シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
150 / 233
第四話 闇の在処(ありか)

三章:四 闇の地:黒き躯

しおりを挟む
 天高く立ち昇る鬼柱きばしらの周辺。何もない荒野でしかなかったその場所は、今では見違えるほど木々が密生している。森と呼ぶに相応しい光景だった。好んで鬼柱に近づく者が在るとは思えないが、たやすく人が近づけないようにするという配慮から、闇呪あんじゅが守護に命じた開拓のようなものだった。 

 朔夜さくやの墓標としても、荒野よりは相応しい気がしていた。 
 闇呪は二人を追って、いつのまにか鬼柱の周囲に作られた森に踏み入っていた。こんな処に何の用向きがあるのかと思いながらも、最悪の予感がとめようもなく胸を占めていく。 

 これまで迎えた皇女みこや姫が変わり果てた姿で見つかったのも、この森なのだ。 
 頭上を仰ぐと梢の合間から、夜の暗さにも馴染まない巨大な黒柱が天へと立ち昇っているのが見える。 
 鬼柱が近い。 

「……このような処でなくとも。華艶かえん様は恐ろしくはないのですか」 

 すでに訊き慣れた桔梗ききょうの声が、木々の合間を縫ってかすかに届いた。闇呪は辛うじて二人の影が見える処で立ち止まる。繁る木々に隠れ、巨木の幹に身体を預けてかすかな声に耳を澄ませた。 

桔梗ききょうの姫君、此処を恐れているようでは、あの方のお心を得ることは難しいでしょう」 

 遠くても謳うように甘い華艶の声だった。変わらぬ優しげな声を聞いて、闇呪は幾分張り詰めていたものを緩めた。形にならない懸念は、ただの思い過ごしなのかもしれない。 

わたくしも理解はしているのです。此処は決して恐れるような処ではないのだと」 

 言い訳するように桔梗が言葉を返す。彼女達の語る此処がどこなのか、桔梗ききょうの言葉でつかめなくなった。この森も鬼柱も恐れることを恥じるような場所ではない。 

「頭では判っているのですが……」 

 かすかな桔梗の声。危機感を匂わせるような響きはなかった。 
 闇呪あんじゅはさらに緊張を緩める。桔梗は何か人知れぬ相談をもちかえているのかもしれない。先守さきもり華艶かえんに対して、充分考えられることだった。 

「あの方のためにそれが必要なら、わたくしはこの恐れを必ず克服いたします。華艶様、私はどのように振る舞えばよろしいのですか」 

 桔梗には想う者がいるのだろう。どうやら華艶に占い――助言を求めたようだった。闇呪は二人の会話を訊いていることがやましいことのように思えた。 

「――噂とは、あてにならぬものですね」 

 華艶の声。闇呪あんじゅは取り越し苦労だったのだと、その場を離れるために身を翻した。華艶の立場ならば桔梗の想いが通じるように取り計らうこともできるだろう。自分も知ってしまった以上、桔梗のために何か力になれることがあるなら惜しまない。 

「私も本当にそう思います。まさかあの方のお心を求める日が来るとは思いませんでした」 

 華艶の笑う声が聞こえる。 

闇呪あんじゅの君は優しい殿方です。そう、慈悲深いと云っても良いほどに」 

 踏み出していた足先が、ふいに語られた自分の愛称に反応する。闇呪は思わず振りかえった。 

「はい。まるで悪鬼のように語られていた闇呪の君が、あれほど優しいお方だとは夢にも思っておりませんでした。今では、私は此処で幸せになれるのではないかと思っています」 

 かすかな声にも、はにかんだような響きが含まれているのが分かる。桔梗が語ったこと。はっきりと示されても、闇呪はすぐに意味を咀嚼できない。違う誰かのことを語っているのだという感覚に支配されたままだった。 
 また華艶の笑う声がした。 

闇呪あんじゅきみと共に在りたい。幸せになりたいと、そう願うのですか」 

 優しげな声。けれど闇呪ははっと我に返る。先守の華艶には視えるだろう。禍の后。どんなに望んでも、共に歩む未来に幸せなどないのだ。桔梗の語ることは虚しい夢に過ぎない。闇呪は華艶がそんな未来を見据えて、どのように占いを告げるのか気になった。遠まわしに助言をするのか、心を修羅にして真実を語るのか。 
 華艶は黙したまま桔梗を見つめているようだった。さらに桔梗の声が梢を震わせる。 

「噂に縛られ、私は闇呪の君を恐れることしか知りませんでした。あの方が私に心を砕いてくださっていることを理解するのに、とても時間がかかってしまいました。ですが、ようやく向かい合うと、そこから見えてくることがあります。あの方は決して私に心を寄せては下さらない。それが分かるのです。きっと私が愛を以って真実の名を語っても、あの方は困る気がします。あの方の翼扶つばさとなるには、私には足りないものがあるのだと、今はそう感じています」 

 真摯な声が打ち明ける。 
 どこかで大きな何かが揺らぐ。闇呪は自分の手が震えていることに気がついた。胸を突き抜けていった塊が熱を帯びている。 

(「――むしろ本当に向き合おうとされなかったのは、我が君です」) 

 静かな口調に込められた激しい非難。麒一きいちの言葉が刺さる。 
 比翼と翼扶つばさ。 
 そんなことを考えたことがなかった。望むことなど許されないと思っていたのだ。 

 あるいは、恐ろしかったのかもしれない。 
 禍として在る自分。その宿命に巻き込んで失うことが耐えられない。 
 心を寄せて、許して、望むほど。いつか断たれることが恐ろしくなる。 
 だから、朔夜を失ったあの日に心を殺してしまったのかもしれない。 
 禍。そこから派生する閉ざされた未来を言い訳にして、目を逸らしていた。 

華艶かえん様」 

 桔梗が先守さきもりを呼ぶ。どうすればいいのかと縋っているのがわかる。華艶は答える前に笑ったようだった。激しい自己嫌悪に苛まれながら、闇呪は先守である華艶の声を訊いた。 

「では、はっきりと申し上げよう。そなたが彼の心を手に入れることはできぬ」 

 同じ甘く柔らかな声。けれど別人のような烈しさを込めて華艶が告げた。 
 はっきりと桔梗の希望が砕けたのが分かった。身動きもできず、ただ華艶の前で立ち尽くしている人影。何を云われたか理解できていないのかもしれない。 

 闇呪あんじゅは再び胸を占めていく深い影を感じた。 
 華艶かえんの美しい声が、不似合いな言葉を吐く。 

桔梗ききょうよ。そなた如きが、彼の翼扶つばさを望むというのか。わらわの果たせぬ宿業を」 

「私は、――ただ……」 

「それが何を意味するかも知らずに」 

 それが意味すること。 
 わざわい翼扶つばさ。いずれ破滅するだけの后。そんな立場の上に幸せを描くことは、愚かなのだと。華艶の示唆することは正しいのだろう。 

 けれど、闇呪あんじゅはもういいと叫びそうになるのを堪えた。 
 桔梗も、もう全てを理解しただろう。さらに追い詰めることはない。 
 そして。これ以上華艶の恐ろしい言葉を聞きたくはなかった。 

「よく訊くが良い。わらわ先守さきもり、決して偽りは申さぬ。――桔梗、そなたは幸せになどなれぬ。今ここで絶望に喰らい尽くされ、醜い亡骸を残すだけ。それこそが、そなたの真実まこととなる」 

「そんな――」 

 桔梗がみるみる抗えぬ絶望に苛まれるのが、まるで目に見えるようだった。 
 突如生まれた負に吸い寄せられた鬼が、恐ろしい勢いで桔梗の魂魄いのちを侵していく。 
 ああ、とうな垂れたまま、桔梗は成す術もなく闇に囚われた。 

「――――――……っ」 

 耳を塞ぎたくなるような断末魔の叫び。ぞっと森が震えた。 
 まるで巨木にはりつけにされたように、闇呪は身動きも出来なかった。桔梗の細い悲鳴が、残響となって梢を揺るがしている。 

 最期さいご。 
 直後、どさりと何かが倒れる鈍い音がした。 
 華艶は動じることもなく、動かぬ人影――むくろを眺めていた。 

「そなたになど与えぬ。――誰にも。すべてわらわのもの。この身が真実の名を持たぬことが、口惜しい」 

 美しい声が呪いを語るように胸の内を吐き捨てる。闇呪あんじゅは足元から何かが崩れて行くのを自覚した。 
 誰よりも美しく優しかった面影が壊れる。 
 砕け散った理想。 

 華艶は足元に横たわる屍――黒い躯に一瞥を向けるとしなやかな足取りでその場を立ち去った。闇呪は鬼柱きばしらを囲む森で、后の最期を看取ったのだ。 
 壮絶な真実に裏打ちされた最期。 
 闇呪は震える自身の体を、両手を回して肩から押さえた。震えが止まらない。 

(――華艶、なぜ)

 わからない。ただ残された事実だけが、目の前に置き去りになっている。 

(これが、真相)

 后が不慮の死を迎えた理由。 
 華艶の内に秘められた壮絶な独占欲。后達はその餌食となって倒れたのだ。 
 先守の占いは絶対。だからこそ語られた絶望は、抗えない呪いとなって魂魄いのちを喰らい尽くす。絶望に蝕まれた真名は魂禍(こんか)となり、黒き躯を残す。 

(――占い、と云うよりは……) 

 あれは、呪いに等しい。 
 最高位の先守だからこそ成しえる、恐ろしい呪い。 
 眩暈めまいがした。闇呪はその場で崩れるように膝をついた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

あなたへの愛を捨てた日

柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。 しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。 レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。 「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」 エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

処理中です...