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勇者と冥王のママは暁を魔王様と

第七章・勇者の左腕奪還大作戦10

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 夕食が終わり、部屋に一人になりました。
 女官や侍女を人払いし、私は昼間に約束した女官が迎えにくるのを待っています。
 でもただ待っている訳ではありません。お手紙を書いていました。

「ああ、早くしなければ迎えが来てしまいますっ……」

 テーブルに何枚もの便箋を広げてペンを走らせます。
 本来なら、教団側の女官と行動する前にハウストに伝えるべきなのです。しかし今の彼は近衛兵として動いていて、いくら愛人の噂があるとはいえ王妃が堂々と一人の近衛兵を呼び出すことは躊躇われたのです。だからハウストに伝える為の手紙を書いていました。
 そして、ハウスト以外にも。
 私は最後の手紙を書いてサインすると封に閉じました。
 時間はありません。急いで部屋の窓を開けて夜空を見上げます。
 夜空に星々が瞬いているけれど、そこに広がるのは吸い込まれそうな闇一色。でも私には分かります、すぐ側にいると。

「こちらへ来てください!」

 声を上げると、大きな黒い影が夜空で旋回しました。
 黒い影が大きな翼を広げて私の前を横切ります。そう、ハウストの魔鳥の鷹でした。
 私は腕を伸ばしましたが魔鳥は旋回したままで降りてきてくれません。

「ああっ、そうでした! あなた、結構律儀なんですね」

 慌てて窓辺から引き返し、シーツを腕に巻きつけました。
 魔鳥は私の腕に直接降りないように躾けられています。魔狼のクウヤとエンキもそうですが、ハウストの使役する動物はお利口なのです。
 改めて腕を伸ばすと魔鳥が翼を広げて私の腕に降りてくれました。

「あなた、ずっと側にいてくれましたよね。ありがとうございます」
「ピィーッ」

 高い鳴き声。猛禽類の鋭い眼差しに柔らかさを感じます。
 私がイスラを連れて逃げている時から側にいてくれたことに気付いています。ハウストが私の側にいるように命じてくれたのですね。
 可愛いですね。撫でると頭を擦りつけて甘えてくれます。
 もっと構って遊んであげたいけれど、今は時間がありません。

「お願いがあります。この手紙を届けてください」

 私はそう言うと、窓辺に移った魔鳥の足に手紙を包んだ紐を括りつけました。

「ちょっと多くて大変ですが、よろしくお願いします」
「ピッ!」

 魔鳥が翼を広げて私の頭上を旋回します。

「頼りにしています。気を付けてくださいね」

 声を掛けると、魔鳥がひと鳴きして飛び立っていきました。
 それを見送ると丁度部屋の扉がノックされます。とうとう教団側の女官が迎えに来ました。
 深呼吸して気持ちを落ち着けると入室を許可します。

「どうぞ」
「失礼いたします」

 静かに扉が開いて約束した女官が入ってきました。
 私は内心の緊張を隠して笑いかけます。

「待っていましたよ。ずっと楽しみにしていました」
「王妃様に喜んでいただけて光栄です。では参りましょう。見られることがないように途中で御姿を隠していただきます」
「ありがとうございます。どこへ連れていってくれるんですか?」
「街でございます」
「街に?! 今から街へ行けるのですか!」

 驚いた私に女官は満足そうに頷きます。

「遊びたいと希望されたのは王妃様の方です。私はそれを御用意するまで」
「そうでしたね。これはお礼です」

 そう言って女官に金貨を渡しました。
 女官は金貨を見ると顔付きが変わります。この手の人間を信用することはできませんが利用しやすいので助かります。

「王妃様と秘密を共有できましたこと、光栄でございます」
「私も話しが分かる方と知り合えて幸いでした」

 互いに笑みを交わし、私は手早く着替えました。
 そして女官の手引きで神殿の裏口から外へ出ます。裏口まで何人かの女官や侍女とすれ違いましたが、女官と一緒だということと、ここでは好き放題に振る舞っていたこともあって、特に咎められることはありませんでした。

「この外壁を超えれば外でございます。こちらをお召しください」
「ありがとうございます」

 裏口の物影に私用のフード付き外套と女官の私服が用意されていました。
 受け取って身に纏い、フードを目深く被って顔を隠します。女官も自分の私服に着替えました。

「どうですか、隠れていますか?」
「問題なく隠れております。私の後ろに付いてきてください」
「はい」

 私は女官に従って外壁の裏門に足を向けます。
 女官は門番と軽い挨拶を交わし、私を連れて裏門を潜ってくれました。
 裏門を抜けてしばらく歩き、神殿から遠く離れてほっと肩から力が抜けました。フードを脱いで背後の神殿を振り返ります。ここまで来れば大丈夫でしょう。

「ふぅ、緊張しました……」
「上手くいきました。このまま街へ行きましょう。今から案内する店で王妃様のお望みの物が手に入ります」
「分かりました。ではさっそく参りましょう」

 私は女官に案内され、街へと続く道を歩きました。
 目指す先にはたくさんの明かりが灯っている。近づくとしだいに行き交う人が多くなって、騒々しい街の雑踏が聞こえてきました。
 どこにでもある街の景色のはずなのに、目の前に広がったのはまるで知らない世界のよう。
 昼間とは違った景色と雰囲気にドキドキして圧倒されてしまいます。

「たくさん人がいますね。もう遅い時間だというのに、こんなにたくさんの人が出歩いているなんて……」
「当たり前ではないですか。夜はこれからでございます」
「そ、そうですっ。夜はこれからです! もちろんいつもの夜ですよね!」

 不思議そうに言われて慌てて取り繕いました。
 夜の街に圧倒されて忘れていましたが、私は淫らで奔放な王妃という設定です。しっかり演じなければ。
 私は女官に案内されて賑やかな表通りを進みます。
 最初はただ夜の街を歩いていただけですが、…………。歩けば歩くほど私の知らない世界に踏み込んでいる気持ちになりました。これが夜の歓楽街なのですね。
 さり気なく周囲を見回して、ごくりと息を飲む。
 間違いないです、治安、悪いです……。
 建ち並ぶ店の雰囲気も異様で、人相が悪い人が多くなって、耳に入ってくる会話の口調も笑い声もなんだか近寄りがたい。しかも抱き合うように密着している人が多くて目のやり場に困ってしまいました。
 夜の歓楽街がまさかこのようなものとは……。
 こうして私たちは歓楽街の表通りから裏通りに入り、しばらく歩いた先の酒場の前で立ち止まりました。

「王妃様、こちらでございます。この店に売人や関係者が出入りして取り引きをしています。王妃様もここにいれば手に入りますので、お好きな物をどうぞ」
「なるほど、こういう店は他にもあるんですか?」
「はい、夜はここ以外の酒場でも取り引きをしていると聞いたことがあります。昼間は市場で取り引きしているそうです」
「そうですか。やはり……」

 教団が製造している薬は、今や人間界だけでなく魔界や精霊界にまで出回りだしています。教団本部のある街ならすぐに尻尾を掴めるはずです。
 私は酒場の扉を睨んで気合いを入れましたが。

「では、私は失礼させていただきます」
「ええっ、行ってしまうのですか?!」

 ぎょっとしました。
 でも女官は自分の役目は終わったといわんばかりです。
 見ると受け取った謝礼の金貨を大事そうに持っている。今から一人で豪遊しに行くつもりなのです。
 彼女を信用している訳ではないですが、まさかいきなり一人になるなんてっ。
 でも、困惑している私に女官が訝しんでしまう。

「……あの、もしかして、王妃様は怖いんですか?」
「そ、そそ、そんな訳ないじゃないですか! 私がなにを怖がるというのです! 酒場なんて毎晩行ってましたよ! 私の家のようなものですっ、常連ですっ、怖いはずありません!」

 慌てて言い返しました。
 私は淫らで奔放な王妃でした。奔放な王妃なのに酒場が初めてなわけありません。
 実際、私は酒場に行ったことがあります。ハウストに魔界の酒場に連れていってもらいました。そこにはイスラもいて、一緒に食事を楽しんで、店主ともお喋りを楽しめたのです。だから初めてではありません。

「それでは大丈夫のようですね。私は失礼します。神殿にお戻りになる時は、出た時のように外套でお顔を隠せば大丈夫ですので王妃様も夜明けまでにお戻りください」

 女官はそれだけを言うと、私を置き去りにして立ち去っていきました。
 そう、私、一人です……。
 ここは知らない国の知らない街の繁華街の裏通り、薬の取り引きが行なわれているという酒場の前で一人……。怖くないと言えば嘘になります。
 でも、ここでぐずぐずしている時間はありません。この先にイスラの左腕を奪還する術があるのなら躊躇いなどありません。
 大丈夫、行けます。酒場は初めてではないのですから大丈夫。
 深呼吸で気持ちを落ち着けると、扉をゆっくり開きます。
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