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第七章:再現される光景
32:幼い次郎君の葛藤
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新しく目の前に広がった光景も、わたしのよく知っている場所だった。
実家のダイニング。食卓を囲んでいるのは、四人。お父さんとお母さんと、わたし。
そして、なぜか次郎君がいる。
ちらりと壁時計に目を向けると、正午だった。
食卓の上には、いつもより少し豪勢な昼食が並んでいる。お客様仕様であることが一目でわかった。
中学生のわたしは私服に着替えているけれど、次郎君はさっきと同じ制服を着ていた。
「カバさん、どういうこと?」
わたしとカバさんが傍観者であるのは変わらないみたいだ。こんなに間近に立っているのに、食卓を囲む四人には見えている気配がない。
お昼時にお父さんがいるということは、新しい光景は休日と言う設定なのだろうか。だけど次郎君は制服を着ている。
まったく状況が読めない。
「まぁ、見てたらわかるがな」
カバさんは相変わらずふよふよと飛んでいる。
お母さんは次郎君に「たくさん食べてね」と笑顔を向ける。お父さんも微笑んでいた。とても和やかな雰囲気。中学生のわたしも嬉しそうに次郎君に話しかけている。
でも、わたしの記憶にはない光景だ。
食事が終盤にさしかかり、お母さんが切り分けた果物を並べた皿を出す。
まるでそれが合図だったかのように、お父さんが話し始めた。
「次郎君、君は学校に行っていないんじゃないのかな」
ギクリと次郎君の肩が震えた。不安そうにお父さんの目を見る。
「実は、昨日君のお兄さんが家にやってきた」
「え? 次郎君のお兄さんが?」
中学生のわたしが、立ち上がりそうな勢いで声をあげた。
「お兄さんは君のことをとても心配していたよ。家にも、あまり帰っていないと聞いた」
あれ? なんかとても雲行きの怪しい話になってきた。ここでは、次郎君は家出少年という設定なのだろうか。
「そうなの? 次郎君はお家に帰っていなかったの?」
「帰っているよ。……家族と顔を合わせなくても良い時間に」
「それって――」
中学生のわたしも、次郎君の危うさに気づいたようだ。
「でも、どうして?」
次郎君は俯いたまま答えない。重い沈黙だった。
お父さんが暗い雰囲気を払うように、明るい声を出す。
「誤解しないで欲しいけど、私たちは君を責めているわけじゃないんだ。君のご家族もね。とても心配はしていたけれど、学校に行きたくないなら、行かなくても良い。お兄さんはそう言っていたよ」
「……兄貴が?」
次郎君がゆっくりとお父さんを見た。戸惑っているのがわかる。
お父さんはにっこりと笑う。
「そこで一つ提案があるんだけどね。どうだろう、次郎君。しばらく家にいて、あやめに勉強を教えてあげてくれないだろうか」
次郎君が驚いた顔をしたと同時に、中学生のわたしが立ち上がった。
「ええ!? 次郎君に? でも、次郎君は受験生だよ! そんなの迷惑じゃないの?」
大騒ぎするわたしに、お父さんは何かを企むような笑みを浮かべる。
「おや? あやめは次郎君が家庭教師だったら不服かな?」
「ふ、不服なわけないよ!」
カッと一瞬で中学生のわたしの顔が赤くなる。
「どうかな、次郎君」
お父さんがもう一度聞いた。
中学生のわたしは気づかないけれど、一部始終を見ているわたしは気づいてしまった。
次郎君の泣き出しそうな顔。彼はぐっと何かを堪えて、無理やり笑顔を作る。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
次郎君の声は、かすかに震えていた。
どういう経緯なのかは、わからない。ただ次郎君が何か問題を抱えていることだけはわかった。
「ほな、次に行こか」
カバさんはあっさりと次の光景へ移動する。
「ち、ちょっと?」
ピンクのカバのぬいぐるみが姿を消して波紋を描く空間に、わたしも慌てて飛び込んだ。
「あれ?」
とても見慣れた場所。今度はわたしの部屋だった。
でも、部屋を彩る雑貨が今よりも幼い雰囲気を醸し出している。
ぬいぐるみの並ぶ寝台に恥ずかしさがこみ上げる。中学生のわたしの方が、可愛い感性をしていたのかもしれない。
勉強机に向かうわたしの隣には次郎君が座っている。中一の教科書を眺めながら、勉強を教えてくれているようだった。
食卓で交わされた会話から続く世界のようだけど、次郎君も私服になっているところを見ると、時間は連続していないみたいだ。
「次郎君は狙っている高校とかあるんですか?」
問題を解き終えて添削をしてもらいながら、中学生のわたしが次郎君を見ている。
「俺の場合、高校は中学から持ち上がるだけ。だから進路はもう決まっているんだ」
「夢の宮学院?」
「そう」
「次郎君は頭がいいもんね」
きっと中学生のわたしはいつか同じ学校に通うことを夢見ているに違いない。
「頭が良いから、学校がつまらないんですか?」
あまりにも無神経な中学生のわたしに頭を抱えたくなる。でも次郎君は気を悪くした様子もなく、おかしそうに笑った。
「あやめって、面白こと言うよな」
「え? そ、そうですか?」
そこはまったく照れるところじゃないけれど、中学生のわたしは褒められたと勘違いしているみたい。ああ、無知って恐ろしい。
「でも、少し当たっているかもしれない」
「さすが! 次郎君の悩みは天才的ですね」
無邪気もここまでくると犯罪的だ。中学生のわたしの口を塞ぎたくなる。次郎君はわたしの幼い発言にも笑ってくれる。
「頭が良いからじゃなくて、なんていうか……」
パタリと次郎君が手にしていた教科書を閉じた。椅子の背もたれに体重を預けて、言葉を選んでいるようだった。
「全部決まっているから、つまらないのかも」
「全部決まっているって? 学校が?」
「学校だけじゃなくて、全部」
中学生のわたしは理解していないけれど、わたしにはわかってしまう。
次郎君が関わる特殊な世界を知っている、わたしには。
時任家に受け継がれる使命。
いつも明るくて優しい次郎君。考えてみれば、何の葛藤もなく受け入れられるようなことじゃない。
異次元から迷い込んできたものを導いて、元の世界に戻す。その度に、復元を繰り返す世界。
時には夢を渡り、管理局--得体の知れない高次元の存在と関わる。
多感な時期に、次郎君が思い悩むのは当然のことだ。
彼の笑顔に騙されて、わたしは考えたことがなかった。次郎君は全てを受け入れて前向きに生きていける人なのだと、強い人だと、勝手に思い込んでいた。
全てが決まっているから、つまらない。当たり前だと思う。
この世界の次郎君がなぜ家出少年なのか、わかった気がした。
「全部決まっていたら、安心じゃないですか?」
「え?」
次郎君は驚いたように中学生のわたしを見た。
「安心?」
「はい。だって、受験に失敗することもないし、ずっと一緒にいた友達と離れることもないし」
中学生のわたしは相変わらず的外れなことを言っている。知らないのだから仕方ないとはいえ、見ているわたしは居たたまれない。
「……違う」
頭を抱えたくなっているわたしの胸に、次郎君の声がふっと胸に迫った。
彼の声音が、とても切なく響いたのだ。
「俺は、全部決まっているから、――安心できない」
安心できない。
中学生のわたしが少し姿勢を正した。
「次郎君は、不安なんですか?」
聞かなくてもわかる。次郎君の顔を見ていれば。
「そう。俺は、この先のことを考えると、……不安でたまらない」
わたしに実態があったら、次郎君を抱きしめてあげられるのに。中学生のわたしは戸惑うばかりで、身動きできないでいる。
お願い、わたし。せめて何か言葉をかけてあげて。
「大丈夫です!」
願いが届いたのか、幼いわたしがガバッと椅子から立ち上がった。
「次郎君に何かあったら、わたしが力になります!」
あまりの剣幕に驚いたのか、次郎君が目を丸くした。
「あやめが?」
「だって次郎君は大切なお友達で、先輩で、家庭教師だから!」
ああ、まったく伝わらない。次郎君の不安に寄り添えるような、気の利いた言葉じゃない。絶望するわたしの気持ちとは裏腹に、次郎君はじっと、目の前で立ち上がった中学生のわたしを見ていた。
「……うん」
くしゃりと次郎君が笑顔になった。
「ありがとう、あやめ。……覚えとく」
「はい!」
踏ん反り返る勢いで胸をはったわたしを見て、次郎君が声を立てて笑った。
実家のダイニング。食卓を囲んでいるのは、四人。お父さんとお母さんと、わたし。
そして、なぜか次郎君がいる。
ちらりと壁時計に目を向けると、正午だった。
食卓の上には、いつもより少し豪勢な昼食が並んでいる。お客様仕様であることが一目でわかった。
中学生のわたしは私服に着替えているけれど、次郎君はさっきと同じ制服を着ていた。
「カバさん、どういうこと?」
わたしとカバさんが傍観者であるのは変わらないみたいだ。こんなに間近に立っているのに、食卓を囲む四人には見えている気配がない。
お昼時にお父さんがいるということは、新しい光景は休日と言う設定なのだろうか。だけど次郎君は制服を着ている。
まったく状況が読めない。
「まぁ、見てたらわかるがな」
カバさんは相変わらずふよふよと飛んでいる。
お母さんは次郎君に「たくさん食べてね」と笑顔を向ける。お父さんも微笑んでいた。とても和やかな雰囲気。中学生のわたしも嬉しそうに次郎君に話しかけている。
でも、わたしの記憶にはない光景だ。
食事が終盤にさしかかり、お母さんが切り分けた果物を並べた皿を出す。
まるでそれが合図だったかのように、お父さんが話し始めた。
「次郎君、君は学校に行っていないんじゃないのかな」
ギクリと次郎君の肩が震えた。不安そうにお父さんの目を見る。
「実は、昨日君のお兄さんが家にやってきた」
「え? 次郎君のお兄さんが?」
中学生のわたしが、立ち上がりそうな勢いで声をあげた。
「お兄さんは君のことをとても心配していたよ。家にも、あまり帰っていないと聞いた」
あれ? なんかとても雲行きの怪しい話になってきた。ここでは、次郎君は家出少年という設定なのだろうか。
「そうなの? 次郎君はお家に帰っていなかったの?」
「帰っているよ。……家族と顔を合わせなくても良い時間に」
「それって――」
中学生のわたしも、次郎君の危うさに気づいたようだ。
「でも、どうして?」
次郎君は俯いたまま答えない。重い沈黙だった。
お父さんが暗い雰囲気を払うように、明るい声を出す。
「誤解しないで欲しいけど、私たちは君を責めているわけじゃないんだ。君のご家族もね。とても心配はしていたけれど、学校に行きたくないなら、行かなくても良い。お兄さんはそう言っていたよ」
「……兄貴が?」
次郎君がゆっくりとお父さんを見た。戸惑っているのがわかる。
お父さんはにっこりと笑う。
「そこで一つ提案があるんだけどね。どうだろう、次郎君。しばらく家にいて、あやめに勉強を教えてあげてくれないだろうか」
次郎君が驚いた顔をしたと同時に、中学生のわたしが立ち上がった。
「ええ!? 次郎君に? でも、次郎君は受験生だよ! そんなの迷惑じゃないの?」
大騒ぎするわたしに、お父さんは何かを企むような笑みを浮かべる。
「おや? あやめは次郎君が家庭教師だったら不服かな?」
「ふ、不服なわけないよ!」
カッと一瞬で中学生のわたしの顔が赤くなる。
「どうかな、次郎君」
お父さんがもう一度聞いた。
中学生のわたしは気づかないけれど、一部始終を見ているわたしは気づいてしまった。
次郎君の泣き出しそうな顔。彼はぐっと何かを堪えて、無理やり笑顔を作る。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
次郎君の声は、かすかに震えていた。
どういう経緯なのかは、わからない。ただ次郎君が何か問題を抱えていることだけはわかった。
「ほな、次に行こか」
カバさんはあっさりと次の光景へ移動する。
「ち、ちょっと?」
ピンクのカバのぬいぐるみが姿を消して波紋を描く空間に、わたしも慌てて飛び込んだ。
「あれ?」
とても見慣れた場所。今度はわたしの部屋だった。
でも、部屋を彩る雑貨が今よりも幼い雰囲気を醸し出している。
ぬいぐるみの並ぶ寝台に恥ずかしさがこみ上げる。中学生のわたしの方が、可愛い感性をしていたのかもしれない。
勉強机に向かうわたしの隣には次郎君が座っている。中一の教科書を眺めながら、勉強を教えてくれているようだった。
食卓で交わされた会話から続く世界のようだけど、次郎君も私服になっているところを見ると、時間は連続していないみたいだ。
「次郎君は狙っている高校とかあるんですか?」
問題を解き終えて添削をしてもらいながら、中学生のわたしが次郎君を見ている。
「俺の場合、高校は中学から持ち上がるだけ。だから進路はもう決まっているんだ」
「夢の宮学院?」
「そう」
「次郎君は頭がいいもんね」
きっと中学生のわたしはいつか同じ学校に通うことを夢見ているに違いない。
「頭が良いから、学校がつまらないんですか?」
あまりにも無神経な中学生のわたしに頭を抱えたくなる。でも次郎君は気を悪くした様子もなく、おかしそうに笑った。
「あやめって、面白こと言うよな」
「え? そ、そうですか?」
そこはまったく照れるところじゃないけれど、中学生のわたしは褒められたと勘違いしているみたい。ああ、無知って恐ろしい。
「でも、少し当たっているかもしれない」
「さすが! 次郎君の悩みは天才的ですね」
無邪気もここまでくると犯罪的だ。中学生のわたしの口を塞ぎたくなる。次郎君はわたしの幼い発言にも笑ってくれる。
「頭が良いからじゃなくて、なんていうか……」
パタリと次郎君が手にしていた教科書を閉じた。椅子の背もたれに体重を預けて、言葉を選んでいるようだった。
「全部決まっているから、つまらないのかも」
「全部決まっているって? 学校が?」
「学校だけじゃなくて、全部」
中学生のわたしは理解していないけれど、わたしにはわかってしまう。
次郎君が関わる特殊な世界を知っている、わたしには。
時任家に受け継がれる使命。
いつも明るくて優しい次郎君。考えてみれば、何の葛藤もなく受け入れられるようなことじゃない。
異次元から迷い込んできたものを導いて、元の世界に戻す。その度に、復元を繰り返す世界。
時には夢を渡り、管理局--得体の知れない高次元の存在と関わる。
多感な時期に、次郎君が思い悩むのは当然のことだ。
彼の笑顔に騙されて、わたしは考えたことがなかった。次郎君は全てを受け入れて前向きに生きていける人なのだと、強い人だと、勝手に思い込んでいた。
全てが決まっているから、つまらない。当たり前だと思う。
この世界の次郎君がなぜ家出少年なのか、わかった気がした。
「全部決まっていたら、安心じゃないですか?」
「え?」
次郎君は驚いたように中学生のわたしを見た。
「安心?」
「はい。だって、受験に失敗することもないし、ずっと一緒にいた友達と離れることもないし」
中学生のわたしは相変わらず的外れなことを言っている。知らないのだから仕方ないとはいえ、見ているわたしは居たたまれない。
「……違う」
頭を抱えたくなっているわたしの胸に、次郎君の声がふっと胸に迫った。
彼の声音が、とても切なく響いたのだ。
「俺は、全部決まっているから、――安心できない」
安心できない。
中学生のわたしが少し姿勢を正した。
「次郎君は、不安なんですか?」
聞かなくてもわかる。次郎君の顔を見ていれば。
「そう。俺は、この先のことを考えると、……不安でたまらない」
わたしに実態があったら、次郎君を抱きしめてあげられるのに。中学生のわたしは戸惑うばかりで、身動きできないでいる。
お願い、わたし。せめて何か言葉をかけてあげて。
「大丈夫です!」
願いが届いたのか、幼いわたしがガバッと椅子から立ち上がった。
「次郎君に何かあったら、わたしが力になります!」
あまりの剣幕に驚いたのか、次郎君が目を丸くした。
「あやめが?」
「だって次郎君は大切なお友達で、先輩で、家庭教師だから!」
ああ、まったく伝わらない。次郎君の不安に寄り添えるような、気の利いた言葉じゃない。絶望するわたしの気持ちとは裏腹に、次郎君はじっと、目の前で立ち上がった中学生のわたしを見ていた。
「……うん」
くしゃりと次郎君が笑顔になった。
「ありがとう、あやめ。……覚えとく」
「はい!」
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