致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

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Chap.5 The Bubble-Like Honeymoon

Chap.5 Sec.3

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《いつ、かえってくる?》

 深刻そうなウサギの声でメッセージが届いたのは、21時頃。
 見張りと称したユーグは端末でミニゲームに興じて静かだったため、作業に没頭していたセトは通知によって現実に引き戻された。
 
 心配になって通話してみたところ、奇跡的に家にいるらしい。家はアトランティス中央部のタワーのひとつ、最上階にあたる8階のフロアの一室。ここからすぐ隣のタワーとなるので、近いといえば近い。
 何かあったのかと問えば、何もないと言う。
 
《ゆうしょくの〈じかん〉には、かえってくると……おもってたから……まだかな、と、おもった》

 重々しい声のわりには、とくに問題がないらしい。
 セトは内心で首をひねりつつ、作業効率からみても(もう帰るか)と一気にやる気を奪われつつ、
 
「——そうだな。もう帰るか」
《それなら……ごはん、いっしょにたべられる?》
「ん……? まだ食べてねぇのか?」
《はい。セトと、いっしょにたべようとおもって》
 
(何してんだ、俺のことはいいから先に食べてろよ)
 という意見は、別の気持ちにさらわれて口にできなかった。
 戸惑いから泳がせた視線の先に、ユーグの顔が。
 
「僕も帰りたいっす、疲れたんで」
「(お前はなんもしてねぇだろ)」

 口パクで文句を返してから、
 
「じゃあ、今から帰る」
《はい、まってます》
 
 トーンの上がった声が、まるで嬉しそうに響いた。

——まってます。
 
 幻聴のような余韻に感情を翻弄ほんろうされながらも、セトは家路についた。
 
 タワーを上がるエレベータ内で気持ちを落ち着けて、彼女の待つ家へと。
 平常心を心がけて開いたドアの先から、ふわりと笑う顔が、
 
「セトっ」

 明るい声を鳴らして、セトへと抱きついた。
 
「——!?」
 
 声にならない声が、セトの喉から出ていた。
 「はっ?」なのか「うわっ」なのか。驚きに満ちた気持ちは声にならず、代わりに全身で硬直していた。
 
 セトのあご下に収まった頭が、くっついたまま上を向く。
 硬化したセトを見上げる瞳は、嬉しそうにほころんでいた。
 その、顔で、
 
「あいたかった」
 
 とどめの一言。
 泣きそうにも見えてしまう感情のあふれた顔が、セトに向けて微笑み、固まっていたセトも思わずその身体に手を回そうとして、
 
 ——いや、違うだろ!
 鋭く突っこんで、浅はかな自分自身を全力で制御した。
 
 こちらを見上げたまま、にこにこと笑う顔。
 混乱を極める頭をフル回転させて、
 
「——そうか、俺いま疲れてんだな。空耳だな?」
「? ……ソラミミ?」
「わりぃけど、もっかい言ってくれねぇか? すげぇ聞き違いしちまった」
「もういっかい? セトに、あいたかった?」
「…………あぁ、あれか。外も知らねぇやつらばっかだしな。知り合いは俺しかいねぇしな。っつぅわけじゃなくて、知ってるやつに会うと安心する、みてぇなもんか」
「?」
 
 笑顔のまま首を傾ける彼女。セトの早口は聞き取れていない。
 疲弊した脳で精一杯この状況を捉えようと努力するセトは、ふと室内の様子に目がいった。

 広々とした空間。調理マシンの収納された棚は入り口から見て正面にあって、その前には簡単なカウンターとダイニングテーブル。向かい合うイスがふたつ。左手には空間を仕切ることなくリビングになっていて、長ソファとローテーブルが置かれていた。暖炉を模したインテリアまである。
 空間を豊かに使った室内は、朝のだだっ広い空間とサイズがあまり変わらない。天井は映像によって本来よりも高く見えているにしても、右手の狭まっている分はバスルームを含んであと一部屋分くらいしかない。——個室がまったくない。
 
「……なあ、この部屋、誰がデザインした?」
「〈でざいん〉なら、わたしがしました」
 
 どうかな?
 とばかりに反応を期待する目に、さらなる困惑が。

——俺とお前で住むことになるけど、生活空間分けてくれればいいから。
 
 そう言った手前、がっつり仕切られて当然だと考えていた。
 調理マシンを挟んでそれぞれのプライベートエリアかも知んねぇな、と。だいたいの見当をつけていたのだが……なんだこれ。
 
「……いちおう訊くぞ?」
「?」
「あっちの部屋、なんだ?」
 
 右手の壁に並ぶ、3つのドア。その一番右。
 
「あれは〈といれ〉」
「……真ん中は?」
「あれは、〈しゃわー〉と〈おふろ〉と〈せんめんじょ〉がある」
「……左端は?」
「〈しんしつ〉。〈べっど〉がある」
「……お前、もしかして俺の生活空間いらねぇと思ってんのか?」
「?」
「……いや、俺の……せめて寝る場所は?」
「いっしょに、ねないの?」
「——は?」
 
 見上げる顔が、さも当然と言ったふうに尋ねるものだから、セトの混乱は頂点を極めきって停止した。
 いまだくっついたままの彼女に戸惑いながら、それでも離れるには惜しいのか、動けずにいる。
 
「……そういや、メシは?」
「おなか、すいてます」
「だよな……とりあえず食べるか。俺らどっちも疲労と空腹でおかしいみてぇだから」
「おしごと、たいへん、だった?」
「ああ、まぁ……それなりに」
 
 思考停止した頭は、空腹を覚えていた。
 せっかくおびえることなく寄ってきた彼女を、セトは離したくはなかっただろうが、栄養の摂れていない彼女の身体が案じられた。

 彼女の背後にあたるダイニング空間へ、移動を促そうとすると、
 
「おしごと、おつかれさま。わたしのために、ありがとう」
 
 ふわりと笑う、好意あふれる表情と言葉が胸を打つ。
 小さな唇が、優しくほころび、
 
「——おかえりなさい」
 
 ハウス特有の、『おかえり』。彼女の母国語になるらしい、やわらかで懐かしい響きを耳にした瞬間、
 
 疲労と空腹の混乱にあまえて、片手だけでその身体を抱きしめ返していた。
 
「……ただいま」
 
 親しみのハグと言い訳できる程度に。
 気持ちだけは——いとしさを込めて。
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