羅刹の花嫁 〜帝都、鬼神討伐異聞〜

長月京子

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第十三章:平屋の小芥子(こけし)

64:香水の意味

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 土産の銅鑼どら焼きを平らげ、続いて出てきた和歌わかが腕によりをかけた夕餉ゆうげも食べ終わった。すっかり日も暮れたが、屋敷の中は電燈が灯っていて明るい。可畏かいと出会った時は想像もしなかったが、葛葉くずはは彼との食事の時間が終わることが名残惜しい。

和歌わか、ごちそうさま。私はそろそろ御暇おいとましよう」

 使用人だと紹介されたが、和歌わかに対する可畏かいの態度は丁寧だった。彼女が良家の生まれであることは、その立ち居振る舞いからも伝わってくる。

(もしかして、和歌わかさんも御門みかど家の方なのかな)

 葛葉くずはとは親子ほどの年の差がありそうだが、可畏かいや自分をたてる印象が良妻賢母にも通じる気がした。

「では、庭先までお送りいたしましょう」

 和歌わかの声に頷いて可畏かいが立ち上がると、ふわりといつもの良い香りが漂う。ほのかに触れる香りは、いつでも葛葉くずはの気持ちに寄り添ってくれた。後ろ髪引かれる気持ちを切り替えて、葛葉くずはも立ち上がる。

「わたしもそこまでご一緒します」

 明るく振る舞いながら、ふと思い立って葛葉くずはは彼に聞いてみる。

「あの、御門みかど様」

「なんだ」

 客間を出て、居間から土間へと向かう廊下で、彼が立ち止まって葛葉くずはを振り返った。

「いつも御門みかど様から良い香りがするのですが、それは香水でしょうか?」

 彼のまとう香りが香水であるなら、いつか葛葉くずはも手に入れることができるかもしれない。贅沢品へのためらいはあるが、すでに自分を勇気づけてくれる香りになりつつあった。手元にあれば独りで落ち込んだ時に、この香りに慰めてもらえる。

「もし差し支えなければ、どのような香水なのか教えていただきたいと思いまして」

 可畏かいは意外なことを聞かれたという顔をしたが、すぐに温かみのある笑みに変わる。

「良い香りか。それなら良かった……」

「香水ではないのですか?」

「いや、香水だが。まさかそんなふうに感じていたとは思わなかった」

 この香りを嫌悪する人もいるのだろうか。匂いに好き嫌いがあるという話は聞いたことがあるが、葛葉くずはにはよくわからない。

「私の匂いに嫌悪感がないのなら良かった」

「はい。とても良い香りです」

「ではこの香水が優秀なんだろう」

 可畏かいが隊服の懐から小さな瓶を取りだした。きれいな形をしていて異国のものであることが一目でわかる。葛葉くずはは忘れないように脳裏に刻みつけようと、食い入るように見つめた。

「気に入ったのなら、おまえにやろう」

「そ、そんな高価なものいただけません! 頑張って働いていつか自分で買います!」

「大げさだな。使ってあるもので悪いが、今度会う時には新しいものを持ってくる」

「ですから、そんな高価なものはいただけません!」

 遠慮する葛葉くずはの腕をとって、可畏かいが小瓶を掌に置いた。

「おまえが死臭を感じていないのなら、それに越したことはない。だが、いずれ気づく。気休めにしかならないだろうが持っておけ」

「死臭というのは?」

 葛葉くずはの問いには答えず、可畏かいは自嘲的に笑った。

「香水をまとうのは、私にとって洒落た意味はない。人を不快にしない最低限の身だしなみだ」

 葛葉くずはの手に香水を握らせて、可畏かいは再び土間へ出るために廊下を進む。葛葉くずはに背を向けた彼から、呟くような声が聞こえた。

葛葉くずは。私はごうが深い人間だ。覚えておくといい」

 どういうことか聞き返そうと思ったとき、葛葉くずはは傍らの和歌わかと視線が合った。彼女はそれ以上聞かない方がいいと横に首を振った。柔和な目に宿った暗い翳りを感じて言葉をのみこむと、和歌わかは話を変えるように明るい声をだした。

「さぁ、お見送りいたしましょう」

 葛葉くずはは香水瓶を握りしめて、前を歩いていく可畏かいに慌てて声をかけた。

「あ、あの、御門みかど様。ありがとうございます」

 手の中にある瓶からも、爽やかな匂いがほのかに香っている。死臭や悪臭とは程遠い心地よい香り。そして葛葉くずはにとっては、自分の心を安定させてくれる可畏かいの香りそのものだった。
 すでに土間から屋外へ出ていた可畏かいが、小道を追いかけてきた葛葉くずはを振り返った。

「見送りはここまででいい」

「いえ、庭先までは……」

「おまえは疲れているはずだ。今夜はもうゆっくり休め」

「――はい」

 これ以上見送りについて食い下がるのも不自然だと思い、葛葉くずはが渋々うなずく。可畏かいがふっと吐息のような笑みを漏らした。

「心配せずともすぐに働いてもらうことになる。おまえの異能は特別だからな。おそらく休む暇もなくなるぞ」

「お役に立てるなら喜んで!」

 前のめりに意気込むと、可畏かいが呆れたように葛葉くずはの額を指で弾いた。

「喜ぶな」

「でも、わたしは一人前になることが目標ですので!」

 さらに前のめりになると、傍らで様子を見ていた和歌わかが笑った。可畏かいが彼女へ視線を移す。

和歌わか、あとは頼む」

「はい。お任せください」

 和歌わかに頷いて見せて、可畏かいがふたたび葛葉くずはを見た。

葛葉くずは、私は明後日にまた来る。今後の方針もその時に伝える」

「はい」

「明日は休め。それが今のおまえの任務だ」

「はい!」

 任務という言葉を聞くとはりきってしまう。葛葉くずはがおもわず敬礼すると、可畏かい和歌わかが同時に笑った。

 月明かりが夜道を照らしている。彼の背を見送る葛葉くずはの耳に、忙しなく鳴く虫の声が聞こえた。
 秋の夜。
 りーりーと涼やかな声が響いている。少し肌寒い空気が新鮮で、葛葉くずはは大きく深呼吸をした。

 この数日の体験は、まちがいなく自身のかてとなっている。
 閉じ込めていた記憶が暴かれ、異能が明らかになった。
 
(――羅刹らせつの花嫁)

 わだかまりを拭う、白い炎。

(わたしにもできることがある)

 柄鏡に宿った付喪神の願いを叶えることができた。
 思い出すと切なくなる顛末だったが、空へと舞い上がっていった光は美しかった。
 
(特務部の一員として、これからも御門みかど様のお役に立てる)

 その幸運を葛葉くずはは改めて噛みしめていた。
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