【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.16 処刑は判決の前に

Chap.16 Sec.1

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 ——時を巻き戻して、中央棟。

 ここに入ることは滅多にない。イシャンだけでなく、兄弟内は皆、数えるほどしかない。

 サクラの元私室(現在のセトの私室の横、南西エレベータから出て左手すぐ)に彼女を留置して、すぐに中央棟へとイシャンがやって来たのは、サクラに命じられたわけではなかった。

「——サクラさん、セトの治療を許可してもらいたい」

 暖炉の火がゆらめく横で、青い長ソファに腰掛けたサクラは本を読んでいた。優雅に、穏やかに、何事もないかのように。
 入室を許可されたイシャンの訴えは、一度まるで空気のように流れていき、長く待ったがサクラから反応はなかった。過ぎていく時間に耐えきれなくなり、再度「サクラさん」呼びかけると、ようやくサクラの目がイシャンを見上げた。

「——何故、セトを治療しなければならない?」
「……このままでは、命に関わるかも知れない……放っておくべきではない」
「それが、私にどう影響するのだろうね?」
「どう、とは……? セトに何かあれば、サクラさんも困るのでは……?」
「私は困らないよ。前にも伝えたが、セトがいなくとも、私は不足なく生きていける」
「それは……そうかも知れないが……」

 そういう話をしているのではない。
 ——では、どういう話をしているのか。イシャンには言語化できなかった。

 本から顔を上げて、イシャンを見上げるサクラの顔は、わずかに微笑ほほえんでいる。状況にそぐわない。セトが命の危機にさらされているというのに、どうしてこうも穏やかでいられるのか。
 微笑を浮かべたまま、

「では、教えておくれ。私に反抗した者を、また同じように反抗する蓋然性がいぜんせいの高い者を、私は救う必要があるのか?」
「………………」
「セトは、私の命令をことごとく無視しただろう? これは、当然の帰結とは思えないか?」

 彼女を護ろうとして負傷したセトの、鋭い瞳が、イシャンの目に焼き付いている。サクラに向けた覚悟がどれほどのものか、イシャンにも理解できた。
 たとえ死んでも構わない——。

「……サクラさんは、セトを追い出したかった……それだけのはずだ。このまま医務室で放置していては、後遺症が残るおそれがある。それでは……追い出せない」
「——何故?」
「身体に不自由が残るセトを、ここから追い出すわけにはいかない。……追い出しては、いけない」

 知らないうちに、イシャンは拳を握りしめていた。皮膚に食い込む爪が、痛みを生じさせる。セトが受けた痛みは、これと比べものにならない。

「貴方は……セトを、助けるべきだ」

 イシャンの瞳は、真摯しんしにサクラを見つめている。自分の発言が、なんの理にも適っていないことさえ分からなくなっていた。
 薄く笑っていたサクラが、「——なるほど」何かを受け取ったようにうなずいてみせたが、

「お前にとっては残念かも知れないが、このままセトが後遺症をわずらったとしても、ここから追い出す理由を得た以上、追放する意思は変わらない。……セトなら、あの程度は平気なんじゃないか? 昔から怪我けがをしても走り回っているような子だっただろう?」

 最後のセリフは、冗談めいた響きで唱えられた。
 イシャンの身体に、冷たい戦慄せんりつが走る。自分の前に座る人間が、まるで別の人間かのような——ちぐはぐ感を覚えて困惑していた。
 ——これは、誰だろう?
 サクラは、こんなことを軽口で言う人間ではないと思っていた。

 イシャンの動揺を捉えて、サクラはのぞき込むように、興味深げな目を送った。

「——イシャン、私は昔から気になっていたことがあるのだけどね、」

 生来の青い眼は、暖炉の火を浮かべている。ゆらり、ゆらりと。黒に近い色を見せて、

「お前は、統率者の言うことをよく聞くように育てられてきただろう? 自身の感情に振り回されず、適切な対応ができるよう——まるでロボのようにな」
「…………それが、なんだというのだろう」

 突として話される内容に、イシャンはサクラへ懐疑的な目を向けていた。彼は、何を言わんとしているのか。
 薄い唇は曲げられたまま、まるで夜空に浮かぶ三日月のように。

「——では、その統率者が、お前に死を命じたなら……それを実行するのか?」
「……そこに、重要な目的や理由があるなら……私は、死を選ぶと思う」
「そうか。……なら私が、セトを捨て置け——と命じたなら、素直に従ってくれるのか?」
「…………それは、」
「理由が欲しければ与えよう。一度反抗した者をあっさりとゆるせば、周りの者に示しがつかない。節度ある態度として、私はセトに救いの手を差し伸べるわけにはいかない」
「………………」

 イシャンの異議を覆い尽くすようにして、サクラは表面的な理由を張り付けた。
 そんなことは、知っている。そんな建前をもってして、セトのことを片付けてしまうのか。始めから、サクラの思惑のもとでセトを追い詰めたのではないか——?

 混乱の渦が、激しく巻き起こっていた。
 それが、イシャンの従順な返答を阻害する。

「何か不満があるのか?」
「……いいや、そんなことは……」

 嫣然えんぜんと、サクラは微笑んだ。

「自身の望みと、主君のめい。それらが相反するとき、お前の選ぶものは——どちらだろうね?」

 迷えるイシャンと、それを見守るサクラのあいだで。
 ふわりと、白い影が浮かび上がった。

《——報告いたします。お客さまのバイタルサインが確認できません。生命の危機的状況にある可能性がありますので、至急ロボの手配を推奨いたします》

 現れたのは、このハウスを管理する人工知能——ミヅキだった。
 10代なかばの少年。その声と姿を借りて、サクラへと緊急のしらせを告げた。サクラの目は、ミヅキを見ることなくイシャンに向けられたまま、

はブレス端末を外せないはずだが……電源を落とされたわけでもないらしい。感知できないとは、何事だろうな?」
「……ロボは、必要ない。私に確認を任せてほしい」
「そうか。では——任せようか」

 彼女に治療のためのロボをくくらいなら、イシャンは自分が行くべきだと思った。セトを救うべきだと思う気持ちとは異なり、彼女などは——

「……イシャン、」

 サクラに背を向けたイシャンの後ろで、サクラが独り言のように声を発した。

「お前の答えを、たのしみにしているよ」

 重圧が、静かに掛けられた。
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