カクテルの紡ぐ恋歌(うた)

弦巻耀

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第六章 ブルーラグーンの資格

奇妙な打診(1)

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 九月の半ばを過ぎても、東京は痛いほどの日差しに照りつけられていた。

 それから逃れるように、美紗はコンビニが入る厚生棟へと足早に向かった。統合情報局が入る建物から厚生棟までは、やや広い道をひとつ隔てた距離しかないが、そこを歩くだけで汗をかいてしまいそうになる。
 地下通路を使えばよかった、と後悔していると、後ろから聞き慣れた声に呼び止められた。

「鈴置さん、今から昼メシ?」

 直轄チーム先任の佐伯が、半袖Tシャツに短パンという格好で立っていた。この炎天下にランニングしてきたらしい。アスファルトから立ち上る陽炎のせいなのか、ひょろりと背の高い身体がすっかり伸びきって揺らいでいるように見える。

「今日も走っていらしたんですか?」

 露骨にげんなりした顔で見上げる美紗に、佐伯はキャップ帽を取りながら頷いた。

「エアコンの効いた部屋でずっと座ってると、どうも体を動かしたくなっちゃいましてね。でも、今日はちょっと暑いから、いつもの迎賓館コースは止めて、敷地の中をぐるっと」

 防衛省の中を一周するだけでも1.5㎞近くありそうだが、相変わらず丁寧な物腰の佐伯は、大して息を切らしているふうでもない。

「小坂3佐が心配されてましたよ。熱中症になるって……」
「あいつこそ走ったほうがいいのになあ。はっきり言って、小坂の奴、少しは体形気にした方がいいと思うでしょう?」

 美紗は、小坂のずんぐりしたシルエットを思い浮かべ、あいまいな相槌を返した。
 佐伯は口元にいたずらっぽい笑みを浮かべると、首にかけてあるタオルで額の汗を拭った。そして、タオルを頭に当てたまま、周囲をちらりと見回した。

「そういえば鈴置さん。渉外班に興味あるんですか?」
「……事業企画課の、ですか?」
「そう。時々レセプションなんか行ってタダ飯食えるトコです。ああ、タダ酒もね」
「いえっ、私は別に……」

 慌てる美紗に、佐伯は珍しく表情を崩して笑った。
 在京フランス大使館のレセプションの話を「直轄ジマ」でしていたのは、二か月以上も前のことだ。その時、日垣の「奥様代理」としてレセプションに同行する機会を掴み損ねた美紗は、軽口の多い小坂のおかげで、食い意地の張った女を演じる羽目になった。早く忘れてほしいことほど、周囲の人間はよく覚えている。


「そのうち松永2佐から話があるかもしれないから、その時は遠慮せずに、自分の希望をきちんと言うといいですよ」
「でも……」
「松永2佐、寂しがりそうですけどね。何しろ『保護者』だったから」

 佐伯は、美紗が直轄チームに来たばかりの頃を思い出したのか、また小さく笑った。そして、「シャワーを浴びてこないと……」と言いながら、どこかへ走り去っていった。

 
 異動の、打診?


 同一部内においては、不定期での異動はさほど珍しいことではない。管理職同士で話がつけば、職員の配置換えは時期を選ばず柔軟に行われるのが常だった。
 それでもやはり、直轄チームに来て一年余りでの交代は、早すぎるような気がする……。
 

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