恋する唇💋 ~短編集~

秋野 林檎 

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我慢する唇(後編)

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あれから、もう一年…
すぐに離れて行くと思っていた美晴は…一年たっても俺の側にいた。

この一年、美晴は毎日俺に電話を掛け、他愛もない話をする。
だが、俺の部屋にきたのはたった2度…そして、会うのは、隣の町での数時間の逢瀬。

それは俺が言い出した美晴との付き合い方だった。

なのにそんな不自然な付き合い方に、俺のほうが物足りなさを感じ始めていたが、だが…俺は動かなかった。いや動けなかった。

【10代の【好き】なんて、風邪と一緒だ。すぐに…そう、すぐにそんな熱はさめる。そんな年代だ。それは明日かもしれない…それは1時間後かも…】と一年前に思った言葉が、俺の体を縛っていたからかもしれない。
どこかで、おそらく高校卒業時が別れる時なのかもしれないと、ぼんやり思いながら…



「ねぇ、大樹。由美がねぇ…」

スマホから、聞こえる美晴の声に、俺はハッとして

「…片平がどうした?」

と言いながら、俺は片平 由美という名前に…カラになった紙コップを握り締めていた。
片平 由美…か…

あれは…夏休みだった。
美晴のいつもの電話は、あいつらしからぬ大人びた声だったと今なら思う。

『由美が…』

『由美…?』

『2組の片平 由美よ。』

『あぁ…あのうるせぇ奴か、そいつがどうした。』

『もう…大樹たら…そんな言い方しないでよ、私の友達なんだから…』

『はいはい、じゃぁその友人の片平が、どうしたんだ。』

『…進学先を変えるっていうの。彼氏から…行くなって、東京なんかに行くなって言われて』

『アホ…か…好きな女の人生をそうやって止める男もだが、それに頷く女も女だ。』
 
『うん、私もそう思う。でもね。【離れたら手が届かないところに、お前が行ってしまいそうで不安なんだ。】と引き止められた由美に、良く考えてと言いながら…その反面…愛の為に愚かになってもいいんじゃないかと思う自分がいるの。』

あの時、俺は…やっぱり10代だと、密かにひとり笑いながら…
恋に恋すると言うのは、こういうことか…と口を歪ませたんだった。

美晴のあの言葉に、あいつの本音があったんだと…知ったのは、あの電話での会話があった2ヶ月後の9月だった。

美晴の担任の秋田先生が、教職員の飲み会で愚痴る声が耳に入った。
(香月は、高2の秋までは、東○大学を目指すってはっきり言っていたのに…先日突然、県内の大学進学を考えていると言い出したんですよ。確かに最近、地元に残りたいと考える子は増えましたが、あの子なら東○大学も現役合格だろうに…はぁ~残念で仕方ないです。)

手に持ったビールのジョッキが震えた。

『愛の為に愚かになってもいいんじゃないかと思う自分がいるの。』

お前は…まさかそれで…進学先を変えたのか…
なにやってんだよ。俺なんかに惚れて、自分の人生を変えるなよ。なに…やってんだよ。

お前の告白に、簡単に頷くようないい加減な俺を…

いつか離れていくお前に、縋りたくなるほどの未練を残したなくて逃げていた俺を…

電話口で無理して明るく言う、お前の【会いたいなぁ。】と言う言葉に、呆れたように【見られたらマズいだろう。辛抱しろよ】と言って跳ね除けていた俺を…

お前は…そんな俺を…離れたくないほど好きだと言うのか?

【愚か…だ。】

そう、愚かしいと思った。人生の岐路で、どの道を選ぶか決める事柄のひとつに、俺を入れるなんて…なんてバカな奴だと。

言ったろう。俺は…傲慢でいい加減だから…
『プロジェクトのリーダーの君が、そんな傲慢だから、誰も…付いてこないんだ。謙虚になり給え。』と教授に言われたことで、俺は教授と揉め大学を出たと…言っただろう。

俺は誰もが、傲慢で嫌な奴だと思うような男なんだ。

お前が言ってくれた…
『先生の繊細な心が好きです。傷ついて…泣いてるくせに…恐がっているくせに…ぶっきら棒に言葉を投げ、強がるところが…。』
そんなところなんか…なかったと、もうわかっただろう…もう…。だけど…俺は…

そう…だけど…俺はお前に惚れてる。めちゃくちゃ…お前に惚れてる。

この一年の間に思い知らされたよ。

だが、お前が出した結論には、俺は頷けない。本当に好きだから…頷けない。離れることになっても、俺はやっぱり頷けない。だから今日は…美晴を俺の部屋に呼んで話したかった、俺とのこれからを話したかった。


来ないなら…俺が行く。


美晴…俺は…


「なぁ…美晴。」
俺は電話の向こうにいる美晴に話しかけると立ち上がり、少し形が歪んだ紙コップをゴミ箱に投げ入れた。

「なに?」

ファーストフード店の自動扉が開くと、
一気に冷たい風が吹き込み、肩に力が入ったが、軽く息を吐き
「お前、塾が終わってから、もう1時間近くたっているのに、まだ商店街のクリスマスツリーの前でぼぉ~と立っているのか?風邪ひくぞ。」

「だよね。バスの時間まで、あと20分あるから…もう少しここで浸ることをお許しください。先生。」と言って美晴は笑った。

「しょうがない生徒だ。そんな生徒に、もうひとこと…大学は東○大学を目指せよ。」
俺は、人ごみの中を…捜しながらそう言ったら、電話の向こうで美晴が息を詰めたのがわかった。

「どうして…知っているの?」

「どうして知ったかは、今はいいだろう。センター試験では志望する大学・学部・学科に合わせて、受験教科・科目を選択するが、おまえが受けようと思っていた県内の国立大と東○大学は一緒だろう。センター試験は来年1月。今は11月だ…おまえなら大丈夫だ。」

「でも…私…」

大きなクリスマスツリーの近くで…一年前より、ずいぶん長くなった黒い髪の少女の後ろ姿が見えた。「私…ね。」と言って、声を詰まらせていたから、きっと泣いている。泣いているのを誰にも見られたくないのだろう、美晴はクリスマスツリーから少し離れて、商店街の中の、もう店じまいをした少し薄暗い店の、シャッターの前で座り込むと…

「…好きなの、大樹が好きなの。大樹がこの一年、私の手にさえ触れなかったのは…先生と生徒だからでしょう。お願い、もう少し側にいさせて、教師と生徒という形から離れた私を見て欲しいの。それから判断して…まだ…女として見て貰っていないんだもの。諦めきれないよ。だから、まだ離れたくない。だから、東京には行きたくない。」

美晴の泣き声がスマホから…いや直接耳に聞こえた。

閉じられたシャッターの上に吊るされた、ヤドリギの小枝が大きく風に揺れた。
カサカサと音が鳴るその下で、紺色の高校指定のコートに身を包み、声をあげて泣く美晴の背中を見ながら、高校生なんだ…と今更のように俺は思った。こんな風に泣かせる俺は…やっぱりとんでもない男だ。

だけど…俺は…

そっと、俺も腰を下ろし、紺色のコートを抱きしめ…「美晴」と呼んだ。

美晴は小さな叫び声を上げ
「だ、大樹!」と俺の名前を呼んだ。

「バカ…ほんと風邪引くぞ。」

「どうして?…誰かに…見られたら…大変だよ。」

「もう、見られても心配するな。俺、もう教師じゃないから…」

「…どういうこと…?」

「教授に下げた事ない頭を下げたんだよ。…教授の奴『2年ですか…結構かかりましたが、ようやく自分の非を認められる男になったようですね。君の叔母さんからは逐一話を聞いていたので、もうそろそろだと待っていましたが。成宮君…おかえり』と言われたよ。なんか、教授と叔母さんに言い様にされてたみたいだ。情けねぇ…」

「先生…辞めちゃうの?」

「あぁ…もう本日付で辞めている。一年生とはいえ、担任だったから…ちょっと無責任だと思ったんだが、大学のほうもちょっと人手が足りないらしくて…」

「大樹の大学は…確か…」

「…関西だ。」

「そんな…そんなの…嫌」

「美晴!」

「大樹…嫌だ。」

「美晴…愛してるんだ。だからお前には、俺に引きずられる人生を選んで欲しくない。並んで…歩いていきたいんだ。一年前のようないい加減な気持ちで言っているんじゃない。これから先も、長く一緒に歩きたいんだ。俺の側にいて欲しいんだ。」

美晴の黒い大きな瞳が揺らいだ。

「…美晴、愛してる。」

「だ…大樹…大樹!私も大樹を愛してる。」

「離れるのは寂しいが…必ず会い行くから。」
そう言って、俺は美晴の両頬を包み込み、右手の親指で美晴の唇に触れた。

去年の今頃、同じように触った唇が…こいつの心のように、純粋で綺麗だと思ったら、いい加減な俺は…その唇に触れる資格はないと思えて、唇にそれ以上触れる事はできなかった。

まだまだ…美晴の人生を背負う資格を得るまでは、時間がかかるだろう。だが…この唇に触れる資格はできたと思っていいだろうか。

両手で美晴の頬を包み込み
「逃げんなよ。今日はお前の唇をもらうから…」

「…でも…大樹…」

「なぁ…ヤドリギの下では、女性は男性からのキスを拒否することはできないんだぜ。」

俺は…そう言って、恋焦がれた唇にキスを落とした。





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