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三章

ロイド・スコット1

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 中間試験の結果が発表された日。
 学年主席であるロイドは1人、その長い髪を揺らしながら廊下を歩いていた。
 背中の辺りにまで伸びた赤い髪を三つ編みのように編んでおり、頭頂から流れる一本線は火柱のようだ。
 
 そんな彼の今季のテストは全教科満点。当然、今回も一位だ。そして、シルヴァとサラも同点で一位だった。
 だが、ロイドはそこに対して特に思う所はなかった。

(神に愛された僕が満点を取る事は当たり前。殿下は僕と同じ、神に選ばれし者。シルフォード嬢はそこまででもないが、光るものはある)

 ただ、どちらにしてもそれ以上の興味は持っていなかった。
 
 彼が点を取る理由は唯一つ。口うるさい実家や煩わしい婚約者にとやかく言われないためだ。

(ま、彼らが優れていればいるだけ、彼らにも勝る僕の評価が上がる。僕は僕で勝手にやらせてもらおう)


「ロイド様」

「ん?」

 思想にふけっていると、前から歩いて来た女生徒ーーエレナが声をかけてくる。栗色の髪を後頭部でまとめ、派手さは無いが品の有る髪飾りをつけた、ロイドの婚約者だ。
 ただ、自分から話しかけておきながら、彼女の表情は険しい。ロイドもうんざりとした気分で対応する。

「あぁ、君かい。エレナ。何のようだい?」

「中間試験1位、おめでとうございます」

 自分に労いの言葉をかける彼女の眉間には皺が寄っている。言葉と違って内心は好意的でないのが明らかだった。

「いいよ。そんなお世辞は。それとも、お小言の為の前置きかい?」

「なっ!? 私は貴方の健闘を称えようとーー」

 自分のイヤミに彼女は食って掛かる。こんなことを言えば余計にこじれることはわかっていたが、嫌悪感を前面に出す相手に優しく出来るほど、ロイドは温厚ではなかった。

「称えるってなんだい。僕はいつだって常に成果を出してきた。これまでもこれからも変わらない。
 それとも、僕も君を褒めればいいのかい? 上位おめでとうって? バカらしい」

「あっ……貴方はいつも……! そうやって私をバカにして……」

「見下しているのはお互い様だろ? 貴族の癖に勝手な振る舞いをしていると、僕への愚痴を言っていたそうじゃないか」

「それは……! 当然じゃないですか! 婚約者のいる身で他の女性に手を出して!」

 ロイドは憤慨とする彼女を見やる。彼女だって、家の都合で自分と婚約させられた被害者ではある。だが、将来結婚してからは流石にこんな振る舞いは出来なくなるだろう。自分を嫌う女と一生を共にしなければならないのだ。学生でいる間くらい、自由にさせてほしいというのがロイドの気持ちだった。

「今だけだよ。卒業後は君の言うような理想の貴族になるさ。
 だから君も好きな相手を見つけたらどうだい? いずれは嫌いな僕と、一緒にならなきゃいけないんだから。自由に恋愛が出来るのも今だけだよ?」

「私が言いたいのはそう言う事じゃ……! ……? サラ様?」

「何?」

 婚約者の言葉に振り返る。そこには彼女の言葉通り、サラが立っていた。

「おや、シルフォード嬢。どうしたのかな? ん? それにクレア嬢も一緒か……。という事は?」

「えぇ。お察しの通りです。先日のお話。考え直していただきたいと思いまして」

「まったく……。先日も話しただろう? 僕の損失は世界の損失だからね。そんな戦いに身を投じるつもりはない」

「そうですね。ただ、これは国の一大事。簡単に折れる訳にはいかないのです」

「やれやれ。とりあえず人気のない所に移動しようか。廊下で話す内容じゃないからね」

「……何のお話ですか?」

 急な話にエレナは困惑の色を浮かべる。だが、ロイドには好都合だった。これで不毛な言い争いを終わらせられると、エレナに顔を向ける。

「エレナ。僕はこの二人と話があるから移動するよ。君は悪いけど席を外してくれ」

「なっ……!? 貴方このお二人にまで手を……!?」

「そんな訳がないだろう。流石に公爵令嬢と神鏡の使い手相手に迂闊な事はしない。
 もう、いいから下がってくれよ」

「ぐく……! ……っ!」

 その言葉に走り去っていくエレナ。大人しく退散してくれて助かったと息を吐く。

「悪いね。見苦しいものを見せてしまって」

「……一緒に聞いていただいても良かったんですよ?」

「彼女が一緒にいてもこじれるだけだよ。僕の意思は変わらないからね」

「そうですか……」

 そうして二人と共に、ロイドは学園の隅にやってきた。
 面倒ではあるが、流石に公爵令嬢と神鏡の使い手を無視は出来ないと、ロイドは自分の髪をいじりながら口を開く。

「さて、さっきの続きといこうか。そもそも、カイウス君やメルク君も戦うのだろう? カイウス君は双竜の弟子。当然腕も立つ。加えて、メルク君は治療魔法を使えるのだろう?
 そんな中で僕に声をかける理由がわからないな。幾ら魔力で身体能力を上げられるとはいえ、僕の剣の腕は皇太子には遠く及ばない。それが役に立つとも思わないね」

「はい。ロイド様に期待しているのは、そこではありませんからね」

「なんだい? 僕の腕では未熟だと?」

 サラの淡々としたセリフにカチンときてしまう。イヤミを言われたとは思わないが、それでも先ほどの婚約者とのやり取りで気が立っていた。
 加えてここ数日、サラは急に大人びた。そんな彼女に比べると、なんとなく自分が子供じみているように思えて気に食わない、という気持ちがロイドに無いとはいえなかった。

 だが、そんなロイドの反応にも、サラはただただ平坦なトーンで応える。

「まさか。そのような事はありませんよ。ただ、特筆すると私達はロイド様の持つ、馬術と弓術のスキルが欲しいのです」

「弓術?」

 予期せぬ言葉にロイドは固まる。

「えぇ。ロイド様。ご経験は?」

「いや……無いな。乗馬は勿論完璧にこなせるがーーひょっとして、乗馬しながら弓を扱えと?」

「はい。ロイド様にはそのような才能があるようです」

「わ、私の守護騎士がそのように言っていました。ロイド様の強みは乗馬による機動力と、正確無比な援護。そして、全体を見る力だそうです」

 クレアも会話に入ってくる。
 だが、ロイドは困惑したままだった。
 乗馬はわかる。授業の様子でも、皇太子を抑えて学年一の腕を持つ事は知られている。
 全体を見る力についてもまだ、理解出来る。自分もそれは自覚しているから、洞察力が高い者には察知できるだろう。

 しかし、弓の才能とはどういうことだろうか? 自分は弓など触ったこともない。だというのに守護騎士はそれをどうやって見極めたのだろうかと頭をひねる。

「ふむ……。クレア嬢。才能があるという根拠については?」

「ごめんなさい。私の守護騎士たちも才能がある事はわかるみたいなんですけど、その根拠については説明できないみたいで……」

 感覚的に判断している、という事だろうか? しかし、守護騎士に自分達の常識を当てはめるのもナンセンスだと結論づけた。なんにせよ、自分の考えは変わらないからだ。

「そうかい。それなら、尚更戦えないね」

「え!? どうしてですか!? ロイド様の力があれば、魔人との戦いだってより有利にーー」

「そこだよ。クレア嬢。魔人との戦いでメインになるのは、君と皇太子殿下であり、僕達はただのおまけだ。
 更に僕の武器は弓矢なんだろう? そうなると、余計に目立てない」

 自分の言葉に、サラは厳しい視線を向ける。

「目立つことの方が重要なのですか?」

「そうだね。シルフォード嬢は知っているだろう? 僕のこの振る舞いが許されている理由を」

「えぇ。その振る舞いが許されるだけの、実績を積み上げておられるからですね。魔人との戦いではその実績にならないという事ですか?」

「その通り。
 勿論、国を守る為の戦いだ。当然、僕が上げてきたこれまでの実績とは、比べ物にならない程、大きな功績になるだろうね。
 けれど……ハッキリ言って、ただのわき役で参加するなら、命をかけるほどじゃないと思っている。それなりの実績は、僕なら危険な橋を渡らなくても積み上げられるからね」

「国が無くなっては実績も何もありませんよ?」

「命が無くなっては実績をあげる意味がない。実績はただの手段。目的はあくまで自由だ」

 ロイドには他の誰よりも自分が優秀だという自負がある。自分なら、命をかけずとも傑物になれる自信があった。だからこそ、ここで頷くつもりは毛頭ない。

 だが、サラは意外にも納得したように頷いた。

「……わかりました」

「サラ様?」

「おや? ご理解いただけたかい?」

 ロイドは意外に思いつつも、サラの様子を窺う。

「今、この場でロイド様を納得できる材料が無い事がわかりました」

「なら、どうする? 君や殿下。それに神鏡の力で無理やり僕を仲間にするかい?」

「ロイド様? わかっておっしゃっていますね? 戦意のない味方など、戦場では下手な敵よりも厄介でしょう」

「フフ……流石はシルフォード嬢」

「えぇ。ですからここは一旦引きます。貴方を説得できる材料を揃えてから、また来ます」

「それ以外の用事で来てくれても構わないよ? それこそ恋愛相談なんてどうだい? 親身になって聞いてあげるよ?」

「結構です」

「つれないねぇ。シルフォード嬢は」

「私もクレアも、相談できる年上の男性が身内にいます。ですので、そのようなものは不要です」

「そうかい。ま、話はわかったよ」


 そう言って、その場を離れる二人。面倒なことだと息を吐く。だが、こちらを納得させるだけの根拠が見つかるまで、しばらく近づいては来ないだろう。
 なら、これまでと何も変わらない、とロイドは踵を返した。
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