シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
77 / 233
第三話 失われた真実

第四章:1 彼方(かなた)と同郷の留学生

しおりを挟む
 視界に映るのは、狭い室内の模様。彼方かなた=グリーンゲートは既に見慣れた天井を眺めて、大きく溜息をつく。はじめは窮屈で閉じ込められているような気がしたが、異界の居室も馴染んでしまえば快適だった。 

 寝台の上に横になったまま、彼方は所在無く天井を見つめた。 
 兄の碧宇へきうによって負わされた傷は、順調に回復に向かっている。それでも兄の剣が発揮する力は甘くない。彼方は太刀傷のせいで少しばかり発熱した。臥せるほどの高熱ではないが、一晩微熱が引かなかったのだ。 

(――さすがに、気が滅入る) 

 翌朝には熱も引き、傷の痛みも嘘のように消えていた。礼神らいじんの恩恵があれば当然の治癒力だが、彼方の心は傷の回復とは裏腹に沈んでいた。 
 兄に受けた太刀傷ではなく、胸に刻まれた事実が熱をはらんでいる。 

 一夜で登校できるだけの体力を取り戻していたが、彼方は学院へ向かう気にはなれない。兄の碧宇へきうと再会するのが怖いのだ。彼方かなたには何が起きているのか全く判らない。碧宇は問うことも許さないという剣幕で、容赦なく弟に翠嵐剣すいらんのつるぎを振り下ろした。 

 彼方はごろりと寝返りを打つ。成り行きを思い描くだけで衝撃と不安が募る。彼は胸に淀む影をやりすごすように固く目を閉じた。 

(天界で、何があったんだろう) 

 彼方かなたは戻ることも考えたが、すぐに思い直した。もし自分にあらぬ嫌疑がかかっているのならば、帰国するのは危険だと思えたのだ。 

 いずれ黄帝の仇となる者。 

 闇呪あんじゅではなく、兄の碧宇は彼方にそう語った。彼方には、どうしてそんな発想が生まれたのかが判らない。解決策のないまま悶々と自身の立場を模索していると、翡翠宮に置いてきたゆきの安否が気になった。 
 大丈夫だと言い聞かせながらも、憂慮がどんどん彼方の中で重みを増していく。 

「駄目」 

 彼方は一言呟いてから、がばりと寝台から起き上がった。 

「気になってどうしようもない。やっぱり一度戻ろう」 

 人の目を盗んで宮城に出入りすることには慣れている。濡れ衣を着せられて追われる身になっていても、雪の安否を確かめることくらいは出来る筈だ。
 彼方は寝台から勢い良く降り立って、一目散にクローゼットへ向かう。中から東吾とうごが丁寧に仕舞っておいてくれた碧国へきこくの衣装を取り出し、無造作に鞄に突っ込んだ。 

 何の迷いもなくマンションの一室を飛び出すと、彼方は辺りを見回す。続けて身を乗り出すようにして地面を見下ろし、人影のないことを確かめた。いちいち細い階段や、窮屈なエレベーターを利用するのが面倒だった。自身の部屋がある三階の高さなら、飛び降りて怪我をすることもない。 
 ひらりと塀の上に飛び乗ると、背後でわざとらしく咳払いする者があった。 

「そのような処から、どちらへおいでになるのでしょうか」 

 現れた東吾とうごは爽やかな笑顔のまま、皮肉のこもった台詞を吐く。彼方は慌てて飛び乗った処から元の位置まで戻った。 

「私の教えたことを、もうお忘れになったのでしょうか」 
「いや、その、少しだけ近道をしようかと……」 

彼方かなた様、この国にはこの国のおきてがあるのです。普通の者なら怪我をします」 
「うん、ごめんって。東吾が教えてくれたことは、ちゃんと覚えているよ。それより、どうしたの? 僕はこれから出ようかと思っているんだけど」 

 笑ってごまかす彼方に、東吾は深く溜息をついた。気持ちを立て直したのか、改めて用向きを語る。 

「今日は、あなたを訪ねて来られた方をお連れ致しました」 
「え? 僕を……?」 

 彼方には自身を尋ねてくるような知人は思い当たらない。こちらの世界では、当たり障りのない人間関係を築くことに徹しているのだ。一瞬だけ、天宮あまみやの末裔である朱里あかりではないかと考えたが、すぐに打ち消された。 

「あなたもご存知の方かもしれません。この度、同じ小国から天宮の大学部に留学を果たされました」 

 そう言われても彼方には覚えがない。自分が小国出身というのは、与えられた素性なのだ。いぶかしげに、東吾に促されて物陰から現れた人影へ目を向けた。 

「――っ」 

 思わず声をあげそうになる。彼方は唖然として目を見開いてしまう。足音もなく歩み寄ってくるのは、背の高い男だった。ばっさりと切られた銀髪に戸惑ったが、灰褐色の瞳にも、品のある穏やかな笑い方にも見覚えがある。見事に異界である筈のこちらの世界に馴染んだ格好で、彼は彼方の前に現れた。

「は、白虹はっこう皇子みこ……っ」 

 信じられないものを見たように、彼方は声を詰まらせてしまう。彼は微笑んだまま、さらりと名乗る。 

白川しらかわそうと申します。こちらでは母方の姓を名乗っていますが、私はグリーンゲートと親しいホワイトレーの出身です。国を出たのはこれが初めてなので、文化の違いに戸惑っていますが、これからは同郷のよしみで、よろしくおねがいします」 

 彼が優雅に会釈すると、短くなった銀髪がさらりと白い頬に落ちかかった。彼方は状況が把握出来ずに、ぽかんと口を開けたまま身動きできない。 
 奏と名乗った来訪者は、彼方の様子にくすりと小さく笑う。そのまま背後の東吾を振り返った。 

「東吾、自己紹介はこれでよろしいのですか」 

 何かを面白がっているそうの様子に、東吾は困ったように苦笑した。 

「ここでは本来の素性を明かすべきでしょうね。翡翠ひすい王子おうじが混乱しています」 

 奏と名乗った男は笑いながら、再び彼方を振り返った。 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

処理中です...