恋する唇💋 ~短編集~

秋野 林檎 

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あなたの唇

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午前7時、ドタン!ガタン!と大きな音に、私は笑いながら包丁を持つ手を止め、あなたのほうへと振り返り「そろそろだよね。」と言って、カウントダウンをし始めた。

「6.5.4.3.2.1」と同時に、リビングのドアが開き、「マ―マー!!おはよう!」と言いながら、4歳になる拓海が飛び込んできた。


「おはよう。」と朝の挨拶を返した私に抱き着き、頬にキスをすると、「パパ、おはようございます。」と言って頭を下げた。パパには丁寧なあいさつをする息子に苦笑しながら、あなたに似たくせが強い髪に触れ「さぁ、顔を洗ってきてね。」と言って、洗面所に送り出せば元気な返事が返ってきた。

「あなたに似て、拓海も朝のテンションが高いんだから」と言いながら、朝食の準備に取り掛かる。

これがここ数年の我が家の朝のルーティン。


あっ?!いつもと違う事があった。

「ごめん!今日の朝ごはんは和食なの。拓海がお弁当なのよ。コーヒーは入れるから我慢してね。」


あなたは笑っていた。その笑顔に返すように私も笑いながら、テーブルへと朝食を並べていく。


「ぁ…そうそう由美先生ね、結婚されるんだって。がっかりでしょう?あなた、由美先生のファンだったもんね。あの元気の塊のような由美先生を見ていると、元気になってくる。とか言ってたわよね。まぁ由美先生はあなたが好きなタイプだもんね。背が高くて、目鼻立ちがはっきりしてて、私とは違うものね。」とちょっと拗ね気味に言っても、どうでもいいのか、あなたは笑っている。その笑顔に「本当は私のこの顔が一番好きだって言ってよ。」と言いながら、私はコーヒーを入れ始めた。


「ねぇ、由美先生の結婚のお祝いは何がいいと思う?ケンちゃんママは新婚さんなんだから、お揃いのパジャマというんだけどね。なんか…ね。」

ペーパードリッパーに粉を入れ、軽くゆすって表面を平らにし、あなたに温度計を見せ「温度OK」と言いながら92℃のお湯を「の」の字を描くように注ぐ

「どう?うまくなったでしょう?はいはい、わかってるって、落ち切りは2分30秒~3分以内だよね。」


でも、朝はそうゆっくりとコーヒーを入れる時間はないんだな。ほら、我が家の王子様が大きな音を立てて洗面所から出てきた。あぁ…やっぱり、パジャマを濡らしてる。今日はかなりだ。う~ん、朝ご飯前に幼稚園の制服に着替えさせると、また汚すんだろうなあ。10分、いや15分我慢してもらって、朝ご飯を食べさせよう。


「拓海、ごめんちょっと我慢してね。朝ごはんを食べたら即!お着替するから。」

だけど拓海は気にしていないのか、はたまた聞いていないのか、「いただきます!」と言いながら、納豆ご飯をかきこんでいる。はぁ~落ち着きがないんだから、これは絶対あなた似だと、チラリをあなたを見れば


あなたはどうでもいいのか、拓海と同じ顔で笑っている。


はぁ~とため息をついた私に、拓海が「おごちそうさまでした!」と言って椅子から降りると、いつもならバタバタと着替えに走るのに、今日は私の横に来て

「あのね。きのう、ようちえんバスにまにあわないから、パパとチューできなかったじゃん。だからきょうはおきがえまえにパパにチューしていい?」

昨日は少し寒くて、いつもよりお布団から出るのが遅かったのに、拓海はいつものペースでやっているものだから、幼稚園の制服に着替えている最中に幼稚園バスが来てしまって、いつも(行ってきます)と言ってパパにチューをするのに、それができなかった。その事が気になっていたんだろう。何度も何度もリビングを振り返り「パパにチューしてない。」とバスに乗り込むまで、そう言ってぐずぐずしていたなぁ。でもバスを待たせるわけにはいかなかったし。


「うん、パパも拓海に毎日チューをして欲しいと思ってるから、今日からはご飯を食べてからパパにチューしよう。」

「うん、そうしよう!」

そう言って、拓海はあなたへチューをした。

拓海は満足そうに笑い「きがえてくる!」と走って行った。そんな拓海の後ろ姿を見て、「やれやれ」と言いながらあなたへと顔を向ければ…。


木製のフォトフレームに納豆が付いている。


「どうやら、あなたへのチューはあなたの唇を逸れてフレームにいったみたいね。」
テーブルからウェットティッシュを持ってきて、フレームを拭きながら、写真のあなたの唇に触れた。



あなたのこの唇から紡いだ言葉は、今も私の耳に残ってるよ。

(結婚したら、毎朝、コーヒーは飲みたいな。もちろん俺が入れるよ。)

あなたが入れるコーヒーは、本当においしかった。でも私も結構うまくなったでしょう。


(子供が生まれたらさ。毎朝キスをするんだ。)

私のお腹を触りながら、そう言うあなたに、私は…(私にはしないの。)と拗ねて言えば、ケラケラと笑いながら(朝だけじゃ俺が物足りないから、時間も場所も決めないで、君にキスをするよ。)そう言いながらキスをしたね。

なのに…。


「……嘘つき…。もう2年もあなたとキスをしてないよ。」

笑った顔でこちらを見る2年前のあなた。
「怒ってるのよ。私と拓海を置いて…キスの約束も守れなかったあなたを…怒ってんだから…。」

あなたの唇はガラスの向こう、触れるとツルツルと滑ってゆく、あなたの少しざらついた唇とは違う。

「私…あなたがついばむようにして来るキスが好きだった。」

そっと唇を近づけ、2年前とは違う唇に触れれば、あなたの唇に私のピンクのリップの色が重なった。


 

プップッー。




クラクションの音に、ハッとして、慌てて眼擦り深呼吸をした。「よし…」そう言って、もう一度深呼吸をすると子供部屋に向かって大きな声で「拓海!お迎えのバスが来たよ!」と叫べば、「えっ~!!ママ。ボタンがとまらないよ。」と言いながらバタバタと走ってくる音が聞こえる。

またあなたがいない日々が始まり、あなたがやりたかった事を代わりにやる日々が……時々つらくなる。

でも…。

「私、頑張るよ。だから…おばあちゃんになってそちらに行った時にはちゃんと褒めてね。」と言ってまたフォトフレームのあなたにキスをした。





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