恋する唇💋 ~短編集~

秋野 林檎 

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誘惑の唇(前編)

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背中のファスナーを下ろし、俺は手を止めた…

女はクスリと笑い…
「…下着をつけていないから…ひいちゃった?」

「…」

何にも言わない俺に、女は…
「別にいいじゃない。あなたも私も…今夜はひとりでいたくないから…抱き合う。そんな関係なんだもの。面倒くさい愛の言葉や、セックスの手順は必要ないでしょう。」

そう言って、女はワンピースを床に落とした。
薄暗いホテルの部屋に、白い体が浮き上がって見え…俺は、なぜだか一歩後ろへ下がった。
だが女は微笑むと逆に一歩、俺に近づき
「それとも…好きな女にしか勃たない?」

挑発的な言葉にも、そして女の曲線にも、俺は眼を逸らし…言葉で逃げようと
「…俺は…」と言ったが、それ以上言葉が浮かばなかった。

女は薄く笑い…
「俺は、親友の妻になろうとしている女性を愛している。」
そう言って、俺に鋭い視線を向け
「でも明日は…結婚式。」

俺は…ホテルのバーで酔った勢いで、隣に座ったこの女に話した事を悔やんだ。

「おまえになにがわかる。」

「わかるわ。…わかるから…今夜はひとりでいたくないのよ…」

「おまえ…」

「傷を舐めあう…のは嫌?」

そう言って、ゆっくりとベットに横になり…俺に白く細い腕を伸ばした。


###########

謹啓 初夏の候 皆様には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます
このたび 私たちは結婚式をあげることになりました
つきましては 親しい皆様の末永いお力添えを頂きたく ささやかですが小宴をもうけました
おいそがしい中と存じますが ご出席くださいますようご案内申し上げます。敬具

平成28年7月 吉日

児玉 翔太

高田 裕美

###########

案内状を手渡しながら翔太は笑い、そして…裕美は真っ赤な顔で照れて
「絶対…来てよね。」と言った。

高校時代から、付き合っていた二人を見るのが辛くて、俺は大学も就職も県外を選び…他の奴らが躊躇する海外勤務さえ、自ら手を上げて…俺は逃げていた。それはどこかで二人とも一途な性格だから、いつか…こんな日が来るだろうなぁと思っていたからだ。だから俺は逃げた。だのに…4ヶ月後の宴へ俺を招待するべく、8年振りにふたりは、俺の眼の前に現れた。

「おめでとう。」
その言葉しか、言えなかった。その言葉しか、言ってはいけなかった。

幼なじみの翔太と裕美…そして裕美の妹のマヤ。
4人で他愛もなく、ずっと一緒に笑っていたかった。それを…壊したのは俺のくせに…そんなことを思うなんて馬鹿だなぁ…。

『慎兄…逃げるの?逃げるのは卑怯だと言っていた慎兄が…逃げるの。』

そう言って、俺を責める…マヤの青い瞳が浮かんだ。
そうだよ…俺はまた、心のどこかで逃げたいと思っているよ。でも…逃げるのも疲れるんだ。
8年間逃げていた初恋の後始末を、いい加減…清算しろってことか…

だが、どうしたらいいのかわからないまま…時は止まる事はなく、流れて行き…4ヶ月後の宴は、予定通りにやってきて、そして俺も…予定通りに二人の祝宴へとやってきた。

招待状を貰って4ヵ月後、ようやく出した俺の答えは…

【今更】

それしかないだろうと思った。

眩しかった10代の初恋を…
愛おしくてたまらないあの時代を……思い出にするために…俺はやってきた。
そう、自分自身に言い聞かせ、俺は明日の宴を迎えようと、前日に入ったホテルの最上階で…ひとり、グラスを傾け、長い初恋にさよならを言ったつもりだった…。

あの女が横に座るまでは…。

「泣きそうな顔で飲んでいたら…せっかくのお酒がおいしくないんじゃない。」

 白い肌と…大きな黒い瞳の女は、そう言って微笑んだ。






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