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第一章
気まずい時間
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「今夜ですか? ずいぶん急ですね」
仕事終わり、待ちかねていたかのように鳴り出した携帯電話に出ると、相手は恵君だった。
世海の友達が経営してるお店で一緒に夕飯を、というお誘いの電話だったのだが、いつも前もって計画を立てる恵君があまりしない当日のお呼ばれに、海帆は珍しいなと思った。
『そうよ。あの子ったら全然顔を見せないから、この間電話してやったのよ。そしたらなんとかっていう雑誌の影響で今とても忙しいんですって。だからって顔を見せない理由にならないでしょう? だからいい加減にしなさいって怒ったら、ようやく今夜なら少しだけ空いてるって連絡がきたの。あなたもいらっしゃい。二、三時間くらいしか抜けられないらしいから、うちじゃなくてあの子の友達のお店なんだけど。住所を送るから来られるでしょう?』
じゃ、待ってるから! そう言って恵君は一方的に電話を切ってしまった。
ツーツーという電話の音を聞きながら、海帆は一抹の不安を覚えた。
世海は、海帆が来るということを承知しているのだろうか。
友人のお店で家族と会う。とてもプライベートな場に現れる海帆という異分子を、果たしてあの神経質な男が受け入れるだろうか。
再会した時のつっけんどんな態度を思い出し、海帆はそっとため息をつく。
送られてきた待ち合わせ場所の住所を眺めながら、海帆はしばらく思案をして、意を決してスマホの連絡先をタップした。
「は? あいつが来るの? なんで呼んだんだよ」
世海の不機嫌な反応に、恵君は思いっきり顔をしかめた。
「来るに決まってるでしょ、家族みたいな人なんだから。なんであんたはそんなに会いたがらないの」
「会いたくないからだよ」
「えー俺は会ってみたいよ。すごく楽しみ」
友人である俊宏の言葉に、世海の眉がますます吊り上がる。
ここ最近ろくに寝ていないので、表情がいつも以上に険しい。
あの雑誌の影響は想像以上のもので、世海は経験したことのない忙しさに翻弄されており、自分の家にも寝に帰るだけの生活が続き、気持ち的に余裕が持てていない。
それでもなんとか時間を作ってここに来たのは、朗報を持ってきたからだ。
家族、友人に伝えたくてせっかく来たのに、海帆が来るって知ってたら絶対に来なかった。
「そんな仏頂面するなよ、それよりなんかニュースがあるんだろ?」
俊宏が水を向けてくる。
この男は昔から勘がいいのだ。
こうなったら、あの女が来る前に伝えてしまおう。遅れてくるのが悪い。
「ドラマが決まった。李寅峰と周音の新作ドラマ」
「マジで⁉ スゲーじゃん‼」
「あらーお仕事が決まったのね。よかったわ。お母さんにも教えてあげなくっちゃ」
「おめでとう阿海。しっかりやりなさい」
口々にお祝いを言われ、世海の不機嫌も少しほぐれる。
監督李寅峰と脚本家周音のコンビといえば、今もっとも熱いと言われる、BLドラマのヒットメーカーだ。彼らの作品から生まれた若手スターは大陸を超え、知名度が韓国や日本にまで及んでいる俳優もいる。野心ある俳優だったら、出演を熱望する制作陣のドラマだ。
「どんな役?」
俊宏の質問に、世海は胸を張ってこたえる。
「残念ながら主人公ではない。主人公の元彼で、とても性格の悪い男の役なんだ。主人公はそいつから逃げ出して、運命の相手と恋に落ちるんだけど、その元カレのしつこい妨害をくぐり抜けながら愛を育む話しなんだ。重要な役だと俺は思ってる。うまくいけば大ブレイクする」
この話しをもらった時の事を思い出し、世海は身が引き締まった。
難しい役だ。確かにうまくいけば知名度が上がるかもしれないが、逆を言えば下手はうてない。今まで必死で築き上げてきたイメージを崩してしまう恐れもある。
世海は二十七歳。遅咲きの俳優だ。いや、まだ咲いてもいない。
最近になってようやく、端役だけどドラマ出演も増えて知名度も上がってきているが、主役級とは程遠い。
ドラマがヒットすれば、さらなる躍進ができるかもしれない。
「周音がDanteを見て、主人公の元カレ役にエリックを使いたいって直々に言ってきたらしい。あの冷たい表情がイメージにぴったりなんだと」
「スゲーな。俺、絶対観るよ」
頑張れよ、という声に機嫌よく頷く。
その時、店のドアが開き、脳裏に焼き付いてるシルエットが入口に浮かび上がり、世海は思わず息を呑んだ。
「小帆! 来たわね。こっちよ!」
恵君の呼びかけに、海帆が笑顔で手を振って、彼らがいるテーブルへと近づいてきた。
「遅くなってすみません」
「いいのよ、勝手に始めてたから。迷わなかった?」
「はい、大丈夫です。地図を送ってくれて助かりました」
にこやかに答える海帆は、いかにも仕事帰りという感じで、相変わらず落ち着きのある自立した女性、という雰囲気を醸し出している。海帆は世海に向かって微笑んだ。
「久しぶり、元気だった?」
「……まあ」
ぶっきらぼうに答えて、世海はそっぽを向く。
素っ気ない態度に恵君の眉が吊り上がるが、世海は気にしなかった。
「俺、俊宏って言います。トシって呼んで!」
俊宏が興奮気味に挨拶をし、海帆に握手を求めた。
よろしく、と海帆もそれに応える。
「うおおー、俺会ってみたかったんだよ。噂の福の子ってどんなんだろうって。会えて嬉しい!」
「あはは。そう言われると緊張する。だいぶイメージと違うんじゃない?」
「いやいや、そんなことない。こんなに美人だなんてびっくりした! エリックはなんにも言わないから」
何を照れてるんだお前は、いい加減手を離せ。握手の時間が長すぎるだろう。
未だに繋がったままの二人の握手に、世海の不機嫌がマックスまで上がる。
ようやく手がほどかれ、海帆が席に落ち着く。
「小帆。今すごいニュースを聞いたのよ。阿海のドラマ出演が決まったの、有名な監督さんのドラマなんですって!」
「え、本当ですか。すごい、おめでとう!」
最後の言葉は世海に向けて言われたものだが、世海はビールを飲んで気づかないフリをした。
「どんなドラマなの?」
「………………BL」
へえ、そうなんだーと海帆はにこやかに相槌をうつ。
たまりかねた俊宏が割って入った。
「李寅峰と周音タッグの新作ドラマなんだよ。この二人は台湾では売れっ子のヒットメーカーなんだ。凄いだろう。ようやくエリックもスターの仲間入りができるんだ」
この最強タッグのドラマ観たことある? という質問に海帆が答える前に、世海が瓶ビールをタンッとテーブルに置いた。
「あるわけないだろう。俺達に興味ないんだから」
思ったよりも強い言い方になってしまった。
内心あせり、場が気まずい雰囲気になりかかった時、落ち着いた海帆の声がした。
「その二人のドラマは観たことないけど、エリック・スンのドラマは何本か観たよ。『恋するドラァグクイーン』は面白かった。顔綺麗だからメイクするともう無敵だよね、エリックって。あのフルメイクのドレスアップ姿で自転車かっ飛ばすシーンすごく好き。足めっちゃキレイだし」
「あれは秀逸だったよね! 俺も好きだよ! 主人公が憧れる完全無欠の美しきドラァグクイーン。エリックはあの役をやるために、三ヶ月ゲイバーで働いたんだよ」
「そうなんだ、凄いね。だからかな、まったく違和感を感じなかった。役者さんのプロ意識て凄いな~て、ただただ見惚れてたよ」
エリックは努力の人だよ! と力強く言う俊宏に海帆は頷く。
世海は何も言えなくなっていた。
自分の話しをしているのに、この場の話題は世海を置いてけぼりにして、盛り上がっていく。今は、そのドラマを観たことない世海の両親に、いかに面白いドラマで主張性の高い内容であったかという熱い説明がされている。
なんなんだ、一体。これはどういう状況なんだ。
理由はまったく分からないが、世海はここから離れたくなった。
気遣わしげにこちらを見る海帆にも気づかず、この場を去ろうと立ち上がりかけた時、誰かのスマホの着信が鳴った。
「あ、仕事先からだ。すみません、ちょっと失礼しますね」
鳴っているスマホを片手に、海帆が席を立つ。
その後ろ姿を、世海は拍子抜けした表情で見送った。
しばらくして戻った海帆は、申し訳無さそうな顔で仕事先に戻らなければいけなくなった、と説明した。
「急なトラブルがあったみたいで。せっかく誘ってもらったんですけど」
すみません、と謝る海帆に、どうしても行かなければいけないのか、と恵君が食い下がる。
「仕事なんだから仕方ないだろう。小帆、私達に気を使わないで、行きなさい。今度またうちに来てくれればいいから」
妻をなだめながら言う逸洋に感謝の笑みを浮かべ、場を離れる挨拶をして海帆は店を出た。
結局何も手を付けず、水すらもあまり飲まずに、彼女はいなくなってしまった。
世海が一つだけ分かったのは、仕事で呼ばれたというのはきっと嘘で、その嘘をつかせたのは自分なのだという事だった。
仕事終わり、待ちかねていたかのように鳴り出した携帯電話に出ると、相手は恵君だった。
世海の友達が経営してるお店で一緒に夕飯を、というお誘いの電話だったのだが、いつも前もって計画を立てる恵君があまりしない当日のお呼ばれに、海帆は珍しいなと思った。
『そうよ。あの子ったら全然顔を見せないから、この間電話してやったのよ。そしたらなんとかっていう雑誌の影響で今とても忙しいんですって。だからって顔を見せない理由にならないでしょう? だからいい加減にしなさいって怒ったら、ようやく今夜なら少しだけ空いてるって連絡がきたの。あなたもいらっしゃい。二、三時間くらいしか抜けられないらしいから、うちじゃなくてあの子の友達のお店なんだけど。住所を送るから来られるでしょう?』
じゃ、待ってるから! そう言って恵君は一方的に電話を切ってしまった。
ツーツーという電話の音を聞きながら、海帆は一抹の不安を覚えた。
世海は、海帆が来るということを承知しているのだろうか。
友人のお店で家族と会う。とてもプライベートな場に現れる海帆という異分子を、果たしてあの神経質な男が受け入れるだろうか。
再会した時のつっけんどんな態度を思い出し、海帆はそっとため息をつく。
送られてきた待ち合わせ場所の住所を眺めながら、海帆はしばらく思案をして、意を決してスマホの連絡先をタップした。
「は? あいつが来るの? なんで呼んだんだよ」
世海の不機嫌な反応に、恵君は思いっきり顔をしかめた。
「来るに決まってるでしょ、家族みたいな人なんだから。なんであんたはそんなに会いたがらないの」
「会いたくないからだよ」
「えー俺は会ってみたいよ。すごく楽しみ」
友人である俊宏の言葉に、世海の眉がますます吊り上がる。
ここ最近ろくに寝ていないので、表情がいつも以上に険しい。
あの雑誌の影響は想像以上のもので、世海は経験したことのない忙しさに翻弄されており、自分の家にも寝に帰るだけの生活が続き、気持ち的に余裕が持てていない。
それでもなんとか時間を作ってここに来たのは、朗報を持ってきたからだ。
家族、友人に伝えたくてせっかく来たのに、海帆が来るって知ってたら絶対に来なかった。
「そんな仏頂面するなよ、それよりなんかニュースがあるんだろ?」
俊宏が水を向けてくる。
この男は昔から勘がいいのだ。
こうなったら、あの女が来る前に伝えてしまおう。遅れてくるのが悪い。
「ドラマが決まった。李寅峰と周音の新作ドラマ」
「マジで⁉ スゲーじゃん‼」
「あらーお仕事が決まったのね。よかったわ。お母さんにも教えてあげなくっちゃ」
「おめでとう阿海。しっかりやりなさい」
口々にお祝いを言われ、世海の不機嫌も少しほぐれる。
監督李寅峰と脚本家周音のコンビといえば、今もっとも熱いと言われる、BLドラマのヒットメーカーだ。彼らの作品から生まれた若手スターは大陸を超え、知名度が韓国や日本にまで及んでいる俳優もいる。野心ある俳優だったら、出演を熱望する制作陣のドラマだ。
「どんな役?」
俊宏の質問に、世海は胸を張ってこたえる。
「残念ながら主人公ではない。主人公の元彼で、とても性格の悪い男の役なんだ。主人公はそいつから逃げ出して、運命の相手と恋に落ちるんだけど、その元カレのしつこい妨害をくぐり抜けながら愛を育む話しなんだ。重要な役だと俺は思ってる。うまくいけば大ブレイクする」
この話しをもらった時の事を思い出し、世海は身が引き締まった。
難しい役だ。確かにうまくいけば知名度が上がるかもしれないが、逆を言えば下手はうてない。今まで必死で築き上げてきたイメージを崩してしまう恐れもある。
世海は二十七歳。遅咲きの俳優だ。いや、まだ咲いてもいない。
最近になってようやく、端役だけどドラマ出演も増えて知名度も上がってきているが、主役級とは程遠い。
ドラマがヒットすれば、さらなる躍進ができるかもしれない。
「周音がDanteを見て、主人公の元カレ役にエリックを使いたいって直々に言ってきたらしい。あの冷たい表情がイメージにぴったりなんだと」
「スゲーな。俺、絶対観るよ」
頑張れよ、という声に機嫌よく頷く。
その時、店のドアが開き、脳裏に焼き付いてるシルエットが入口に浮かび上がり、世海は思わず息を呑んだ。
「小帆! 来たわね。こっちよ!」
恵君の呼びかけに、海帆が笑顔で手を振って、彼らがいるテーブルへと近づいてきた。
「遅くなってすみません」
「いいのよ、勝手に始めてたから。迷わなかった?」
「はい、大丈夫です。地図を送ってくれて助かりました」
にこやかに答える海帆は、いかにも仕事帰りという感じで、相変わらず落ち着きのある自立した女性、という雰囲気を醸し出している。海帆は世海に向かって微笑んだ。
「久しぶり、元気だった?」
「……まあ」
ぶっきらぼうに答えて、世海はそっぽを向く。
素っ気ない態度に恵君の眉が吊り上がるが、世海は気にしなかった。
「俺、俊宏って言います。トシって呼んで!」
俊宏が興奮気味に挨拶をし、海帆に握手を求めた。
よろしく、と海帆もそれに応える。
「うおおー、俺会ってみたかったんだよ。噂の福の子ってどんなんだろうって。会えて嬉しい!」
「あはは。そう言われると緊張する。だいぶイメージと違うんじゃない?」
「いやいや、そんなことない。こんなに美人だなんてびっくりした! エリックはなんにも言わないから」
何を照れてるんだお前は、いい加減手を離せ。握手の時間が長すぎるだろう。
未だに繋がったままの二人の握手に、世海の不機嫌がマックスまで上がる。
ようやく手がほどかれ、海帆が席に落ち着く。
「小帆。今すごいニュースを聞いたのよ。阿海のドラマ出演が決まったの、有名な監督さんのドラマなんですって!」
「え、本当ですか。すごい、おめでとう!」
最後の言葉は世海に向けて言われたものだが、世海はビールを飲んで気づかないフリをした。
「どんなドラマなの?」
「………………BL」
へえ、そうなんだーと海帆はにこやかに相槌をうつ。
たまりかねた俊宏が割って入った。
「李寅峰と周音タッグの新作ドラマなんだよ。この二人は台湾では売れっ子のヒットメーカーなんだ。凄いだろう。ようやくエリックもスターの仲間入りができるんだ」
この最強タッグのドラマ観たことある? という質問に海帆が答える前に、世海が瓶ビールをタンッとテーブルに置いた。
「あるわけないだろう。俺達に興味ないんだから」
思ったよりも強い言い方になってしまった。
内心あせり、場が気まずい雰囲気になりかかった時、落ち着いた海帆の声がした。
「その二人のドラマは観たことないけど、エリック・スンのドラマは何本か観たよ。『恋するドラァグクイーン』は面白かった。顔綺麗だからメイクするともう無敵だよね、エリックって。あのフルメイクのドレスアップ姿で自転車かっ飛ばすシーンすごく好き。足めっちゃキレイだし」
「あれは秀逸だったよね! 俺も好きだよ! 主人公が憧れる完全無欠の美しきドラァグクイーン。エリックはあの役をやるために、三ヶ月ゲイバーで働いたんだよ」
「そうなんだ、凄いね。だからかな、まったく違和感を感じなかった。役者さんのプロ意識て凄いな~て、ただただ見惚れてたよ」
エリックは努力の人だよ! と力強く言う俊宏に海帆は頷く。
世海は何も言えなくなっていた。
自分の話しをしているのに、この場の話題は世海を置いてけぼりにして、盛り上がっていく。今は、そのドラマを観たことない世海の両親に、いかに面白いドラマで主張性の高い内容であったかという熱い説明がされている。
なんなんだ、一体。これはどういう状況なんだ。
理由はまったく分からないが、世海はここから離れたくなった。
気遣わしげにこちらを見る海帆にも気づかず、この場を去ろうと立ち上がりかけた時、誰かのスマホの着信が鳴った。
「あ、仕事先からだ。すみません、ちょっと失礼しますね」
鳴っているスマホを片手に、海帆が席を立つ。
その後ろ姿を、世海は拍子抜けした表情で見送った。
しばらくして戻った海帆は、申し訳無さそうな顔で仕事先に戻らなければいけなくなった、と説明した。
「急なトラブルがあったみたいで。せっかく誘ってもらったんですけど」
すみません、と謝る海帆に、どうしても行かなければいけないのか、と恵君が食い下がる。
「仕事なんだから仕方ないだろう。小帆、私達に気を使わないで、行きなさい。今度またうちに来てくれればいいから」
妻をなだめながら言う逸洋に感謝の笑みを浮かべ、場を離れる挨拶をして海帆は店を出た。
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