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第一章:当主と花嫁の出会い
2:本当の花嫁
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顔をあげることができずにいると、不穏なざわめきとともに足音が近づいてくる。
「なぜおまえが招待客にまぎれている?」
頭上から響く声に、葛葉は身をこわばらせた。
気配がちかい。
初対面の可畏に声をかけられるとは思ってもいなかった。
まったく状況が飲みこめないが、ひたすら目をあわせないようにうつむいたまま、何とかこの場をやりすごそうと試みる。
「わたしは特務科にかよう、倉橋葛葉と申します。本日は紅葉様とあなたの婚約を祝福するために参りました」
「婚約を祝福? おまえが?」
凛とひびく低い声が、わずかに苛立ちを含んでいる。
葛葉はなにかとてつもない粗相をしてしまったのかと身をすくめた。
「……どういうことだ」
「え?」
冷たい声を聞いたと同時に、可畏が強引に葛葉の左腕をつかんだ。祖母に譲ってもらった数珠をみて、嘲るようにわらう。
「これはなんだ?」
「は、はなしてください!」
可畏は葛葉の腕をつかんだまま、紅葉の前まで歩いていく。引きずられるように、葛葉も二人の前にひきだされてしまう。
「倉橋侯爵の御令嬢。これはどういうことなのか説明していただけるのか?」
可畏の有無を言わせない詰問に、紅葉は答えない。ただ青ざめた顔で立ち尽くしているだけだった。
けれど、その紅葉の狼狽える様子が、可畏にとっては答えになったようである。
「どうやらご令嬢殿は自分が偽物であることをわかっていらっしゃるようだ」
可畏は冷然と微笑する。紅葉の隣に立つ父親も顔色を失っていた。
「倉橋侯爵。これは御門家への宣戦布告か?」
「まさか! これには理由が!」
可畏は紅葉と葛葉を見くらべると、吐き捨てるようにわらった。
「……とんだ茶番だな」
腹に据えかねるといいたげな、低いささやき。葛葉は突然の成りゆきに、ただ震えるだけだった。
何が起きているのかわからないが、何かが可畏の逆鱗に触れたことはまちがいがない。
(どうしよう)
葛葉の在籍する特務科は、軍の特務部とつながっている。特務部を率いる可畏を怒らせて、お咎めなしということはありえないはずだ。
特務科の席を抹消され、退学に追いこまれたら、葛葉は路頭にまよってしまう。
(もし寄宿舎を追いだされるようなことになったら、どうしよう)
最悪の状況を思い描いてしまい、血の気のひく思いで可畏を仰ぐと、ふたたび目があった。葛葉はすぐに目をそらしたが、赤い瞳に一瞬労るような光がみえた。
可畏は葛葉の手をとると、壮麗な洋館に集った者へ向けて声高らかに宣言する。
「すこし手違いがあったようだが、私の花嫁は彼女だ」
洋館にひびく喧騒が、ひときわ大きなうねりとなって葛葉をつつんだ。
可畏の声がざわめきを切り裂くように、凛とひびく。
「どうか皆様も誤解なきように」
葛葉の気持ちをおき去りに、彼はためらいもなく続ける。
「では、改めて私の婚約者を紹介したい。倉橋葛葉です」
名を語られて、葛葉は反射的に首をふった。
「待ってください! 違います! 何かのまちがいです!」
葛葉は声のかぎりに訴える。
「わたしは紅葉様と御門家のご当主様の婚約を祝福にきた、特務科の一生徒にすぎません!」
「それが間違いだったと説明している」
「でも……」
葛葉はぎゅっと左腕の数珠に右手をそえる。
「わ、わたしはとんでもない不幸体質なんです! だから、わたしに関わると、あなたも不幸になるかもしれない!」
「何を言い出すかと思えば……」
可畏は険しい視線で、葛葉の腕の数珠をにらんだ。
「今すぐ、その石を外せ」
「駄目です! これはお守りです!」
「そんなものは守りでも何でもない。おまえが拒むなら、私が外してやる」
再び可畏に左腕をつかまれると、突然ぼうっと炎があがった。見たこともない、海洋のような青い炎。腕が数珠ごと碧くうねる炎に包まれてしまう。
葛葉は悲鳴をあげて逃れようとしたが、体が動かない。
「やめてください! 離して!」
目の前であがった火柱は、異能の炎。
燃え盛る碧い炎に包まれているが、腕が焼け落ちる気配はなかった。熱さもなくただ温かい。
やがて炎が光となって、葛葉にも正視できないきらめきが広がった。
「やめてっ……、数珠が――」
光の向こうがわで、数珠がはずれる気配がする。
パチンと、何かがはじける音がした。
「あ……」
途端に、葛葉の身をおそった暗い衝撃。
ごうごうと、一面が赤い炎につつまれる錯覚。
すべてを焼き尽くした炎。
「ああ!」
突如、脳裏に蘇った絶望で何もみえなくなる。
「っ……!」
ひきつるような細い悲鳴が、喉をついてでた。葛葉はなりふりかまわず、声の限りにさけぶ。
(おばあちゃん!)
焼け落ちていく古い家屋の向こうがわに消えた人影。脳裏を蹂躙する赤い記憶。
「しっかりしろ!」
誰かが自分を引きもどそうとして、腕をつかんでいる。
振り向こうとすると、ぐらりと目の前の光景がぶれた。記憶の炎がうしなわれ、洋館の広間が戻ってくる。天井で輝く多灯式照明の光がまぶしい。
昔の記憶をなぞっていたのだと理解した瞬間、葛葉の目元にじわりと熱がこもっていく。
(かならず、……かならず見つけだすから)
涙がこぼれ落ちると、すうっと視野が狭窄していく。
視界に影がながれこみ、きざみこまれた火災の記憶が遮断された。すべての残像が、闇にのまれて暗転する。
深淵に引きこまれるように、葛葉は意識をうしなった。
「なぜおまえが招待客にまぎれている?」
頭上から響く声に、葛葉は身をこわばらせた。
気配がちかい。
初対面の可畏に声をかけられるとは思ってもいなかった。
まったく状況が飲みこめないが、ひたすら目をあわせないようにうつむいたまま、何とかこの場をやりすごそうと試みる。
「わたしは特務科にかよう、倉橋葛葉と申します。本日は紅葉様とあなたの婚約を祝福するために参りました」
「婚約を祝福? おまえが?」
凛とひびく低い声が、わずかに苛立ちを含んでいる。
葛葉はなにかとてつもない粗相をしてしまったのかと身をすくめた。
「……どういうことだ」
「え?」
冷たい声を聞いたと同時に、可畏が強引に葛葉の左腕をつかんだ。祖母に譲ってもらった数珠をみて、嘲るようにわらう。
「これはなんだ?」
「は、はなしてください!」
可畏は葛葉の腕をつかんだまま、紅葉の前まで歩いていく。引きずられるように、葛葉も二人の前にひきだされてしまう。
「倉橋侯爵の御令嬢。これはどういうことなのか説明していただけるのか?」
可畏の有無を言わせない詰問に、紅葉は答えない。ただ青ざめた顔で立ち尽くしているだけだった。
けれど、その紅葉の狼狽える様子が、可畏にとっては答えになったようである。
「どうやらご令嬢殿は自分が偽物であることをわかっていらっしゃるようだ」
可畏は冷然と微笑する。紅葉の隣に立つ父親も顔色を失っていた。
「倉橋侯爵。これは御門家への宣戦布告か?」
「まさか! これには理由が!」
可畏は紅葉と葛葉を見くらべると、吐き捨てるようにわらった。
「……とんだ茶番だな」
腹に据えかねるといいたげな、低いささやき。葛葉は突然の成りゆきに、ただ震えるだけだった。
何が起きているのかわからないが、何かが可畏の逆鱗に触れたことはまちがいがない。
(どうしよう)
葛葉の在籍する特務科は、軍の特務部とつながっている。特務部を率いる可畏を怒らせて、お咎めなしということはありえないはずだ。
特務科の席を抹消され、退学に追いこまれたら、葛葉は路頭にまよってしまう。
(もし寄宿舎を追いだされるようなことになったら、どうしよう)
最悪の状況を思い描いてしまい、血の気のひく思いで可畏を仰ぐと、ふたたび目があった。葛葉はすぐに目をそらしたが、赤い瞳に一瞬労るような光がみえた。
可畏は葛葉の手をとると、壮麗な洋館に集った者へ向けて声高らかに宣言する。
「すこし手違いがあったようだが、私の花嫁は彼女だ」
洋館にひびく喧騒が、ひときわ大きなうねりとなって葛葉をつつんだ。
可畏の声がざわめきを切り裂くように、凛とひびく。
「どうか皆様も誤解なきように」
葛葉の気持ちをおき去りに、彼はためらいもなく続ける。
「では、改めて私の婚約者を紹介したい。倉橋葛葉です」
名を語られて、葛葉は反射的に首をふった。
「待ってください! 違います! 何かのまちがいです!」
葛葉は声のかぎりに訴える。
「わたしは紅葉様と御門家のご当主様の婚約を祝福にきた、特務科の一生徒にすぎません!」
「それが間違いだったと説明している」
「でも……」
葛葉はぎゅっと左腕の数珠に右手をそえる。
「わ、わたしはとんでもない不幸体質なんです! だから、わたしに関わると、あなたも不幸になるかもしれない!」
「何を言い出すかと思えば……」
可畏は険しい視線で、葛葉の腕の数珠をにらんだ。
「今すぐ、その石を外せ」
「駄目です! これはお守りです!」
「そんなものは守りでも何でもない。おまえが拒むなら、私が外してやる」
再び可畏に左腕をつかまれると、突然ぼうっと炎があがった。見たこともない、海洋のような青い炎。腕が数珠ごと碧くうねる炎に包まれてしまう。
葛葉は悲鳴をあげて逃れようとしたが、体が動かない。
「やめてください! 離して!」
目の前であがった火柱は、異能の炎。
燃え盛る碧い炎に包まれているが、腕が焼け落ちる気配はなかった。熱さもなくただ温かい。
やがて炎が光となって、葛葉にも正視できないきらめきが広がった。
「やめてっ……、数珠が――」
光の向こうがわで、数珠がはずれる気配がする。
パチンと、何かがはじける音がした。
「あ……」
途端に、葛葉の身をおそった暗い衝撃。
ごうごうと、一面が赤い炎につつまれる錯覚。
すべてを焼き尽くした炎。
「ああ!」
突如、脳裏に蘇った絶望で何もみえなくなる。
「っ……!」
ひきつるような細い悲鳴が、喉をついてでた。葛葉はなりふりかまわず、声の限りにさけぶ。
(おばあちゃん!)
焼け落ちていく古い家屋の向こうがわに消えた人影。脳裏を蹂躙する赤い記憶。
「しっかりしろ!」
誰かが自分を引きもどそうとして、腕をつかんでいる。
振り向こうとすると、ぐらりと目の前の光景がぶれた。記憶の炎がうしなわれ、洋館の広間が戻ってくる。天井で輝く多灯式照明の光がまぶしい。
昔の記憶をなぞっていたのだと理解した瞬間、葛葉の目元にじわりと熱がこもっていく。
(かならず、……かならず見つけだすから)
涙がこぼれ落ちると、すうっと視野が狭窄していく。
視界に影がながれこみ、きざみこまれた火災の記憶が遮断された。すべての残像が、闇にのまれて暗転する。
深淵に引きこまれるように、葛葉は意識をうしなった。
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