返るために、殺す

藤香いつき

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【反転】

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 固定電話の受話器を置いてから、朱音はしばらくその場を動けなかった。

 たった今聞いた櫻井の声は、静かだった。
 
『……分かった。夜、神社で』
 
 指先で喉に触れる。
 息を吸うと首の奥が引きつる。
 そこに、冷たい感触が残っている。

 今日は卒業式。

 昨夜、井戸の底で櫻井がこぼした言葉を思い出す。
 答えを、知りたい。
 
 
 日が沈み、祭りのざわめきも消えていた。

 時計を見る。
 櫻井との時間までは、まだ少しある。

 それでも、朱音はコートを手に取った。
 じっとしていられなくなった。

 玄関の明かりをつけずに靴を履く。
 鍵を回す音が硬く響く。

 夜の空気は冷たく、吸い込んだ胸が震えた。

 朱音は神社の方へと足を向けた。

 神社の石段を駆け足で上がりきった。
 境内には人影がない。
 提灯の明かりが風に揺れ、鳥居の影を細かく刻んでいる。

「朱音ちゃん」

 背後から声を掛けられ、朱音は身をすくめた。

 振り返ると、石段の下に駐在所のお巡りさんが立っていた。
 村では、みんな『駐在さん』と呼んでいる人だ。

「こんな時間に、どうしたの。祭りはもう終わったよ」
 
 駐在さんは朱音を見上げ、目尻にしわを作って笑った。
 
「……ちょっと、落とし物を」

 朱音はとっさにそう答えた。

「桜のところで落としちゃって。捜しに来ただけです」
「そうなんだ。じゃあ、一緒に捜そうか」
「大丈夫です」

 断ったはずなのに、駐在さんは構わず石段を上がってきた。

「いいんだよ」

 隣に並んでから、朱音は気づいた。

 駐在さんは制服を着ていなかった。
 濃い色の長いコートの下は、軽装だ。
 いつもの帽子もない。

 視線に気づいたのか、駐在さんは肩をすくめた。

「制服ね、さっき汚しちゃって」
「そうなんですか」
 
「それより、何を落としたの?」
「えっと……ストラップです」
「どんな?」
「小さな、花鈴のお守り……」

 嘘を重ねながら、地面を見るふりをする。

 辺りを見回す。
 櫻井の姿はない。

「どうかした?」
「ううん、なんでも」

 焦りを隠すように、朱音は言った。

「駐在さんは、公民館に行かなくていいんですか」
「僕は仕事があるからね」

 前にも、こんな会話をしたことがある。

 母と喧嘩して、村外れの道を歩いていたとき。
 あのときも、遅い時間だった。

「駐在さんって、こんな遅くまで大変ですね」
「うん、まあね」

 桜の木の奥に進むと、視界が開けた。

 高台のここから、ちょうど自分の家が見えた。
 朱音の部屋の窓も、玄関も、裏口も見える。

 ——ここなら。
 家を抜け出すのが見える。
 裏手の山沿いを下れば、道に出られる。
 
 背中が、すっと冷えた。
 
 櫻井が、何度も辿ったかもしれない道を、目でなぞっていく。
 
 ふと、通りの奥に、黒いワゴン車が停まっているのが見えた。

「朱音ちゃん」

 呼ばれて、はっとする。
 
 振り向いたときには、もう目の前に立っていた。
 
 微笑む目尻のしわ。
 近すぎて、思わず身を引く。

「お守り、見当たらないねぇ」
「あのっ」

 朱音はワゴン車を指さした。

「あそこ、空き地の前に」
「うん?」
「知らない車が……」

「……ああ、あれは僕のだよ」
「え?」

「車検でね。代わりの車を使ってるんだ」
「そうなんですか……」

 駐在さんはスマホを取り出した。
 ライトが光る。足元が白く浮かぶ。

「誰かに拾われちゃったのかもなぁ」

 駐在さんのため息に、朱音は頷いた。

「また、明日捜します」
「また、明日?」
「はい」

 櫻井はいない。
 一度帰ろう。連絡を——

「ところで、朱音ちゃん」

 駐在さんがスマホを掲げた。
 
「スマホ、ちゃんと持ってるかい?」
「え……」
「心配したお母さんから、連絡が来てたりしないかな」
 
 朱音はスマホを取り出した。
 ロック画面には通知が溜まっている。
 ただ、母からの連絡ではなかった。
 
《待ち合わせ、変更なしでいい?》
《メッセージ届いてる?》
《何か不都合があった?》
《どうしたの?》
《心配してる》
《連絡して》
 
 ずらりと並ぶメッセージ。
 今日は一度も開いていなかった。
 
 今は、それどころじゃない。
 
 朱音はメッセージを開くことなく、スマホをしまおうとした。
 
「駄目だよ、きちんと連絡しなきゃ」
「お母さんじゃないから……」
「相手、待ってるんじゃない?」

 低い声。
 胸が跳ねる。
 
 目が合うと、駐在さんは眉尻を下げて笑った。

「おじさんが余計なこと言ったね。家まで送るよ」

 そう言って、石段の方を向く。

 制服じゃない。
 パトカーもない。

 違和感が重なり、頭が痺れる。

 朱音は、そっとスマホを握った。
 
 アプリを開き、通話ボタンを押す。
 駐在さんがスマホを仕舞った、コートのポケット。
 そこを、じっと見つめる。

 静寂。
 動かない。
 
 ——違う。

 息を吐く。

 ブブブブ、と。

 静かな夜に、かすかな振動音が鳴った。

 朱音は目線を上げた。

 踏み出そうとした足を止め、駐在さんが胸の内側に手を入れる。
 もう一台のスマホを取り出し、画面を見る。

 そして、振り返った。

 眉を下げた笑顔のまま。

 足が自然に一歩、後ろへ下がる。
 かかとが石に当たる。

「……朱音ちゃん」

 体の向きを変えた瞬間、腕を掴まれた。

「落ち着いて」

 穏やかな声。
 でも、大きな手が朱音の首元を掴んだ。
 
 指が喉の下に食い込み、反対の手も重なる。
 喉がひくりと鳴り、潰れたような声が漏れる。

 駐在さんは朱音の反応を確かめるように、背を丸めて顔を覗き込んだ。

「大丈夫、気絶させるだけだからね」

 穏やかな声で。

「起きたら、ちゃんと話そう」

 駐在さんの笑顔が、涙でぼやける。
 提灯の明かりが滲んだ。

「……今夜が、いちばん都合がいいんだ」

 指が、はっきりと締まる。
 息が詰まり、頭の奥が白くなる。
 
 声が出ない。
 
 耳鳴りが広がる。

 ——鈍い音。

 すぐ近くで、骨に何かが当たる硬い響きがした。

 駐在さんの指が、ふっと緩む。
 喉から空気が流れ込み、朱音は身をよじって離れた。
 
 地面に尻餅をつく。
 駐在さんの体が前のめりに倒れ込んだ。

 櫻井が立っていた。

 右手に金槌を握ったまま、浅い呼吸を繰り返し、見下ろしていた。
 
 地面に伏した駐在さんの頭の下に、黒い染みが広がる。
 櫻井の視線は、しばらくそこに縫い止められていた。

 ゆっくりと朱音を見る。
 
 朱音は、その場に座り込んだまま動けなかった。
 首元がひりつき、息がうまく入らない。
 
 視線だけが、重なる。

 金槌が、地面に落ちる。
 櫻井の足が、朱音に向く。

 朱音の前で膝をつくと、そっと手を伸ばした。
 
 肩に触れ、腕を引き寄せる。

 朱音の額が、櫻井の胸に当たった。

 温かい。
 
 それだけで、全身から力が抜けた。
 
 櫻井の腕は、朱音を引き寄せただけで、押さえつけはしない。

 力はない。
 暴力のきざしもない。

 ただそこにあるだけだ。

 朱音の耳元で、櫻井の息が震える。

「……やっと……」

 その反対の手に、小さな花鈴があった。
 
 チリン、と。
 
 
 
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