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2、協奏のキャストライト
112、だから、私はこのお姫様が好き
しおりを挟む太陽が眠り、代わりに二つの月がのぼる頃合い。
この大陸では、この夕暮れから夜に移る時間帯を火点し頃と呼んでいる。
自然と暗くなる世界に抗うようにして、男たちが燭台に灯りをともしていく。セリーナは、それを見ていた。
セリーナは、奴隷商人に売られていた。
メリーファクト商会としてフィロシュネー姫と一緒に商売を頑張っていたセリーナは、帰路に就こうとしたときに、物陰から手招きする父を見たのだ。
『お父様、紅国に来てくださったの?』
久しぶりに見る父に、セリーナは郷愁の念を胸いっぱいに昂らせて駆け寄った。
家にいる間は、家族なんて、空気のように当たり前の存在だった。
セリーナの世界は狭くて、小さくて、大人たちに守られていた。
お父様、お父様!
会いたかった、寂しかった!
手紙では、文章では、満たされない淋しさがあった。
離れて過ごす時間が長くなればなるほど、つのる寂しさがあった。
ずっとずっと、隠していたけど。
……家族の笑顔を見たくて、お声をききたくて、いっぱいお話をしたかった。
『会いたかっ……』
喜びの想いがあふれて、冷酷な現実に動きが凍りついた。
父は、ニセモノだった。
セリーナを釣り上げるために、悪い呪術師が化けていたのだ。
捕まったあとは、気付いたら奴隷にされようとしている――あまり現実味がないけれど、状況からすると間違いない。
ぼんやりとした灯りが照らす室内には、檻がある。冷たく無機質な檻の中で身を寄せ合うのは、女性や子供が多い。亜人が目立つのは、奴隷を好むのが人間という種族だからだとセリーナは知っている。
人間は、ちょっとでも自分たちと違う生き物を見ると、迫害する方向へと進みやすい。
だから、これから貴族の仲間入りをしようとする商人の我々は苦労するかもしれない。
父がセリーナの頭を撫でながらそう言ったのを、思い出す。
「気付いたみたいだね。気分はどう?」
檻の外から元婚約者の声がして、セリーナは驚いた。
「……クリストファー様!?」
そこに、元婚約者のクリストファーがいた。
青年の瞳は暗く淀んでいて、はっきりとセリーナへの敵意や悪意が見て取れた。
「セリーナが悪いんだ……」
声には誤解しようのない憎悪があって、セリーナは恐怖をおぼえて全身を震わせた。
「おかげで輝かしい未来が台無しだよ。これからどうやって生きろというんだ? まったく、酷い話だよ。まったく、酷い女だよ、キミは」
復讐だ。
これは、クリストファーの復讐なのだ。
事態を悟ったセリーナ。けれどそのとき、絶望するより先に現場には異変が起きた。
「ぐわあああっ!!」
「何事だ!?」
外から騒ぎ声が聞こえて、金属音や悲鳴がつづく。
クリストファーがサッと顔色を悪くして、おろおろと腰の剣を抜く。
「て、ててて、てきか!? どこの者だ!? シェイド、ここは安全だと言わなかったかッ!?」
「紅国の騎士団と、青国の騎士団が……」
「あひっ!? りょ、両方っ……!?」
(助けが来たんだ……!)
セリーナは、絶望に落ちるより先に希望に出会った。助けがくるのは、それほどに速かったのだ。
檻の中の奴隷たちも外の奴隷商人たちも騒然となる中、周囲に霧のようなものが立ち込める。
「これは天空神アエロカエルスの信徒が使う『揺籠の雲』です」
誰かが言うのが聞こえる。
「助けに参りました!」
聞き慣れた声がする。快活な少年の声――シューエンだ。セリーナは涙ぐんだ。
声を出そうとしても、喉が詰まったようになって、言葉が出ない。自分の身体が思い通りにならなくて、セリーナは焦った。
「青国の騎士か!」
霧で視界不明瞭な中、恐ろしい戦いの音がする。
時間は、そんなに長くはなかった。
「奴隷商は捕縛いたしましたゆえ、皆さんご安心を。今お助けいたします」
未だ視界不明瞭な中、シューエンの声がして、近くにいた奴隷たちからワッと歓声があがる。
あっという間に全員が救助されて、セリーナも気付けば建物の外にいた。誰かの腕に抱えられている――そろそろと顔をあげて見ると、セリーナを抱きかかえているのはシューエンだった。
(ふ、あ……)
助かった。そんな安堵と、運ばれているという状況への困惑が湧く。
(こ、これは、お姫様抱っこというのでは……っ?)
どちらかといえば線が細くて少女のような外見の少年が意外なたくましさを感じさせるので、セリーナはどきりとした。
全身を持ち上げ、支えてくれている少年の腕には、しっかりとした筋肉が感じられる。この少年は、外見からはあまりわからないけれど、たくさん努力をして鍛えているのだ。
息を吸いこむと、汗の臭いがする。
この少年が、先ほどまで戦っていたのだ――胸の奥で鼓動が暴れる。
落ち着かせようとしても、なかなか静まらない――顔が熱い。
「え、と……」
明るい緑色の瞳がぱちりとセリーナを見て、ちょっと申し訳なさそうに眉を下げる。
「氷雪騎士団が商会の護衛をおろそかにしてしまったせいで、このような事態に……申し訳ございません」
さらわれたのが騎士団のせいだ、と詫びてくれているのだ。
セリーナはぶんぶんと首を横に振った。
声がうまく出せなくて、もどかしい。けれど、伝えたい思いが滾々と胸から湧いてくる。
「わ……わるく、ない、です」
だって、お父様に変身していたから。
だって、釣られた私が悪いから。
「じゅ、じゅつ……」
少年は、辛抱つよく言葉を待って察してくれた。
「呪術師、でございますね」
セリーナはウンウンと首を縦に振った。
「じゅじゅつし、は、護衛の、すき、をつくの、上手……で、す」
青国では魔法と呼ばれることが多い技術は、一般市民レベルでは生活がちょっと便利になるくらいのものしか使えないけれど、才能ある者が悪意を持って使えば、いくらでも警備の隙がつける。
だから、青国では倫理を説いていたり、悪用を防ぐための法がつくられたりしている。
運ばれていく先は、急ごしらえの救護テントのようだった。
「怪我人はこちらに連れていらっしゃい。わたくしが治癒してさしあげます」
救護にあたっていたのが大好きなフィロシュネー姫なので、セリーナは泣きそうになった。
特別な王族の瞳がセリーナを見て、ハッとする。
シューエンがセリーナを座らせると、フィロシュネー姫はパッと駆け付けて手を握った。
「セリーナ!」
セリーナが何かを言うより先に希少な能力である治癒魔法を使って、癒してくれる。
その光が、体温が、あたたかい。
「心配したのよ」
まっすぐな声が、胸をつく。そんな風に心配してくれるから、感情の波がゆらりと揺れて――止まらなくなる。
(ああ……こういうところ)
こらえていた涙が、はらりとこぼれる。
「怖かったわね、セリーナ。すごく、怖い思いをしたのね」
貴き王族の瞳が痛ましげに揺れて、ほっそりとした指先がハンカチを手に、涙をぬぐってくれる。汚してはいけないと思うのに、指先をセリーナの涙で濡らして、それを気にする様子もなく、「お友達」として心配してくださっている。
「大丈夫、大丈夫。もう、大丈夫よ、セリーナ」
(……だから、私はこのお姫様が、好き)
嗚咽しながら抱き着けば、フィロシュネー姫は優しく、やわらかに抱き返してくれた。
* * *
白い霧が立ち込める。
現場には、紅国の騎士団と青国の騎士団が入り乱れていた。
配下騎士を率いるサイラスは、愛馬を救護テントのそばに留めて建物の中をあらためた。
「奴隷商人は無事捕らえました。檻の近くにいた元伯爵公子は……襲い掛かってきたので、正当防衛の末に討ち取らせていただきました」
報告の声がする。
(それにしても、なんて濃い霧だろう。視界が悪すぎる)
『揺籠の雲』だ。配下の騎士の中にいる天空神アエロカエルスの信徒が被害者を守るために使ったものと思われる権能だが。
「もう霧はいいだろう。晴らしてくれ」
指示をくだすと、霧が晴れていく。
サイラスにはそれが、とてもゆっくりで、じれったく思われた。
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