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2-8.気になってるんはあの耳やねんけど(波多野朱里/バルマン)

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 ソムリエごっこが楽しすぎて、私けっこうやるやん、倉田さんも褒めてくれたし、と思って調子に乗ってたら、メインが鴨に移るタイミングで十年ものの赤ワインのオーダーが入った。ワイン詳しそうな大人四人のテーブルで、アペリティフからオードブルまではシャンパーニュ、鰆のコンフィで白ワイン、ワインリスト全員に回してけっこう相談してからのオーダーやったし、どっかのワイン会で知り合ってダブルデートみたいシチュエーションなんかなと、勝手に想像してたテーブルやった。
 デキャンタージュは、一回だけやったことある。家で一人で。あれをお客さんにガン見されながらやるんは無理。絶対無理。と思って、けどまさか当店のソムリエを呼んで参ります、って言うわけにも行かんし(いやお前ソムリエちゃうんかいってなる)、少々お待ちくださいだけ言って、北澤くんに助けを求めた。
 まあ私ソムリエバッジしてへんし、ワイン通の人らやったら私がまだ経験浅くて先輩と交代した風に見えるやろ。そう思ってさりげなく鏑木くんの横に立って「先輩の技、学んでます」っていう空気出しながら、北澤くんのデキャンタージュ見てたら。
 それはえぐいで、って思った。なんかもう、なまめかしい、っていうん? こんな普段ぜったい使わん形容詞を引っぱり出してくるぐらい北澤くんがえぐいことになってて。
 それオーラちゃうやろ。色気やろ。いやデキャンタージュにそれ必要ないやん。
 最後の蝋燭消すとこがまた、その蝋燭の濃いオレンジの光に照らされた横顔と、吹き消す瞬間の唇の感じと、火が消えて色合いが元に戻ったときの斜め下向いてる眼差しと、それに並行してふわっと白い煙が宙に消えていくっていう一連の流れがぜんぶ思わせぶりなスローモーションで見えて、一瞬の映画みたいな(それ言うんやったら映画のワンシーンや)、外国の煙草の古いCMみたいな印象で。
 思わず鏑木くんのほう見たら、鏑木くんもそれ凝視してた。しかもはんぶん口あけて。思わず肘でつついたら、びくっとしてこっち見て、目が合った途端にめっちゃ赤面するから笑いそうになった。
 鏑木、お前もか、って。
 え、洗い場で斉藤くんとなんかあった? いや洗い場やで、なんもありようないやん。
 そうは思ったけど、いや北澤くんやで。あり得んはずのことがあり得てしまうのが北澤くんやで。
 じゃあ後お願いするね、って耳元で言われて、いや距離近いわ、と思ってぞわっとして、我に返った時にはもう北澤くんはキッチンに戻った後やった。
「何であんなあっさり洗い場戻るんすかね」
 鏑木くんが言ってきて、ほんまやわ、自分の本職をバルマンの私に取られて、ちょっとは悔しいとかないんか、と思った。けど。けどやで。
 そこで気づいたんやけど、洗い場やったら斉藤くんがすぐ近くにいるわけやん。だから洗い場行けって言われて黙って行ったんちゃうん。普段やったら文句のひとつも言うとこやのに、今日は単に斉藤くんの傍にいたかったから、むしろ嬉々として行ったんちゃうん。
 絶対そうやわ、と思って、何なんその自分都合、ていうかプロ意識のなさ。
 まあデキャンタージュは完璧で、お客さん拍手してたくらいやからなんも言わへんけど、その溺れっぷりはさすがに引くわ。北澤くんて普段、どっちかって言うと自分から誘って口説いて、でも一回寝たら後はけっこうドライやん。私の知ってる限りではほとんど皆、一回だけって言ってたし。ここだけの話、森川シェフを別にしたら三回が最多記録やと思う(誰となんかは言わへんけど)。
 私的には相原くんに行って欲しかってん。もし北澤くんと付き合ったら相原くんももうちょっと人慣れするんちゃうかって期待したんやけどやっぱし一回きりで、その後、相原くんの健気なアプローチを北澤がぜんぶ断ってるって知ってなんか腹立った。
 外見だけで言ったら相原くんも斉藤くんもわりと細身で色白くて、二人ともおとなしめで、そうなったらもう金髪か黒髪かの違いしかないようなもんやん(まあそれは言い過ぎやけど)。
 それが、なんで斉藤くんにだけそんな感じになるん。
 真面目でいい子そうやなと思ってたけど実際どういう子なんかは、あんまり喋ってないからまだ解らへん。一個だけ気になってるんはあの耳やねんけど、あの黒髪の隙間から耳がちらっと出てるやつ。あれ見たら私、なんか心拍数上がるんやけど。
 いやこれ誰にも言わんといてや。って、誰に向かって言うてんの私。
 とりあえず、斉藤くんのことは心の中で「小悪魔」って呼ぶことにした。いやいい意味でやで。

 ワインサークル風のテーブルから、デザートの提供始まるタイミングでグラスシャンパンのオーダーが入って、デザートに辛口シャンパーニュっていうのがちょっと意外やったけど、想像したら合うような気がするしなんかお洒落やん、と思った。
 デザートのチョイスは二人がフロマージュ・フレーズ(チーズ&苺にシャンパンは最高やん)、一人がタルト・オ・フリュイ(フルーツもシャンパンで間違いないやん)、もう一人がブッシュ・ド・ノエル(紅茶の香りがメインって考えたら合うかも)。
 後で北澤くんに報告しとこ、と思ったらあのデキャンタージュの蝋燭吹き消すシーンがフラッシュバックしてきた。
 誰となんかは言わへん、て言ったけどやっぱ言うわ。それ私やねん。
 シャリオドールに来て半年くらい経った頃に一回、口説かれて、その口説かれんのがあまりにも楽しかったからついその気になって部屋に誘ってん。でもお互い割り切った遊びっていう空気やったし、実際そのあと何か月か経つまでは、仲良くなれて秘密を共有して楽しかったね、ていう感じで普通に平和裏に終わった話やった。
 けど何か月か経った頃に、北澤くんが広瀬さんと森川シェフと三人で事務所で口喧嘩してるみたいなことがあって、そこから北澤くんと森川シェフが実は付き合ってるっていう衝撃の事実が判明したんやけど、その頃から二人の関係がうまく行かんようになったんやと思う。そこから二回、けっこう立て続けに、電話かかってきたと思ったらいつの間にか私の部屋に北澤くんがいる、っていうのがあって。
 悪い気はせんかったけど、その二回目ん時に、けっこう一方的に癒しを求めにきてるな、っていうのを感じて。森川とはもう別れる、とか言い出すから、いや別れたらあんた一人じゃおられんやろって突っ込んだら、めっちゃ目で殺しにきた。
 ちょっと待ってや、と私は言った。「私は無理やで。あんたどう考えても普通にゲイやん。あんたのその感じでバイセクシャルですって言うのは違うやろ。私のこと便利に使うの、いい加減にやめてや」
 そん時に初めて見たんやけど、北澤くんの泣き顔ってあり得んくらい綺麗で。うちら一瞬でも付き合うことになったら、私その顔見たさに毎日苛めるで、と思った。

 そのうち、無事に(無事って言えるんかどうかわからんけど)二巡目のサービスが終了してお客様が捌け、玄関前のOPENの札をCLOSEDにひっくり返して戻ったとき、キッチンの前に倉田さんと鏑木くんがいるなと思ったら急に倉田さんが「奥さん!?」「妊娠中!?」って叫んだ。
 今度は何やねん、と思って、どうしたんですかって訊いたら、「いや波多野さん、鏑木くんが結婚してるなんて知ってた?」と訊き返された。
「は? 自分、大学生なんちゃうん」
「だから社会人の彼女と学生結婚してて」
「いや聞いてないで、それ」
「店に一緒に来たっしょ」
「それやん。予約んとき彼女って言ってたやん」
「妻、とか言うの慣れてないし、ハズくて」
「カードのサイン、苗字が同じやったから、彼女がれんくなってお姉さんと来たんやろっていう話になってたで」
「そりゃ結婚するときこっちが向こうの苗字に変えたんで、同じっすよ。けど俺、北澤さんには言ったし、勝手に噂で広まってると思ってて」
「いや、聞いてないで」
「しかもさ、妊娠中ってことは鏑木くん、もうすぐパパになるってことだよね?」
「予定日、五月す」
「もっと聞いてないわ!」
 このチャラい大学生が父親とかあり得んし。いや、チャラいからこその学生結婚か。
 倉田さんも相当びっくりしたみたいで、眼鏡ちょっとずれてんの気づいてへん。ていうか鏑木くんて生まれた瞬間からずっと「かぶらぎくん」やと思ってたわ。「かぶらぎ」以外の苗字、想像もできん。
「ちなみに、旧姓は何ていうん?」
 聞いてみたら鏑木くんは、きむらっす、と答えた。全然木村に見えへん。
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