178 / 228
Chap.16 処刑は判決の前に
Chap.16 Sec.1
しおりを挟む
——時を巻き戻して、中央棟。
ここに入ることは滅多にない。イシャンだけでなく、兄弟内は皆、数えるほどしかない。
サクラの元私室(現在のセトの私室の横、南西エレベータから出て左手すぐ)に彼女を留置して、すぐに中央棟へとイシャンがやって来たのは、サクラに命じられたわけではなかった。
「——サクラさん、セトの治療を許可してもらいたい」
暖炉の火がゆらめく横で、青い長ソファに腰掛けたサクラは本を読んでいた。優雅に、穏やかに、何事もないかのように。
入室を許可されたイシャンの訴えは、一度まるで空気のように流れていき、長く待ったがサクラから反応はなかった。過ぎていく時間に耐えきれなくなり、再度「サクラさん」呼びかけると、ようやくサクラの目がイシャンを見上げた。
「——何故、セトを治療しなければならない?」
「……このままでは、命に関わるかも知れない……放っておくべきではない」
「それが、私にどう影響するのだろうね?」
「どう、とは……? セトに何かあれば、サクラさんも困るのでは……?」
「私は困らないよ。前にも伝えたが、セトがいなくとも、私は不足なく生きていける」
「それは……そうかも知れないが……」
そういう話をしているのではない。
——では、どういう話をしているのか。イシャンには言語化できなかった。
本から顔を上げて、イシャンを見上げるサクラの顔は、わずかに微笑んでいる。状況にそぐわない。セトが命の危機に晒されているというのに、どうしてこうも穏やかでいられるのか。
微笑を浮かべたまま、
「では、教えておくれ。私に反抗した者を、また同じように反抗する蓋然性の高い者を、私は救う必要があるのか?」
「………………」
「セトは、私の命令をことごとく無視しただろう? これは、当然の帰結とは思えないか?」
彼女を護ろうとして負傷したセトの、鋭い瞳が、イシャンの目に焼き付いている。サクラに向けた覚悟がどれほどのものか、イシャンにも理解できた。
たとえ死んでも構わない——。
「……サクラさんは、セトを追い出したかった……それだけのはずだ。このまま医務室で放置していては、後遺症が残るおそれがある。それでは……追い出せない」
「——何故?」
「身体に不自由が残るセトを、ここから追い出すわけにはいかない。……追い出しては、いけない」
知らないうちに、イシャンは拳を握りしめていた。皮膚に食い込む爪が、痛みを生じさせる。セトが受けた痛みは、これと比べものにならない。
「貴方は……セトを、助けるべきだ」
イシャンの瞳は、真摯にサクラを見つめている。自分の発言が、なんの理にも適っていないことさえ分からなくなっていた。
薄く笑っていたサクラが、「——なるほど」何かを受け取ったように頷いてみせたが、
「お前にとっては残念かも知れないが、このままセトが後遺症をわずらったとしても、ここから追い出す理由を得た以上、追放する意思は変わらない。……セトなら、あの程度は平気なんじゃないか? 昔から怪我をしても走り回っているような子だっただろう?」
最後のセリフは、冗談めいた響きで唱えられた。
イシャンの身体に、冷たい戦慄が走る。自分の前に座る人間が、まるで別の人間かのような——ちぐはぐ感を覚えて困惑していた。
——これは、誰だろう?
サクラは、こんなことを軽口で言う人間ではないと思っていた。
イシャンの動揺を捉えて、サクラはのぞき込むように、興味深げな目を送った。
「——イシャン、私は昔から気になっていたことがあるのだけどね、」
生来の青い眼は、暖炉の火を浮かべている。ゆらり、ゆらりと。黒に近い色を見せて、
「お前は、統率者の言うことをよく聞くように育てられてきただろう? 自身の感情に振り回されず、適切な対応ができるよう——まるでロボのようにな」
「…………それが、なんだというのだろう」
突として話される内容に、イシャンはサクラへ懐疑的な目を向けていた。彼は、何を言わんとしているのか。
薄い唇は曲げられたまま、まるで夜空に浮かぶ三日月のように。
「——では、その統率者が、お前に死を命じたなら……それを実行するのか?」
「……そこに、重要な目的や理由があるなら……私は、死を選ぶと思う」
「そうか。……なら私が、セトを捨て置け——と命じたなら、素直に従ってくれるのか?」
「…………それは、」
「理由が欲しければ与えよう。一度反抗した者をあっさりと赦せば、周りの者に示しがつかない。節度ある態度として、私はセトに救いの手を差し伸べるわけにはいかない」
「………………」
イシャンの異議を覆い尽くすようにして、サクラは表面的な理由を張り付けた。
そんなことは、知っている。そんな建前をもってして、セトのことを片付けてしまうのか。始めから、サクラの思惑のもとでセトを追い詰めたのではないか——?
混乱の渦が、激しく巻き起こっていた。
それが、イシャンの従順な返答を阻害する。
「何か不満があるのか?」
「……いいや、そんなことは……」
嫣然と、サクラは微笑んだ。
「自身の望みと、主君の命。それらが相反するとき、お前の選ぶものは——どちらだろうね?」
迷えるイシャンと、それを見守るサクラのあいだで。
ふわりと、白い影が浮かび上がった。
《——報告いたします。お客さまのバイタルサインが確認できません。生命の危機的状況にある可能性がありますので、至急ロボの手配を推奨いたします》
現れたのは、このハウスを管理する人工知能——ミヅキだった。
10代半ばの少年。その声と姿を借りて、サクラへと緊急のしらせを告げた。サクラの目は、ミヅキを見ることなくイシャンに向けられたまま、
「あれはブレス端末を外せないはずだが……電源を落とされたわけでもないらしい。感知できないとは、何事だろうな?」
「……ロボは、必要ない。私に確認を任せてほしい」
「そうか。では——任せようか」
彼女に治療のためのロボを割くくらいなら、イシャンは自分が行くべきだと思った。セトを救うべきだと思う気持ちとは異なり、彼女などは——
「……イシャン、」
サクラに背を向けたイシャンの後ろで、サクラが独り言のように声を発した。
「お前の答えを、愉しみにしているよ」
重圧が、静かに掛けられた。
ここに入ることは滅多にない。イシャンだけでなく、兄弟内は皆、数えるほどしかない。
サクラの元私室(現在のセトの私室の横、南西エレベータから出て左手すぐ)に彼女を留置して、すぐに中央棟へとイシャンがやって来たのは、サクラに命じられたわけではなかった。
「——サクラさん、セトの治療を許可してもらいたい」
暖炉の火がゆらめく横で、青い長ソファに腰掛けたサクラは本を読んでいた。優雅に、穏やかに、何事もないかのように。
入室を許可されたイシャンの訴えは、一度まるで空気のように流れていき、長く待ったがサクラから反応はなかった。過ぎていく時間に耐えきれなくなり、再度「サクラさん」呼びかけると、ようやくサクラの目がイシャンを見上げた。
「——何故、セトを治療しなければならない?」
「……このままでは、命に関わるかも知れない……放っておくべきではない」
「それが、私にどう影響するのだろうね?」
「どう、とは……? セトに何かあれば、サクラさんも困るのでは……?」
「私は困らないよ。前にも伝えたが、セトがいなくとも、私は不足なく生きていける」
「それは……そうかも知れないが……」
そういう話をしているのではない。
——では、どういう話をしているのか。イシャンには言語化できなかった。
本から顔を上げて、イシャンを見上げるサクラの顔は、わずかに微笑んでいる。状況にそぐわない。セトが命の危機に晒されているというのに、どうしてこうも穏やかでいられるのか。
微笑を浮かべたまま、
「では、教えておくれ。私に反抗した者を、また同じように反抗する蓋然性の高い者を、私は救う必要があるのか?」
「………………」
「セトは、私の命令をことごとく無視しただろう? これは、当然の帰結とは思えないか?」
彼女を護ろうとして負傷したセトの、鋭い瞳が、イシャンの目に焼き付いている。サクラに向けた覚悟がどれほどのものか、イシャンにも理解できた。
たとえ死んでも構わない——。
「……サクラさんは、セトを追い出したかった……それだけのはずだ。このまま医務室で放置していては、後遺症が残るおそれがある。それでは……追い出せない」
「——何故?」
「身体に不自由が残るセトを、ここから追い出すわけにはいかない。……追い出しては、いけない」
知らないうちに、イシャンは拳を握りしめていた。皮膚に食い込む爪が、痛みを生じさせる。セトが受けた痛みは、これと比べものにならない。
「貴方は……セトを、助けるべきだ」
イシャンの瞳は、真摯にサクラを見つめている。自分の発言が、なんの理にも適っていないことさえ分からなくなっていた。
薄く笑っていたサクラが、「——なるほど」何かを受け取ったように頷いてみせたが、
「お前にとっては残念かも知れないが、このままセトが後遺症をわずらったとしても、ここから追い出す理由を得た以上、追放する意思は変わらない。……セトなら、あの程度は平気なんじゃないか? 昔から怪我をしても走り回っているような子だっただろう?」
最後のセリフは、冗談めいた響きで唱えられた。
イシャンの身体に、冷たい戦慄が走る。自分の前に座る人間が、まるで別の人間かのような——ちぐはぐ感を覚えて困惑していた。
——これは、誰だろう?
サクラは、こんなことを軽口で言う人間ではないと思っていた。
イシャンの動揺を捉えて、サクラはのぞき込むように、興味深げな目を送った。
「——イシャン、私は昔から気になっていたことがあるのだけどね、」
生来の青い眼は、暖炉の火を浮かべている。ゆらり、ゆらりと。黒に近い色を見せて、
「お前は、統率者の言うことをよく聞くように育てられてきただろう? 自身の感情に振り回されず、適切な対応ができるよう——まるでロボのようにな」
「…………それが、なんだというのだろう」
突として話される内容に、イシャンはサクラへ懐疑的な目を向けていた。彼は、何を言わんとしているのか。
薄い唇は曲げられたまま、まるで夜空に浮かぶ三日月のように。
「——では、その統率者が、お前に死を命じたなら……それを実行するのか?」
「……そこに、重要な目的や理由があるなら……私は、死を選ぶと思う」
「そうか。……なら私が、セトを捨て置け——と命じたなら、素直に従ってくれるのか?」
「…………それは、」
「理由が欲しければ与えよう。一度反抗した者をあっさりと赦せば、周りの者に示しがつかない。節度ある態度として、私はセトに救いの手を差し伸べるわけにはいかない」
「………………」
イシャンの異議を覆い尽くすようにして、サクラは表面的な理由を張り付けた。
そんなことは、知っている。そんな建前をもってして、セトのことを片付けてしまうのか。始めから、サクラの思惑のもとでセトを追い詰めたのではないか——?
混乱の渦が、激しく巻き起こっていた。
それが、イシャンの従順な返答を阻害する。
「何か不満があるのか?」
「……いいや、そんなことは……」
嫣然と、サクラは微笑んだ。
「自身の望みと、主君の命。それらが相反するとき、お前の選ぶものは——どちらだろうね?」
迷えるイシャンと、それを見守るサクラのあいだで。
ふわりと、白い影が浮かび上がった。
《——報告いたします。お客さまのバイタルサインが確認できません。生命の危機的状況にある可能性がありますので、至急ロボの手配を推奨いたします》
現れたのは、このハウスを管理する人工知能——ミヅキだった。
10代半ばの少年。その声と姿を借りて、サクラへと緊急のしらせを告げた。サクラの目は、ミヅキを見ることなくイシャンに向けられたまま、
「あれはブレス端末を外せないはずだが……電源を落とされたわけでもないらしい。感知できないとは、何事だろうな?」
「……ロボは、必要ない。私に確認を任せてほしい」
「そうか。では——任せようか」
彼女に治療のためのロボを割くくらいなら、イシャンは自分が行くべきだと思った。セトを救うべきだと思う気持ちとは異なり、彼女などは——
「……イシャン、」
サクラに背を向けたイシャンの後ろで、サクラが独り言のように声を発した。
「お前の答えを、愉しみにしているよ」
重圧が、静かに掛けられた。
20
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる