虎狩りと鴨撃ちの輪舞(ロンド) ~奈佐原高校チェス同好会~

奈倉柊

文字の大きさ
4 / 26
第一部  白:佐々木航太  黒:鷺沢悠  20xx年9月x日

3:黒による不意打ち(3.Bc4 Qh4+)

しおりを挟む
 初手、e4。
 鷺沢との初めての対局で、僕は王道のオープニングを選んだ。
 鷺沢は思った通り、何の迷いもなく正面からe5で返してきた。
 当然というか衝動に任せてというか、僕は自分がいちばん指したい二手目を選ぶ。
 そもそも鷺沢と対局するチャンスは、これが最初で最後になるかもしれない。だったら今、自分のやりたいことを我慢する理由はない。
 f4。キングズ・ギャンビット。
 古典中の古典だけど、僕の好きなオープニングだ。白がポーンを捨てて素早い展開を目指す。黒がどう返すか、それ次第で無数のバリエーションに発展する。
 鷺沢はギャンビットを受けたアクセプテッド。つまり僕のポーンを取った。そのポーンを盤外に丁寧に置くと、ゆっくり目を合わせてきた。僕らは二人とも、声を立てず目と唇だけで笑い合う。 
 展開の早い、好戦的な対局の予感。
 心拍数が一気に上がる。
 僕がビショップを上げると、彼は即座にクイーンを動かして王手チェックを掛けてきた。通説に反して早々にクイーンを動かすことを、躊躇う様子はなかった。
 僕が窮屈なf8にキングを逃がすと鷺沢は少し思案して、クイーンサイドのポーンをb5に進めるという地味な一手を選んだ。

 月曜の夜七時。
 僕は鷺沢に指定された通り、対局時計チェスクロックだけを持ってスタジオに行った。
 バンドの練習とかに使うような時間制の安いレンタルスタジオで、良く言えばレトロな、正直に言えばただ単に古臭いだけの空間だった。
 あまりにも、鷺沢にそぐわない。
 チェスの対局をやるのに何でこんな古びたスタジオの、しかも地下の一番奥の部屋? 
 戸惑ったけど、鷺沢は慣れた感じでその部屋のドアを開け、中に入ると僕に、どうぞ、と言い、僕を入れてからドアを閉めて、内側から鍵まで掛けた。
 一応は防音だけどカラオケボックス程度で、どこかの部屋から下手くそなドラムの音が聴こえてくる。しかも、そもそもチェス盤を置けるような机とかが全くない。
「えっと、なんかテーブルになる物って」
「チェス部のひとがそんなの気にする?」
 鷺沢はそう返して、さっさと床に座り込もうとした。そりゃチェス部ぼくらは平気で廊下に座るけど鷺沢の私服はかなりきれいめで、スタジオの床はきれいとはとても言えない荒れたカーペットだったから、僕は反射的に鷺沢を止めた。
「ちょっと待って」
 羽織っていた半袖シャツを脱いで鷺沢が座りかけてた床に敷こうとすると、鷺沢は初めてちらっと笑った。
「いいよ、そんなの」
 そのまますとんと床に座って、持ってきたチェスセットを出し始める。
 チェスセットは持って行くから、と言われていた。
 けど鷺沢の持ってきたそのセットは、ちょっと、普通じゃなかった。
 ボードピースもキラッキラの真鍮製。金色と黒の二色に輝いていて、全体に、細かく装飾的な彫刻が施されている。おまけにずっしり重い。
「鷺沢、これって…」
「これ? うちにあったやつ」
 って間違いなく高級インテリア。革張りソファのある応接間とかに飾ってあるやつ。
 緊張させようとする盤外作戦か、と(本気ではなく)思いつつ、僕は向かい側に座った。
「えっと、まあ、じゃ、よろしく」
「うん、よろしく」

 結論から言うと、最終的に、先手の僕が23手で勝った。
 正直に言って、鷺沢が17手目を指すまでは、めちゃくちゃ楽しかった。
 鷺沢も楽しんでるのが伝わってきていた。
 だから僕はナイトとビショップで攻撃を仕掛ける間、クイーンサイドのルークとポーンを放置した。僕の悪戯を鷺沢は面白がって、でもその手には乗らないだろうと思った。ところが、鷺沢は17手目で、自陣の強力な黒クイーンを戦列から遠ざける一手、僕のb2ポーンを取るという悪手を指した。
 毒入りポイズンドポーン、と呼ばれる、プレイヤーなら誰でも知っている古典的なハメ手だ。邪魔なクイーンを餌でおびき寄せてボードの隅に釘付けにする。もちろん、そのポーンを取ったからと言って即座に負けるとは限らないし、取っておいて余裕で勝つ強者つわものだっている。けど今の戦局でそんなことをすれば致命的なことになると、鷺沢は気づかなかったのだろうか?
 というのも、そのあとも鷺沢は、連続で意図の不明な手を指したからだ。
 b2ポーンの次に、a1ルークまで取った。つまりクイーンを戦列に戻さなかった。
 僕が白クイーンでチェックを掛けると、鷺沢は無造作にナイトでそのクイーンを取った。
 それじゃ次の一手で負けメイトになるのに。
「気がついたら完全に逃げ道、塞がれてた。いつも思ってたけど航太って、」
 鷺沢は何となく仄暗いような目をしてそう言った。「虎狩りみたいに攻めるよね?」
 トラ刈り? っていうか今、僕のこと航太って呼んだ。
「あのさ。鷺沢は何で、b2のポーン取ったの」
 対局が終わると当然、感想戦もやるものだと思っていた。だからいちばん不可解なことを僕は訊いた。すると鷺沢は、取れば終わると思ったから、と答えた。
 取れば終わると思ったから。
 え? 取れば終わると思ったから?
「え、どういう意味。終わらせようとしたわけ?」
 鷺沢はあっさり頷いた。
「もしかして、わざと負けた?」
 今度は首を横に振る。「航太の17手目で、これは負けるなって思ったから」
「え? それなら、投了すれば済む話だよね。何であんな余計な手を指して、きれいなゲーム台無しにしたの? 僕は鷺沢とやるの楽しかったのに」
 僕にとっては鷺沢のその行為は、はっきり言って裏切りで、しかも侮辱だった。
「とうりょう? って何?」
 さらに信じられない言葉が鷺沢の口から漏れ、さすがに驚いて顔を上げると、こっちに身を乗り出してきた鷺沢の顔がけっこう至近距離にあった。
 その榛色の目がすっと細くなった、と思うと、鷺沢はそのまま素早く、僕の唇にキスした。
「僕とやるの楽しかったなら」
 至近距離のままで、言われた。「もっと続けたかったなら、その続き、しようよ」
 今なにが起こってる?
 なんで今ここで、僕の目の前で鷺沢がそういう感じで服、脱ごうとしてる?
「いやちょっと待って。待って鷺沢」
 やるのが楽しいって、チェスだし。続けたいって、それもチェスだし。
「チェス盤を挟んで戦うのはセックスより深く相手を知る行為だって、誰かが言ってたけど、どう思う? まさかそんな訳、ないよね?」
 僕は今どうするのが正しい?
 逃げる?
 止める?
 自分も脱ぐ?
 いやいやいやいや。
 でも動けない。
「航太がばんばん攻めてくるから、興奮した。責任、取ってもらうから」
目の前に鷺沢の、内側から微かに発光しているように見える白い半身があって、こんな薄暗い地下に西日なんか差してくるわけもないのに、蜂蜜色の目が僕を覗き込んでくる。
僕の半袖シャツの両襟に鷺沢の手がかかって、左右とも斜め後ろに少し引っ張られる。その力だけで僕の両腕は勝手に後ろへ動き、シャツはそのまま床の上に落ちた。
鷺沢の手が今度はTシャツの裾から潜り込んで、じかに肌に触れてくる。
僕は今、どうするのが正しいんだろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

クリスマス・イヴに、シャリオドールで起こったことのほとんどすべて

奈倉柊
BL
【全24話+エピローグ4話+番外編、無事ハッピーエンドにて完結しました!】 フレンチレストラン〈シャリオドール〉は、一年でいちばん忙しいクリスマス・イヴの営業を始めようとしていた。ところがキッチン見習いの斉藤くんが何故か、茫然として使いものにならない状態で出勤してくる。その様子を見たシェフ・森川とスーシェフ・広瀬は、前夜に何があったのかすぐに悟るのだが。 トラブルの予感に満ちたイヴの営業を、彼らは無事に乗り切れるのか。 そして、斉藤くんの「だだ漏れ」の恋の行方は? 広瀬の十年越しの片想いは報われるのか? 総勢8名のクセ強めスタッフたちが、それぞれの視点から(主に舞台裏を)語り尽くす、レストラン・シャリオドールのたった一夜の物語。 ※ジャンルとしてのBL小説の約束事はほとんど守っていませんのでご注意ください。 〈シャリオドール〉スタッフ紹介 シェフ:森川拓生 もりかわたくみ(34):優しくて面倒見のいいリーダー。 スー・シェフ:広瀬諒 ひろせりょう(34):熱しやすく冷めやすい性格だが…。 キッチン見習い:斉藤陽人 さいとうはると(24):「真面目ないい子」説と「小悪魔」説が。 ソムリエ:北澤侑弥 きたざわゆうや(32):稀に見る美形だが色々難アリな人。 パティシエ:相原颯太 あいはらそうた(21):人見知りの完璧主義。 メートル・ドテル:倉田聡一 くらたそういち(52):執事感満載のホール責任者。 ギャルソン:鏑木瑠可 かぶらぎるか(22):チャラいと噂の学生バイト。 受付、バルマン:波多野朱里 はたのしゅり(36):店でいちばんの常識人。

雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―

なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。 その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。 死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。 かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。 そして、孤独だったアシェル。 凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。 だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。 生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー

うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】

まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。

【16+4話完結】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜

キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」 平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。 そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。 彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。 「お前だけが、俺の世界に色をくれた」 蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。 甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。 大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。 裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。 困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。 その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。

【完結】幼馴染に告白されたけれど、実は俺の方がずっと前から好きだったんです 〜初恋のあわい~

上杉
BL
ずっとお前のことが好きだったんだ。 ある日、突然告白された西脇新汰(にしわきあらた)は驚いた。何故ならその相手は幼馴染の清宮理久(きよみやりく)だったから。思わずパニックになり新汰が返答できずにいると、理久はこう続ける。 「驚いていると思う。だけど少しずつ意識してほしい」 そう言って普段から次々とアプローチを繰り返してくるようになったが、実は新汰の方が昔から理久のことが好きで、それは今も続いている初恋だった。 完全に返答のタイミングを失ってしまった新汰が、気持ちを伝え完全な両想いになる日はやって来るのか? 初めから好き同士の高校生が送る青春小説です!お楽しみ下さい。

孤毒の解毒薬

紫月ゆえ
BL
友人なし、家族仲悪、自分の居場所に疑問を感じてる大学生が、同大学に在籍する真逆の陽キャ学生に出会い、彼の止まっていた時が動き始める―。 中学時代の出来事から人に心を閉ざしてしまい、常に一線をひくようになってしまった西条雪。そんな彼に話しかけてきたのは、いつも周りに人がいる人気者のような、いわゆる陽キャだ。雪とは一生交わることのない人だと思っていたが、彼はどこか違うような…。 不思議にももっと話してみたいと、あわよくば友達になってみたいと思うようになるのだが―。 【登場人物】 西条雪:ぼっち学生。人と関わることに抵抗を抱いている。無自覚だが、容姿はかなり整っている。 白銀奏斗:勉学、容姿、人望を兼ね備えた人気者。柔らかく穏やかな雰囲気をまとう。

処理中です...