王子様に恋の手ほどきを…【改稿版】

秋野 林檎 

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また、思い出し口元が緩んだ。
黒縁の眼鏡をかけ、栗色の髪を結い上げた姿は…どう見たって真面目な学生姿だったが、口元から出てきた言葉は…男との駆け引きを楽しむ女の台詞だった。

「ごめんなさい。いつもはもっとあっさりとお別れできるのに…ご迷惑をおかけして」
と微笑み、ヒィヒィ言っている男の腕を引っ張り、ドレスを翻し慌てて逃げ出した少女。

背伸びをしているその姿がたまらず可笑しく、そして…可愛かった。


「殿下?お珍しいですこと。そうやって偲び笑いなど…」
そう言った赤い唇が、口元の黒子ほくろに、より色を漂わせながら、笑みを作っていった。

「そうですか、イラリア伯爵夫人。」

「えぇ、いつも微笑んではいらっしゃるけど、中味がないと私…思っておりましたのよ。」

「それは手厳しい。それでも…今宵は付き合ってくださるんだ。」

「でも、主人が帰ってくるまでですけど…」そう言って、微笑んだ口元に、俺は唇を寄せた。

今夜も…偽りの夜が始まった。

伯爵夫人の赤い唇を寄せるとき、あの少女の男慣れした台詞を、紡ぎだした薄いピンクの唇を思い出し、ほんの一瞬、体が止まったが、すぐに俺の唇は、ゆっくりと伯爵夫人の唇を堪能していった。

もう、あの少女とは会う事もないだろうし…今日は伯爵夫人との逢瀬の時間は長くはない。
だから今は…このわけのわからない渇きを癒すのが先だ。
伯爵夫人は、それがわかったかのように、俺の背中に手を回した。




逢瀬の時間はあっという間だった。衣擦れの音を残し、伯爵夫人が部屋を出て行く気配がした。眠っている振りをしていた目をゆっくり開け、俺は帰って行く伯爵夫人の背中を黙って見送ると、ベットから起き上がり、少し肌寒くなったテラスへとでると、マッチを擦りタバコに火をつけた。

美味いと思ったことはない。ただ、白い煙が空へと立ち上るさまが、自由に見えたから…
自分が願う幸せがそこにあったから……今もやめられない。

空へとタバコの煙が、立ち上って行くのを見つめながら…

昔、タバコへと逃げた頃を思いだした。
そしてそれは、淡い逢瀬の思い出が、だんだんと変わっていった頃と重なる。

あの夫人とはもう長い。俺が18の頃からだから…もう12年。
知り合った頃にはすでに、人妻だった。好きで好きでたまらず、20代前半頃までは、伯爵と別れて欲しいと何度、哀願した事かわからない。だが、あの人はいつも微笑むばかりで…。誘えば俺に抱かれるが、どんなに抱いても何を考えているのかわからなくて、俺は疲れてしまい、そのうち俺もあの人と同じように、いつも微笑んで…他の女性を抱くようになり、そしていつしか彼女への恋心は…馴れ合った男と女の体だけの関係になっていった。

タバコをもみ消しながら
「美味くないなぁ。」と自然と本音が出て…苦笑した。

タバコへと逃げることで、どこかで俺は自由を…人を愛する心をあきらめてしまったのかも知れない。

白い煙と一緒に空へと上っていったのかなぁ…。

あの頃には、戻れない。

あの頃…まだ夢を持っていたあの頃には…

その言葉は、俺にまた、背伸びをして、女を演じようとしている少女を思いださせた。彼女の中に、自分が失ったものを感じたのかもしれない。

もう…12年前のような純粋さは、俺にはないなぁと苦笑しながら、
「君は、ちゃんと恋をしろ。イラりア伯爵夫人や俺みたいになるな。」

と…もみ消したタバコを握り締め、何気に下を見た


それは偶然だったのか…それとも必然だったのか…

彼女が…あの少女…うな垂れ歩いていた。
あのケリーという男となにかあったのか?
俺は、簡単に身支度を整えると、急いで降りていった。
なにも考えられなかった…ようやく追いついた背中は、小さくて寂しいと泣いているようで、手を伸ばし…そう、手を伸ばし…俺は…

だが伸ばした手を…強く握り締め

「あの男とは、話がついたのか?」
これしか…言えなかった。これしか…

そんな訳のわからない不安定に揺れた俺の気持ちに、飛び込んできたのは、彼女が言った他の男の名前だった。どうしてこんなに、腹が立つのかわからなかった。

彼女も俺が知っている遊びなれた女たちと一緒なのか?

背伸びをしているだけではないのか?

いや、そんなはずはない。あの男に慣れた口調に…色はなかったはずだ。

だが複数の男の名前を、彼女の口から聞いた時、俺の中に小さな火種が出来ていた。

だから…

『ケリーは気が弱いけど、優しい人なの。アドニスさんは、ちょっと、スキンシップが激しいけどお金持ち。私の人生には必要な人達なの。そしてなにより私を愛してくれるわ。社交欄で見聞きしておりました有名人のどこぞの王子様みたいに…夜毎相手が変わるより、私のほうがよっぽど、相手に対して誠実だわ。』

『22時には、ライナスさんと会わなければならないから、失礼したいんですが、王・子・様!』


…火がついた。混乱した心に…火がついた。

それは彼女が、俺が思うような少女じゃなかった事が、混乱した心に火をつけたのか…。それとも他に男がいるという事が火をつけたのか…。

 火がついた心は残酷な言葉を紡ぎだした。
 「男は何人いるんだ。3人か?複数の男と付き合えるのなら、もうひとり増えても、支障はないだろう。」

 彼女の左手を取った時、俺は、彼女の唇を奪うつもりだった、
その姿が、遊びなれた女の姿が、本当の君なのか…と奪う事で確かめたかった思いもあった。

だが…できなかった。
もし、俺と同じように…複数の異性がいると言うことが本当なら…
あの唇に口付けたなら…俺も彼女の男のひとりになると思うと出来なかった。

いつもなら、そんな女たちと逢瀬を楽しむ事ができるのに…
お互い、付き合う異性がひとり増えるだけなのに…

手の上なら尊敬のキス
額の上なら友情のキス
頬の上なら満足感のキス
唇の上なら愛情のキス
閉じた目の上なら憧憬のキス
掌の上なら懇願のキス
腕と首なら欲望のキス・・

混乱した心は、唇ではなく掌の上の口付け…懇願の口付けを選んでいた。
それは複数の男のひとりに俺を見ないでくれと、どこかで願っていたのだろうか?

だが指が…名残惜しげに彼女の唇を求めた。それはなぜだったのか?
確かめる余裕のないまま…わからないまま…いつまでも指が…唇を求めようと震えていた。

だが俺の口は…彼女を責めた。

 「次の男のところにいく時間じゃないのか」…と



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