俺が想うより溺愛されているようです。-始まる前と終った後の話-

あげいも

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過去話

再会-12-

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「総帥!……ルー、どこや!アルノシト!」
 蒸気で分断された直後。エトガルは即座に不審者との距離を詰めた。
 反応する間も与えない。鳩尾への鋭い蹴り一発。身体が崩れ落ちるより早く襟を掴み、床に転がして動きを奪った。
 逃がさない。喋らせない。二度と立たせない。
 懐から拘束具を取り出すと、慣れた手つきで男の手足を縛り上げた。手首と足首を固め、口に布を噛ませる。
「そこで寝とき。後でたっぷり相手したるから」
 転がした男を一瞥した時、蒸気の向こうから誰かが走ってくる影が見えた。
「アルノシト! おい、無事か!」
 マークだ。顔を煤で汚し、血相を変えて飛び込んできた彼は、そこにいるのがエトガルだけだと気付き動きを止めた。
「エトガルさん、アルノシトは……」
「向こうや」
 視線の先。蒸気の壁で近付くことも出来ない廊下にマークは顔をゆがめた。
「そんな……」
「大丈夫や。ルーも一緒やし、あの子のことやから、ええ隠れ場所見つけとるやろ」
 呆然としたマークの肩を軽くたたいた後、声が低くなる。
「それより。まずはここ落ち着かせなあかん」
「……あ、あぁ。役所の人とかは他のやつが誘導して外に出してる。何人かは、ボイラー見に行くって」
 エトガルの口元に笑みが浮かぶ。
「さすが。優秀やな……自分も作業戻ってもらいたいんやけど、その前に一個教えて」
 エトガルの言葉よりも先に現場に戻ろうとしていたマークの動きが止まる。
「あのこがよく行く場所、教えて?」
「よく行く……?」
 質問の意図を掴みかねたのか、マークが首を傾げる。
「仮に自分が追っかけられて逃げるとしたら……全然場所分からんとこより、知ってるとこに行こってならへん?」
「あぁ、そういうことか! だったら──」
 マークが教えてくれた場所。部下を呼び、何人かで向かうように指示を出してから、先程寝かせた男の引き渡しのために出口へと向かう。
 手足を拘束された男を襟首掴んで引きずる様は、一般市民には見せられない。
 忙しなく動き回る人の間を抜けて、エトガルは裏口へと向かう。
 マークを始めとする職人達の判断は迅速で、大きな混乱もないまま、封鎖も避難も終わりつつあった。ここは任せられる。エトガルがやるべきは──次だ。
 裏口についたエトガルの耳に聞こえたのは車の音と蹄の音。
 その意味を悟った時、エトガルの眉間に刻まれた皺が緩み、口元に笑みが浮かんだ。

        ◇◇◇◇◇◇◇

 どれくらい走ったか。頭では分かっている──でも、理解はしたくない。分かってしまえば、足がとまりそうで。
 口元のハンカチを外した。これ以上、口を覆ったまま走るのは無理だ。
 走りたくない。座りたい。いっそ捕まってしまえば──そんな考えが、頭の奥にまとわりつく。
「……」
 頬を叩く代わりに、コートの襟を合わせた。泥を吸って重くなったそれ。返すと約束したが、金貨を使い果たし残るは懐中時計のみとなった今では、ここに置いていく方がいいかもしれない。
「……ごめんなさい」
 アルノシトはコートを脱ぎ、崩れかけた通路の奥へ投げた。ちらりと見える程度の、引き返しにくい位置へ。
 そこへ踏み込めば壁が落ちる──落ちれば、追手も。
 その想像だけで、息が苦しくなる。
 身軽になると同時に、寒さが肌を刺した。
 外へ出たい。
 その思いが足を踏み出させた。こんな誰も知らない場所で一人は嫌だ。
 ルートヴィヒを守らなければ、なんて立派な理由はもうなかった。ただ、外に出たい。
「……もう少し、頑張ろう」
 自分に言い聞かせながら走り出す。殆ど速度は出ない。それでも。
 次の脇道を右へ──そうすれば。
 距離が詰まっている。出口まであと少し。閉鎖された格子扉の向こう、僅かに零れる光に一瞬顔が緩んだ。
「動くな!」
 すぐそばで声がした。続けて乾いた破裂音。弾が壁を抉って跳ねる。
「……」
 振り向くこともできなかった。かつ、かつと近づく足音が、背後で止まる。
 次の瞬間、髪を掴まれ、床に転がされた。
 抵抗する余力はない。べしゃり、と嫌な感触が頬を濡らす。
「散々ひっかきまわしやがって。楽に死ねると思うなよ」
 髪を乱暴に引っ張り上げられ、無理やり顔を仰向けにさせられる。
「おい、この白髪も捕まえろって──」
「うるせぇ。雇い主は“捕まえろ”って言っただけだろ。少しぐらいいたぶっても」
 どっちにしても自分にとってはいい話じゃなさそうだ。
「目を閉じろ──!」
 争う声を切り裂くように、耳馴染みのある声。素直に目を閉じると同時、閉じた瞼を貫通するような光で目の裏が真っ白になる。
 頭上から短い悲鳴が降ってきた。人の争う音と声。髪を掴んでいた乱暴な手が離れ、のしかかっていた重みが消える。
 泥水に濡れていた体が、誰かの強い力で引き上げられた。
「……っ!」
 そのまま、硬い胸板に抱きすくめられる。
 泥と硝煙の匂いに混じって、鼻先を掠めた香り。冷たい地下の空気の中で際立つ、深く、上品な残り香──。
「……ルートヴィヒ、さん?」
 ようやく目を開けることが出来た。視界に飛び込んできたベストの生地。泥だらけのシャツと、青い瞳。
「……無事か! 怪我は!」
 切羽詰まった声。抱きしめる腕の痛いほどの強さ。
「は、い……なんとか……」
 安堵で、力が抜けた。再び地面に崩れてしまいそうになる身体を、ルートヴィヒが支えてくれる。
 腕を回す余力もない。ただ、胸に持たれて身体の力を抜いた。
「もうちょい、そのままでおってな。『片付け』するから」
 エトガルの声に顔を上げようとしたが、ルートヴィヒの手が頭を抑える。複数の足音。呻き声。金具の擦れる音。人の動く音がしばらく続き、静かになってからようやくその手が緩んだ。
「……ごめんなさい、服、汚しちゃって」
 アルノシトが顔を埋めた場所には、べったりと泥が張り付いている。顔を上げると、泣き出しそうな顔で自分を見ている青い目と視線が重なった。
 ルートヴィヒの手がそっと頬に触れる。泥で汚れた肌を拭うように、震える指が滑る。
「服など気にしなくていい……痛みはないか?」
 頷くとまた抱きしめられた。その腕が震えていることに気づいて、アルノシトは小さく口を開く。礼を言わなければ。
 そう思うのに言葉が詰まって出てこない。
「……大丈夫、です。ルートヴィヒさんは?」
 返した声が、自分でも驚くほど細い。視界が一度、揺れた。
 抱きしめる腕の震えが止まった。代わりに、さらに強く。息が詰まるほどに抱きしめられる。
「君は……もう少し自分を大事にしろ……」
 ごめんなさい。
 そう思っただけで、声にならなかった。極限の緊張から安堵の落差で、ぷつりと糸が切れた。
 腕の中の重みが増し、寝息に変わったことにルートヴィヒが気づくまで、しばらくかかった。穏やかに寝息を立てているだけだと分かると、ルートヴィヒの身体からも力が抜ける。
「……ルー?」
 遠慮がちなエトガルの声。ルートヴィヒは静かにアルノシトを抱き上げる。
「気を失ってしまったようだ」
 かつん、とアルノシトのズボンのポケットから懐中時計が滑り落ちた。それを拾い上げてからエトガルが後に続く。
「足向けて寝れんどころの話やないな、これ」
 いつも通りの軽口。ルートヴィヒは頷き返す。
「……」
 それ以上の言葉はなかった。ただ、腕の中の寝顔を見る青い目だけが、柔らかかった。
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