37 / 72
Bal masqué
Chap.4 Sec.9
しおりを挟む
こそこそと嗅ぎ回るのは、わたしに向いていない。——だから、ストレートに訊いてしまうのが無難なのだろう。
「ねぇ、ゲランさん」
書斎にて書類を細々とまとめていた彼に、デュポン夫人から招待状が来る旨を伝えたあと、世間話のように切り出した。
「最近、ルネさんの服の下を見た?」
「……なんのお話でございましょう?」
さりげなくを装ったが、内容に限界がある。敬意は残っているものの、丸眼鏡の奥にある瞳にはうろんげな気持ちが透けていた。
大丈夫、この先の嘘は用意がある。
「ダンジュー家のフランソワ様が、ルネさんの体を見てあげてと言うのよ。もしかして、怪我でも隠しているのかしら……と思って」
「怪我でございますか……わたくしは存じ上げませんが……」
「古傷のことを言っていたのかしら?」
「……古傷とは、なんでございましょう?」
首をかしげて見せたが、わざとらしかった気がする。しかし、ゲランは何も思っていないらしい。平常心と胸中で唱えつつ、さも知り尽くしたように、
「ルネさんは、お体に傷があったでしょう?」
「………………」
眉をひそめるゲランの顔に、動揺を隠して笑った。
「違うのよ、変な意味じゃないわ。子供の頃に見たのよ。今でも残っていそうな傷だったから、てっきりまだあるのかと……」
「——いえ、わたくしの記憶が正しければ、彼にそのような傷はございません」
「……ぜったい?」
「おそらく、と申し上げます。……先日、使用人は健康診断を受けております。奥様に何かあってはいけませんので……しかし、怪我や古傷について、そこでの医師から報告はございません。わたくし自身も立ち会っておりますが、取り立てて気になることはなかったかと……。何分そこまで注視しておりませんので、不確かではございます。些細な傷はあるのやも知れません」
「……そうなの」
「……ダンジュー様が、彼の肌を目になさる機会がございましたのでしょうか?」
「さぁ……なんとなくで言ったのかもしれないわ。フランソワ様って掴みどころのない方だから……」
半分は真実を話している。最近まわりを見ていて分かったのだが、嘘というものはすべてを偽ろうとするから失敗するのだ。大半を真実で覆ってしまえば、偽りの部分は意外と気づかれない。
怪我がないならいいのよ、気にしないでちょうだい。奇妙な顔をするゲランには軽く声をかけて、部屋をあとにした。
ゲランの話を信じるならば、
——見苦しい傷痕がございますので、お嬢様の目に映すことのないよう。
あれは、嘘になる。服を脱げない理由が、別にあったことになる。
(服を脱げない理由……いいえ、元を言えば……服を脱いだら分かるとは……?)
§
「キスマークだわ」
例のごとく小犬のような眼をぱっちりと大きく開いて、エレアノールが答えた。
彼女の屋敷で、向かいにいたわたしは意味が分からず、隣に座るジョゼフィーヌを見る。彼女は黙って紅茶に口をつけていた。理解しているのかどうか判断つかないので、とりあえずエレアノールに目を戻し、
「キスマーク?」
「そう、キスマークよ。フランソワ様は、それを見てごらんと言ったんだわ」
「…………そんなものは、洗えば落ちてしまうでしょう?」
「——いいえ、落ちないのよ。あなたが思ってるのは口紅でしょう? それではなくて、別のキスマークよ」
「別のキスマーク……?」
「あたしは聞いたことがあるわ。情念が深くこもると、キスをしたときに肌に赤く残るんですって。つまり、深ぁくルネさんを愛する女のひとが、彼の肌にキスマークを残しているということよ!」
「またそんな……適当なこと言って。わたしを騙そうとしてるでしょう」
「してないわ! ほんとうよ!」
きゃんきゃんと高くなる声から離れるようにイスを下げ、ため息をつく。彼女に相談したのがいけなかった。
——フランソワ様が変なことを言うのよ。
ルネの身辺を洗うつもりなどなかったのに、どうしてか探るようなまねをしている。いや、まだこれは友人への愚痴の域だと思うが、話が変な方向に曲がっている。
「ひどいわ! どうして信じてくれないの!」
——だって、そんなことを言ったら、彼を想うわたしがキスをしても、それだけ赤くなるということでしょう? でも、彼の唇はそのままだったわ。そもそもキスのたびに唇が赤くなったら紅いらずじゃない。不貞もすぐにバレてしまうわ。
なんて言えない。絶対に言えない。どうあっても彼との姦淫だけは隠しきらなくてはいけない。
表情に出ないよう、しずしずと菓子を食べる。エレアノールはまだ何か言っている。
「ほんとうなのに! ねえ、ジョゼットも聞いたことあるでしょう?」
「そうねぇ……」
意外なことに、ジョゼフィーヌが肯定らしき声をふんわりと返した。驚きに横を見ると、唇を閉じて「ん~……」言おうか言うまいか、悩んでいるようす。
「情念がこもる……とは、すこし違うのだけど……肌を吸うと、付くらしいわね?」
「「肌を吸う?」」
ぴたりと息が合った。エレアノールと目を合わせ、二人でジョゼフィーヌに説明を求める目を向ける。
「……私も見たわけではないのよ? ただ、お母様から……その、子づくりについてお話を受けたときに……すこし、そんな話を……」
白い頬が、だんだんと紅潮していく。釣られてエレアノールとわたしも赤くなる。メイドはいつもどおり追い出されているので、三人で静かに赤面していた。わたしにおいてはルネとの行為まで思い浮かべてしまい、なおさら表情に出ないよう気を張った。
こほん、と咳をこぼし、ジョゼフィーヌは居住まいを正す。
「——だから、ね? そういうキスマークもあるというのは、嘘ではないのよ」
「ほぉらね!」
エレアノールの鼻高々な顔は無視して、話を続ける。
「それがあったからといって、メイドと関係があると断定はできないと思うのよ……どのみちフランソワ様が何をしたいのか分からないわ……」
「あら、あたし、それは分かるわよ?」
「え?」
思いがけずあっさりと応えるエレアノールを見つめると、彼女はなぜか一度、困ったように悲しい顔をした。
数秒間、言いかけてやめるような変な動作をしたあと、大きく息を吐いて、
「……怒らないで聞いてちょうだいね?」
「怒る話なの?」
「怒る……というよりも、悲しむ話かもしれないわ……」
重い前置きをしてから、エレアノールは神妙な顔をした。
「あなたのお家、若いメイドの入れ替わりが多いでしょ?」
「そうなのかしら? 言われると確かに……そうかもしれないわね?」
「……その理由が、ルネさんと恋仲になったりフラれたりの、恋愛問題らしいのよ」
「…………冗談でしょう?」
「冗談じゃないわ。あなたの気持ちを知っていて、こんな嘘を言うわけないでしょ」
「………………」
「この話、メイドたちのあいだでは有名なのよ。あなたがまったく知らないみたいだったから、黙っていたけれど……数年前から耳にしているわ」
真面目な顔をしたエレアノールの瞳が、まっすぐにわたしを見つめ、
「フランソワ様が何をしたいか——それはそのまま忠告なのよ。タレラン家に嫁ぐなら、使用人にうつつを抜かしていないで、きちんとした身なりでありなさいと——戒めているんだわ」
彼女のこんな真剣な顔は初めて見る。
それはつまり、それだけこの話の重みを伝えていた。
「ねぇ、ゲランさん」
書斎にて書類を細々とまとめていた彼に、デュポン夫人から招待状が来る旨を伝えたあと、世間話のように切り出した。
「最近、ルネさんの服の下を見た?」
「……なんのお話でございましょう?」
さりげなくを装ったが、内容に限界がある。敬意は残っているものの、丸眼鏡の奥にある瞳にはうろんげな気持ちが透けていた。
大丈夫、この先の嘘は用意がある。
「ダンジュー家のフランソワ様が、ルネさんの体を見てあげてと言うのよ。もしかして、怪我でも隠しているのかしら……と思って」
「怪我でございますか……わたくしは存じ上げませんが……」
「古傷のことを言っていたのかしら?」
「……古傷とは、なんでございましょう?」
首をかしげて見せたが、わざとらしかった気がする。しかし、ゲランは何も思っていないらしい。平常心と胸中で唱えつつ、さも知り尽くしたように、
「ルネさんは、お体に傷があったでしょう?」
「………………」
眉をひそめるゲランの顔に、動揺を隠して笑った。
「違うのよ、変な意味じゃないわ。子供の頃に見たのよ。今でも残っていそうな傷だったから、てっきりまだあるのかと……」
「——いえ、わたくしの記憶が正しければ、彼にそのような傷はございません」
「……ぜったい?」
「おそらく、と申し上げます。……先日、使用人は健康診断を受けております。奥様に何かあってはいけませんので……しかし、怪我や古傷について、そこでの医師から報告はございません。わたくし自身も立ち会っておりますが、取り立てて気になることはなかったかと……。何分そこまで注視しておりませんので、不確かではございます。些細な傷はあるのやも知れません」
「……そうなの」
「……ダンジュー様が、彼の肌を目になさる機会がございましたのでしょうか?」
「さぁ……なんとなくで言ったのかもしれないわ。フランソワ様って掴みどころのない方だから……」
半分は真実を話している。最近まわりを見ていて分かったのだが、嘘というものはすべてを偽ろうとするから失敗するのだ。大半を真実で覆ってしまえば、偽りの部分は意外と気づかれない。
怪我がないならいいのよ、気にしないでちょうだい。奇妙な顔をするゲランには軽く声をかけて、部屋をあとにした。
ゲランの話を信じるならば、
——見苦しい傷痕がございますので、お嬢様の目に映すことのないよう。
あれは、嘘になる。服を脱げない理由が、別にあったことになる。
(服を脱げない理由……いいえ、元を言えば……服を脱いだら分かるとは……?)
§
「キスマークだわ」
例のごとく小犬のような眼をぱっちりと大きく開いて、エレアノールが答えた。
彼女の屋敷で、向かいにいたわたしは意味が分からず、隣に座るジョゼフィーヌを見る。彼女は黙って紅茶に口をつけていた。理解しているのかどうか判断つかないので、とりあえずエレアノールに目を戻し、
「キスマーク?」
「そう、キスマークよ。フランソワ様は、それを見てごらんと言ったんだわ」
「…………そんなものは、洗えば落ちてしまうでしょう?」
「——いいえ、落ちないのよ。あなたが思ってるのは口紅でしょう? それではなくて、別のキスマークよ」
「別のキスマーク……?」
「あたしは聞いたことがあるわ。情念が深くこもると、キスをしたときに肌に赤く残るんですって。つまり、深ぁくルネさんを愛する女のひとが、彼の肌にキスマークを残しているということよ!」
「またそんな……適当なこと言って。わたしを騙そうとしてるでしょう」
「してないわ! ほんとうよ!」
きゃんきゃんと高くなる声から離れるようにイスを下げ、ため息をつく。彼女に相談したのがいけなかった。
——フランソワ様が変なことを言うのよ。
ルネの身辺を洗うつもりなどなかったのに、どうしてか探るようなまねをしている。いや、まだこれは友人への愚痴の域だと思うが、話が変な方向に曲がっている。
「ひどいわ! どうして信じてくれないの!」
——だって、そんなことを言ったら、彼を想うわたしがキスをしても、それだけ赤くなるということでしょう? でも、彼の唇はそのままだったわ。そもそもキスのたびに唇が赤くなったら紅いらずじゃない。不貞もすぐにバレてしまうわ。
なんて言えない。絶対に言えない。どうあっても彼との姦淫だけは隠しきらなくてはいけない。
表情に出ないよう、しずしずと菓子を食べる。エレアノールはまだ何か言っている。
「ほんとうなのに! ねえ、ジョゼットも聞いたことあるでしょう?」
「そうねぇ……」
意外なことに、ジョゼフィーヌが肯定らしき声をふんわりと返した。驚きに横を見ると、唇を閉じて「ん~……」言おうか言うまいか、悩んでいるようす。
「情念がこもる……とは、すこし違うのだけど……肌を吸うと、付くらしいわね?」
「「肌を吸う?」」
ぴたりと息が合った。エレアノールと目を合わせ、二人でジョゼフィーヌに説明を求める目を向ける。
「……私も見たわけではないのよ? ただ、お母様から……その、子づくりについてお話を受けたときに……すこし、そんな話を……」
白い頬が、だんだんと紅潮していく。釣られてエレアノールとわたしも赤くなる。メイドはいつもどおり追い出されているので、三人で静かに赤面していた。わたしにおいてはルネとの行為まで思い浮かべてしまい、なおさら表情に出ないよう気を張った。
こほん、と咳をこぼし、ジョゼフィーヌは居住まいを正す。
「——だから、ね? そういうキスマークもあるというのは、嘘ではないのよ」
「ほぉらね!」
エレアノールの鼻高々な顔は無視して、話を続ける。
「それがあったからといって、メイドと関係があると断定はできないと思うのよ……どのみちフランソワ様が何をしたいのか分からないわ……」
「あら、あたし、それは分かるわよ?」
「え?」
思いがけずあっさりと応えるエレアノールを見つめると、彼女はなぜか一度、困ったように悲しい顔をした。
数秒間、言いかけてやめるような変な動作をしたあと、大きく息を吐いて、
「……怒らないで聞いてちょうだいね?」
「怒る話なの?」
「怒る……というよりも、悲しむ話かもしれないわ……」
重い前置きをしてから、エレアノールは神妙な顔をした。
「あなたのお家、若いメイドの入れ替わりが多いでしょ?」
「そうなのかしら? 言われると確かに……そうかもしれないわね?」
「……その理由が、ルネさんと恋仲になったりフラれたりの、恋愛問題らしいのよ」
「…………冗談でしょう?」
「冗談じゃないわ。あなたの気持ちを知っていて、こんな嘘を言うわけないでしょ」
「………………」
「この話、メイドたちのあいだでは有名なのよ。あなたがまったく知らないみたいだったから、黙っていたけれど……数年前から耳にしているわ」
真面目な顔をしたエレアノールの瞳が、まっすぐにわたしを見つめ、
「フランソワ様が何をしたいか——それはそのまま忠告なのよ。タレラン家に嫁ぐなら、使用人にうつつを抜かしていないで、きちんとした身なりでありなさいと——戒めているんだわ」
彼女のこんな真剣な顔は初めて見る。
それはつまり、それだけこの話の重みを伝えていた。
32
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる