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4、奪還のベリル
306、私は未熟ですが、十九歳のときより、まともな人間になれたと思っています
しおりを挟む青国の王城の窓からは、灰色の曇り空が見えている。
「心配していたけど、サイラスはお元気そうね」
フィロシュネーは、婚約者から届いた手紙を読んでいた。
時期は、青国でアーサーが再び青王の座に就いて、空国で預言者が交代し、ハルシオンが空王として選ばれた後のことだ。
大陸外からの兵も引き上げていき、紅国は小康状態だと知らせる文面には、以前の手紙のような不穏な気配がない。
『石は捨てました。ご心配なく。それと、青王陛下に要請を送りました。姫は紅国でこれから暮らすことになります』
(わたくしに先に教えてくださればいいのに。大人はいつも、決まってから言うの)
兄アーサーから、「紅国の神師伯がしつこい」「そろそろ断れない」と愚痴られて驚いたのは、だいぶ前のことだ。
アーサーは断ることができず、フィロシュネーを紅国に輿入れさせる許可をしたという。
「わたくしは、婚約者と暮らせるのは嬉しいですわ。当たり前です」
沈痛な表情のアーサーに言えば、アーサーはますます落ち込んだ様子だった。
「アーサー様は、ちとシスコンが重傷でございますな」
とは、預言者ダーウッドの言葉だ。
ちょこんと隣に座って慰めるようにアーサーの頭を撫でる手付きには、愛情がうかがえる。
「だいたい、お兄様は婚約者といつも一緒にいるくせに、わたくしからは婚約者を遠ざけるなんて、ずるいですの」
フィロシュネーはいたずらっぽく言って、紅国への旅立ちの日に備えた。
輿入れ、という言葉のとおり、今回の旅は、ちょっと訪ねて帰ってくるような一時的なものではない。フィロシュネーは結婚しに行くのだ。
最初は婚約者の身分で滞在することになるが、あちらで過ごしながら結婚の準備をさらに進めて、結婚式をして夫婦になる。
「ふふっ、ジーナ。わたくし、サイラスのお嫁さんになるのよ。一緒のおうちで暮らすの」
誕生日に贈られた大きなくまのぬいぐるみを抱きしめながらはにかむと、侍女のジーナは「ようやくですね」と喜んでくれる。
「ジーナ、わたくし、お気に入りの本は全部持って行きますわ。それに、魔法植物と……」
一国の王族が嫁ぐのだから、嫁入り道具も持参金も大量に運びこむことになるだろう。国の威信がかかっていると言ってもいい。
青国勢は慌ただしく準備に追われた。
そして、もう数日で出発、という頃。
フィロシュネーはのんびりと城内を歩き、自分が生まれ育った居場所に別れを告げてまわった。
当たり前のように過ごしてきた『フィロシュネーのお城』は、これからはそこで過ごすのが当たり前ではなくなるのだ。
この景色を見ない日が一日、一か月と続いて行って、それが今度は当たり前になっていくのだ。
そう考えると、フィロシュネーの胸には不思議な感慨が湧いた。
今こうして「この場所が当たり前」と感じる自分がとても貴重で、切ないように思えてきた。
(……こういうのを、マリッジブルーというのかしら)
これまでの日々をお別れするのが切ない、嫁ぐのが寂しい、なんて。
感傷に浸っているフィロシュネーに、ジーナが手紙を持ってきた。
「フィロシュネー様。空王陛下からのお手紙ですよ」
文箱に入れて差し出された手紙は、やさしくて繊細なハルシオンの気配をふんわりと溢れさせていた。
『あなたの幸せを祈っています』
と、祝福してくれて。
『私は未熟ですが、十九歳のときより、まともな人間になれたと思っています。これからは民のことを想い、良い王様を目指していきたいと思っているのです』
丁寧に自分のこころを打ち明けてくれる。
フィロシュネーは、そんなハルシオンが好きだと思った。
「お返事を書きましょう。わたくしも、ハルシオン様のこれからを応援しています、って……」
ジーナと一緒に自室に戻るべく庭園を歩いていたフィロシュネーは、ふと脚を止めた。視界にミストドラゴンや魔法生物に乗った騎士たちが次々と飛翔していく姿や、慌ただしく走り回る臣下たちの姿が見えた。
「姫様! 空襲のようです、屋内に避難を――」
護衛が声をかけてくる。
「く……?」
聞き慣れない単語が出た。
フィロシュネーはどきりと不安を煽られながら護衛に頷こうとして、耳を疑った。
「空襲ではありませんよ」
空から不満そうな声が聞こえたのだ。それも、聞き覚えのある婚約者の声だ。
「……!」
その場にいた全員が、弾かれたように頭上を見る。そして、唖然とした。
空は、紅国の旗がいくつも並んでいた。
掲げているのは、ミストドラゴンや魔法生物に騎乗した紅国のノーブルクレスト騎士団の中隊だ。
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