虎狩りと鴨撃ちの輪舞(ロンド) ~奈佐原高校チェス同好会~

奈倉柊

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第一部  白:佐々木航太  黒:鷺沢悠  20xx年9月x日

6:白は黒クイーンを追うが、黒クイーンは逃れる(6.Nf4 Qh6)

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 鷺沢に話を聞くと言っても、なかなかハードルは高い。
 教室では鮎川がべったりくっついてるから、鷺沢とだけ話すのは不可能だ。
 部活ん時は航太が目の前にいるし、逆に鷺沢は吹部行くし。
 しかも、吹部のクラリネット隊は部活後みんな仲良く一緒に帰る。その後をつけてって鷺沢が一人になるのを待つくらいしか、方法はなさそうだった。
 下校ルートが鷺沢の家の前を通るとかだともう詰むけど。
 ちょっと寄るとこあるから、と言って航太たちと別れ、吹部が出て来るのを俺は待った。
 ところが、待っても待ってもクラリネット隊だけ出て来ない。片付けんのどんだけ時間かかるんだとか、まさか鷺沢が居残り練習させてるんじゃないだろうな、とか考えてるうちに、ようやく出て来た、と思ったら、鮎川が混ざってる。
 何でそこに鮎川?
 鷺沢はクラリネット隊と別れて、鮎川と二人で歩き出した。
 どっか出掛けるとか面倒くさいことになるなよ、と思いながら俺は後を追った。
 駅着く。改札通る。電車乗る。
 自分の帰り道と同じ路線だったから、俺は自動的に携帯用チェスセットを取り出した(どうでもいいけどちょっとだけ自慢させて欲しい。俺のポータブルチェスは、駒を初期状態に並べたまま盤面を内側にして畳める。はっきり言ってすごく楽ですごく便利。普通のだと、盤面を外側にしてケース状に畳んだ中に立体ピースがバラバラに入ってるから、毎回ちまちま並べるのが面倒だし最悪、落として駒が散らばったりする)。
 1922年ヘイスティングス、ボゴリューボフ対アレキン(アリョーヒン)の対局を伝説の「31.Rxe8 c2!!」までたどったところで我に返った。
 いつものタイミング、つまり俺ん家の最寄り駅の直前で、鷺沢と鮎川は既にどこかで降りた後だった。
 俺が皆に文句言われんの、こういうとこなんだよ。

 翌日、木曜日。
 鷺沢が昼休み、あっさり鮎川を置いて「長くなる」話をしに航太のクラスに出掛けて行ったので(俺はデートの邪魔はしない)、この際、鮎川に話を聞くことにした。
 関わり合いになりたい奴じゃないけど、背に腹は代えられないってやつ。
「鮎川ちょっといい?」
 無理もないけど、鮎川はだいぶ怪訝な顔で俺のことを見てきた。
「あのさ、来週の月曜って、夜、なんか予定ある?」
 そう訊いてみたら、ないけど何で、と返された。
 ないのか。え、ないの?
 ある、と返される前提でしか会話シミュレーションしてなかった。
 俺がチェス上達しないの、こういうとこなんだよ。
「いや、ないなら別に、いいんだけど」
「何だよそれ」
 確かに、何だよそれ、だよな。
「えーと。鮎川って、部活入ってたっけ?」
「いや」
「でも昨日、鷺沢と一緒に帰ってなかった? 吹部終わるの待ってたとか?」
「図書室で勉強してただけだよ」
「あ、そうなんだ」
 ふうん。テスト前でもないのに?
 沈黙。
 もはや撤退の仕方がわからない。鷺沢は「長くなる」話を航太にしてるとこだろうから、当分戻って来ない。ということは、俺はそれまで鮎川と会話せざるを得ないわけか?
「なんか鮎川って最近、鷺沢と仲いいよね」
「別に、仲良くて一緒にいるわけじゃないよ」
「え? じゃあ何で夏休み明けからずっと二人でいんの?」
 鮎川は訝るように俺の顔を見て、しばらく考えてから口を開いた。
「それはちょっと、あいつの方の事情だから。俺が勝手に説明するわけに行かない」
 へえ。
「ちなみに二人って、どういう関係なの」
 単刀直入に訊いてみると鮎川は、ただの親戚だよ、遠縁ってだけ、と答えた。「それで、月曜の夜がどうしたって?」
 話を戻されてしまう。忘れてくれて大丈夫なのに。むしろ忘れてくれ。
「や、何となく訊いただけっていうか、その」
 鮎川はちょっと呆れたみたいな、ああもう面倒臭いな、みたいなため息を吐いてから、こう言った。
「一緒に飯でも食い行く?」
 何でそうなる? まあそうなるか。
 いやそうなるか?
 俺には鷺沢の「月曜の夜七時」を見張るというミッションがある。けどこの流れで鮎川の誘いを断るのはちょっと、何というか、俺が本当に意味不明な奴になる。
 うん、まあ、と俺は答えた。
 じゃ店決めとくよ、と言われた。
 探りを入れに来たのに何故か飯行く約束をして、俺と鮎川の会話は終了した。
 けど、絶対関わりたくない箱に入れてた奴と飯を食いに行く約束ってのは、けっこう疲れる。行く前から疲れる。ってことは俺はこれから来週月曜の夕方までずっと疲れ続けるわけか?
 想像しただけで疲れる。
 とはいえ実際に喋ってみたら、思ったほど嫌な感じはしなかった。鷺沢の事情を勝手に話せないとか、鷺沢のことをちゃんと尊重してる感じもする。
 ここは大宮の手を借りるしかない、と思った。
 鷺沢を航太とくっつけてハッピーにしようプロジェクトに、大宮にも参加してもらおう。とりあえず鮎川のアリバイを証明するために俺は鮎川と飯を食いに行き、そんで鷺沢が行くはずのあのスタジオは、大宮に張ってもらう。
「だから大宮、月曜の夜七時、ここ行ってくれない?」
「いや行くのはいいけど俺、楽器とか何も持ってないし。そういうとこ、手ぶらで行って変に思われたりしないか?」
「ボーカルだって練習すんだろうから、その設定で行きゃいいじゃん」
「まあ、そうか。それで、鷺沢が誰と一緒に来んのか、確認すればいいんだな」
「そういうこと」
 あまり積極的ではなかったものの、大宮は協力してくれることになった。

 航太から聞いた鷺沢の話は、けっこう衝撃だった。
 鷺沢は誰かにチェスを教わったことはない。リアルでもオンラインでも、誰かと対局をしたことは一度もない。e4とかh8とかが盤のどこを表すのかは把握してるけど、棋譜そのものを読んだことはまったくない。定石も、もちろん知らない。
 初めてチェスに出会ったのは小学校低学年、病気で長期入院していた時のこと。レクリエーション室みたいなところに古いプラ駒のチェスセットがあって、誰かに使われてる様子がなかったから、鷺沢はそれを自分の病室に持ち込んだ。色褪せた説明書が一緒に入っていたけど折り目からだいぶ破れていて、右下四分の一がなくなっていた(たぶん「投了」の説明はその部分に書かれていたのだろう)。
 鷺沢は四分の三の説明書をひと通り読み、一人で対局を始めた。すぐにどの対局も引き分け(ドロー)にしかならなくなり、チェスセットは元あった場所に戻した。それからずっと、脳内のチェス盤で脳内の駒を使って、対局というより、そうとは知らず定石の研究を続けた。
 今でも鷺沢は、そうやって一人で脳内チェスをすることが時々、ある。
「チェスやってれば時間が経つのを忘れられるし、嫌なことも考えずに済むから」
 航太が試しに、ポーンをe4に、と言うと、鷺沢は、ポーンをc5に、と答えた。
「前回と同じ僕の初手を、鷺沢は今回シシリアンで受けたんだ。予鈴鳴った後で時間なかったけど、ナイドルフ※まできれいに指した」
 航太はうっとりしながらそう言った。

※ナイドルフ:定石のひとつ。白のe4に対してシシリアン・ディフェンスと呼ばれる黒の応手で始まり、5手目の黒a6でこの定石となる。つまり航太と鷺沢はお互い5手目まで指した。
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