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二章

メルクとガスク

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 王城での会議の後、大聖堂には教皇や枢機卿を含め、2神教の大司教達が集まっていた。
 そして、枢機卿の息子であるメルクもそこに参加していた。

「ーー以上が本日の会議の内容だ」

 枢機卿のガスクが、自ら報告を行っている。

「式典は来年以降となってしまったが、来週あたりにクレア様との面会を確約出来た。全員、その日は必ず顔を見せるように」

「「ははっ」」

 ガスクの言葉に大司教や司教、全員が頭を下げる。宗教家の集まりとは思えないその様子を、メルクは陰鬱とした気分で見ていた。

(教皇様を無視して随分と独善的だな……。何よりもーー)

 チラと横目で教皇を見る。教会の最高位であるはずのその顔に覇気は無く、ただ茫然ぼうぜんと虚空を見つめるその目は全てを諦めたような悲壮感を感じさせた。

(多分、弱みでも握られているんだろうな……)

 メルクは父の事を良くは思っていなかった。父の張り付けた笑顔は薄ら寒く、近しい者程彼を恐れているのを知っているからだ。母に至っては常に距離を取っており、父と会話した事を見たこともない。
 自分に対しても子供というよりは道具だと考えているようで、建前以外で気遣いの言葉などかけられた事がなかった。貴族ならば誰でもそういった面はあるのかもしれないが、それでも父ほど冷徹な人間は見た事がなかった。

「メルク」

 そんな父が話しかけてきた。彼は考えていたことを悟られないよう、笑顔で答える。

「はい。なんでしょうか」

「クレア様が来られる際、お前も顔を出しなさい」

「私もですか?」

「お前はクレア様と同じ学校だ。親交を深めておいて困る事はあるまい。その上相手は元平民。最も爵位の低いお前ならば多少は気安かろう」

「わかりました」

 ガスクは自分の息子と神鏡の使い手が親しいとアピールしたいようだ。それでも、友人関係くらいなら問題ない。と、メルクが思っていたところで、ガスクが話を変える。

「ところで……メルク。マリア殿とはどうだ?」

「は? マリアですか?」

 会議には場違いな話題を振られ、メルクは困惑する。

「あぁ。テレーズ家も心配していたぞ? 何でも学園でも何度か騒ぎを起こしているそうだな」

 息子と婚約者の仲など、家でするような世間話の類だ。それをこのような場で聞くなど普通はありえない。メルクはすぐさま父の意図を考える。

(なんだ? なんで今そんなことを? 仲違いでも危惧してーー。いや、逆か。僕が迷惑をかけられていると言えば婚約破棄し、もっと条件の良い相手ーー例えばクレアさんとでも婚約させる気か? この男はどこまでーー)

 思考を続けていると、催促するように声をかけてくる。

「どうした? やはり迷惑をかけられているのか?」

「いえいえ。とんでもない。彼女は少し目立ちますが、僕の話をきちんと聞いてくれます。実家の権力を笠に着ることもしない、とても素敵な婚約者ですよ」

「……そうか。それは何よりだ」

 父の眼鏡の奥が怪しく濁る。やはり何やら企んでいるようだ。

「では、このまま良好な関係を続けるように」

「えぇ。善処します」

「さて、では来週についてだがーー」

 そう言って意識を参加者達に戻す父。そんな父を見ながら、メルクは改めて自分の境遇を思い知らされた。

(駄目だな……サラ様のお話は断ろう)

 暴走した婚約者をなだめるのは確かに大変だが、それでも不満などなかった。
 爵位がこれ程までに違う婚約。死ぬまで虐げられる可能性だってあった。だが、彼女は良くも悪くもそのような事に一切興味が無く、あくまで自分と婚約者は対等という考えだった。その事が、彼にとってどれだけ救いとなったか。

 魔人との戦いも重要だが、彼にとっては自分の人生も大事だった。クレアと下手に関われば、父の傀儡にされかねない。そんな事は御免だった。


 …………


「魔人との戦いには参加できない……ですか」

「はい。サラ様。申し訳ありません」

 今日もマリアはクレアの話を聞きたがった。ならばそのついでにと、メルクは自分もマリアと共にサラ達の元に訪れていた。先日の話を断る為に。

「……メルク様。魔人の力は強大です。加えて、それらと戦える才能を持つ者は限られております。メルク様を入れても現時点でたった8人しか確認出来ていないのです。それでも無理なのでしょうか?」

「自分勝手な返答という事は自覚しています。けれど、どうしても参加することは出来ません。申し訳ありません」

「そんなぁ……。マ、マリア様はどう思われているんですか? メルク様が参加されないことを」

「彼の意見は彼の意見。私がどうこう言うつもりはありません。メルク様は私がどんな行動をしても、無理やりいさめるような真似はしません。ならば、私もそのような事はしません」

「あぅぅ……」

 婚約者は自分の意思を尊重してくれるようだ。暴走しがちな彼女だが、こういう義理堅い所は素直に好感が持てた。

「メルク様。理由をお聞かせいただいても?」

 サラが厳しい視線を向ける。メルクは周囲を見回し、口を開く。

「皆様が他言しないと約束いただければ、お話いたします」

「わかりました」

「わ、わかりました」

「? 私もですか? わかりました」

 3人に口止めを済ませたメルクは、一呼吸置いてから話し始める。

「僕の父が2神教の枢機卿という事はご存じですか?」

「勿論です。マリアと婚約出来た理由の一つですね」

「えぇ。そうです。男爵家の跡取りでしかない僕が、テレーズ家側の事情を加味しても、侯爵家のマリアと婚約など、本来出来るはずがありませんからね」

「あら。私の実家は私を追い出そうと頑張っていましたよ? 仕方ありません。世の中には面白そうな事が多すぎますもの」

「マリア様……。自覚した上であの行動だったんですね……」

「はい。知りたい事を調べられない人生なんてなんの意味もありません」

「マリア……。貴方は妙な所で男らしいわね……」

(……ま、まぁ、それについては周知の事実なんだけど……)

 マリアの発言で話が妙な方向に行ってしまった。メルクは口元に握りこぶしをつくり、オホンと咳払いしてから話を続ける。

「えぇと……。まぁ、僕たちの婚約はお互いの家が更なる力を持つために行われたものでした。そしてこの婚姻を組んだのは、私の父。ガスク・ハーディーです。男爵以上の家。それに加えて、より高い爵位を持つ家の、婚約出来そうな相手を調べ続けていました」

「貴族としては自然な行動ですね」

「そうです。その行動だけを見れば問題ありません。しかし、どうもマリアの婚約候補は他にもいたそうなんです」

「え? そうなんですか?」

「どうして本人が知らないんですか……」

 クレアが呆れたような視線を向ける。が、彼女は興味のない事にはとことん興味がない。メルクも薄々知らないだろうとは思っていた。

「その婚約候補なんですがーーどうも余りおおやけに出来ない理由で辞退したようで……」

「成程……。貴方のお父上は権力の為に手段を選ばないお人という事ですね。それでメルク様は魔人との戦いをーーというよりはクレアやシルヴァ様との関わりを避けたいという事ですね」

「流石はサラ様。お察しの通りです」

「? どういう事ですか?」

 メルクの説明にすぐさま理解を示すサラ。そんな彼女と対照的に、内容が飲み込めないクレアはメルクとサラを交互に見る。

「父は2神教の枢機卿にまで登りつめました。しかし、恐らく真っ当な手段で手にした立場ではないでしょう。先ほどサラ様が仰ったように、あの男は権力の為なら手段を選ばない男です」

「あー。そういうことですか」

「え?」

 マリアはこれでも侯爵令嬢。メルクの言いたい事を理解したようだ。

「僕が下手にクレアさんと交流を持てば父の事です。2神教での立場を上げることを優先します。恐らく、マリアを理由に婚約破棄し、僕とクレアさんとの婚約を推し進めるでしょう。そうなれば、他の貴族も自分の娘や息子をクレアさんや殿下に嫁がせようと動く筈です。
 そうなっては最早、国が混乱して魔人との戦いどころではなくなります」

「そうでしょうね。私とシルヴァ様の婚約破棄もそれが理由でしたから」

「はい。父は国の存続より自身の権力を優先する男です。ですので今後、僕はクレアさんと関わる事を極力避けます。
 幸い、マリアもクレアさんと親しくなれたようですから、今後は僕が同席する必要もないでしょうし」

「そうですね。私はもうクレアちゃんとお友達のつもりです。クレアちゃんはどうですか?」

「え? ……えへへ……。はい! お友達です!」

 初日の騒動など無かった事のように、『友達』という響きに嬉しそうに答えるクレア。それを見たサラがイタズラ気味に口端を上げる。

「あら? じゃあ私は用無しかしら?」

「え!? そんなぁ!? サラ様もお友達でいてくださいよぅ!!」

「フフ……。勿論よ。貴方が誰とどういう関係を築いても私は変わらず友達よ」

「もう! 絶対ですからね!」

「はいはい」

 そんな事を言いながらも、しがみつかれて嬉しそうなサラ。もしも自分があの立場だったら、平民とあそこまで仲良く出来ただろうかと、メルクは改めて関心した。

「マリアも。知った仲ではあるけど、これからもお友達としてよろしくね?」

「えぇ。よろしくお願いします。サラ様」

「ーーと、話が逸れましたね。メルク様。今のお話他言はしません。しかし説明無しでは私の仲間が納得しないかもしれません。ですので、何人かが説明を聞きに、メルク様の元にお邪魔するかもしれません」

「構いません。国の一大事ですからね。寧ろ自分の口からきちんと説明したいので、来ていただくようお伝えください」

「わかりました」


 こうしてこの場は解散となった。

 しかし後日、メルクは父の野望からは逃げられないことを思い知らされることとなる。
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