【日月の歌語りⅣ】天地の譚詩

あかつき雨垂

文字の大きさ
52 / 53

58

しおりを挟む
      58 
 
 あれだけのことがあった後でも、世界は大して変わらなかった。 
 侵攻に失敗した光箭軍は散り散りになって解散したが、陽神教は別の場所に新たな万神宮パンテオンを造り、相変わらずエイルやダイラに文句を言っている。だが、彼らが他の国に攻め入ろうとすることは、もうないだろう。陽神教の支配からの独立を宣言する国は、もはやエイルやダイラだけではなくなった。 
 ダイラは、エレノア女王の下で栄えた。『締まり屋』の女王は、前の戦争で使い果たした国費を取り戻すために産業を鼓舞している。新たな国策の恩恵を受けるマチェットフォードには、大きな劇場が建った。国一番の劇作家のキャッスリーと、国一番の役者のトムソンを観に、今では海の向こうからも客が来るという。ダイラの全ての街には学校が建立され、子供たちは文字を学んだ。彼らは物語を読み、またいつか自ら新しい物語を記すだろう。 
 エイルも、二人の王の下で繁栄した。エイルに亡命した人びとのなかには、祖国に帰るものもいれば、留まるものもいた。いずれにせよ、腥血せいけつの王と遠吠えの王が治めるあの国は、去るには名残惜しいほどの平和と自由に満ちた国となった。フーヴァル・ゴーラム船長とゲラード・スカイワード、そしてその仲間たちの船が世界一周を果たしたことで、エイルにはさらなる栄誉が加わった。ホラスとマタルは二人で旅に出た。彼らが行き着いた場所は、砂漠の民の歌だけが知っている。 
 〈クラン〉は伝説となった。押し寄せる海嘯つなみと敵から仲間を守り抜いて死んだ最後の頭領の名と共に。誇り高き〈協定ノード〉の守り手としての生き様を示した彼らは多くの者に歌われた。ヒルダのわけ隔てない誠実さを物語るように、その歌はひととナドカの両方に愛された。 
 信仰の礎が失われた後も、祈りは至る所で囁かれ続けた。太陽の神、海の神、雷の神、そして月の神──気休めに過ぎないと言う人もいる。そんなものは、大昔の愚か者が作り上げた嘘だ、虚構に過ぎないと。 
 けれど、救いを求めるとき、奇跡のような出来事を目にしたとき、彼らは、そこに在る……特別な何かを信じる。たとえ、ほんの束の間であっても。 
 神々が存在するのか、しないのか。それは、今や決して答えの出ない問いになってしまった。だが、ひとつだけ、確かに言えるのは──祈りがひとの傍らを去ることはないということだ。 
 神を失った世界で、ナドカはひとと、ひとはナドカと交わりながら、ゆっくりと一つの種族に縒り合わさっていった。月神ヘカが彼女の子らに与えた不思議な力は薄れつつある。やがては微かな伝承の面影に過ぎなくなるだろう。ナドカとひとの隔たりも、彼らが繰り広げた戦も、栄誉も、過ちも、今では無数の譚詩うたに残るのみだ。 
 神話は歴史になり、歴史は物語となる。そして、物語は── 
 物語は、いつまでも生き続ける。 




      結 

「やっと起きた!」 
 若い娘の声が、頭上から降ってきた。 
「マー! やっと目を覚ましたよ!」 
 いいや。目を覚ましてない。 
 そう言いたかった。さっきまで見ていた夢から、完全には抜け出せていない。 
 この頃、眠っていても起きているような気がする。逆に、起きているときにも眠っているような気がするときもあった。これだけ年を取れば、ほとんどの者はそうなるのだろうが。 
 仰向けに横たわった身体は、まだ馬車に乗っているみたいに揺れていた。視界はぼやけていて、光が目に痛い。恐る恐る瞬きをして少しずつ目を慣らすと、ここが派手な壁紙で統一された小部屋のような場所であることがわかった。 
「レタ、あまり大騒ぎするんじゃないよ」母親が、少女を叱っている。「疲れてるんだから。そっとしておいてあげなさい」 
「大騒ぎなんてしてないもん」レタは、そう言いながらも少し声を落とした。 
 何度か瞬きをして、ようやく正常な視界を取り戻した。 
 そう、そこはまさしく馬車の上。エルカンが住み処とする、移動式の小さな家──ハミシュの家だ。 
 彼女の曾祖母から名前を引き継いだひ孫が、ハミシュの顔を覗き込んでいた。グレタだけではない。マタルに、ホラス、ガルにアーヴィン。ヒルダにエレノア、そしてエヴラールまで、狭い馬車の中に乗り込んでいる。 
 みな、この商隊キャラバンの一族で、ハミシュが語った物語に育てられた子供だ。 
 あの大戦の後、ハミシュはマクラリー一家の元に身を寄せた。弟の行方は知れない。彼はしばらく導者たちと過ごした後、どこか小さな村の教会で慎ましく暮らしたという話を耳にした。真実はわからない。生きているのか、死んでいるのかさえ。きっと……それでいいのだと思う。ハミシュには新しい家族ができた。彼もまた、新たな道を選んだのだ。 
「ひいじいちゃん。何処まで話してくれたか覚えてる?」 
「おぼえているとも」ハミシュは言い、ゆっくりと体を起こした。「さて……どこまで話したかな」 
「やっぱり覚えてない」呆れたように、アーヴィンが言った。 
「じゃあ初めからお話しして! もう一回!」 
 マタルの言葉に、全員が賛同した。 
「もう一度、最初からかね?」 
 全員が頷いた。 
「ひいおじいちゃん、おねがい」 
 レタが目を潤ませた。そういう顔をすると、この子はほんとうにグレタにそっくりに見える。 
「仕方がない……それじゃ、最初からな」 
 子供たちは歓声を上げた。 
 やれやれ、死ぬ前に最後まで語り切れるかどうか。 
 ハミシュは深く息を吸い、吐いた。はじまりの気配に、子供たちの目が輝く。 
「昔むかしのその昔」 
 ハミシュは子供たちの顔を見回して、待った。 
 子供たちの頭の中から、馬車の揺れや、部屋の狭さが消えてゆくのを。ガタゴトという音が遠ざかり、かわりにリュートの音色や剣戟の響きが鳴り渡るのを。そして目の前に、遙か昔のダイラやエイルが拡がってゆくのを。 
 そこには彼らが息づいている。今も生き生きと、少しも色褪せることなく。 
 だから言っただろう、リコヴ。お前は、いまも生きているよ。 
 そして、ハミシュは物語をはじめた。 
「これは、去る日月じつげつの歌語り──」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり
BL
 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(2024.10.21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

【完結】下級悪魔は魔王様の役に立ちたかった

ゆう
BL
俺ウェスは幼少期に魔王様に拾われた下級悪魔だ。 生まれてすぐ人との戦いに巻き込まれ、死を待つばかりだった自分を魔王様ーーディニス様が助けてくれた。 本当なら魔王様と話すことも叶わなかった卑しい俺を、ディニス様はとても可愛がってくれた。 だがそんなディニス様も俺が成長するにつれて距離を取り冷たくなっていく。自分の醜悪な見た目が原因か、あるいは知能の低さゆえか… どうにかしてディニス様の愛情を取り戻そうとするが上手くいかず、周りの魔族たちからも蔑まれる日々。 大好きなディニス様に冷たくされることが耐えきれず、せめて最後にもう一度微笑みかけてほしい…そう思った俺は彼のために勇者一行に挑むが…

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした

リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。  仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!  原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!  だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。 「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」  死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?  原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に! 見どころ ・転生 ・主従  ・推しである原作悪役に溺愛される ・前世の経験と知識を活かす ・政治的な駆け引きとバトル要素(少し) ・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程) ・黒猫もふもふ 番外編では。 ・もふもふ獣人化 ・切ない裏側 ・少年時代 などなど 最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。

銀の王子は金の王子の隣で輝く

明樹
BL
不幸な王子は幸せになれるのか? 異世界ものですが転生や転移ではありません。 素敵な表紙はEka様に描いて頂きました。

処理中です...