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第四章:虚実に揺れる心
17:トールによく似た少年
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石柱が支える回廊のような通路に囲まれた中庭。魔王の丘の建造物は、石を削り出して作られた装飾が柱や壁に施されている。曇天のせいで溌溂さが損なわれているが、形作られた造形は美しい。古き者の栄光の残滓とも言えた。
敷布の広げられた場所に、ふわりと花が舞い落ちるようにルシアが座る。はじめに在った場所だった。ディオンは再びアルヴィが用意した杯を手にして、目の前の美しい女神を見た。
「傷が癒えて何よりだ。良かった」
「これは、ディオン様のお力のせいでしょうか」
「まさか。それはおまえの力だ」
ルシアには納得できないのか、ひどく戸惑っているのがわかる。女神の力は、刷り込まれたノルンの話には沿わないのだ。俄かに受け入れられないのは仕方がない。
それでも、少しずつ思い込みを崩していく布石にはなるだろう。
「ディオン様」
塔へ逃げかえる気配も見せず、ルシアはディオンを見つめている。見覚えのある、意志の強そうな美しい眼差しだった。
「どうしても私を最果てへはお連れいただけませんか。ディオン様のお傍に付き従っていても、危険を伴うのでしょうか」
最果ては人界の再興にとって礎の地となる。ルシアが固執するのも無理はない。
「おまえが信じられないことを責めはしないが、クルドの話は理解しているのか」
ルシアがクルドを振り返る。クルドは何も言わず、苦笑してみせるだけだった。
「理解しているのなら、わかるだろう」
「聞いてはおりますが……」
その先を語ることをためらうようにルシアが俯く。しばらく沈黙が満ちたが、彼女は続けた。
「正直に申し上げますが、私は信じておりません」
「知っている。それを責めないと私は言ったはずだ。おまえにとって、私達の語ることが作り話にしか聞こえないとしても、成り行きを聞いているのなら、最果てについての質問が愚問だと判る筈だ」
「――はい、仰る通りです。では質問を変えましょう。ディオン様は、本当に天界に叶わないの
でしょうか。私には力をお持ちのように見えますが」
「力?」
ルシアが回復した頬に手を当てている。どうやら女神の力ではなく、ディオンが治したと思っているようだ。
「期待を裏切るようで悪いが、私は大した力を持たない」
譲らなければ良かったが、悔いても遅い。天界の秩序を忘れたルシアには、魔王というだけで偉大に見えてしまうのだろうか。有り余る力に溺れていた日々もあるが、ディオンは決定的に選択を間違えたのだ。
「残念ながら私にはヴァンスを破ることはできない。天界の王がおまえを望めば成す術がない。おまえを失えば今度こそ世界は破滅する。レイアが人界に降嫁してから、おまえがアウズンブラの――創生の女神となった。だからこそ、絶対にヴァンスに奪われる訳にはいかない」
「創生の女神……」
「そうだ。だから、おまえに変われる者はいない。世界にとっても、私にとっても」
「……あなたに、とっても?」
ルシアの美しい碧眼に影が揺れた。聞きなれない言葉を聞いたかのように瞬きをしている。ディオンはつまらない事を言ったのだと苦笑する。
「別に深い意味はない」
彼女の心を望んでも仕方がない。今のルシアでは、苛烈な憎しみを抑え込むことに成功しても、それが愛に変化することはない。輝いていた昔日は、光を失っている。
「ルシア様とディオン様はとても仲睦まじかったですよ! 父様と母様に負けない位に!」
「アルヴィ」
これ以上はルシアには負担になるだけの話題だった。遮ろうとするが、彼は笑いながらクルドを見た。
「ね、クルド。クルドの方が良く知っているよね」
「そうね」
クルドは寂しげに微笑みを返す。決して戻らない日々を思い出したのだろう。ルシアは居心地が悪そうに手元のパンを裂いていたが、ふと何かに気付いたようにクルドを見た。
「トール陛下は、どのような方でしたか?」
ルシアの問いにクルドが驚いたように表情を動かした。
「なぜ、そんなこと聞くのですか」
「私には最期の声と、その時に感じた絶望、焼け付くような想い。それだけしか陛下との想い出がありません。だから知りたいと思ったのですが……」
いけませんか?と言いたげにルシアがディオンを見た。何気ない会話の一端なのだろう。悪意を含む印象はなかった。
「知りたいのなら、好きにすればよい」
クルドも同じようにこちらを見ている。ディオンは浅く笑みを返す。
「クルド、話してやればいい」
「ーーはい」
頷いたもののクルドは何から語るべきなのか迷っているようだった。ルシアが会話を促すように聞く。
「お優しい方でしたか?」
「はい。厳しい面もありましたがーー」
「ノルンが、陛下は美しい方だと言っていました」
「……そうですね。娘の私が言うのもおかしいですが、天界の神々にも引けをとらない容貌の王だったと思います」
恐れ多い言い方だと思ったのか、クルドが伺うようにディオンを見た。彼の美貌には異論がないので、ディオンはただ頷いて見せる。
トールの魅力は容姿だけではなく、器の大きさや理想へと向かう情熱にもあるが、今は自分が語るべき事でもない。
ディオンが杯に口をつけると、クルドは傍らで果実の皮を剥いている弟を見て、ふっと笑顔になる。ディオンにもクルドの心の内がわかった。トールに良く似た少年が、すぐ傍にある。
「アルヴィが、とても父様に似ています。目の色や形、唇の感じも。あとは髪の色や癖がそのまま写し取ったみたいにーー」
「え?」
ルシアが意外なことを聞いたと言いたげに、アルヴィを見つめた。
「陛下に似ている? 彼が?」
敷布の広げられた場所に、ふわりと花が舞い落ちるようにルシアが座る。はじめに在った場所だった。ディオンは再びアルヴィが用意した杯を手にして、目の前の美しい女神を見た。
「傷が癒えて何よりだ。良かった」
「これは、ディオン様のお力のせいでしょうか」
「まさか。それはおまえの力だ」
ルシアには納得できないのか、ひどく戸惑っているのがわかる。女神の力は、刷り込まれたノルンの話には沿わないのだ。俄かに受け入れられないのは仕方がない。
それでも、少しずつ思い込みを崩していく布石にはなるだろう。
「ディオン様」
塔へ逃げかえる気配も見せず、ルシアはディオンを見つめている。見覚えのある、意志の強そうな美しい眼差しだった。
「どうしても私を最果てへはお連れいただけませんか。ディオン様のお傍に付き従っていても、危険を伴うのでしょうか」
最果ては人界の再興にとって礎の地となる。ルシアが固執するのも無理はない。
「おまえが信じられないことを責めはしないが、クルドの話は理解しているのか」
ルシアがクルドを振り返る。クルドは何も言わず、苦笑してみせるだけだった。
「理解しているのなら、わかるだろう」
「聞いてはおりますが……」
その先を語ることをためらうようにルシアが俯く。しばらく沈黙が満ちたが、彼女は続けた。
「正直に申し上げますが、私は信じておりません」
「知っている。それを責めないと私は言ったはずだ。おまえにとって、私達の語ることが作り話にしか聞こえないとしても、成り行きを聞いているのなら、最果てについての質問が愚問だと判る筈だ」
「――はい、仰る通りです。では質問を変えましょう。ディオン様は、本当に天界に叶わないの
でしょうか。私には力をお持ちのように見えますが」
「力?」
ルシアが回復した頬に手を当てている。どうやら女神の力ではなく、ディオンが治したと思っているようだ。
「期待を裏切るようで悪いが、私は大した力を持たない」
譲らなければ良かったが、悔いても遅い。天界の秩序を忘れたルシアには、魔王というだけで偉大に見えてしまうのだろうか。有り余る力に溺れていた日々もあるが、ディオンは決定的に選択を間違えたのだ。
「残念ながら私にはヴァンスを破ることはできない。天界の王がおまえを望めば成す術がない。おまえを失えば今度こそ世界は破滅する。レイアが人界に降嫁してから、おまえがアウズンブラの――創生の女神となった。だからこそ、絶対にヴァンスに奪われる訳にはいかない」
「創生の女神……」
「そうだ。だから、おまえに変われる者はいない。世界にとっても、私にとっても」
「……あなたに、とっても?」
ルシアの美しい碧眼に影が揺れた。聞きなれない言葉を聞いたかのように瞬きをしている。ディオンはつまらない事を言ったのだと苦笑する。
「別に深い意味はない」
彼女の心を望んでも仕方がない。今のルシアでは、苛烈な憎しみを抑え込むことに成功しても、それが愛に変化することはない。輝いていた昔日は、光を失っている。
「ルシア様とディオン様はとても仲睦まじかったですよ! 父様と母様に負けない位に!」
「アルヴィ」
これ以上はルシアには負担になるだけの話題だった。遮ろうとするが、彼は笑いながらクルドを見た。
「ね、クルド。クルドの方が良く知っているよね」
「そうね」
クルドは寂しげに微笑みを返す。決して戻らない日々を思い出したのだろう。ルシアは居心地が悪そうに手元のパンを裂いていたが、ふと何かに気付いたようにクルドを見た。
「トール陛下は、どのような方でしたか?」
ルシアの問いにクルドが驚いたように表情を動かした。
「なぜ、そんなこと聞くのですか」
「私には最期の声と、その時に感じた絶望、焼け付くような想い。それだけしか陛下との想い出がありません。だから知りたいと思ったのですが……」
いけませんか?と言いたげにルシアがディオンを見た。何気ない会話の一端なのだろう。悪意を含む印象はなかった。
「知りたいのなら、好きにすればよい」
クルドも同じようにこちらを見ている。ディオンは浅く笑みを返す。
「クルド、話してやればいい」
「ーーはい」
頷いたもののクルドは何から語るべきなのか迷っているようだった。ルシアが会話を促すように聞く。
「お優しい方でしたか?」
「はい。厳しい面もありましたがーー」
「ノルンが、陛下は美しい方だと言っていました」
「……そうですね。娘の私が言うのもおかしいですが、天界の神々にも引けをとらない容貌の王だったと思います」
恐れ多い言い方だと思ったのか、クルドが伺うようにディオンを見た。彼の美貌には異論がないので、ディオンはただ頷いて見せる。
トールの魅力は容姿だけではなく、器の大きさや理想へと向かう情熱にもあるが、今は自分が語るべき事でもない。
ディオンが杯に口をつけると、クルドは傍らで果実の皮を剥いている弟を見て、ふっと笑顔になる。ディオンにもクルドの心の内がわかった。トールに良く似た少年が、すぐ傍にある。
「アルヴィが、とても父様に似ています。目の色や形、唇の感じも。あとは髪の色や癖がそのまま写し取ったみたいにーー」
「え?」
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