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しおりを挟む耳の奥に、金属が噛み合うような冷たい音が響く。
次の瞬間、足元から鈍い震動が伝わり、洞窟全体が唸りを上げた。
「きゃっ!」
地面がぐらりと揺れ、天井からぱらぱらと砂が降る。
それが一瞬で岩の崩落へと変わった。
「パメラ!」
殿下の声が聞こえた瞬間、強い力で突き飛ばされる。
次の瞬間、頭上から岩がどっと落ち、轟音とともに土煙が巻き上がる。
空気が震え、肺の中まで砂を吸い込む。
「殿……下……!」
呼びかけようとした言葉は、崩れる音にかき消された。
耳鳴りがして、体がふっと宙に浮いたように軽くなる。
――そして、世界は闇に沈んだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
うっすらと意識が戻ったとき、世界は静まり返っていた。
耳鳴りの残響だけが、遠くでかすかに唸っている。
「……う、ん」
唇から漏れた声が、思ったよりも弱々しい。
痛む体をなんとか起こすと、全身にまとわりつく冷たい湿気が肌を撫でた。
鼻を刺すのは、土と石の匂い。崩れた岩の粉が、喉の奥にざらりと残る。
手探りで床をなぞると、湿った石片が指先に触れた。
目を凝らしても、何も見えない。
闇だ。
完全な、光の届かない闇……。
――ピチャン。
どこかで水滴が落ちる音がした。
それがまるで、時間の止まった洞窟の心音のように響いていた。
「殿下……? 殿下、いらっしゃいますか?」
そおっと問いかけると、すぐ近くで囁くような声が答えた。
「パメラ、目が覚めたんだな。無事か」
よかった。殿下がいる。
ほっと胸を撫でおろす。
声の響き方からして、すぐそばにいるはずだ。
「はい……でも、真っ暗ですね。目が全然慣れない……灯火!」
魔法を唱えると、小さな光がぽっと灯り――すぐにかき消えた。
「闇の魔法の影響みたいです。殿下の魔法なら、いかがでしょうか?」
「ああ……俺も試したが、同じだ。……助けが来るまで、動かずに落ち着いて待とう。魔力も回復させて、温存させるのがいいと思う」
声色には、確かな頼もしさがある。
「殿下の光魔法でもダメとなると、深刻ですね」
「いや。そんなに深刻になる必要はない」
「……? そうですか?」
目を瞬かせても、暗闇に慣れる様子はない。不自然なくらい真っ暗だ。
「すまないパメラ……実は、俺は本当は光属性の魔法が苦手なんだ」
「えっ?」
「魔力回復薬が少ししかなくて、苦手属性を使う余裕がないだけなんだ」
この国の王室の方々は代々、光属性の魔法に長けている。
アトレイン殿下も『完璧』と言われるだけあって、欠点がなく、なんでもできると思っていた。
この方にも苦手なことがあったんだ?
それも、「王子だから得意なはず」とみんなが当たり前に信じている光属性……!?
私を安心させるための嘘という可能性もあるのかな?
……ううん。
きっと、本当のことを教えてくれてるんだよね。
安心させようという気持ちと、真実の告白と――両方なのかもしれない。
声の感じから、私を安心させようという気持ちや、自分で気にしている弱点を告白してくれてるんだと伝わってくる。
……でも、さっき上級魔法の聖光を使っていたよね。
もし苦手な属性だとしたら、すごすぎるのでは?
暗闇の中で、私は殿下の気配を感じ取ろうと耳を澄ませた。
「……殿下が一緒で頼もしいです。ひとりじゃなくてよかった……」
「うん。俺も、あなたをひとりにさせずに済んでよかった。そういえば、あなたのために証言してくれた令嬢が……」
殿下の声は少し小さくなって途絶えた。
「?」
首をかしげると、言葉が続く。
「アニスという令嬢が、あなたと以前俺の話をたくさんしていた、と教えてくれた」
「ああ……そうですね。アニスとはたくさん、殿下のお話をしました」
やっぱり、アニスは私のために証言してくれたんだ。
胸の奥が温かくなる。
「どんな話を?」
「ええと……殿下は完璧な王太子様だと有名で、色々な優秀すぎるエピソードがあったので、それを共有して『すごいね』って憧れてたんです……」
少しの沈黙のあと、柔らかな笑い声が返ってきた。
「完璧、ね。……俺は、そんなに立派じゃない。失敗も、迷いもある。けれど期待に応えたいとは思っていて……」
暗闇の中、その弱音めいた言葉が不思議なほど胸に響く。
遠い存在だった殿下が、とても親しい距離間にいるように感じられる。
「殿下は、努力しているからこそ素敵なんだと思います。だから……その努力を、応援したいです」
ふっと息を呑む気配。
「……ありがとう、パメラ」
その声音がやさしくて、涙が出そうになった。
「そうだ。前から言おうと思っていたんだが、俺のことを名前で呼んでくれないか」
「え?」
「アトレインと呼ばれたい。婚約者なのだし……『殿下』はいらない」
「ええっ……?」
恐れ多い話だ。
でも、私が躊躇していると殿下はちょっと必死すぎる声色で「ぜひ」と言葉を足した。
で、『殿下』はいらないと言われても。
「ア……アトレイン様……?」
思い切って呼ぶと、彼は「いいね」と嬉しそうに笑った。
「ありがとう、パメラ。とても嬉しいよ」
喜んでもらえた。
ちょっと気恥ずかしいけど、よかった。
そして、それきり沈黙が続く。
一秒、二秒、三秒……。
「アトレイン様?」
返事がない。……あれ?
胸の奥がざわつく。
不安が、じわじわと広がっていく。……嫌な感じだ。
「アトレイン様……?」
呼びかけても、静寂だけが返ってくる。
まさか、何かあった……?
息を呑み、周囲を見渡そうとするが、相変わらず真っ暗だ。
けれど、どこかで微かに光が揺れたような気がした。
……闇が、ほんの少しだけ薄くなっている?
「…………灯火《キャンドル》……」
小さく呟き、魔力を指先に集めると、周囲が見えてくる。
「……!」
私はひとりだった。
後ろも前も崩れた岩で塞がっていて、見渡す限りアトレイン様の姿がない。
でも、さっきまで声がしたのに?
何かを察しかけて、ぞくりと背筋に悪寒が走った時。
「ミス・タロットハート! 聞こえるか! 銀笛を吹いただろう! それに、オレンジ色の魔法鳥がここまで誘導してくれた……!」
遠くから教授の声が響いた。オレンジ色の魔法鳥?
一部よくわからない発言もあるけど、私は声を張り上げて居場所を伝えた。
「……! ネクロセフ教授! 私たちはここです……! アトレイン様もいます!」
「今助ける」
頼もしい声に続けて、鈍い衝撃音が響く。
――ガガガンッ!
前方の岩壁が崩れた音だ。
間近にそびえていた岩壁が破砕され、勢いで当然、私に岩礫が飛び掛かってくる。
「‼」
怪我を覚悟して身を固くしていると、岩礫は全て虚空で止まり、ゆっくりと地面に降りて行った。
これはたぶん風属性の上級魔法だろうか。
破砕されて飛び散る重い岩礫を残らず浮かせてゆっくり降ろすなんて、凄まじい腕が必要な器用すぎる技だ。
普通の魔法師にはできない――さすが教授……!
教授の神業と同時に、私の視界には眩い光が一気に流れ込んだ。
光の中から、教授の姿が見える。
砂煙の向こうで、救い出される瞬間の現実味がようやく戻ってきた。
「教授……!」
声を張り上げたとき、胸の奥で緊張がふっと解けた。
暗闇が嘘のように遠ざかっていく。
目を開けると、そこに立っていたのはネクロセフ教授だった。
私は必死で教授に助けを求めた。
「ネクロセフ教授。一緒にいたアトレイン様の姿がないんです……! あの、声は聞こえてたんですけど……!」
教授が眉をひそめる。
「闇属性の魔法と秘話の魔法の痕跡がある。崩れた岩壁の向こう側からだな。どいていなさい。破砕して向こう側を探してみよう」
――秘話の魔法?
あの声は、すぐ近くにいたわけじゃなかったんだ?
闇の中で話していたのは、アトレイン様の秘話の魔法だったの?
胸が凍りつく。
あのときの「パメラ!」という叫び、突き飛ばされた感触が甦る。
もしかして、彼が私を庇って……。
胸がぎゅっと締めつけられて、嫌な予感が背筋を這い上がる。
「そ、……そんな……」
ネクロセフ教授が杖を振り岩壁を破砕し、向こう側を探索する。
その間、私は立ち上がることもできず震えながら両手を握りしめて彼の無事を祈った。
頭の中で最悪の想像が暴れ出す。
岩の下に閉じ込められて、血に染まった姿。
冷たくなった手を、もう二度と取れないかもしれないという恐怖。
「やだ……」
声が震える。涙が視界を滲ませた。
あのときの言葉が脳裏に浮かぶ――『俺のことを名前で呼んでくれないか』――嬉しそうに笑った、あの柔らかな声。
全部が、最後のやり取りだったなんて――そんなの、嫌だ。
「アトレイン様……!」
叫ぶように名を呼ぶ。
返ってこない沈黙が、心臓をきつく掴む。
お願い、返事をして。
どんな声でもいい、もう一度――。
「……パメラ?」
ふと、アトレイン様の声がした。
「あっ……アトレイン様!」
ネクロセフ教授の魔法の光と外套に包まれて救助され、アトレイン様が岩の隙間から姿を現した。教授の手に空になった魔力回復薬があるので、飲ませてもらったのだろう。
「あなたが心配すると思って、近くにいるふりをしたんだ。暗くして……騙してしまって、ごめん」
「……!」
「岩壁を単純に壊したら怪我をさせてしまうかと思って、下からトンネルを掘って貫通できないかと試行錯誤していたら、魔力が足りなくなって意識が落ちてしまったみたいなんだ」
その言葉に、胸が詰まった。
泣きそうになりながら、私は首を振った。
必死に立ち上がって彼に抱き着くと、彼は驚いたように息をのみ、ぽんぽんと背中を叩いて無事を実感させてくれた。
「格好つかないな、自力で合流してあなたを助けるつもりだったのに……」
殿下が小さく苦笑する吐息と体温に、ほっとする。
「ご無事でよかったです、本当に」
その笑顔は、闇の中で見たどんな光よりも眩しかった。
「パメラが銀笛を吹いてくれていたおかげで教授が来てくれて助かったよ。本当にありがとう」
「そういえば、殿下は最初、よくここがわかりましたね?」
銀笛で位置を知らせた教授と違って、アトレイン様には私がどこに行ったかわからなかったはずだ。
そんな事実に思い至って呟くと、彼はにこりと微笑んだ。
「愛の力で見つけたんだ」
「えっ、あっ、はい」
さらっとこういう言葉が出てくるから、アトレイン様はすごい。
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