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第三話 失われた真実
第四章:1 彼方(かなた)と同郷の留学生
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視界に映るのは、狭い室内の模様。彼方=グリーンゲートは既に見慣れた天井を眺めて、大きく溜息をつく。はじめは窮屈で閉じ込められているような気がしたが、異界の居室も馴染んでしまえば快適だった。
寝台の上に横になったまま、彼方は所在無く天井を見つめた。
兄の碧宇によって負わされた傷は、順調に回復に向かっている。それでも兄の剣が発揮する力は甘くない。彼方は太刀傷のせいで少しばかり発熱した。臥せるほどの高熱ではないが、一晩微熱が引かなかったのだ。
(――さすがに、気が滅入る)
翌朝には熱も引き、傷の痛みも嘘のように消えていた。礼神の恩恵があれば当然の治癒力だが、彼方の心は傷の回復とは裏腹に沈んでいた。
兄に受けた太刀傷ではなく、胸に刻まれた事実が熱を孕んでいる。
一夜で登校できるだけの体力を取り戻していたが、彼方は学院へ向かう気にはなれない。兄の碧宇と再会するのが怖いのだ。彼方には何が起きているのか全く判らない。碧宇は問うことも許さないという剣幕で、容赦なく弟に翠嵐剣を振り下ろした。
彼方はごろりと寝返りを打つ。成り行きを思い描くだけで衝撃と不安が募る。彼は胸に淀む影をやりすごすように固く目を閉じた。
(天界で、何があったんだろう)
彼方は戻ることも考えたが、すぐに思い直した。もし自分にあらぬ嫌疑がかかっているのならば、帰国するのは危険だと思えたのだ。
いずれ黄帝の仇となる者。
闇呪ではなく、兄の碧宇は彼方にそう語った。彼方には、どうしてそんな発想が生まれたのかが判らない。解決策のないまま悶々と自身の立場を模索していると、翡翠宮に置いてきた雪の安否が気になった。
大丈夫だと言い聞かせながらも、憂慮がどんどん彼方の中で重みを増していく。
「駄目」
彼方は一言呟いてから、がばりと寝台から起き上がった。
「気になってどうしようもない。やっぱり一度戻ろう」
人の目を盗んで宮城に出入りすることには慣れている。濡れ衣を着せられて追われる身になっていても、雪の安否を確かめることくらいは出来る筈だ。
彼方は寝台から勢い良く降り立って、一目散にクローゼットへ向かう。中から東吾が丁寧に仕舞っておいてくれた碧国の衣装を取り出し、無造作に鞄に突っ込んだ。
何の迷いもなくマンションの一室を飛び出すと、彼方は辺りを見回す。続けて身を乗り出すようにして地面を見下ろし、人影のないことを確かめた。いちいち細い階段や、窮屈なエレベーターを利用するのが面倒だった。自身の部屋がある三階の高さなら、飛び降りて怪我をすることもない。
ひらりと塀の上に飛び乗ると、背後でわざとらしく咳払いする者があった。
「そのような処から、どちらへおいでになるのでしょうか」
現れた東吾は爽やかな笑顔のまま、皮肉のこもった台詞を吐く。彼方は慌てて飛び乗った処から元の位置まで戻った。
「私の教えたことを、もうお忘れになったのでしょうか」
「いや、その、少しだけ近道をしようかと……」
「彼方様、この国にはこの国の掟があるのです。普通の者なら怪我をします」
「うん、ごめんって。東吾が教えてくれたことは、ちゃんと覚えているよ。それより、どうしたの? 僕はこれから出ようかと思っているんだけど」
笑ってごまかす彼方に、東吾は深く溜息をついた。気持ちを立て直したのか、改めて用向きを語る。
「今日は、あなたを訪ねて来られた方をお連れ致しました」
「え? 僕を……?」
彼方には自身を尋ねてくるような知人は思い当たらない。こちらの世界では、当たり障りのない人間関係を築くことに徹しているのだ。一瞬だけ、天宮の末裔である朱里ではないかと考えたが、すぐに打ち消された。
「あなたもご存知の方かもしれません。この度、同じ小国から天宮の大学部に留学を果たされました」
そう言われても彼方には覚えがない。自分が小国出身というのは、与えられた素性なのだ。訝しげに、東吾に促されて物陰から現れた人影へ目を向けた。
「――っ」
思わず声をあげそうになる。彼方は唖然として目を見開いてしまう。足音もなく歩み寄ってくるのは、背の高い男だった。ばっさりと切られた銀髪に戸惑ったが、灰褐色の瞳にも、品のある穏やかな笑い方にも見覚えがある。見事に異界である筈のこちらの世界に馴染んだ格好で、彼は彼方の前に現れた。
「は、白虹の皇子……っ」
信じられないものを見たように、彼方は声を詰まらせてしまう。彼は微笑んだまま、さらりと名乗る。
「白川奏と申します。こちらでは母方の姓を名乗っていますが、私はグリーンゲートと親しいホワイトレーの出身です。国を出たのはこれが初めてなので、文化の違いに戸惑っていますが、これからは同郷のよしみで、よろしくおねがいします」
彼が優雅に会釈すると、短くなった銀髪がさらりと白い頬に落ちかかった。彼方は状況が把握出来ずに、ぽかんと口を開けたまま身動きできない。
奏と名乗った来訪者は、彼方の様子にくすりと小さく笑う。そのまま背後の東吾を振り返った。
「東吾、自己紹介はこれでよろしいのですか」
何かを面白がっている奏の様子に、東吾は困ったように苦笑した。
「ここでは本来の素性を明かすべきでしょうね。翡翠の王子が混乱しています」
奏と名乗った男は笑いながら、再び彼方を振り返った。
寝台の上に横になったまま、彼方は所在無く天井を見つめた。
兄の碧宇によって負わされた傷は、順調に回復に向かっている。それでも兄の剣が発揮する力は甘くない。彼方は太刀傷のせいで少しばかり発熱した。臥せるほどの高熱ではないが、一晩微熱が引かなかったのだ。
(――さすがに、気が滅入る)
翌朝には熱も引き、傷の痛みも嘘のように消えていた。礼神の恩恵があれば当然の治癒力だが、彼方の心は傷の回復とは裏腹に沈んでいた。
兄に受けた太刀傷ではなく、胸に刻まれた事実が熱を孕んでいる。
一夜で登校できるだけの体力を取り戻していたが、彼方は学院へ向かう気にはなれない。兄の碧宇と再会するのが怖いのだ。彼方には何が起きているのか全く判らない。碧宇は問うことも許さないという剣幕で、容赦なく弟に翠嵐剣を振り下ろした。
彼方はごろりと寝返りを打つ。成り行きを思い描くだけで衝撃と不安が募る。彼は胸に淀む影をやりすごすように固く目を閉じた。
(天界で、何があったんだろう)
彼方は戻ることも考えたが、すぐに思い直した。もし自分にあらぬ嫌疑がかかっているのならば、帰国するのは危険だと思えたのだ。
いずれ黄帝の仇となる者。
闇呪ではなく、兄の碧宇は彼方にそう語った。彼方には、どうしてそんな発想が生まれたのかが判らない。解決策のないまま悶々と自身の立場を模索していると、翡翠宮に置いてきた雪の安否が気になった。
大丈夫だと言い聞かせながらも、憂慮がどんどん彼方の中で重みを増していく。
「駄目」
彼方は一言呟いてから、がばりと寝台から起き上がった。
「気になってどうしようもない。やっぱり一度戻ろう」
人の目を盗んで宮城に出入りすることには慣れている。濡れ衣を着せられて追われる身になっていても、雪の安否を確かめることくらいは出来る筈だ。
彼方は寝台から勢い良く降り立って、一目散にクローゼットへ向かう。中から東吾が丁寧に仕舞っておいてくれた碧国の衣装を取り出し、無造作に鞄に突っ込んだ。
何の迷いもなくマンションの一室を飛び出すと、彼方は辺りを見回す。続けて身を乗り出すようにして地面を見下ろし、人影のないことを確かめた。いちいち細い階段や、窮屈なエレベーターを利用するのが面倒だった。自身の部屋がある三階の高さなら、飛び降りて怪我をすることもない。
ひらりと塀の上に飛び乗ると、背後でわざとらしく咳払いする者があった。
「そのような処から、どちらへおいでになるのでしょうか」
現れた東吾は爽やかな笑顔のまま、皮肉のこもった台詞を吐く。彼方は慌てて飛び乗った処から元の位置まで戻った。
「私の教えたことを、もうお忘れになったのでしょうか」
「いや、その、少しだけ近道をしようかと……」
「彼方様、この国にはこの国の掟があるのです。普通の者なら怪我をします」
「うん、ごめんって。東吾が教えてくれたことは、ちゃんと覚えているよ。それより、どうしたの? 僕はこれから出ようかと思っているんだけど」
笑ってごまかす彼方に、東吾は深く溜息をついた。気持ちを立て直したのか、改めて用向きを語る。
「今日は、あなたを訪ねて来られた方をお連れ致しました」
「え? 僕を……?」
彼方には自身を尋ねてくるような知人は思い当たらない。こちらの世界では、当たり障りのない人間関係を築くことに徹しているのだ。一瞬だけ、天宮の末裔である朱里ではないかと考えたが、すぐに打ち消された。
「あなたもご存知の方かもしれません。この度、同じ小国から天宮の大学部に留学を果たされました」
そう言われても彼方には覚えがない。自分が小国出身というのは、与えられた素性なのだ。訝しげに、東吾に促されて物陰から現れた人影へ目を向けた。
「――っ」
思わず声をあげそうになる。彼方は唖然として目を見開いてしまう。足音もなく歩み寄ってくるのは、背の高い男だった。ばっさりと切られた銀髪に戸惑ったが、灰褐色の瞳にも、品のある穏やかな笑い方にも見覚えがある。見事に異界である筈のこちらの世界に馴染んだ格好で、彼は彼方の前に現れた。
「は、白虹の皇子……っ」
信じられないものを見たように、彼方は声を詰まらせてしまう。彼は微笑んだまま、さらりと名乗る。
「白川奏と申します。こちらでは母方の姓を名乗っていますが、私はグリーンゲートと親しいホワイトレーの出身です。国を出たのはこれが初めてなので、文化の違いに戸惑っていますが、これからは同郷のよしみで、よろしくおねがいします」
彼が優雅に会釈すると、短くなった銀髪がさらりと白い頬に落ちかかった。彼方は状況が把握出来ずに、ぽかんと口を開けたまま身動きできない。
奏と名乗った来訪者は、彼方の様子にくすりと小さく笑う。そのまま背後の東吾を振り返った。
「東吾、自己紹介はこれでよろしいのですか」
何かを面白がっている奏の様子に、東吾は困ったように苦笑した。
「ここでは本来の素性を明かすべきでしょうね。翡翠の王子が混乱しています」
奏と名乗った男は笑いながら、再び彼方を振り返った。
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