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四章

エレナの危機

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「「…………」」

 もうどのくらいここに閉じ込められているのだろうか、とエレナは思った。
 食事は美味しくないし部屋は汚い。寝床は固いしトイレも護衛二人に気を遣われて羞恥の中で使用しているし、汗を流すなど出来るはずもない。

 一応今の所、貞操だけは無事である。ただ、このような所ではいつ奪われるかもわからない。
 その上、ずっと牢屋の中に閉じ込められては、時間の感覚も分からない。

 結果、不安や恐怖に加えてありとあらゆるストレスに苛まれ、エレナはどんどんと憔悴していった。気を抜けばすぐに泣いてしまうので、エレナの目は充血し、顔にはいくつもの涙の跡が出来ている。やつれた腕に力は入らず、護衛の二人も自分を心配しているのが分かる。

 そうしてただ無気力に壁によりかかっていると、扉の方に数人の人影が現れた。

 もう食事の時間なのかと思ったが、様子がおかしい。
 手には何も持っていない上、いつもなら一人か二人しかいない筈なのに今日は五人もの人数がいる。

 そして彼らの目を見た時、エレナの体に悪寒が走った。彼らの目的は明らかにーー

「いやっ!」

 エレナは怯え、部屋の隅に逃げ込んだ。事態を察した護衛二人が後ろ手に拘束されたままながら、エレナを庇うように立ちはだかる。

「おい! お前達何の真似だ!?」

「お嬢様に何かする気なら許さんぞ!?」

 自分達とエレナの関係がバレないように、あくまで主従の関係である事を強調する。しかし、男達はそんなことに興味もないようだ。

「……頭からはお前らを傷つけんなとは言われているがよ……よく考えたらテメェらが黙ってりゃあいいだけだよな……?」

「オレ達ももう我慢できねぇのよ……」

 そう言ってにじりにじりと近づく男達。

「させるか!」

 護衛の一人がローキックを放つ。しかし容易に防がれた挙句、別の男にタックルで押し倒される。

「ぐあっ!?」

「へへ……いくらテメェが騎士様だっつっても、手を縛られた上に体力まで落ちてりゃなぁ……」

「駄目押しにテメェらは二人一組で遊んでやるよ。さて、最後の一人が誰を相手にするかは分かるよなぁ……?」

 もう一人の護衛も組み伏せられ、最後の男がゆっくりとエレナに近づいていく。エレナはなんとか身を守ろうと膝を抱え込んで丸まった。

「いや……来ないで……」

 震えた声で、懇願するエレナ。しかし彼女のそんな姿はただ男を喜ばせるだけだった。

「良いねぇ……多少抵抗してくれた方が興奮するからよぉ……。それにこの牢屋はかなり奥まった場所にあるからな。よっぽどの大声でもなけりゃあ聞こえねぇのよ。だからまぁ、せいぜい可愛く鳴いてくれや」

 護衛二人も必死にあがくが、それでもどうにもならないらしい。二人共エレナの名を叫び続けている。
 
 彼ら彼女らの必死の抵抗をあざ笑うような手がエレナに伸びたーー


 瞬間、男の顔面が爆発した。


 …………


 エレナちゃんに手を伸ばした男の顔面に、簡易爆弾ーーというほどのものではないが、爆竹程度の爆発を喰らわせてやった。
 幸い、オレは昨日からずっとエレナちゃんの側についていたが、どうやら正解だったらしい。
 しかしボスの命令も聞けないなんて、フローラさんじゃないがお仕置きが必要だな。

「ぎゃああああ!? 顔がアチィ! テメェ、何をーー」

 男がエレナちゃんにすごむ。ま、流石にこんなもんじゃあ止まらんわな。顔の火傷も2,3週間で治る程度のものだ。だけど、これならどうかな?
 赤く火傷した顔に、唐辛子とレモンから作ったシミ薬を塗りたくってやる。

「っ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

 あまりの痛みに断末魔のような叫びを上げる男。うん。痛いだろうな。それも何が起こったか分からずに痛むのだ。キツイし混乱するだろう。

「があ゛あ゛……許さねぇ……許さねぇぞ……」

 男はうめき声を上げながらエレナちゃんを睨みつける。へぇ。まだまだ元気らしいな。
 それならーーとどめといこうか。

「はぁ、はぁ……滅茶苦茶にしてーーっあ゛っ!?」

 憎しみをたたえていた瞳から一変、突然の衝撃にまぶたを大きく開く。そうしてうめき声を上げ、股間を抑えてうずくまる男。
 うむ。流石に不意打ちで玉を殴られれば立ってはいられまい。これ以上の狼藉を働くなら爆弾を股間にも投げてやろうかとも思ったが、その必要は無さそうだ。
 先程から一人芝居のようにうめく男に、周囲の人間はエレナちゃんを含め、何が起きたかもわからずオロオロとしているか呆然としているかのどちらかだけだ。これならある程度の時間は稼げそうだな。

 そうしてしばらく静観していたところで、牢屋の外からどたどたと音が聞こえてくる。どうやらこの男の叫び声が施設中に響き渡ったらしい。大の男が上げた断末魔だ。いくら奥まっているとはいえ、声が良く通ったのだろう。

「ーーおい、一体なにがーーお前ら!? 何してやがる! ボスの言い付けも忘れやがったか!?」


 こうして、エレナちゃん達に襲い掛かった男たちは連れていかれた。後に残ったのはエレナちゃんと護衛二人だけだ。
 しかし、未だに状況に頭が追いついていないらしい。ただ口を開けたまま固まっている。

 エレナちゃんはオレの存在を知っているんだから察しても良い気もするが……いや、流石にあんな目にあったんだ。混乱して頭が回らないのだろう。仕方なく、エレナちゃんの肩を叩いてやる。

「ひっ!? えっ、なに!?」

 突然肩を叩かれてキョロキョロと辺りを見回すエレナちゃん。そんなエレナちゃんを護衛二人は不思議そうに眺めている。
 いきなり紙を見せてもと思ったのだが、肩を叩いたところで驚かせてしまう事に変わりはないようだ。
 ……いや、違うか。出会って間もない頃から平然と対処していた王子がおかしいだけだ。彼ならいきなり肩を叩いても『ん? あぁ、玉木か』くらいで済ましてしまう。しかし流石にアレを普通と考えるのは不味いか。

 とりあえず安心させる為に、シンプルに伝えたいことを書いた紙を地面に置いてやる。

「え、紙……? ……『落ち着いて』?」

 キョトンとするエレナちゃんと護衛の二人。しかしエレナちゃんの表情は、段々と喜色に染まっていく。

「あ……あぁ! たまーー」

 ちょっーー!?

 あまりの喜びに声を上げそうになったエレナちゃん。しかしここで騒がれても不味いので、慌てて口元を抑える。

「んっ!? んーっ!?」

 いきなり口を塞がれてパニックになるエレナちゃん。流石にこの状況で文字を書く余裕はないので、地面の紙を片手で拾い上げ、エレナちゃんの目の前で何度も揺らす。護衛二人は一人でに紙が浮いたことに目を丸くしているが、とりあえずはエレナちゃんを落ち着かせよう。

 目の前の『落ち着いて』と書かれた紙に、コクコクと頷くエレナちゃん。……もう大丈夫か? 恐る恐る手を放して様子を見るが、一応は落ち着いたらしい。黙ってオレからの反応を待っている。
 ふぅ、と一息ついて筆を走らせ、新たな紙を護衛二人の前に置く。

『私は神鏡に関わる者だ。お前たちの事は知っている。シルフォード家の勇敢な騎士達よ』

 護衛の二人はいきなり現れた紙に目を白黒とさせた後、紙とエレナちゃんを交互に見つめる。しかしエレナちゃんもオレの意図が分からないらしく、どう答えていいものかと口をもごもごとさせている。
 ……いかんな。チートな程の理解力を持つ王子やゼルクさん達との交流が主だったから、つい彼らと同じような感覚でコミュニケーションを取ってしまう。実際、オレがエレナちゃんの立場なら、こんなやり方で理解出来る訳がない。

『いきなりですまない。私についての詳細はエレナ嬢から説明させるが、そのために彼女と話をしたい。騎士達よ。悪いが少し離れてもらえるか』

 新たに現れた紙を見て、エレナちゃんの方をチラと見る護衛達。エレナちゃんも状況は飲み込めていないようだが、とりあえず頷いてくれる。そうして彼らが距離を取った事を確認してから、エレナちゃんに改めて指示を出す。

『驚かせてしまってゴメンね。まず、オレについてなんだけど、オレが魔人という情報は伏せたいんだ。あくまで神鏡に関わる何か、ということにしたいんだ』

 両手で口を押さえながらも必死に頷くエレナちゃん。さっき口を塞いだから、余計な事を言わないようにしているのだろう。……なんて健気な……。

『さっきの奴らは連れていかれたけれど、また何かあっても不味い。だから、エレナちゃんは神鏡に関わる何かに守られていることにしよう』

 出来ればオレの存在は隠しておきたかったが、ここにきては仕方ないだろう。それに、どのみち敵の魔人側にはオレの存在はバレている。多少は許容範囲だ。
 ただ、それでも与える情報は少ないに越したことはない。オレの事はあくまで『正体不明の何か』で押し通しておきたい。魔人に効く保証のない唐辛子玉といった武器はともかく、メインウエポンであるボウガンについての情報も然りだ。

『君達を助ける為にも、ここで君を守り続ける訳にはいかないんだ。だから、エレナちゃんの口からアイツラに伝えて欲しい。「自分は神鏡の使い手の仲間だ。自分に危害が加われば、先ほどの男のように謎の何かが報復に来る」って』

 連れていかれた顔に火傷を負った男。アイツから話を聞けば、きっと事情を聞きに傷の男も出張ってくるだろう。

『勿論、何も言わずにここを離れたりはしないから安心して。多分、もう少ししたらさっきのヤツラが話を聞きに戻ってくる。少なくともボスにこの話が伝わるまではここにいるから、話をする時は存分にハッタリをかまして欲しい。「何をされるか私にもわかりませんよ~?」とかね。君自身の身を守る為だ。やれるかい?』

 オレの言葉に、先ほどまで怯えていた少女は希望を瞳に宿し、何度も頷いてくれるのだった。
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