羅刹の花嫁 〜帝都、鬼神討伐異聞〜

長月京子

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第十五章:斎王の愛し子

76:伝えたい一心で

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「はい!」

 昨夜はあまり眠れなかったが、疲れるようなことは何もしていない。朝からお腹いっぱい餡パンを食べて準備は万端である。

御門みかど様はお休みになられましたか?」

 可畏かいの様子は変わらず颯爽としている。第三隊の少将である四方も、可畏かいが精彩を欠く姿を見たことがないと言っていた。けれど、葛葉くずはには気になることがあった。蘆屋という男との熾烈な攻防のあと、可畏かいは本陣の寝床について、苦しげにうなされていたのだ。彼の正体を知った今なら、あの時の成り行きにも道筋が見えてくる。

 陰陽師の使う呪符が、鬼となった身を苛んでいたのだ。羅刹の力が強大でも、可畏かいという器は人である。あの時に見た可畏かいの苦しげな様子が、それを裏付けている。彼は常に代償や負担を抱えているのだ。

「異形の関わる事件は私にとっては日常茶飯事だ。もう慣れているし、疲れるほどのこともない」

 葛葉くずはの向かいに腰を下ろして、可畏かいは食卓の籠にある餡パンを手に取った。

「うまそうだな。私もひとつ頂こう」

「はい! とても美味しいです! ぜひ!」

 さりげなく気遣いを受け流されたことに気づいたが、葛葉くずはは話を戻すことはせず、自分の手元の食べかけの餡パンをかじった。

「ところで」

 可畏かいが手に取った餡パンをふたつに割りながら、卓上に目を向ける。

「それは、おまえが見たと言っていた小芥子こけしか?」

 彼の母親である綾子あやこが依代となっている小芥子こけしを見て、可畏かいはわずかに目を細めた。葛葉くずはは注意深く様子を窺う。彼が小芥子こけしの素性を知らないとは思えないが、視線には訝しむような色が宿っている。

「はい。でも、御門みかど様のおっしゃっていたとおり、悪いものではありませんでした」

 母親のことを口にしていいのかわからず、葛葉くずは玉藻たまもが訪れていたことを先に報告した。心なしか可畏かいの表情が険しくなる。

「この小芥子こけしは、玉藻たまも様がこちらに届けるように天子様にお願いしたと仰っていました」

「それは私も陛下から聞いたが……」

 小芥子こけしに向けられていた可畏かいの視線が、葛葉くずはに戻ってくる。

玉藻たまもは何か言っていたか?」

「えっ?」

 あからさまにうろたえてしまい、葛葉くずははしまったと血の気が引く。

「あ、はい。小芥子こけし御門みかど様のお母様のものであると……」

 彼の生い立ちについて触れないように取り繕ってみたが、すぐに見抜かれてしまう。ふっと小さな笑みを漏らしながら、可畏かいは妖のような赤い眼を伏せた。

「どうやら玉藻たまもはおまえに全て話したようだな」

 何と答えるのが適当なのかわからず、葛葉くずはは言葉を返せない。懸命に場を取り繕おうとするが、気持ちだけがあたふたする。

 不自然な沈黙の中で、可畏かいが視線を伏せたまま深く息をついた。

「おまえは分かりやすいな」

 うろたえている葛葉くずはを見て、彼が小さく笑う。ふたたび葛葉くずはを見たまなざしに、嫌悪や険しさはなかった。

「私の素性について黙っていたのは悪かった」

「あ、謝ることなど何もありません! 簡単に明かせないことですし、それに御門みかど様のことを知りたいという気持ちだけで、わたしが玉藻たまも様に食い下がって無理やり全て聞き出しました」

 誰にでもある暴かれたくない秘密。それを知ろうとするのはわがままだ。葛葉くずはは改めて自分の行いの身勝手さを反省した。

「本当は御門みかど様から聞くべきことだったのに、わたしの方こそ申し訳ありません」

「いや、そろそろ話そうと思っていた。玉藻たまもから聞いたのなら、手間が省けて良かった」

 可畏かいは責めることもなく、浅く微笑む。それが彼の本心なのかどうかは、葛葉くずはには測り切れない。ただ、どちらにしても可畏かい葛葉くずはを気遣ってくれているのだ。初任務として可畏かいに同行して事件を追っていた時も同じだった。
 どんな時も変わらず、葛葉くずは可畏かいの配慮を感じ続けてきた。

「全部聞いたのなら、怖がられても仕方がないと思っているが、私には使命がある。だから――」

御門みかど様は御門みかど様です!」

 彼の暗い声を遮るように、葛葉くずはは声を高くする。
 自身を卑下するような言葉は聞きたくないし、これからも可畏かいには堂々と隣に立っていてほしい。
 だからこそ、いま彼に伝えておかなければならないことがある。

「わたしにとっては、御門みかど様は自分を信じてくれた大切な方です! たくさん希望も与えてもらいました! 何があってもそれは変わりません!」

 死者であっても鬼であっても、自分は可畏かいのことを信じられる。だから恐れや嫌悪は微塵もない。
 何も変わらないのだ。変わらず慕っている。それだけは分かってほしかった。

「わたしはこれからも御門みかど様のことをお慕いしております!」

 高ぶった気持ちのまま、葛葉くずはは息切れしそうな勢いで一息に言い放つ。
 今の素直な感情を伝えたい一心だったが、目の前で彼が驚いたように目を丸くした。

「あ!」

 妖のような赤眼と視線が重なると、葛葉くずははまるで火にあぶられたように一気に全身がほてる。

「あ、あの! お慕いしているというのは、その、おかしな意味ではなくて、人としてと言うか、特務部の上官としてというか、決して男性としてなどの不埒な意味ではなく、あ、いえ、男性としても素敵な方だとは思っておりますが、それもただ頼りになるという意味でして」

 誤解のないように説明したいが、まくし立てるような早口になってしまう。ひたすらほてった顔があつい。

「とにかく御門みかど様の素敵さが損なわれるようなことではなく、わたしが言いたいのは全然怖くないということで」

 誤解のないように伝えようとする焦りと戸惑いで、自分でも何を言い訳しているのか怪しくなってきた。どんどん墓穴が深くなる。

「これまでと変わらずお慕いしているとお伝えたかっただけで、あ、そのお慕いしているというのは、人間としてという意味で、あ、それは鬼である御門みかど様のことも同じで」

葛葉くずは、わかった。おまえの言いたいことはわかったから……」

 混乱しながら説明を繰り返す葛葉くずはをなだめるように、可畏かいが「もういい」と言葉を堰き止めるようなそぶりで手をあげた。

「あ、はい。申し訳ありません。とにかくわたしは御門みかど様のことをお慕いしておりますので」

 真っ赤な顔では誤解されそうな言い回しだが、普通に話そうと意識するほど熱がこもる。どうにもならない。うまく伝えられないもどかしさと恥じらいで、葛葉くずはは目を伏せた。
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