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Chap.9 盤上の赤と白
Chap.9 Sec.9
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漢字……に、見える。
【郝 杏龙】
ハオロンに案内された部屋の前でそれを眺めながら、私は記憶のなかにある文字と見比べていた。
「うちの名前、気になるかぁ?」
「……なまえ?」
「ほや……名乗ってなかったわ。うち、ハオ・シンロンっていうんやって」
自己紹介とともに、ハオロンの指がドアの横に付けられたプレートをなぞった。そこで私はようやく、各個人の部屋には名前が記されているという事実を知った。言われるとティアの部屋にも木製のプレートが飾られていた。ただ、セトの部屋にもあっただろうか。思い返してみるが記憶にない。
改めて文字を見る。並んでいるのは3つの文字で、ひとつ目は郝。ハオロンが〈ハオ〉と読んだ文字。ふたつ目は杏で、私の知る読み方だとあんずと読めるが、〈シン〉と発音された。最後の文字は記憶が抜けているのか、もともと知らないのか分からない。音は〈ロン〉。
「変わってるやろ。家継ぐための名前みたいなもんやし、杏は祖母のご機嫌とりで付けられたからぁ……こんな名前聞いたことないわ。うち、気に入ってないんやって。ハオロンって呼んでの?」
「……はおろん?」
「ん、上手やわ」
ふわりと微笑む顔。名前の説明をしてくれた気がする。漢字を見て中国語のようだと感じたが、ハオロンの話し方は中国語っぽくはない。記憶がおぼろげな私の、頼りないイメージの話でしかないけれど。
開かれたドアの先は、セトとよく似た近未来感があったが、ところどころ和の情調がある家具が並んでいた。オレンジに近い暗めの照明のせいで部屋の色合いがよく分からないが、家具の脚などはブラウンだと思う。セトの部屋にもあった大きなリクライニングチェアみたいな物もあり、床はたくさんの機械類が乱雑に(と思うけれど、何か法則があるのかも……?)置かれている。ベッドまでの通路だけ空いていた。
先に行くよう促され、ベッドへと進んだ。
「座って待ってて」
ハオロンの指先をたよりに、ベッドへと腰を掛ける。ふゆん、と。独特の反発を感じるマットレスだった。
時間をもてあまして、ベッドの隣に置かれた小型のロボットを見ていた。丸みを帯びたそれは動かず、じっとしている。ぼうっとしていた意識に、シャラシャラとした細かい金属の擦れる音が聞こえた気がして、顔を上げた。
「ん? ……あぁ、けっこう反応は早いんやの?」
それを認識して、反射的に——恐怖を覚えて——ぱっとベッドから立ち上がっていた。
ドアと反対側の壁を背に、ハオロンから距離を取るように後ずさりかけた。私の反応を見つめるハオロンの顔は、愉しそうに笑っている。
「さすがプロやの……? うち、こういう感じやから、怖がってもらえないんやけどぉ……こんな怯えてくれるコって、初めてやわ。……演技やとしても」
その唇からこぼれる笑みが、ぞくりと背筋を撫でた。ハオロンは金属の質感をしたそれを、くるくると指先で回してみせる。オレンジの弱い光を反射して、それは綺麗な残像を生み出した。
「ありす、怪我はまだ痛いんか?」
「………………」
「怪我って分からん? ……ロキに頭のとこ、やられたって聞いたよ? ……頭、痛いの?」
「……いたいは、ない。だいじょうぶ」
「……ほやったら、乱暴にしても平気なんやろか? ……まぁ、ロキと約束したし、やめとく……?」
可愛らしい顔を、微笑に染めたまま。
一歩、足を踏み出した。回していたそれを、掌に掴み直して、顔の横に掲げてみせる。
「手錠で拘束するくらいなら——平気やろ?」
愛くるしいその姿にはそぐわない、それが。記憶のなかにあった恐怖と繋がって、身体中が冷えるかのように、血の気が失せていくのがわかった。
手先が、震え始める。生ぬるい優しさで絆されていた頭が、自分の境遇を思い出す。
身体を貫いた痛みと、あの夜おぼえた悲しみが、眼の奥から涙となって瞳を覆っていく。
「……はおろん、」
「……なに?」
「……わたし……やめて、ほしい」
「……それって本気で言ってるんか? それとも演技?」
「……おねがい。……それは、いや」
「ん~? よく、分からんねぇ……?」
ハオロンの踏み出す足に合わせて、後ろへと身をひく。壁を背にしている以上、逃げ場がない。ハオロンの小柄な身体なら突き飛ばせるだろうか。ただ、それをしたところで——何になるのか。サクラに、拘束や乱暴は受け入れないと訴えたけれど、結局あれは認めてもらえなかった。これも約束の一部でしかないなら、逃げても意味はない。
「心配せんでも……壊したりはせんよ? ……みんなのありすやから……の?」
火の灯ったような眼が、赤くゆらいだ。
笑ったまま私に伸ばされたその手を、拒めない——。
【郝 杏龙】
ハオロンに案内された部屋の前でそれを眺めながら、私は記憶のなかにある文字と見比べていた。
「うちの名前、気になるかぁ?」
「……なまえ?」
「ほや……名乗ってなかったわ。うち、ハオ・シンロンっていうんやって」
自己紹介とともに、ハオロンの指がドアの横に付けられたプレートをなぞった。そこで私はようやく、各個人の部屋には名前が記されているという事実を知った。言われるとティアの部屋にも木製のプレートが飾られていた。ただ、セトの部屋にもあっただろうか。思い返してみるが記憶にない。
改めて文字を見る。並んでいるのは3つの文字で、ひとつ目は郝。ハオロンが〈ハオ〉と読んだ文字。ふたつ目は杏で、私の知る読み方だとあんずと読めるが、〈シン〉と発音された。最後の文字は記憶が抜けているのか、もともと知らないのか分からない。音は〈ロン〉。
「変わってるやろ。家継ぐための名前みたいなもんやし、杏は祖母のご機嫌とりで付けられたからぁ……こんな名前聞いたことないわ。うち、気に入ってないんやって。ハオロンって呼んでの?」
「……はおろん?」
「ん、上手やわ」
ふわりと微笑む顔。名前の説明をしてくれた気がする。漢字を見て中国語のようだと感じたが、ハオロンの話し方は中国語っぽくはない。記憶がおぼろげな私の、頼りないイメージの話でしかないけれど。
開かれたドアの先は、セトとよく似た近未来感があったが、ところどころ和の情調がある家具が並んでいた。オレンジに近い暗めの照明のせいで部屋の色合いがよく分からないが、家具の脚などはブラウンだと思う。セトの部屋にもあった大きなリクライニングチェアみたいな物もあり、床はたくさんの機械類が乱雑に(と思うけれど、何か法則があるのかも……?)置かれている。ベッドまでの通路だけ空いていた。
先に行くよう促され、ベッドへと進んだ。
「座って待ってて」
ハオロンの指先をたよりに、ベッドへと腰を掛ける。ふゆん、と。独特の反発を感じるマットレスだった。
時間をもてあまして、ベッドの隣に置かれた小型のロボットを見ていた。丸みを帯びたそれは動かず、じっとしている。ぼうっとしていた意識に、シャラシャラとした細かい金属の擦れる音が聞こえた気がして、顔を上げた。
「ん? ……あぁ、けっこう反応は早いんやの?」
それを認識して、反射的に——恐怖を覚えて——ぱっとベッドから立ち上がっていた。
ドアと反対側の壁を背に、ハオロンから距離を取るように後ずさりかけた。私の反応を見つめるハオロンの顔は、愉しそうに笑っている。
「さすがプロやの……? うち、こういう感じやから、怖がってもらえないんやけどぉ……こんな怯えてくれるコって、初めてやわ。……演技やとしても」
その唇からこぼれる笑みが、ぞくりと背筋を撫でた。ハオロンは金属の質感をしたそれを、くるくると指先で回してみせる。オレンジの弱い光を反射して、それは綺麗な残像を生み出した。
「ありす、怪我はまだ痛いんか?」
「………………」
「怪我って分からん? ……ロキに頭のとこ、やられたって聞いたよ? ……頭、痛いの?」
「……いたいは、ない。だいじょうぶ」
「……ほやったら、乱暴にしても平気なんやろか? ……まぁ、ロキと約束したし、やめとく……?」
可愛らしい顔を、微笑に染めたまま。
一歩、足を踏み出した。回していたそれを、掌に掴み直して、顔の横に掲げてみせる。
「手錠で拘束するくらいなら——平気やろ?」
愛くるしいその姿にはそぐわない、それが。記憶のなかにあった恐怖と繋がって、身体中が冷えるかのように、血の気が失せていくのがわかった。
手先が、震え始める。生ぬるい優しさで絆されていた頭が、自分の境遇を思い出す。
身体を貫いた痛みと、あの夜おぼえた悲しみが、眼の奥から涙となって瞳を覆っていく。
「……はおろん、」
「……なに?」
「……わたし……やめて、ほしい」
「……それって本気で言ってるんか? それとも演技?」
「……おねがい。……それは、いや」
「ん~? よく、分からんねぇ……?」
ハオロンの踏み出す足に合わせて、後ろへと身をひく。壁を背にしている以上、逃げ場がない。ハオロンの小柄な身体なら突き飛ばせるだろうか。ただ、それをしたところで——何になるのか。サクラに、拘束や乱暴は受け入れないと訴えたけれど、結局あれは認めてもらえなかった。これも約束の一部でしかないなら、逃げても意味はない。
「心配せんでも……壊したりはせんよ? ……みんなのありすやから……の?」
火の灯ったような眼が、赤くゆらいだ。
笑ったまま私に伸ばされたその手を、拒めない——。
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