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オペラ座の幻影
Chap.5 Sec.12
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赤い部屋で、二人の男が対峙していた。
一方は覚悟を決めた目で剣をひらめかせ、もう一方に迷いなく突きつけた。
突きつけられた男は平然とし、切先に怯え惑うこともなく、不意に笑った。
くつくつとした掠れた喉の音に、向かい合っていたルネが眉をひそめる。警戒を緩めることなく、問いかけた。
「何がおかしい?」
「いや、すまない……君があまりに真剣だから……ふふ、青いなと思ってね……ああ、これも気にさわるのかな? ……褒め言葉だよ? 若さゆえの無謀さも、君のもつ強欲な一面も……嫌いではない。なかなかに好ましい……」
口の端を持ち上げたまま、男は指輪をつまむ手を上げて、
「差し上げよう」
ひょい、と。コインを投げるかのような無造作かげんで、ルネの方へと放った。
油断が生じるのを恐れてルネが手を出さなかったため、指輪はころりと床のビロードの上に落ちる。
剣の切先は揺らがない。
「……なんのつもりだ」
「私も命は惜しいのでね? 脅してくるようだから、素直に従っているのだよ」
「指輪を寄越せとは言っていない」
「彼女の解放か? ……そうだね、何もせずとも数時間で目は覚ますだろう。心配ならば連れ帰ってやればいい。起きた場所が自分のベッドならば、すべて夢だったと思えるかも知れないね……?」
「……それは薬で眠っているということだな? 何を飲ませた?」
「さてね? 詳しくはないが……命に関わるものではない。無理に起こせば、かえって良くないだろう……目を覚ますのを待つべきだ」
「……本当だな?」
「仮にも貴族の令嬢だからね? むやみに傷付けやしないさ」
くくく、と笑う唇に焦燥はなく、ルネは胸のうちの不安感を払えずにいた。
戸惑うルネに、男はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「警戒は要らないよ。そこまで君がその娘を欲しいと言うなら……無理に奪うことはしない。……何より、」
止まっていた剣の切先に、男はそっと手を重ねて横にずらした。
「君はもう、指輪を手に入れることでチェックメイトらしい。ならば……おそらくこの娘は、息子の婚約者ではなくなるね? 貴族ですらなくなる。在りきたりなどこぞの娘なら……無理に味わわずともいいだろう」
「……指輪も彼女も要らないというのか?」
「どちらも私のものではないからね? そこに執着はない」
「………………」
「興味があるとしたら……復讐の味だね」
クスリと、男は唇を歪ませた。
「復讐は蜜より甘いという……。これから先、君が味わうものには非常に興味があるね……」
剣の先を指で押さえたまま、男は唄うように唱えた。
「その娘を連れ帰りなさい。そうして、君の復讐を成し遂げればいい。君がふさわしい身分を得たあかつきには、私の美食会に招待しよう。ぜひともそこで、君が味わった蜜の味を……教えてもらおうか」
終わりが空気に溶けるような、不思議な声で。
その男は、ルネの胸に残る復讐に囚われた幻影を、愉しげに煽った。
一方は覚悟を決めた目で剣をひらめかせ、もう一方に迷いなく突きつけた。
突きつけられた男は平然とし、切先に怯え惑うこともなく、不意に笑った。
くつくつとした掠れた喉の音に、向かい合っていたルネが眉をひそめる。警戒を緩めることなく、問いかけた。
「何がおかしい?」
「いや、すまない……君があまりに真剣だから……ふふ、青いなと思ってね……ああ、これも気にさわるのかな? ……褒め言葉だよ? 若さゆえの無謀さも、君のもつ強欲な一面も……嫌いではない。なかなかに好ましい……」
口の端を持ち上げたまま、男は指輪をつまむ手を上げて、
「差し上げよう」
ひょい、と。コインを投げるかのような無造作かげんで、ルネの方へと放った。
油断が生じるのを恐れてルネが手を出さなかったため、指輪はころりと床のビロードの上に落ちる。
剣の切先は揺らがない。
「……なんのつもりだ」
「私も命は惜しいのでね? 脅してくるようだから、素直に従っているのだよ」
「指輪を寄越せとは言っていない」
「彼女の解放か? ……そうだね、何もせずとも数時間で目は覚ますだろう。心配ならば連れ帰ってやればいい。起きた場所が自分のベッドならば、すべて夢だったと思えるかも知れないね……?」
「……それは薬で眠っているということだな? 何を飲ませた?」
「さてね? 詳しくはないが……命に関わるものではない。無理に起こせば、かえって良くないだろう……目を覚ますのを待つべきだ」
「……本当だな?」
「仮にも貴族の令嬢だからね? むやみに傷付けやしないさ」
くくく、と笑う唇に焦燥はなく、ルネは胸のうちの不安感を払えずにいた。
戸惑うルネに、男はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「警戒は要らないよ。そこまで君がその娘を欲しいと言うなら……無理に奪うことはしない。……何より、」
止まっていた剣の切先に、男はそっと手を重ねて横にずらした。
「君はもう、指輪を手に入れることでチェックメイトらしい。ならば……おそらくこの娘は、息子の婚約者ではなくなるね? 貴族ですらなくなる。在りきたりなどこぞの娘なら……無理に味わわずともいいだろう」
「……指輪も彼女も要らないというのか?」
「どちらも私のものではないからね? そこに執着はない」
「………………」
「興味があるとしたら……復讐の味だね」
クスリと、男は唇を歪ませた。
「復讐は蜜より甘いという……。これから先、君が味わうものには非常に興味があるね……」
剣の先を指で押さえたまま、男は唄うように唱えた。
「その娘を連れ帰りなさい。そうして、君の復讐を成し遂げればいい。君がふさわしい身分を得たあかつきには、私の美食会に招待しよう。ぜひともそこで、君が味わった蜜の味を……教えてもらおうか」
終わりが空気に溶けるような、不思議な声で。
その男は、ルネの胸に残る復讐に囚われた幻影を、愉しげに煽った。
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