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第一部 白:佐々木航太 黒:鷺沢悠 20xx年9月x日
8:白のもどかしい一手と、黒の遠回しな応手(8.Nh4 Qg5)
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翌日、鷺沢はまず俺に文句を言いに来るだろうと思っていた。それが何故か、鷺沢は俺ではなく、かと言って航太でもなく、ニキに声を掛けた。
「話の続き、いい?」
「俺はいいけど鷺沢、部活は」
「遅れるって言ってあるから」
あの鷺沢が、部活より優先させる話。
ニキは俺に、ちょっと話してくる、とだけ言って、鷺沢と二人で話せる場所を探しに行った。
「今のなに?」
航太がぽかんとしている。「え、ニキと鷺沢がなんで?」
何だろうな、と曖昧に返事をしたら、航太はすぐ我に返って、クマは来てないの、と訊いてきた。
「何か爺ちゃんが具合悪いらしくて、部活休むって連絡あった」
「お爺ちゃんて、あの将棋の?」
「うん、そうらしい」
そうなんだ、と航太は答えた。それから俺に向かって、
「じゃあ大宮、久々に廊下試合やらない?」
と言った。最近、航太は俺と対局したがる。たぶん鷺沢との対局が楽しかったから、少しでも実力の近い相手とやりたい、ってことだろう。
でも俺と航太では結果は見えてる。当たり前にやれば俺が負ける。
それに俺には航太が、重要な問題をはぐらかしてるように思える。
鷺沢とは本当にチェスをしたいだけなのか、という問題を。
最近の航太は、それだけには見えないのだ。
「大宮? 今日ちょっと黒番で指したいんだけど、いい?」
いいよ。ナイドルフ試したいんだろ。
そう思った俺は親切にも、初手e4を指した。
航太は予想通りc5で受け、5手目にa6でナイドルフに進んだ。
「お前さ、鷺沢のこと落とす自信ある?」
6手目を指したところでそう訊いてみると、航太は面白いほど動揺した。
「は? 何で? あるわけないよ、そんなの」
「でも連絡先交換して、次の約束もしたんだろ」
「だってそれ対局の約束だし、そのくらい別に」
慌てろ慌てろ。
お前が鷺沢と同じ手を指して勝手に幸せ気分に浸るなら、こっちは盤外作戦で対抗してやる。
「ところでお前、鷺沢の下の名前、知ってるか」
「え? いや、知らないけど。え、大宮知ってんの?」
航太の目がボードを離れて俺を見た。
「ああ、知ってる」
「え、何で。っていうか、何ていうの?」
しばらく焦らしてから、教えてやった。
「悠、だって。悠然とか悠久とかの、悠」
「ゆう、っていうんだ。へえ…」
素直に喜んでるよこいつ。
視線に続いて、意識までが完全にボードを離れた。
案の定そこから航太はものすごく散漫になり、俺の目論見どおり、お互いポーンとルークだけの終盤戦に入った。こうなれば俺にも勝機はある。少なくともドローには持ち込める。
隠すことでもないから言っておくと、俺のチェスは、目つきと同じで陰険だ。
ニキが鷺沢と戻ってきたのは、航太が投了した後だった。
軽く一時間は経っている。
鷺沢は盤面をちらっと見るなり、航太に咎めるような視線を向けた。
「最近、負けがちじゃない?」
「いや、これは俺の盤外作戦が成功しただけだから」
一応そう説明してやると、航太は初めて気づいた顔で俺を睨んできた。
「ちなみに俺の言ったのは部の勧誘の話だからな。お前、勘違いしすぎ」
「大宮!」
鷺沢はこのやり取りには特に興味を示さず、楽器を引っぱり出すとさっさと吹部に合流しに行った。
航太の目が、その後ろ姿を追っている。
「で、ニキは鷺沢と何の話だったわけ」
まあ、とニキは気の乗らない返事をした。
「この情報はお節介なチェス部の皆さんで共有して貰って構わないから、って言われたんだけど」
俺は思わず吹き出しそうになった。鷺沢の口調そっくりだ。
「あいつ、夏休み中に結構でかいコンクールあったらしくて。けど本番直前に急に指動かなくなって棄権して、その状態が今も続いてるらしい」
「え? 吹部でちゃんと吹いてんじゃん」
「練習とか合奏は問題ないんだけど、一人で吹こうとすると無理なんだって。吹部のソロも、今は違う奴が代わりに吹いてるって」
ああ、なんかスポーツ選手とかでそういうの、聞いたことあるな。
「それで、心配した鷺沢の親が鮎川の親に相談して、とりあえず鮎川が見守りっていうか見張りっていうか、そういうことになってるわけ」
「見張りってどういうこと?」
「露骨に言えば自殺防止、だろ」
俺が言うと、航太がちょっと息を呑んだ。
「あとこれは大宮に伝言で」
「ああ、あのスタジオじゃ毎週、プロの演奏を聴かせてもらってるって話だろ?」
「え、何で知ってんの」
「チョコバー2本食って考えたら、そういう結論しか出んかった」
「何だよそれ。じゃあ、これは航太に伝言で」
「ああ、二人がこれ以上鷺沢を煩わせたら対局の約束は無しって話だよね?」
「いや、何で知ってんの」
「今までの話聞いてたら、そういう結論しか出なかった」
ニキはため息を吐いた。「お前らのそういうとこ、俺けっこう嫌いかも。変にシンクロしてくるところ」
時間差がある場合はシンクロとは言わない、と俺が指摘すると、畳み掛けてくんなよ、と言われた。
しかし今の情報を加味して考えると、クラリネットでスランプに陥った鷺沢が、子供のころ出会ったチェスに再び関心を抱いた、というのはすんなり通る話だ。
鷺沢が一ヶ月以上前に、近いうち航太に声を掛けようと決意して(おそらく自分に対するタイムリミットとして)あのスタジオを予約した線。
これは、見つけにくいが充分にあり得る。
鷺沢がタイムリミットを設定した理由?
それはほぼ間違いなく、航太に声を掛けるのに勇気がいるからだろう。
ただ単に、知り合いでない人間に初めて声を掛ける、という意味ではなく。
「航太、お前たぶん鷺沢のこと落とせる」
え、と言って航太が固まる。
「むしろ向こうから言ってくる可能性すらある。今までの情報から考えて、間違いない」
俺はそう断言したが、航太は意外にも、嬉しそうな顔はしなかった。
「話の続き、いい?」
「俺はいいけど鷺沢、部活は」
「遅れるって言ってあるから」
あの鷺沢が、部活より優先させる話。
ニキは俺に、ちょっと話してくる、とだけ言って、鷺沢と二人で話せる場所を探しに行った。
「今のなに?」
航太がぽかんとしている。「え、ニキと鷺沢がなんで?」
何だろうな、と曖昧に返事をしたら、航太はすぐ我に返って、クマは来てないの、と訊いてきた。
「何か爺ちゃんが具合悪いらしくて、部活休むって連絡あった」
「お爺ちゃんて、あの将棋の?」
「うん、そうらしい」
そうなんだ、と航太は答えた。それから俺に向かって、
「じゃあ大宮、久々に廊下試合やらない?」
と言った。最近、航太は俺と対局したがる。たぶん鷺沢との対局が楽しかったから、少しでも実力の近い相手とやりたい、ってことだろう。
でも俺と航太では結果は見えてる。当たり前にやれば俺が負ける。
それに俺には航太が、重要な問題をはぐらかしてるように思える。
鷺沢とは本当にチェスをしたいだけなのか、という問題を。
最近の航太は、それだけには見えないのだ。
「大宮? 今日ちょっと黒番で指したいんだけど、いい?」
いいよ。ナイドルフ試したいんだろ。
そう思った俺は親切にも、初手e4を指した。
航太は予想通りc5で受け、5手目にa6でナイドルフに進んだ。
「お前さ、鷺沢のこと落とす自信ある?」
6手目を指したところでそう訊いてみると、航太は面白いほど動揺した。
「は? 何で? あるわけないよ、そんなの」
「でも連絡先交換して、次の約束もしたんだろ」
「だってそれ対局の約束だし、そのくらい別に」
慌てろ慌てろ。
お前が鷺沢と同じ手を指して勝手に幸せ気分に浸るなら、こっちは盤外作戦で対抗してやる。
「ところでお前、鷺沢の下の名前、知ってるか」
「え? いや、知らないけど。え、大宮知ってんの?」
航太の目がボードを離れて俺を見た。
「ああ、知ってる」
「え、何で。っていうか、何ていうの?」
しばらく焦らしてから、教えてやった。
「悠、だって。悠然とか悠久とかの、悠」
「ゆう、っていうんだ。へえ…」
素直に喜んでるよこいつ。
視線に続いて、意識までが完全にボードを離れた。
案の定そこから航太はものすごく散漫になり、俺の目論見どおり、お互いポーンとルークだけの終盤戦に入った。こうなれば俺にも勝機はある。少なくともドローには持ち込める。
隠すことでもないから言っておくと、俺のチェスは、目つきと同じで陰険だ。
ニキが鷺沢と戻ってきたのは、航太が投了した後だった。
軽く一時間は経っている。
鷺沢は盤面をちらっと見るなり、航太に咎めるような視線を向けた。
「最近、負けがちじゃない?」
「いや、これは俺の盤外作戦が成功しただけだから」
一応そう説明してやると、航太は初めて気づいた顔で俺を睨んできた。
「ちなみに俺の言ったのは部の勧誘の話だからな。お前、勘違いしすぎ」
「大宮!」
鷺沢はこのやり取りには特に興味を示さず、楽器を引っぱり出すとさっさと吹部に合流しに行った。
航太の目が、その後ろ姿を追っている。
「で、ニキは鷺沢と何の話だったわけ」
まあ、とニキは気の乗らない返事をした。
「この情報はお節介なチェス部の皆さんで共有して貰って構わないから、って言われたんだけど」
俺は思わず吹き出しそうになった。鷺沢の口調そっくりだ。
「あいつ、夏休み中に結構でかいコンクールあったらしくて。けど本番直前に急に指動かなくなって棄権して、その状態が今も続いてるらしい」
「え? 吹部でちゃんと吹いてんじゃん」
「練習とか合奏は問題ないんだけど、一人で吹こうとすると無理なんだって。吹部のソロも、今は違う奴が代わりに吹いてるって」
ああ、なんかスポーツ選手とかでそういうの、聞いたことあるな。
「それで、心配した鷺沢の親が鮎川の親に相談して、とりあえず鮎川が見守りっていうか見張りっていうか、そういうことになってるわけ」
「見張りってどういうこと?」
「露骨に言えば自殺防止、だろ」
俺が言うと、航太がちょっと息を呑んだ。
「あとこれは大宮に伝言で」
「ああ、あのスタジオじゃ毎週、プロの演奏を聴かせてもらってるって話だろ?」
「え、何で知ってんの」
「チョコバー2本食って考えたら、そういう結論しか出んかった」
「何だよそれ。じゃあ、これは航太に伝言で」
「ああ、二人がこれ以上鷺沢を煩わせたら対局の約束は無しって話だよね?」
「いや、何で知ってんの」
「今までの話聞いてたら、そういう結論しか出なかった」
ニキはため息を吐いた。「お前らのそういうとこ、俺けっこう嫌いかも。変にシンクロしてくるところ」
時間差がある場合はシンクロとは言わない、と俺が指摘すると、畳み掛けてくんなよ、と言われた。
しかし今の情報を加味して考えると、クラリネットでスランプに陥った鷺沢が、子供のころ出会ったチェスに再び関心を抱いた、というのはすんなり通る話だ。
鷺沢が一ヶ月以上前に、近いうち航太に声を掛けようと決意して(おそらく自分に対するタイムリミットとして)あのスタジオを予約した線。
これは、見つけにくいが充分にあり得る。
鷺沢がタイムリミットを設定した理由?
それはほぼ間違いなく、航太に声を掛けるのに勇気がいるからだろう。
ただ単に、知り合いでない人間に初めて声を掛ける、という意味ではなく。
「航太、お前たぶん鷺沢のこと落とせる」
え、と言って航太が固まる。
「むしろ向こうから言ってくる可能性すらある。今までの情報から考えて、間違いない」
俺はそう断言したが、航太は意外にも、嬉しそうな顔はしなかった。
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