虎狩りと鴨撃ちの輪舞(ロンド) ~奈佐原高校チェス同好会~

奈倉柊

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第一部  白:佐々木航太  黒:鷺沢悠  20xx年9月x日

7:白と黒、どちらの手も空回り(7.b3 Nh5)

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 ニキのお節介には呆れる。
 何で鷺沢にそこまで肩入れするんだ、と思ったが、航太の言う通り、もし鷺沢がうちに入ってくれれば正式な部に昇格できる。別にチェス部に日参する必要はなくて幽霊部員でも構わないわけだから、説得は可能だろう。
 部長たる俺、大宮哲生としては、冷静に考えて部の利益を最優先すべき局面だ。
 部として認められれば予算がつく。それに部室ももらえる。
 恩を売っておいて悪いことはない、と判断して(鷺沢の行動を監視するのが恩を売ることになるのかどうかは謎だが)、ニキに言われた通り、翌週月曜の夕方六時半に指定されたスタジオへ行った。
 中に入って行っても、誰もいない。
 がらんとしていて、しんとしている。
 え、俺はよく知らないけどこんな静謐で心落ち着くレンタルスタジオってあるか?
 窓口みたいなものもあるけどそこも無人。カウンターにはニキから聞いてた紙ノートが放置されている。誰もいないのをいいことに、ノートを開いて撮影する。ニキが撮った一ページは無視して三ページ目まで遡ったとき、知ってる名前に出くわした。
 そのページを撮影した直後、奥のドアが開いて、いかにも昔バンドやってました、みたいなおっさんが出て来た。ニキに聞いてた通りの。
 絶対気づかれない、とニキは言ってたけど、ニキと俺では外見から何から違いすぎる。
「友達が都合悪くなったんで、代わりに来たんですけど」
 ノートの仁木の名前のところを指さして、俺はそう言った。
 おっさんは俺の顔をちらっと見て、楽器持ってないね、と不審そうに訊いてきた。
 何だよ。これは聞いてた話と全然違う。ニキの話じゃ責任感も警戒心も皆無って感じだったのに、結構、疑い深い目で見てくるじゃないか。
「あ、ボーカルの練習なんで」
 俺が言うと、おっさんはさらに疑わしそうな顔をした。
 ボーカルって感じじゃないね、と言われた。
 だるすぎる。俺だって自分がボーカルって感じじゃないことくらい知ってるから、わざわざ教えてくれなくていい。
「それに普通、ボーカルの子こんなとこ来ないよ。皆カラオケボックス行くよ」
「それじゃ友達の、この番号に電話するんで確認して下さい。それでいいですか?」
 俺はおっさんから見えるところにスマホを置いて、ノートに書かれている番号を手入力した。11桁入れたら「ニキ」と登録名が出て来たから、これでおっさんにも俺と「仁木未来」が少なくとも繋がってるって理解できるだろう。
 発信を押したが、ニキは、電波の届かない場所にいるか電源を切るかしていた。

 驚くべきことにおっさんは、俺を中に入れるのを拒否した。
 こんな静まり返ったスタジオで、俺が楽器持ってなくてボーカルって感じじゃないってだけの理由で貴重な客を入れないのは一体どういうことなんだ。
「悪いけど、予約したお友達と連絡取れないことにはね」
 そう言ってまた胡散臭げに俺を見てくる。だから俺は、じゃあもういいです、と言うしかなかった。
 何なんだ。俺の目つきが悪いせいか?
 ニキもニキだ。俺に代理を頼むなら、電話くらい出られるようにしておいてくれ。
 すっかり気分を害して俺はスタジオの外に出た。こうなったらその辺をうろついて、鷺沢が来るのを待つしかない。本来そこまでやる義理はないが、まあ暑くも寒くもないいい感じの気候だったから、粘ってみる気になった。
 鷺沢は18時59分に、一人で、楽器も持たずに姿を見せた。
 一人でスタジオに入って行って、そのまま出て来ない。しばらく待っていると19時06分、第二の人物が現れた。中身が何かは解らないが楽器のケースらしきものを持っていて、年齢は二十代後半から三十代、ちょっと優男系。カジュアルな服装ながら結構お洒落感がある。
 そいつも一人でスタジオに入って行って、15分待ってみても出て来ない。このままここにいても中の様子は解らないし、そいつが鷺沢と一緒なのか関係ないのかもわからない。
 というか、そもそも中に鷺沢がいるんだから、鷺沢に聞けばいいんじゃないか?

 俺は再び正面突破を試みた。
 スタジオに戻り、おっさんに、奥の部屋にいる鷺沢に取り次いでくれ、と頼んだ。ニキの話じゃ鷺沢の貞操だか身の安全だかに関わるようなことらしかったから、もし助けが必要なら鷺沢は俺の介入を歓迎するはずだ。
 おっさんは俺に、用件は、と訊いてきた。
 用件。
 鷺沢が誰かに不本意な性的接触を迫られてないかどうか確認しに来たんだよ。
 って言えるか。
「チェス部の目つき悪い奴が来て話をしたがってる、と伝えて下さい」
 おっさんはすんなり、じゃあちょっとここで待ってて、と言った。
 チェス部の目つき悪い奴、というフレーズに対して、怪訝そうな顔は一切されなかった。

 驚くべきことに鷺沢は、俺に会うのを拒否した。
 おっさんが一人で戻って来て、ちょっと肩を竦めてこう言った。
「悪いけど邪魔しないで欲しいってさ」
 ご愁傷様、みたいな顔をされた。
 何なんだよ腹立つな。
 鷺沢がそういう態度じゃ、こっちのやる気も失せる。
 俺はあきらめて帰ることにした。
 帰り道、自分が撮った受付ノートの画像を開いてみる。
 遡ること三ページ目。
 氏名/鷺沢悠
 予約日/9月25日(月)
 予約時間/19:00-20:00
 三ページ前ということは、予約したのはかなり前だったはずだ。数週間から一ヶ月、下手すれば(あのスタジオの閑散っぷりを考慮するなら)もっと前かもしれない。
 けど鷺沢が押さえていたのは間違いなく、航太と一緒にここへ来た、先週月曜の日付と時間だった。
 それ以降に鷺沢の名前は見当たらない。そもそも毎週月曜に来てるなら、改めてそんな予約をする必要はないはずだ。
 怠い。これは怠いな。本格的に頭を使う必要がありそうだ。
 俺は速やかに最寄りのコンビニに入って、チョコレートバーを二本とブラックコーヒーを買い、座れる場所を探した。
 糖分とカフェインを補給して、瞑想に入る。
 鷺沢は、毎週月曜にあのスタジオを使っているにも関わらず、航太と行った日だけ自分で予約を入れた。これはつ 
まり毎週月曜にスタジオを押さえているのは鷺沢ではない、ということだ。
 つまり後から来たあの男。
 あの楽器ケースの中身がクラリネットだと仮定して、スランプ中の鷺沢のために毎週スタジオの一室を確保して演奏を聴かせるもしくは何らかのレクチャーを行っている、というのは可能性として充分にあり得る。
 そもそも月曜の夜という、高校生の俺たちから見れば不自然な曜日設定。
 あの男はおそらく土日にコンサートの本番が入る、オーケストラのクラリネット奏者だろう。鷺沢は毎週月曜の夜七時、そいつのクラリネットを聴くために来ているのだ。
 だから鷺沢は、俺の邪魔が入って苛立ちを露わにした。自分にとってではなく演奏者にとって迷惑になるから。
 鷺沢が自分で予約を入れた日は、おそらくあの男が自分の都合がつかず事前にキャンセルし、鷺沢にそのことを伝えた。そして鷺沢は、相手の都合がつかないと知りながら、自分の名前で予約し直した。
 一人で練習するため、というのは考えにくい(鷺沢は楽器を持たずにスタジオに来ている)。予約がおそらく一ヶ月より前にされている以上、航太との対局のため、とも考えにくい(それに本気でやるならチェスの対局に一時間では短すぎる)。
 ただ鷺沢が、チェスの対局の持ち時間がどのくらいかを知らなかった可能性は、航太の話からすると否定できない。
 ともあれ、鷺沢が鮎川とマズいことになってる可能性は、ほぼゼロ。
 そしてどう考えても、どれだけ考えにくくても、鷺沢が予約を入れたのはやっぱり、航太とチェスをするためだ。
 そこまで確信してから俺はもう一度ニキに電話を掛けたが、ニキはまだ、電波の届かない所にいるか電源を切ったままか、そのどちらかだった。
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