魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子

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第四章:虚実に揺れる心

18:縛り付ける言葉

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「はい。とても。きっと誰が見ても、一目で親子であることがわかります」

 ルシアは無言だったが、彼女の内に走った衝撃が伝染する。ディオンは思わず右眼を隠す装飾を抑えた。何かが決定的にルシアの心に添わなかったのだろうか。

 邪悪ガルドルがルシアの動揺を伝えるように蠢く。不思議なことに痛みを齎すことはなく、憎悪や恐れを向けられた時のような極度の苛立ちに囚われることもない。

 一瞬警戒したが、ディオンはすぐに肩の力を抜いた。不思議な心の揺れ方だった。

「僕の顔に何かついていますか?」

 ルシアにじっと見つめられて、さすがのアルヴィも戸惑っている。あたふたと口の周りを拭って、困惑したまま交互にディオンとクルドを見た。

「ルシア、何か気になる事でもあったのか?」

 言葉を失ってしまったかのように、彼女はアルヴィを凝視している。

「ルシア?」

 ディオンの声で彼女はようやく身じろいだ。心なしか顔から血の気が引いて見える。

「――今日は、ここまでにしよう」

 考えてみれば、自分が中庭を訪れてからの成り行きは惨状に等しい。彼女にはこれ以上はない失態を犯した。ルシアの立場なら、今も極度の緊張に包まれていると考える方が自然だった。

 ディオンは潮時であると考える。ルシアが憎悪に蓋をするのなら、ずっと傍に寄り添っていたいが、やはり許されない。一見穏やかな会食も、彼女の覚悟の上に成り立っているだけなのだ。

「ルシア、塔へ戻って休むがいい。クルド、彼女を頼んだ」

「はい。ディオン様は?」

「私は最果てユグドラシルへ戻る。……アルヴィはどうする?」

 不安げな顔してルシアを見つめているが、アルヴィは少し迷ってから答えた。

「僕はもう少しこちらにいたいです。ダメですか?」

「いや、かまわない。クルドと会うのも久しぶりだろう。ゆっくりすれば良い」

「ありがとうございます!」

 屈託のない笑顔でアルヴィが笑う。ディオンは手にしていた杯を置いて、立ち上がる。ヨルムンドを呼ぶべきか、自身の翼を広げるべきか逡巡していると、再びルシアに腕を掴まれた。

「ディオン様」

 驚いて彼女を見ると、拠り所を失って縋るひな鳥のような眼をしている。あまりの変化にディオンは眼を眇める。

「おまえらしくない顔だな」

 何かが彼女の危機感を煽ったように、表情が変わっている。

「もし――」

 不安そうに顔を曇らせたまま言い淀んでいたが、ルシアは戸惑いを振り切るように続けた。

「もし、あなたが本当に天界トロイの神であったのなら……」

 ディオンは懸命にルシアの辿ろうとしている筋道を模索するが、彼女が何を求めているのかが見えてこない。

地底ガルズに堕天される前は、どのようなお姿をされていたのでしょうか」

 ディオンはまっすぐにルシアの美しい碧眼を見たが、やはり真意は読み解けない。

「そんなことを聞いてどうする?」

「――いえ、別に大した理由はありませんが……」

「では、答える必要もない」

 答えなくても誰もが知る事実だった。金髪碧眼の有翼種。天界トロイは輝くような容姿で美しい者が多いのが特徴だった。ルシアはそれ以上何も言わず、そっとディオンの腕から手を離した。

「おまえが何を思おうと自由だが、魔王の丘オーズからは出るな」

「もし出たら、どうなるのでしょうか」

「同じことを言わせるな。世界が破滅すると言ったはずだ」

「まさか」

「では、魔王の丘オーズを出て天界トロイに縋れば良い。ヴァンスは創世の女神を欲しがっている。おまえは誰よりも歓迎されるだろう」

 わざと焚きつけるように吐き捨てる。ルシアの内にある、天界トロイを欲する心は殺しておきたかった。彼女の心を縛り付けるために言葉を選ぶ。更に心が遠ざるとしても、些末な事だった。

「蛇に刷り込まれたまま天界トロイを乞うなら、それもおまえに与えられた新たな道かもしれないな」

「私の道――」

「そうだ。もしおまえが全てを白紙に戻し、天界トロイでヴァンスと寄り添うことを選ぶなら止めはしない。だが、そうなれば私はおまえを見逃せない。私には最果てユグドラシルで遂げるべき目的がある。邪魔をするなら容赦はできない」

 ルシアは何も言わず、じっとディオンの眼を見つめている。全てを見通すかのような澄んだ碧眼。こんな偽りや脅しに意味があるのだろうか。ディオンは自身に巣食う邪悪ガルドルがうごめくのを感じる。

 全てを招いた罪。
 どうしても手放せない。諦めることはできなかった。
 心に想いを閉じ込めたまま、先に視線を逸らしたのはディオンだった。

「私はおまえに手荒な真似はしたくない」

「――わかりました」

 変わらない美しい声が答える。どういう意図を含む返事であるのか分からないまま、ディオンは踵を返した。
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