない。
「……はい」
そっと肯定を返す。勧められるままに窓側を進みながら見た外は、いまだ雨が降っていた。
この世界でも、雨って降るのだな、と。あまり意味のないことを考えていた。今夜の相手が誰か——もしかすると、サクラかも知れない。
その答えは、考えたくない。
一日中なにをしていたのかといわれると、答えは難しい。いつもどおりお茶もしたけれど、着せ替え人形みたいな時間があった。ティアが作ってくれた服のほかに、ハウスにあった物という服を数パターン合わせて、最後はヘアアレンジをしてくれた。楽しいとティアが喜んでいたので、いいのだけれど。……だけれど、これでほんとうにいいのか悩んでいる間に夕方になっていて、メルウィンから夕食のしらせが届いた。
服装は最終的に白いワンピースになった。ティアが作った物と色形は似ているが、長い裾周りに絵が描かれていて、まったく雰囲気が違う。翡翠に似た青みがかった緑色の水草に、ぼんやりした赤の金魚が泳ぐ姿。洋装だが浴衣の模様みたいで、私の感性からすると夏っぽい。髪は編み込まれてすっきりとまとめられている。過程は見ていたけれど、髪がどういうふうに留まっているのかは分からない。おそらく自分ではできない。ティアのいない所でほどけたら終わりだと思う。
「作った服は僕の部屋に置いとくね? 今着てるのはハウスのだし、どうなっても気にならないから……汚したり、気にしないでね?」
「……よごし、たり?」
「汚れてもいいし、転んで破けちゃっても大丈夫」
「……ころぶ?」
「もう転ばないかな? ……ロキ君に落とされないかぎり」
くすっと唇を可愛く曲げてみせるティア。出てきた名前と単語に、反応できず黙ると、薄いすみれ色の眼が上を向いた。
「ごめん……意地悪をするつもりは、ないんだけど……なんでかな? 意地悪になってるね」
「……てぃあは、おこってる?」
「ううん、怒ってないよ。……怒るってどんな感情かな? セト君の専売特許だよね」
「……せとは、おこる?」
「それも違うか……セト君は、ああ見えて怒ってないから」
「せとは、おこってない」
「うん、怒ってないよ。八割がた怒ってない感じ」
「……はち、わり?」
「5回に1回はほんとに怒ってる気がする。僕は、よく怒らせてる」
肩をすくめて笑う顔は、もう自然な笑みだった。ティアは、たまに含みのある微笑を浮かべる。蠱惑的な、雪の女王みたいな微笑み。美人だと思う気持ちと同じくらい、不安な気持ちも生まれる。
話しながらティアの部屋を出て、食事のために1階へと移動した。ティアの部屋は4階の——日の向きから推測すると、たぶん——東側。1階まで下がると、エントランスホールを通ることなくダイニングルームへと行ける。ダイニングルームというよりは、食堂の呼び名が合う。全員が集まって食べる空間。彼らは自由そうな人たちに見えるが、夕食だけ席を共にする習慣でもあるのか、この時だけはほとんどのメンバーが集まっている。サクラやイシャンは、このタイミングくらいでしか見かけていない気がする。ハオロンも。
ダイニングルームの——いや、食堂のドアの先には、すでに人の気配があった。ティアの背後から確認すると、廊下側の列に奥からイシャンとセト。窓側の列は奥がひとつ空いていて(きっとメルウィンの席だと思う)、ハオロンとロキがいた。ティアと私が来たことに、なぜか——全員の目がこちらを向いて、さわさわと流れていた話し声がぴたりとやんだ。
「えっ? ……なに?」
ティアが驚いて肩を上げた。一同の目の間をきょろきょろと往復してから、すべての視線の先が後ろの——私に向いていると気づいて、こちらを振り返った。
「……?」
私の顔を見て、けれども何も分からずに不思議そうな顔をする。すると、背後から、
「……ハツネさん?」
澄んだ穏やかな低音。呼びかけるように唱えられた、その名前らしい音は、どことなく聞き覚えのある響きをしていた。
振り返ると、長身のアリアがこちらを見下ろしていた。思い惑うような表情は、私の顔を正面から捉えて、はっと笑顔に変わった。
「ああ、……お姫様でしたか。髪型が違ったので、気づけませんでした」
長い指先で、自分の後頭部を示した。髪型のせいで誰か分からなかった、そんなニュアンスだった。
「てぃあが……して、くれた」
「お似合いですよ」
「……ありがとう」
にこりとして、アリアはテーブルの方に目線を移した。イシャンとセトがいる廊下側へと歩いて行く。それをきっかけにして、イシャンとセトの目は私から離れた。ハオロンとロキはまだ向いているが、ふたりでぽそぽそと「ねぇ、今気づいたんやけどぉ……あのひとに……似てるんかぁ?」「ン~? どォかねェ? 声は違うじゃん?」「声なんて覚えてないわ……」「……オレも、最初は似てると思った。けど、やっぱ似てないねェ……よく見ると顔も違う」小声で言葉を交わし合っている。
何か良くないことをしただろうか。ティアの顔をうかがうと、彼は白い肌を青くしていた。痛ましいくらい思いつめた表情で、私を置いて早足に廊下側を進み、セトへと、
「僕、まずいことした?」
「……いや、俺は似てねぇと……思ってるけど」
「俺は? でもセト君もちょっと驚いてたよね? なんで? 髪型のせい? ……あのひとっておろしてるイメージなんだけど?」
「……髪よりかは……たぶん、服。つか、相乗効果……お前が見た画がどれか知んねぇけど……休日とか、昔のイメージは、まんまあの感じだな。はっきりは覚えてねぇけど、服は完全に同じ物な気がする」
「うわ、最悪。……着替えてもらってくる」
「……そうだな。着替えられるなら、着替えたほうが……いいかもな」
ロボットからサーブを受けていたセトの目が、私に流れた。目が合っているようで合っていない。私の全身を眺めているようだった。セトとの会話を終えたらしいティアがこちらに戻って来て、「ごめん、ちょっと戻ろうか。あっメル君! 先に食べてていいから!」奥の調理室から出てきたメルウィンに声をかけ、動けずにいた私の肩に手を置くとドアの方へと促した。ティアにしては乱暴というか、配慮している余裕がない感じで、私を戻らせようと——
「……あっ」
開いたドアから現れた人物に、ティアが声をこぼした。
「サクラさん……」
その名前の響きを耳にすると、自然と身体がこわばる。身体の全神経が張りつめるように、緊張が走っていく。
目の先には、鮮やかな緋色の着物。赤い紅葉の色。目線を上げると、高い位置にあった青い眼が私を見下ろしていた。
こんなに近くで、この青い眼を見るのは久しぶりな気がした。ゆるやかにウェーブのかかった黒髪が青白い肌を縁どり、その青い眼はオレンジを帯びた照明の光を吸って、より暗い色に染まっていた。
サクラは私を見ても、ほかの人たちのように硬直はしなかった。能面のような顔で、あの冷ややかな微笑もない。表情を一切変えないまま私を見たが、すぐにティアへと視線をずらした。
「……どこへ行く?」
「え……や、ちょっと……部屋に……」
「私室へ戻るなら、それは置いていきなさい。もうお前に権利は無いよ?」
「そう……だね。うん……じゃ、なんでもない……かも」
「それなら、席に着きなさい」
淡々とした声でティアに命じると、廊下側を進んで、セトの隣に座っていたアリアの横へと着席した。それを見届けたティアが、細く息を吐き出す。
「……僕らも、座ろうか」
提案とともに、私の肩に置かれていたティアの手に力が入った気がした。ふと見返したティアの顔は、まるで自分に嫌気がさしているような後悔に満ちていた。私には、その感情の理由なんて分からない。
「……はい」
そっと肯定を返す。勧められるままに窓側を進みながら見た外は、いまだ雨が降っていた。
この世界でも、雨って降るのだな、と。あまり意味のないことを考えていた。今夜の相手が誰か——もしかすると、サクラかも知れない。
その答えは、考えたくない。
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