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Chap.13 失名の森へ
Chap.13 Sec.3
しおりを挟む私の名前は兎なんだそうです。動物の兎。しかも、どうやら単語としては家禽のほうの。つまり食用の兎。ペットの意味合いもあるらしいけれど、セトは食肉と並べてました。なぜ、兎なんでしょう? みなさんが名前を聞いて変な顔をしていたのは、兎だからですか?
そんな感じのことを、乏しいボキャブラリーを駆使して彼女がまじめな顔で話すものだから、ティアは吹き出してしまった。脳裏には、彼女に問われて戸惑ったと思われるセトの顔も浮かんでいる。あはははは、と。歩いていた足を止め、おなかを抱えて、しっかりたっぷり笑ってしまってから、
「……ごめん、笑っちゃった。つい……」
目前の真剣な顔を見て、笑顔を引っこめる。それでもこぼれそうになる笑みをごまかすため、つま先に目線を落とした。暗い足許を照らすように、縁石が白く光っている。
食事のあと、「夜の散歩はどう?」と彼女を誘って、ティアのエリアであるフラワーガーデンに来ていた。このフラワーガーデンは、もとから同じ用途で存在していたらしく、ガーデニング設備がととのっている。花々はロボットの管理下で、ティアの手をわずらわせることなく、季節に合わせて好みの美しい花を咲かせてくれる。ティアの肌は日光に対して弱いので、それらを日なかに見ることは、ほとんどないけれど……こうして夜の星明かりのもと、愛でている。
誰かと歩くのは、初めてのこと。
「うん、まぁ……〈ウサギ〉は、ちょっと珍しい名前だね」
「………………」
「わかるよ、どうしてうさぎなんだろうって思うよね?」
「……はい」
「悪気は無いと(……ん? どうだったかな? あったかも?)……思うよ。うさぎみたいに可愛いなって思ったのかも」
「………………」
「嫌だったら、呼ばないでほしいって伝えてもいいと思うな。セト君はそんなことで怒らないだろうし……せっかくだから、アリスに統一しちゃおう」
「……ありすは、なに?」
「アリスはアリスだね。僕の好きな物語の、主人公」
「…………うさぎは、なまえでも……いい?」
「うん? ……ま、そうだね? 悪い意味じゃないよ。大事なひとに向けて、〈モン・ラパン〉って呼ぶひとを僕は見たことがあるから……可愛いって意味だけ、もらっておけばいいんじゃないかな?」
「…………はい」
「あ、半信半疑でしょ?」
「……いいえ」
「だめだめ、ばれてるよ」
くすくすとティアが微笑すると、彼女の目はふわりと泳いだ。考えている。セトの命名の意図が悪意でないなら、きっと彼女はその名を捨てられない。僕としては、アリスにしたいのだけど。
「……ね、アリスちゃん」
止まっていた足を、ゆっくりと進める。彼女も釣られて歩き出す。
「名前が、そのひとの本質を決めるわけじゃないから……そんなに気にしないで」
細い散歩道は、緑の迷路。バラが左右にところどころ、ふっくらと咲いていた。縁石の仄明かりによって、夜闇にぼんやりと色を灯している。
「たとえばさ……この花、アイズ・フォー・ユーっていうバラなんだけど」
白っぽい花弁を指さすと、彼女の目がそちらに流れた。花弁によって大切に護られるような、濃い赤紫と金色の蕊が印象的で、こちらを見つめる瞳にも見える。
「“あなたしか見えない”。なかなかロマンティックな名前だよね?」
「……はい」
「でも、花には哀しい名前の物もあるんだよ。……勿忘草、とか。僕はとっても好きな花なんだけどね……僕の眼の色と、似てるなっていう親近感もあって」
彼女の目線が、ティアの双眸に重なった。目を合わせたまま、ティアはどこか哀しげに微笑む。
「花や宝石や……星にも。人が付けた言葉や意味があるね。……でも、それに囚われないで。花は、その名前がなくとも、たおやかに香るように。宝石や星は、その名前がなくとも、美しくきらめくように。……名前や意味を失っても、本質は変わらない。だから……人が与えた名前や物語に、惑わされないで」
夜空のもと、ティアの言葉は諭すように優しく紡がれていく。
「きみが与えれば、すべてに、すべての価値があるよ」
魔法遣いが囁く、秘密の言葉のように。
聞いた者の心のなかまで沁みていくような、不思議な音色。
どこか、願いにも似た響き。何かを託すような。
「——なんて、シェイクスピアみたいなこと言っちゃった。……やだな。セト君が聞いてたら、何言ってんだ? とか言われそう」
すこし大げさに肩をすくめて、ため息。言葉の意味を真摯に考えている彼女に向けて、空気を変えるため軽くウィンクした。
「いつか、君の本名も聞かせてね?」
「…………ほんみょう?」
「ほんとの名前、知りたいな。サクラさんは、無いなんて言ってたけど……そんなこと、ないよね? 言いたくない理由があるなら、もちろん言わなくてもいいよ。アリスを本名として名乗ってくれても、僕は嬉しいし」
「…………わたし、なまえは、ない」
「…………え?」
「……ほんとうに、なまえが、わからない」
「………………え、ほんとに?」
「はい……」
「いやいや、そんなわけないよね?」
「………………」
「えっ? ほんとに?」
「……はい」
なんで? と反射的に訊こうとして、彼女についての情報が脳内に浮かぶ。両親がいない。それはつまり名前をもらっていない? ……しかし、施設育ちでも個人名は与えられるはず。それすらも、ない? それは一体、どういう生い立ちになるのか。
追求したくなる気持ちを、そっと抑える。これ以上は危険だと、どこかでアラートが鳴っている。ジリジリとした、やかましい目覚ましベルのように。サクラの鋭い牽制の声とともに。
開きかけた唇を、いちど閉じて。申し訳なさそうな彼女の顔に向けて軽く唇を曲げ、明るい声を作り出した。
「……そっか。じゃ、僕はずっと、アリスちゃんって呼んでも……いいのかな?」
ふっと上がった目が、ティアを捉える。黒い眼は、夜空よりも暗い色をしている。真っ黒で、すべてを染めてしまいそうな色。——でも、すべてを受け止めてくれる色でもある。どんな色であっても、同じ色に、同じ黒に——溶かしてくれる。
「はい」
眉尻を下げた、困ったような笑い方。笑顔と呼ぶには、気がかりなことがありすぎる。
——セトをハウスから追い出す。それが私の目的だ。
サクラの望む物語が、悲劇とは限らない。そんなはずない。そうであってほしくない。
どんなタイトルが付けられているとしても、主人公が誰だとしても、その本質が悲しいものではないことを……願わずにはいられない……。
星に願いを——とは、いうものの。
今夜の星は薄雲のせいで儚く、この願いは届きそうもない。
そもそも星は、ただの天体のひとつ。願いを叶える力など、ありはしないか。
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