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第五章:旧街道の鬼火

25:弾き語りの女 2

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 帝都へつづく街道とは反対の、地方へむかう方角から、とぎれとぎれ歌声と三味線の音がきこえてきた。どうやら風向きによって、聞こえたり聞こえなくなったりするようだ。

 聞き逃さないように、葛葉くずはは耳をすました。歌声をたどって道をいくが、思っていたよりも遠いのかもしれない。
 すでに旧街道の賑やかな大通りからは離れている。
 華やかな商家とは異なり、色褪せた長屋が立ちならぶ。

 鉄道馬車の開通によって、旧街道の裏通りからはだんだんと人が離れていた。廃業や移転した店も多い。

 やがて廃屋になった長屋が目立つようになり、視界の向こう側に雑木林が見えた。ところどころにこじんまりとした畑も広がっている。

 人の気配の感じられない軒先をすすむと、三味線にあわせて歌う声に、子どもたちの笑い声がかさなった。無人の長屋の中に、賑やかな場所があった。


 おいでよ おいで 細道を
 おいでよ おいで 井戸ばたに
 つもる話をきかせておくれ


 こどもたちが一緒に歌っている。はじめは長唄かと思っていたが、どうやら葛葉くずはにも聞きなじみがあるわらべうただった。

 三味線が軽快な調子でつまびかれるときは子どもたちが声をそろえ、すこし調子が変わると、一際うつくしい声が、わらべうたを長唄のように歌いあげている。


 おいでよ おいで わたしのもとへ
 おいでよ おいで 熾火しきびのそばへ
 灯りが消えたら さようなら


 軒先に数人のこどもたちが座りこんで、歌声に聞きいっていた。
 こどもたちの前で、女が三味線を奏でている。伸びやかな歌声と三味線の音が止むと、葛葉くずはは称賛をこめて、おもわず手を叩いていた。

「とても素晴らしいです」

 女は弾かれたようにこちらをみる。葛葉くずははあっと我にかえって、特務部の一員として敬礼する。

「とつぜん失礼しました」

「軍人さん?」

 女は葛葉くずは可畏かいを見てすぐに察したようだった。他人がやってくることは稀なのか、驚きを隠せない表情をしている。こどもたちも警戒しているのか、いっせいに女にすがりついていた。

「そういえば、鬼火や異形の噂を聞きつけて、大きなお屋敷に特務隊の方が来ていると……」

 女は長い黒髪をすっきりと後ろに束ねていた。肌が白く、品のあるうりざね顔をしている。地味な着物をまとっていても印象が優しげで、目が吸い寄せられるような美しい女だった。

(とても綺麗な人だな)

 同性なのに、思わず魅入ってしまう。

(でも、こんなところで何をしているんだろう)

 こどもたちが彼女によく懐いているのがわかる。怪しい女には見えないが、こんな人気のない長屋にこどもたちを集めて過ごしていることは不自然だった。

 どう問うべきかと、葛葉くずはが戸惑っていると、可畏かいが一歩前にすすみでた。

「ご存知のとおり、私たちは特務隊の者です。周辺を調査していますが、何か不審なものを見たり感じたりしたことはありませんか?」

「ありません」

 答える女に、すがりついている子どもが「やっぱり怖いものがいるの?」と不安そうにたずねている。女は「大丈夫よ」と子どもたちにほほ笑みかけた。

 黒髪を二つにわけて結った童女が、女の背後に隠れるように、じっとこちらをながめている。身にしみついた習慣で、葛葉くずはは思わず視線をそらしそうになった。

(あっと、いけない)

 顔をそむけそうになるのをぐっとこらえて、にっこりと笑顔をむける。童女は無表情だった。

(こわがらせちゃったかな)

 黒がちの瞳が印象的な子で、なんとか笑ってほしいと思ったが、彼女の表情はゆるまない。

「失礼ですが、あなたはここで何を?」

 可畏かいの問いに、女は「ああ」と自分たちの不自然さに気づいたようだった。

「わたしはここで、子どもたちに読み書きを教えています」

「あなたが?」

「はい。……といっても、わたしにも学があるわけではありませんが。幸い簡単な読み書きなら教えることができるので」

 女はたえと名のった。歳は葛葉くずはとおなじ十八である。

 読み書きは母親から与えられた本で学んだらしい。彼女の母親は旅籠屋で働いていたようで、馴染みの客に学のある者があった。おかげでたえの母は、いくらか教養を得ることができた。

 三味線が達者で声も美しく、弾き語りで近所の者を楽しませるような愛嬌もあったようだ。
 弾き語りの芸をこわれて、帝都の花街に出入りしていたこともあるという。

たえさんのお母様はどちらに?」
 
 葛葉くずはがたずねると、たえは寂しそうに笑った。

「ある冬に、はやり病であっさりと他界しました」

「それからは一人で?」

「はい」

 たえの三味線は母の形見であり、子どもたちに歌を聞かせているのも、そんな母親の影響なのだろう。

 葛葉くずはは自分の境遇と重ねる。祖母と二人で、火災後に孤児になったが、異能のおかげで侯爵家に世話になり学校にも通えた。もし異能をもたなければ、葛葉くずはは身売りをして生きるしかなかっただろう。

 とてつもなく恵まれていたのだと、あらためて実感する。

 さいわいたえは読み書きや計算ができたので、商家に働き口を紹介してくれる者があった。

 町屋で雇われて労働するものには、読み書きができない者も多い。たえはそんな者たちにこわれて、暇があるときは、この空き家で子どもたちに読み書きを教えているようだった。

(同じ歳なのに、なんて立派な人だろう)

 葛葉くずはたちに身の上話をする間にも、彼女は子どもたちから目をはなさない。慈しむように優しく相手をしている。

(わたしも早く一人前になりたい)

 たえを見ながら、葛葉くずははつよくそう思った。己の力で身を立てて生きている彼女を眩しくかんじる。羨ましいと言ってもいい。

 ひとりでメラメラとやる気を高める葛葉くずはのとなりで、可畏かいたえに伝える。

「何か不審なことがあれば、特務隊にお知らせください。この辺りの巡回も強化しますので」

「ありがとうございます」

 会釈するたえに敬礼して、葛葉くずは可畏かいと長屋を後にする。
 賑やかな子どもたちの声が、裏通りをもどる二人の背中を追いかけてきた。
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