「君を愛す気はない」と宣言した伯爵が妻への片思いを拗らせるまで ~妻は黄金のお菓子が大好きな商人で、夫は清貧貴族です

朱音ゆうひ@『桜の嫁入り』発売中です

文字の大きさ
3 / 5

3、俺に寝室はまだ早い

しおりを挟む
 ウィスベル・ハートクライン伯爵は、飼っている亀に餌をあげながら妻のことを考えていた。ちなみに亀の名前は『かぴばらくん』だ。
 
「旦那様と同じ屋敷で呼吸をしているだけで私は幸せです!」
 
 妻レジィナは、最初に思っていた人物像とぜんぜん違う、好人物だった。

 アルキメデス商会から契約が持ちかけられたときには、人を騙したり陥れたりする悪女なのかと思っていた。
 だが、調べてみると契約結婚の件は最初の契約書には確かに「見返りは笑顔でいい」という文言が書かれていた様子で、彼女の父がそれを「待て待て」と取り上げて直したらしい。
 
 結婚してから放置された彼女は機嫌を悪くすることなく、楽しそうに夫人としての仕事に没頭している。仕事ぶりは誠実で良心的で、成果も見事。使用人からの評判もいい。優秀だ。

「旦那様。奥様が庭にいらっしゃいます」
「もうそんな時間か」
 
 ウィスベルは執務の手を止め、窓に寄った。
 
 毎日同じ時間に執務室の窓から妻を見るのが、最近の日課となりつつある。
 
 本日の妻は、庭に咲くオレンジと薄黄色のマリーゴールドの前でしゃがみこみ、蝶々を指にとめている。頬に泥がついているが、汚れを気にせずニコニコしている姿は、明るく善良な印象が強い。

「レジィナさんは今日も元気そうだな」
 
 妻はいつ見ても溌剌としている。
 表情豊かで、使用人に笑いかける姿は太陽のようだった。もしかすると太陽の化身かもしれない。

 あの働きものの手を取り、一緒に庭を歩いたらどんな気分がするだろうか。
 今から降りて行って声をかけてみたらどうだろうか。
 
 ……もうこれ、片想いではないか。ふう……。

「しゅきだ……」
「旦那様、お気を確かに」
 
「俺は今何か言ったか?」
「は、いえ、何も聞いておりません」
 
「そうか、よかった。クールな俺のイメージが崩れるところだった」
「もう崩れてます」
 
「何か言ったか?」
「いえ」
 
 遠くから見ているだけじゃなくて、普通に「今日から仲良くしたい」と言えばいいのでは?
 
 いつもそんなことを考えて、躊躇している。
 そうしているうちに、時間が過ぎていく。

 人生は、川の流れに似ているな。
 どんぶらこっこ、どんぶらこっこだ。
 アー……今日も流されていく……。溺れてしまいそうだ……。あっぷ、うっぷ。

「旦那様、奥様はとても良い方です! 黄金のお菓子もくれました!」
「いや待て。俺も『良い人物かも』と思っているし、なんなら片想いみたいになっているが、黄金のお菓子とは?」
 
「旦那様、奥様が物陰に隠れて旦那様ウォッチングのお時間です。気づかないフリをしてください」
「レジィナさんはなぜ隠れるんだ……声をかけてはいけないのか?」
「旦那様も隠れて見ていらしたじゃないですか。お互い様ですよ」
 
 俺たちは毎日、お互い隠れて伴侶ウォッチングをしている。
 ――この歪んだ夫婦関係をどう矯正したものか。あのバレバレなのに隠せていると思い込んでる姿が可愛いのだが、近づいていって抱きしめてはいけないだろうか。

(俺が悪いんだ。よく調査しないで思い込みで冷たくしてしまった。そして、謝るタイミングを逃し続けている……)

「旦那様、奥様は寝室に移動なさいました」
「そうか」
  
 自分はなんて意気地なしなのだろう。
 さっさと夫婦の寝室に行って「今まで悪かった。君を誤解していたよ」と言えばいい。
 
 しかし、いざ夫婦の寝室の扉を開けようとすると、葛藤が生まれる。

 彼女は自分が来ないことに慣れて、一人の寝室を安心して満喫しているだろう。
 無防備な薄着でいるだろう――想像しそうになって慌てて自分の頬を叩く。
 
 けだものめ、妄想で彼女を汚すな。
 でも、妻のネグリジェ姿、見てみたい。俺は夫だぞ。
 
 いやいや、衝動のままにこの扉を越えていくのはダメだ。夫婦がむつみ合うためには、順番がある。
 
 まず、目を合わせる。
 次に、挨拶をする。
 次は名前を呼び合おう。
 そして……手を握る。
 
 しかし、夫婦仲を進展させるには、問題がある。
 俺は「愛すことはない(キリッ)」と言ってしまったのだ――あれはとんでもない失敗だった……。
 
(いいや。このままではいかん。今日こそは! ……明日の昼、昼食を一緒に摂るのはどうだろう。あっ、そっちの方が健全だな)

 ――俺に寝室はまだ早い。まずは目を合わせるところからだ。
 
 ぐっと拳を握って意思を固めたウィスベルは、自分の部屋に戻った。
 そして、獲物を捕らえられなかった腹ペコの獅子のごとく背中を丸め、孤独に寝た。手には人形を抱いている。
 人形は、最近自分でつくった「レジィナさん人形」だ。「我ながらだいぶ拗らせている」と自覚している。でも、人形は力作で、お気に入りだ。

「すやすや、レジィナさん。……手を握ってもいいですか……むにゃ」
  
 健やかな夢をみた翌朝、ウィスベルのもとにお知らせが届けられた。
 
 なんと、妻が知人貴族の招待状を受け、パーティに参加するというのだ。
 しかも自分に同行を頼むことなく、「行ってきますね!」と連絡だけしてフットワーク軽くひとりで出かけてしまったという。

「待っ……、エスコートはどうするんだ」
「当家の騎士がいたします」
 
「騎士っ? 我が家の? 親しいのか?」
「奥様が日々修練場に差し入れをくださいますので、当家の騎士たちは皆、奥様の信奉者です」
 
「あれっ、それは不穏だな。全員惚れてたりしないか?」
「若い騎士が主君の妻に恋をするのはよくあることで……」

 家令はなんとなく楽しそうだ。これ、揶揄からかわれていないか?
 
 言っている内容が本当か冗談かわからないが、「いいんですか? にやにや。取られちゃいますよ? にやにや」と言われている気分だ!

「……急いで支度してレジィナさんの後を追うぞ!」

 クワッと宣言すると、家令は優雅に一礼して妻のドレスの色を教えてくれた。妻は美しいので、着飾った姿を早く見てみたい。
 「自分が見ていない特別な姿を他の男が見ている」と思うと、嫉妬でどうにかなってしまいそうだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

死を回避するために筋トレをすることにした侯爵令嬢は、学園のパーフェクトな王子さまとして男爵令嬢な美男子を慈しむ。

石河 翠
恋愛
かつて男爵令嬢ダナに学園で階段から突き落とされ、死亡した侯爵令嬢アントニア。死に戻ったアントニアは男爵令嬢と自分が助かる道を考え、筋トレを始めることにした。 騎士である父に弟子入りし、鍛練にいそしんだ結果、アントニアは見目麗しい男装の麗人に。かつての婚約者である王太子を圧倒する学園の王子さまになったのだ。 前回の人生で死亡した因縁の階段で、アントニアは再びダナに出会う。転落しかけたダナを助けたアントニアは、ダナの秘密に気がつき……。 乙女ゲームのヒロインをやらされているダナを助けるために筋トレに打ち込んだ男装令嬢と、男前な彼女に惚れてしまった男爵令嬢な令息の恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。表紙は、写真ACよりチョコラテさまの作品(作品写真ID:23786147)をお借りしております。

「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~

水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」 夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。 王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。 「左様でございますか」 彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。

愛するひとの幸せのためなら、涙を隠して身を引いてみせる。それが女というものでございます。殿下、後生ですから私のことを忘れないでくださいませ。

石河 翠
恋愛
プリムローズは、卒業を控えた第二王子ジョシュアに学園の七不思議について尋ねられた。 七不思議には恋愛成就のお呪い的なものも含まれている。きっと好きなひとに告白するつもりなのだ。そう推測したプリムローズは、涙を隠し調査への協力を申し出た。 しかし彼が本当に調べたかったのは、卒業パーティーで王族が婚約を破棄する理由だった。断罪劇はやり返され必ず元サヤにおさまるのに、繰り返される茶番。 実は恒例の断罪劇には、とある真実が隠されていて……。 愛するひとの幸せを望み生贄になることを笑って受け入れたヒロインと、ヒロインのために途絶えた魔術を復活させた一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID25663244)をお借りしております。

婚約している王子には少しも愛されていない聖女でしたが、幸せを掴むことができました!

四季
恋愛
多くの民が敬愛する女神パパルテルパナリオンの加護を受ける聖女リマリーローズ・ティアラはそれを理由に王子ガオンと婚約したが、愛されることはなかった。 なぜならガオンは幼馴染みルルネを愛していたからだ。 ただ、無関心だけならまだ良かったのだが、ことあるごとに嫌がらせをされることにはかなり困っていて……。

契約婚なのだから契約を守るべきでしたわ、旦那様。

よもぎ
恋愛
白い結婚を三年間。その他いくつかの決まり事。アンネリーナはその条件を呑み、三年を過ごした。そうして結婚が終わるその日になって三年振りに会った戸籍上の夫に離縁を切り出されたアンネリーナは言う。追加の慰謝料を頂きます――

晩餐会の会場に、ぱぁん、と乾いた音が響きました。どうやら友人でもある女性が婚約破棄されてしまったようです。

四季
恋愛
晩餐会の会場に、ぱぁん、と乾いた音が響きました。 どうやら友人でもある女性が婚約破棄されてしまったようです。

お前は要らない、ですか。そうですか、分かりました。では私は去りますね。あ、私、こう見えても人気があるので、次の相手もすぐに見つかりますよ。

四季
恋愛
お前は要らない、ですか。 そうですか、分かりました。 では私は去りますね。

竜神に愛された令嬢は華麗に微笑む。〜嫌われ令嬢? いいえ、嫌われているのはお父さまのほうでしてよ。〜

石河 翠
恋愛
侯爵令嬢のジェニファーは、ある日父親から侯爵家当主代理として罪を償えと脅される。 それというのも、竜神からの預かりものである宝石に手をつけてしまったからだというのだ。 ジェニファーは、彼女の出産の際に母親が命を落としたことで、実の父親からひどく憎まれていた。 執事のロデリックを含め、家人勢揃いで出かけることに。 やがて彼女は別れの言葉を告げるとためらいなく竜穴に身を投げるが、実は彼女にはある秘密があって……。 虐げられたか弱い令嬢と思いきや、メンタル最強のヒロインと、彼女のためなら人間の真似事もやぶさかではないヒロインに激甘なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:4950419)をお借りしています。

処理中です...