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1、贖罪のスピネル
55、俺を愛さないあなたが憎い
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映像が見える。
――過去の映像だ。
ハルシオンそっくりの「カントループ」が、寂しそうにしている。
「ようやく。数千年……数万年……? どれだけの時間をかけたかもわからない……そんな末にようやく娘が心を宿して……すぐに出て行くんだ……パパがどれだけ寂しいか……」
「そうですよ、寂しかったんですよパパは!」
現実のハルシオンがフィロシュネーを抱っこしてさめざめと泣いている。情緒不安定が極まっている。これはダメだ――フィロシュネーはいろいろ諦めた。
「しゅいませんでした」
「ううんっ、シュネーさんは謝らなくて、いいのぉ……っ」
そんな二人の現在のやり取りを背景に流れる過去の時間はシリアスだった。
父カントループを見ているのは、カントループによく似た人形だった。
まだ返事のできない『長男』オルーサだ。
オルーサは、カントループの手により最初につくられた人形だった。心をずっと宿さないまま、壊されては治されるのを繰り返しながら、長い年月をカントループの傍で過ごしてきた。
カントループは咽び泣きながら自分に言い聞かせている。
「でも、仕方ないね。娘っていうのはさ、パパのもとから巣立つ生き物だからさ、仕方ないんだ。せめてこの新人類の男を娘にふさわしい飛びきりの英雄にしてやろう」
お仕置きをすることもない?
束縛することもない?
自分がどれだけ寂しいか、どんなにつらいか、わからせようとすることもない?
「私の可愛い娘だから。私の一番大切な娘だから。とびきり特別な娘だから」
【俺はずっと傍にいたのに】
オルーサに生まれたのは、嫉妬という感情だった。
【あの娘はこんなに父に愛されているのに、こんなに父が悲しみ、寂しがっているのに。父の狂おしい孤独を理解しないで他の男に夢中になっている】
オルーサに生まれたのは、怒りだった。
【父を悲しませた。父を理解しない。父への愛が足りない。父も、理解させようとしない。父は、許してしまっている】
腹立たしい。
我慢ならない。
……現実が気に入らない!
オルーサに生まれたのは、そんな反発心だった。
「名前なんて貰いやがって。それなのにカントループをひとりにする……」
名前を貰ったのは、自分だけだったのに。
自分はカントループの特別だったのに。
「カントループを裏切るからだ……聖女さんが悪いんだ……」
オルーサは、生まれたばかりの激情に突き動かされるようにフィロソフィアを殺した。カントループのふりをして微笑んで、距離を詰めて。
殺すのは簡単だった。フィロソフィアは抗う力も持たなくて、ただ驚き戸惑い、立ち竦むだけだったから。殺すのは、一瞬だった。
当然、カントループは狂乱状態に陥った。
「我が子が我が子を殺すなんて……! オルーサは悪い子だ! オルーサは悪い子だ!」
痛み。
苦しみ。
悲しみ。
怒り。
オルーサの心に、激情が湧く。
「カントループ……」
俺は心を芽生えさせたんですよ。
人間になれたんですよ。
なのに、喜んでもらえない。褒めてもらえない。
――愛されない。
「……俺を愛さないあなたが憎い……!」
オルーサは生じたばかりの感情を爆発させた。呪いの言葉を幾つも吐いた。
オルーサが湧き上がる感情を言葉に変えて放つと、父カントループも言葉の刃を返した。
争いは言葉だけに留まらず、呪術の応酬に変わっていった。大地は二人の呪詛で穢れ、最終的にオルーサの勝利で終わった。
「あ、私が覚えてる記憶はここまでですよ、シュネーさん」
ハルシオンがそう言う声でフィロシュネーは「これは過去の出来事で、自分はシュネーなのだ」と思い出した。過去に没入していたのだ。
「ここからは、私が知らない、私の死後の時間ですねぇ」
ちょっとワクワクした感じの声である。
私、と言うからにはたった今殺されたカントループが自分だと認識しているはず。なのに、あまり悲しんだり憤ったりはしていない。
フィロシュネーはその複雑怪奇な心理を理解しようとして、やめた。過去の時間が進んで、カントループの人形たちに変化が生じているから。
「お父様が亡くなった」
悲しみの声がどこかからあがる。
「私たちの父が死んだ」
「創造主が……」
父の子供たち、人形たちは、父の死をきっかけにして、次々と心を芽生えさせた。最初に芽生えた感情は、いずれも悲しみであった。
「おおっ!! 私の子供たちが心を……!」
フィロシュネーの隣にいる『父』本人(?)は、とても嬉しそうにテンションをあげているが。
「しゅごい、すごいっ! みんな可愛い! 私の子供たち……私の死を悲しんで……!? は、はぁはぁ……」
「だ、大丈夫ですかハルシオン様。落ち着いてくださいハルシオン様? 深呼吸しましょうかっ?」
「はーっ、はーっ、すーっ」
深呼吸の音を背景に過去の時間は進む。シュールだ。
(ハ、ハルシオン様のせいで緊張感がなくなってしまうわ)
シリアスな過去が台無し。脱力するフィロシュネーの視線の先で、なんと過去のオルーサが自分の行いを悔いていた。
「お……俺は、なんということを……お父様……」
嘆く弟妹を見てにわかに父の死を悲しむ気持ちが湧き上がったらしい。見ている側が辛くなるほど痛々しく泣いている。のだが、隣でハスハスと息を荒げて「オルーサ! オルーサも悲しんでくれてる!」と喜んでいるハルシオン様が気になってフィロシュネーはぜんぜん集中できない。
「一時の衝動に駆られて、俺は取り返しのつかないことをしてしまった……」
「いいんだよオルーサ。不憫可愛いってこんな感情を言うのかな。可愛い! 息子とは父を越えていくものであり……うきゅっ」
「ちょっと、さすがにちょっと……黙ってくださいハルシオン様……っ」
かわいそう! わたくしが読んでる後悔系ヒーローでも、後悔してるシーンでこんな風に不真面目に茶々を入れられる人はいなかったわ。
ひどい。ハルシオン様ひどい、いえ、カントループがひどい? どっちにしても――オルーサ、すっごくかわいそう!
フィロシュネーはハルシオンの口を手でふさいだ。
「もごっ、もごもご……っ、んん、ン」
ハルシオンが何か言っている。あっ、この方、喜んでるぅ! やだぁ!
「わ、わたくし、知ってるんです。カントループがオルーサをいじめてたの。悪い子って言ってお仕置きして、出来損ないって呼んで」
口を大人しく塞がれたままフィロシュネーを見返す『カントループ』の青い瞳に、おひさまの黄色が一滴垂らされたみたいに波紋が生じた。気紛れと称される色変化を魅せて、美しい瞳が理性の色を濃くのぼらせていく。
フィロシュネーは声を連ねた。
「あなたは、あなたは、ずっとひとりで……それが苦しくて、つらくておかしくなってしまわれて。ハルシオン様はそんな記憶を抱えて現実がおぼつかなくて、自我が不安定で、何もわからなくなってしまったかもしれない……っ」
だから、悪くない?
だから、何を言っても無駄?
それで、何をしても許される?
「でも、他の誰かと一緒にいるなら、それを理由に誰かを傷つけたり、『人間たちのルールもしきたりも、どうでもいい。私はしたいようにするのです』なんて言ってはいけないのではないですか……っ?」
過去の映像の中で、オルーサが泣いている。
彼は、悪だ。フィロソフィアとカントループを手にかけている。被害者と加害者でいえば、加害者――、
でも、カントループに虐待をされていた被害者でも、ある。
「弟陛下とミランダが謝ってきたあと、ハルシオン様は? わからない、で終わらせてしまわれたの? 弟陛下は、ハルシオン様をずっと守ろうとなさっていたのでしょう? 外交問題になってしまうような盗みを平然となさって……あなたに好意を抱いて、あなたを守ろうと頭を悩ませている方々がいるのでしょうに」
フィロシュネーは、途方に暮れた。
悪人の元をたどれば不幸がある。そんなの、物語でもよくあることだ。
不幸だからといって悪人が許されたりはしない。
でも、不幸の元凶が隣でへらへらしているのは、すごく嫌な感じだ。
……でも、でも。その元凶さんだって、元をたどれば不幸に遭っていて、彼がへらへらしているのは、その不幸のせいなのだ……。
――過去の映像だ。
ハルシオンそっくりの「カントループ」が、寂しそうにしている。
「ようやく。数千年……数万年……? どれだけの時間をかけたかもわからない……そんな末にようやく娘が心を宿して……すぐに出て行くんだ……パパがどれだけ寂しいか……」
「そうですよ、寂しかったんですよパパは!」
現実のハルシオンがフィロシュネーを抱っこしてさめざめと泣いている。情緒不安定が極まっている。これはダメだ――フィロシュネーはいろいろ諦めた。
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「ううんっ、シュネーさんは謝らなくて、いいのぉ……っ」
そんな二人の現在のやり取りを背景に流れる過去の時間はシリアスだった。
父カントループを見ているのは、カントループによく似た人形だった。
まだ返事のできない『長男』オルーサだ。
オルーサは、カントループの手により最初につくられた人形だった。心をずっと宿さないまま、壊されては治されるのを繰り返しながら、長い年月をカントループの傍で過ごしてきた。
カントループは咽び泣きながら自分に言い聞かせている。
「でも、仕方ないね。娘っていうのはさ、パパのもとから巣立つ生き物だからさ、仕方ないんだ。せめてこの新人類の男を娘にふさわしい飛びきりの英雄にしてやろう」
お仕置きをすることもない?
束縛することもない?
自分がどれだけ寂しいか、どんなにつらいか、わからせようとすることもない?
「私の可愛い娘だから。私の一番大切な娘だから。とびきり特別な娘だから」
【俺はずっと傍にいたのに】
オルーサに生まれたのは、嫉妬という感情だった。
【あの娘はこんなに父に愛されているのに、こんなに父が悲しみ、寂しがっているのに。父の狂おしい孤独を理解しないで他の男に夢中になっている】
オルーサに生まれたのは、怒りだった。
【父を悲しませた。父を理解しない。父への愛が足りない。父も、理解させようとしない。父は、許してしまっている】
腹立たしい。
我慢ならない。
……現実が気に入らない!
オルーサに生まれたのは、そんな反発心だった。
「名前なんて貰いやがって。それなのにカントループをひとりにする……」
名前を貰ったのは、自分だけだったのに。
自分はカントループの特別だったのに。
「カントループを裏切るからだ……聖女さんが悪いんだ……」
オルーサは、生まれたばかりの激情に突き動かされるようにフィロソフィアを殺した。カントループのふりをして微笑んで、距離を詰めて。
殺すのは簡単だった。フィロソフィアは抗う力も持たなくて、ただ驚き戸惑い、立ち竦むだけだったから。殺すのは、一瞬だった。
当然、カントループは狂乱状態に陥った。
「我が子が我が子を殺すなんて……! オルーサは悪い子だ! オルーサは悪い子だ!」
痛み。
苦しみ。
悲しみ。
怒り。
オルーサの心に、激情が湧く。
「カントループ……」
俺は心を芽生えさせたんですよ。
人間になれたんですよ。
なのに、喜んでもらえない。褒めてもらえない。
――愛されない。
「……俺を愛さないあなたが憎い……!」
オルーサは生じたばかりの感情を爆発させた。呪いの言葉を幾つも吐いた。
オルーサが湧き上がる感情を言葉に変えて放つと、父カントループも言葉の刃を返した。
争いは言葉だけに留まらず、呪術の応酬に変わっていった。大地は二人の呪詛で穢れ、最終的にオルーサの勝利で終わった。
「あ、私が覚えてる記憶はここまでですよ、シュネーさん」
ハルシオンがそう言う声でフィロシュネーは「これは過去の出来事で、自分はシュネーなのだ」と思い出した。過去に没入していたのだ。
「ここからは、私が知らない、私の死後の時間ですねぇ」
ちょっとワクワクした感じの声である。
私、と言うからにはたった今殺されたカントループが自分だと認識しているはず。なのに、あまり悲しんだり憤ったりはしていない。
フィロシュネーはその複雑怪奇な心理を理解しようとして、やめた。過去の時間が進んで、カントループの人形たちに変化が生じているから。
「お父様が亡くなった」
悲しみの声がどこかからあがる。
「私たちの父が死んだ」
「創造主が……」
父の子供たち、人形たちは、父の死をきっかけにして、次々と心を芽生えさせた。最初に芽生えた感情は、いずれも悲しみであった。
「おおっ!! 私の子供たちが心を……!」
フィロシュネーの隣にいる『父』本人(?)は、とても嬉しそうにテンションをあげているが。
「しゅごい、すごいっ! みんな可愛い! 私の子供たち……私の死を悲しんで……!? は、はぁはぁ……」
「だ、大丈夫ですかハルシオン様。落ち着いてくださいハルシオン様? 深呼吸しましょうかっ?」
「はーっ、はーっ、すーっ」
深呼吸の音を背景に過去の時間は進む。シュールだ。
(ハ、ハルシオン様のせいで緊張感がなくなってしまうわ)
シリアスな過去が台無し。脱力するフィロシュネーの視線の先で、なんと過去のオルーサが自分の行いを悔いていた。
「お……俺は、なんということを……お父様……」
嘆く弟妹を見てにわかに父の死を悲しむ気持ちが湧き上がったらしい。見ている側が辛くなるほど痛々しく泣いている。のだが、隣でハスハスと息を荒げて「オルーサ! オルーサも悲しんでくれてる!」と喜んでいるハルシオン様が気になってフィロシュネーはぜんぜん集中できない。
「一時の衝動に駆られて、俺は取り返しのつかないことをしてしまった……」
「いいんだよオルーサ。不憫可愛いってこんな感情を言うのかな。可愛い! 息子とは父を越えていくものであり……うきゅっ」
「ちょっと、さすがにちょっと……黙ってくださいハルシオン様……っ」
かわいそう! わたくしが読んでる後悔系ヒーローでも、後悔してるシーンでこんな風に不真面目に茶々を入れられる人はいなかったわ。
ひどい。ハルシオン様ひどい、いえ、カントループがひどい? どっちにしても――オルーサ、すっごくかわいそう!
フィロシュネーはハルシオンの口を手でふさいだ。
「もごっ、もごもご……っ、んん、ン」
ハルシオンが何か言っている。あっ、この方、喜んでるぅ! やだぁ!
「わ、わたくし、知ってるんです。カントループがオルーサをいじめてたの。悪い子って言ってお仕置きして、出来損ないって呼んで」
口を大人しく塞がれたままフィロシュネーを見返す『カントループ』の青い瞳に、おひさまの黄色が一滴垂らされたみたいに波紋が生じた。気紛れと称される色変化を魅せて、美しい瞳が理性の色を濃くのぼらせていく。
フィロシュネーは声を連ねた。
「あなたは、あなたは、ずっとひとりで……それが苦しくて、つらくておかしくなってしまわれて。ハルシオン様はそんな記憶を抱えて現実がおぼつかなくて、自我が不安定で、何もわからなくなってしまったかもしれない……っ」
だから、悪くない?
だから、何を言っても無駄?
それで、何をしても許される?
「でも、他の誰かと一緒にいるなら、それを理由に誰かを傷つけたり、『人間たちのルールもしきたりも、どうでもいい。私はしたいようにするのです』なんて言ってはいけないのではないですか……っ?」
過去の映像の中で、オルーサが泣いている。
彼は、悪だ。フィロソフィアとカントループを手にかけている。被害者と加害者でいえば、加害者――、
でも、カントループに虐待をされていた被害者でも、ある。
「弟陛下とミランダが謝ってきたあと、ハルシオン様は? わからない、で終わらせてしまわれたの? 弟陛下は、ハルシオン様をずっと守ろうとなさっていたのでしょう? 外交問題になってしまうような盗みを平然となさって……あなたに好意を抱いて、あなたを守ろうと頭を悩ませている方々がいるのでしょうに」
フィロシュネーは、途方に暮れた。
悪人の元をたどれば不幸がある。そんなの、物語でもよくあることだ。
不幸だからといって悪人が許されたりはしない。
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