キスをする5秒前~kiss.kiss.kiss~

秋野 林檎 

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1章 葉月と樹

樹・・・頷く。

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「久住さん…も、理香さんから…?」

葉月ちゃんのか細い声に、俺は…
『あたしはこれでも結構お前を気に入ってんだぜ。だから、あえてもう一度言っておく、葉月にはこれ以上近づくな。あいつは…葉月は…お前にとって諸刃の剣だ。』と言った理香さんの真剣な声が脳裏に甦った。

諸刃の剣。
それは相手にも打撃を与えるが、こちらもそれと同じくらいの打撃を受けるおそれがあることのたとえだ。
言い換えれば、葉月ちゃんの秘密は、俺がこの久住と決別できるほどのものだが、その秘密は相当なダメージもを俺に与える…ということ。

それはおそらく…その秘密で刃になった葉月ちゃんも、無事では済まない…ということだ。

だから…

『なら!!…なら、もしもの時は、お前が血だらけになっても、葉月を守ってくれるというのか?』と理香さんは言ったのではないだろうか。

冗談だと理香さんは言ったが、あれは…本気だった、それほどのことなんだ、葉月ちゃんの秘密は…。

だからそうなる前に、俺も葉月ちゃんも傷つかないように、葉月ちゃんにまで、俺とこれ以上近づくなと念を押したんじゃないだろうか。

それは施設で育ったことじゃないだろう。いや…施設で育つ事になった要因が…まさか…諸刃の剣なのか…?!

だとしたら…



「由梨奈も手放したくないが、高宮 葉月も手放すのには、惜しくて迷ってのか?」

秋継の棘のある声に、一瞬違うところに持って行かれていた意識を引き戻されて、俺は秋継に眼をやった。

落ち着け!今は…そう今は、葉月ちゃんを久住家のゴタゴタに、巻き込まないようにする事のほうが先決だ。

「秋継」

「なんだよ!急に落ち着きやがって!」

「お前は、わかっているのか?久住という名の大きさを?」

「わかってるよ!」

「いや…わかっていない。久住がくしゃみをすれば、下請けの企業は肺炎になるほどの影響を受けると言われるその力をわかっていない。お前はその久住のトップになるんだぞ。そんな大きな力を持つ企業のトップに立つと言うことは、それは私生活も見られると言うことだ。」

「だから、なんだよ!」

「お前に近づく人間は…人々から興味本位で注目されたうえに、あの婆様から監視されると言うことだ。」

「守ってやるさ!高宮 葉月が施設で育ったことや、ひょっとしたら、父親が外国人かもしれないことも、全部面倒な事から俺が、守ればいいんだろう!」

「…父親が外国人かもしれない?」

「えっ?あんたは…そんなことも気が付かなかったのか?!]

秋継はクスリと笑うと
「あんたも日本人にしては、瞳の色が薄いから気が付かなかったのかもしれないけど、勘が鋭いあんたが気が付かなかったとは…こりゃいいや。でも俺はすぐにわかったぜ。まぁ、高宮が俺の知っている奴に、少しばかり顔立ちや、瞳の色が似ていたから気が付いたんだけどなぁ。」


眼の前に並んだ言葉のピース。

諸刃の剣。

父親が外国人かもしれない。

秋継が知る人物に、葉月ちゃんが似ている。

それは…何を意味するのか、組み合わせて答えを導くのが恐い。だが、知りたい。葉月ちゃんと、もう会えないという理由を…そうじゃないと…俺は…


「おいおい、青い顔でお兄様はなにを思っていらっしゃる?」

「誰だ。」

「えっ?」

「知っている奴って誰だ!」

「ぁ…兄貴…?」


「もうやめてください。」
それは決して大きな声ではなかった、だが抑揚のないその声に、俺と秋継は固まった。

いつも、何を話していても弾むような声が…熱を失ったように言葉を紡いだ。
「私は父を知りません、知りたいとも思いません、寧ろ忘れてしまいたいと思っています。なのに、おふたりは当事者である私の気持ちを無視して、私のことを暴こうとするんですか。それも推測で…。」

言葉がなかった。
そうだ、葉月ちゃんのプライベートを暴く資格は、秋継にも、そして俺にもないのに…
「葉月ちゃん…ごめん。」

「…悪かったよ。」

俺や秋継の視線を避けるように、慌てて下を向いた葉月ちゃんだったが、俺は葉月ちゃんの大きな眼から涙が零れ落ちてゆくのを見てしまった。

何をやっているんだ、葉月ちゃんを守ると言いながら、傷つけてしまうなんて…
俯いたまま葉月ちゃんは
「…すみません。今はおふたりに、大丈夫ですと言えそうもないほど…心が揺れて…痛くて…」
そう言って、葉月ちゃんは後ずさりした。

震えながら、逃げて行こうとする葉月ちゃんに手を伸ばした俺だったが、俺よりも早く違う手が葉月ちゃんの腕を取り、そのまま葉月ちゃんの体を抱きしめた。

「秋継…」と言った俺の声は掠れ、苦しそうにその名を呼んだが、秋継には聞こえていないのか、いや聞きたくないのか返事もせずに、自分の腕の中に囲った葉月ちゃんに秋継は


「高宮 葉月、俺が守ってやるから。」と言った。

「秋継…おまえ…」

何を言い出すんだと思っても、声が出てこなくて呆然とする俺の後ろから…

「久住のぼんぼんが出てくると、ややこしいことになるんだよ。樹に対抗して、葉月に手を出すんじゃねぇーよ。」

そう言って、その人は俺をチラリと見ると、ゆっくりと秋継に近づき、
「葉月から手を離せよ。ぼんぼん。」

「…嫌だ。俺なら守れる…」

その言葉を鼻で笑うと…秋継の腕を捻り、
「100万年経ったって、ぼんぼんには無理だ。せめて樹ぐらいの器になれよ。」

そう言って、葉月ちゃんを自分の腕に抱きしめ、優しい声で
「葉月、おまえは…ほんと手が掛かるぜ。ずいぶん捜したぞ。」

その言葉に、葉月ちゃんは大きな声を上げて
「理香さん、理香さん~!!」と叫ぶと泣き出した。

そんな葉月ちゃんの頭を理香さんは撫でると、後ろに向かって
「大吾…葉月を頼む。」

桜の木の後ろから、眼を真っ赤にし、鼻を啜りながらジョセフィーヌさんが頷きながら出てきて
「…葉月ちゃん…」と声を掛けると、葉月ちゃんは…

「ジョセフィーヌさん!!」と言って、顔を上げジョセフィーヌさんに手を伸ばした。

秋継は唇を噛み、俯くと…
「高宮 葉月といい…あの松下 理香さんと…野々村大吾さんまで…味方かよ。ほんとあんたは俺が欲しいと思うものを手にするよな。…だから…」

「だから…嫌いか、笑わせんじゃないよ。そこがダメなんだよ。ぼんぼん。」

「理香さん、いいんです。秋継に言いたいことを言わせてやってください。」

「もう…いいよ。」

ブスッとした顔で、俺を見る秋継に
「俺は、寧ろお前のほうが、俺が欲しいと思うものを手にしていると思っていた。」

ブスッとしていた顔が怪訝な顔に変わっていった。
秋継の思っていることが顔に出る正直さに…昔のままだと思った。
こいつは少年の頃のまま、純粋なんだと…

「俺は泣く泣く両親と離され、この久住本家に連れてこられたのに、だが…3年も経たないうちに、お前が生まれたことで厄介者だ。どこにも居場所がなくなった。」

そう言って、一旦言葉を止めて、秋継を見た。
本当にうらやましかったんだ、だから…俺だけを見てくれる眼が…愛していると言ってくれる人が欲しかった。

「だが俺はお前が生まれたことで、家に帰れると思って喜んでいたんだ。でも…俺の実の親は、しがみついてでも久住本家にいろって言って、家に帰ってくることを嫌がった。俺が本家にいれば、権力のおこぼれをもらえると思っていたのか…子供心にも実の親が情けなく見え…泣く泣く別れたあれはなんだったんだと思ったよ。ますます孤立する俺を、お前の両親は助けてくれた。邪魔な存在の俺を、お前の兄として、変わりなく受け入れてくれたんだ。お前がうらやましかったよ。そんな優しい両親のもとに生まれたお前が…。」


「…知るかよ。」
そうボソッと秋継は言うと、葉月ちゃん達を見つめ

「…でも…あんたのほうが幸せだ。」と言いながら、俺に背を向けて歩き出した。

その背中を黙って見る俺に理香さんは、
「樹、おまえ…ブラコンもあるのかよ。」

と言って、小鼻に皺を寄せほんとに嫌そうに、俺にハンカチを差し出すと
「拭けよ。まだルージュがついてるぞ。ぼぉっとしていたんだろう…バカ。だからキスされるんだよ。油断するな。ほんとお前も面倒な輩に囲まれているよなぁ。」

そう言いながら、理香さんは、葉月ちゃんをジョセフィーヌさんに頼むと、
「大吾…」とひとこと言って、葉月ちゃんを見た。

ジョセフィーヌさんは、頷くと
「葉月ちゃん、少しお化粧が崩れているから、直しに行きましょう。」と葉月ちゃんの背中を押すと、葉月ちゃんは振り返り俺を見た。

葉月ちゃんの眼に俺はどんな風に映っているのだろうか…その視線が堪らなく恐くて、俺は下を向くと、遠ざかって行く足音が聞こえてきた…あぁ行ってしまう。
顔を上げ、ジョセフィーヌさんと葉月ちゃんの背中に目をやると、理香さんが…静かな声で言った。

「樹、葉月を守るためなら、血だらけになってもいいと…言ったよな。」

俺はその言葉に一瞬目を見開いたが……大きく頷いた。


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