羅刹の花嫁 〜帝都、鬼神討伐異聞〜

長月京子

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第十三章:平屋の小芥子(こけし)

65:和歌と小芥子(こけし)

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 和歌わかと屋敷の土間まで戻ったとき、葛葉くずははハッと炊事場にあった小芥子こけしのことを思い出した。可畏かいから譲ってもらった香水に気を取られて、彼を見送るときは意識から放り出されていたのだ。

小芥子こけしがあってもなくても怖いかも……)

 飾っていない物があるのもおかしいが、見たはずの物がないのも怖い。炊事場の台の上を確かめるか懊悩していると、和歌わかが聞いてきた。

葛葉くずはさんは、どの辺りで小芥子こけしを見つけたんですか?」

「あの、そちらの釜戸の奥の台で……」

 言いながら、葛葉くずははおそるおそる視線を向ける。

(暗くてよく見えない)

 戻ってきたときは夕日が差していたが、今はすっかり夜の闇の中に沈んでいる。和歌わかが炊事場を照らす電燈をつけた。炊事場に設けられているのは裸電球だったが、辺りを照らすのには十分だった。暗がりでしかなかった場所が光の中に戻ってくる。

 葛葉くずは小芥子こけしを見た奥の台へ視線を移す。

(何もない)

 予想していても目の当たりにすると、ぞっと背筋に冷たいものが走る。
 辺りにそれらしき物を探してみても、小芥子こけしの影も形もない。
 葛葉くずはが固まっていると、和歌わかが「大丈夫です」と笑う。

可畏かい様の前ではお伝えできませんでしたが、実はその小芥子こけしに心当たりがあります」

「え!?」

 葛葉くずははすぐに辺りを探っていた視線を傍らの和歌わかへ戻す。

「じゃあ、やっぱり炊事場ここ小芥子こけしを飾っていたんですか?」

「あ、いえ。炊事場には置いておりません」

 まったく救いにならない返答だったが、葛葉くずはは挫けずに聞く。

「では、このお屋敷には動く小芥子こけしが?」

 和歌わか葛葉くずはを土間から板の間へ上がるように促し、脱いだ履き物を揃えながら答えてくれる。

葛葉くずはさんの見たものと同じなのかはわかりませんが。お二人がここを出た後に届けられた小芥子こけしがございます。帝からの言いつけで届けられたものだったので、何か意味があるのだろうとは思っておりました」

「帝からの言いつけで小芥子こけしを?」

「使者の式鬼が参りました。客間までその小芥子こけしをお持ちしますので、ゆっくりなさっていてください」

「はい。ありがとうございます」

 屋敷の中は電燈で明るく保たれている。暗がりにひそむ怪異に怯えるような印象はないが、可畏かいの気配がないと広く感じた。縁側はすでに雨戸で閉ざされ外は見えない。闇に沈む庭先が遮断されているのは、今の葛葉くずはにとっては幸いだった。

 囲炉裏のある居間から客間へ入り、葛葉くずはは食事をしていた背の低い卓を見て「ひっ!」とその場で腰を抜かす。

 夕餉の食器は和歌わかが下げていたが、卓の上にはまだ食事の名残で三人分の湯呑みが並んでいた。

 その湯呑みとともに、さっきまではなかった小芥子こけしがあった。
 小芥子こけしは運良く横を向いていて、葛葉くずはと目が合うようなことはない。

 艶々と磨き抜かれた木彫りには細い目と小さな口が描かれ、曲線に引かれた眉毛には愛嬌がある。
 赤い髪飾りで結われた黒髪は繊細な筆致で、衣装を着ているように胴体にも複雑な模様が施されていた。

 畳の上で腰を抜かしたまま、葛葉くずは小芥子こけしから目を逸らすことができない。
 仔細に眺めていると、ずずずっと小芥子こけし葛葉くずはに向き直るように動く。

 ぎゃーっと悲鳴をあげそうになって、葛葉くずはは特務部の一員であるという誇りを思い出す。

(しっかりしろ!)

 ふうっと大きく吐息をつく。

(害のない怪異に驚いている場合じゃない!)

 意地になって、なんとか叫ぶのをこらえ気を持ち直した。小芥子こけしを手に取るため卓へ近づくと、背後から「葛葉くずはさん」と和歌わかの呼ぶ声がする。

「申し訳ありません。今、奥の書院の部屋を確かめていたのですが、小芥子こけしがなくなって……」

 客間へやって来て、和歌わかも一眼で状況を察したようだった。

「あら? もうこちらにあったのですか」

 さして驚いた様子もなく、むしろ声には見つかって良かったという安堵が漏れている。
 葛葉くずは小芥子こけしへ伸ばしていた手を引っ込めて、食事をしていた時と同じように席へついて和歌わかを見た。

「これが届けられた小芥子こけしなんですか?」

 和歌わか葛葉くずはの向かい側に座ると、しげしげと卓上の小芥子こけしを眺めてからうなずく。

「帝の使者に届けられたものと同じです」

「天子様から届けられたとなると、何かいわくがあるのでしょうか? 付喪神がついているとか?」

 可畏かい葛葉くずはが怪異のもたらすしるしに反応しやすいと言っていた。小芥子こけしが自分の周りに現れるのも、そういうことだろうか。たえ柄鏡えかがみのことを思い出しながら、葛葉くずははふとあることが引っかかった。

和歌わかさんはどうして帝の使者が小芥子こけしを届けたことを、御門みかど様に話さなかったのですか?」

「それは帝の――陛下のご意向だからです」

「天子様が、御門みかど様には秘密にするようにと?」

「はい」

 余計に意図がわからなくなってしまう。それ以上聞いてもいいのか迷ったが、素直に好奇心に任せた。

「どうしてですか?」

「お話しても良いのですが……」

 和歌わか葛葉くずはから小芥子こけしに視線をうつした。

「話すと長くなりますので」

 ふたたび真っ直ぐ葛葉くずはを見つめて、彼女は柔らかく微笑む。

「このお話は明日にしましょう。今夜はゆっくりお休みになるようにと可畏かい様も仰っておられました」

 気になりすぎるが、たしかに和歌わかのいう通り今夜は休んだ方がいい。可畏かいがこの屋敷を訪れるのは明後日であり、明日はまるごと時間が空いているのだ。和歌わかから話を聞く時間はたくさんある。

 そう自分を宥めるが、神出鬼没な小芥子こけしへの恐れが拭えない。一晩耐え切れるだろうかと不安に苛まれていると、葛葉くずはの気持ちを察したのか、和歌わかが「ひとつだけはお伝えしておきましょう」と付け加えた。

葛葉くずはさん。この小芥子こけしは悪いものではありません」

「はい。それは何となく理解していますが……」

「こちらは可畏かい様のお母様が大切にしていたものです。だから安心してください」

御門みかど様の?」

「はい。お守りのようなものだと考えてくだされば。とりあえず今夜はもうゆっくりお休みになってください。すぐ用意いたしますので」

 和歌わかがそっと小芥子こけしを手に取った。卓上に残されていた三客の湯呑みと一緒に、傍らに用意されていた盆へ乗せる。

小芥子こけしは奥の書院の間にある床の間へ戻しておきますので」

「あ、はい」

 てきぱきと和歌わかが休む支度を整えてくれる。葛葉くずはも休む準備を始めながら、小芥子こけしと湯呑みを携えて客間を出ていく和歌わかの後ろ姿を見ていた。

御門みかど様のお母様の小芥子こけし

 出どころが明らかになっただけで、恐れが少し和らいでいた。可畏かいに関わる物なら自分を脅かすようなものではないはずだ。お守りのようなものだと例えた和歌わかの言葉は正しいだろう。

(でも、どうしてここに?)

 答えは明日までお預けである。和歌わかはここに小芥子こけしを届けた帝の意向を正しく汲み取っているようだ。

和歌わかさんは何者なんだろう)

 明日になれば、きっとこの疑問も晴れる。葛葉くずはは隊服の胸にしまっていた香水を取り出した。鼻先に寄せると爽やかな香りが触れる。馴染んだ芳香をかいで、ふうっと深呼吸した。

(きっと今夜はよく眠れる)

 自分に暗示をかけながら、葛葉くずは可畏かいに命じられたとおり休むことへ専念した。
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