上 下
110 / 113
四章

父の覚悟

しおりを挟む
「やれやれ。ようやく到着か。まぁ、距離を考えれば驚異的な速さではあるんだがーー」

 スレイヤ君と邂逅後、帰路についたオレ達はその日のうちにパパさんの部屋に戻って来た。
 馬車で2日もかかるような場所から、半日程度で帰ってこれたのだからパパさんの言う通り驚異的だろう。
 ただ……

「ーーしかし、玉木君……この恰好はもう少しなんとかならないか?」

 パパさんがげんなりとして、鏡越しに尋ねてくる。
 そう。問題はその移動方法なのだ。


 さて、ここで一旦オレの能力を整理しよう。
 オレの能力は浮遊、隠密、透過の3つだ。

 そして特記すべき事がある。
 1つ目の浮遊だが、実はオレの体全てが浮遊出来る訳ではない。オレの重心ーー所謂いわゆるへその下辺りに力が働いている。この為、完全に脱力して浮遊した場合、前屈した状態でフワフワと浮くのだ。
 そしてこの能力の真骨頂だが、上に持ち上げる力に際限がない所だ。どれだけ重いものでもオレの重心に置けば持ち上げる事が可能だし、いくらでも浮遊し続けられる。まぁ、余りに重いものに対してはオレの体が潰れるだろうが。

 更に3つ目の透過。ゴースト、とオレは読んでいる。ゴースト化をすると、オレに触れたものも一緒にゴーストとなる上、2つ目の隠密の効果も対象に与える事が出来る。オレの姿がサラちゃんフローラさん以外から見えないのは変わらないが。
 しかしどういう原理か知らないが、ゴースト化をしても重力の影響は受けるので、あまりに重たいものは抱えられない。
 先にも述べたが、浮遊の力はオレの重心にしか働いていない。例えば巨大な鉄塊でも背負おうとすれば、浮遊の力と鉄塊に挟まれて、オレの腰が粉々になるだろう。


 さて、それらを踏まえた上で今回の移動についてだ。
 パパさんは成人男性。当然、フローラさんよりずっと重い。
 そんな人物を背負って長距離を移動すればオレの筋力が持たない。その都度休みを挟んでしまうと、馬車を使った方がずっと早いだろう。

 そこでオレは考えた。支えるのではなく、直接重心の上に乗ってもらう。そうすれば休みも必要なく、理論上は無限に運ぶ事が出来るのではないか、と。

 結論から言えばそれは正解だった。これにより、オレは人一人ならばどこにでも運ぶことが出来るようになった。
 しかし、問題はその見た目だ。

 全身の力を抜き、だらりとした状態で浮遊すれば、前屈した状態になる。サラちゃんやフローラさんならオレの事が見えてはいるので、なんとか座ることも出来るだろう。しかし、それ以外の人物では安定して座る事など出来るはずもない。
 そうなるとオレと同じ体勢になり、背負いベルトーーいわゆる子供を背負う時やスカイダイビングのインストラクターが使うようなものーーで固定するしかない。

 結果、前屈して浮遊するオッサンにもう一人のオッサンがうつ伏せで覆いかぶさるという、目を塞ぎたくなるような惨状が出来上がってしまった。
 店の隅っこで虫の死骸を発見したかのような、サラちゃん達のあの虚無な視線をオレは一生忘れないだろう。

『……検討します』

「頼むよ……。娘にあんな目を向けられたのは初めてだったからね……。私も軽くトラウマになりそうだよ……」

 先程までスレイヤ君に見せていた覇気はどこへやら。こうして話すとやはり親しみやすい人物だ。
 だからこそあの件、少し深掘りしておこう。
 オレは再び筆を走らせる。
 

『それはそうと……スレイヤ君の件ですが、貴方の伝えたかったのは【スレイヤ君にも利がある話】という事だけですよね』

 オレの見せたメモをふむふむと眺めるパパさんだったが、段々と真剣みを帯びた表情に変わってゆく。

「うん、そうだ。しかし流石だね。サラから聞いているよ。君は交渉も得意らしいね」

 パパさんの頷きに、改めて納得する。
 何日も監禁され、スレイヤ君は心身共に疲弊していた。その状態でいきなり現れ動揺させる。そして様々な情報を押し付けて混乱させ、とどめに彼を挑発して感情を爆発させる。そうして低下した思考力では、まともな判断も出来なくなるだろう。
 そこで最後の最後に、彼の欲ーー本心と言ってもいいかもしれない。そこに彼の望むものをチラつかせる。
 彼を見下す者達を見返すこと。いわゆる復讐というやつだ。

 だけどーー

『貴方の命運まで握らせる必要がありましたか?』

 この人は最後、スレイヤ君に向かってそんな事を口にした。彼が当主となった後、自分が殺されても構わない、と。

 スレイヤ君によるシルフォード家乗っ取り。これはオレが考えた策だ。しかしオレの考えでは、パパさんの事は行方不明扱いにするつもりだったし、サラちゃん達にもそう伝えている。
 パパさんが死ねば、サラちゃんが悲しむ。そんな事、オレは望んじゃいないんだ。

 ただ、オレのそんな考えもパパさんは理解しているらしい。読み上げたあと、パパさんはフッと笑った。

「君は、本当に心優しい男だな。君が懸念しているのは娘の事だろう? 大丈夫さ。あの子は強いよ」

『強い事は知っています。ですが、それと悲しまない事は別です。それにオレも、貴方を死なせたくはありません。スレイヤ君を奮起させるためだとしてもやりすぎです』

「……君は少し甘いみたいだね。別に彼の為だけに言った訳じゃないよ」

 パパさんはスレイヤ君に見せたような冷たい表情を、鏡の中のオレに向ける。

「彼がするのは公爵家乗っ取りだ。貴族達がそれをただ静観してくれるとは思えない。だからこそ、明確な見せしめが必要だ。英雄である新当主は、必要とあれば恩人すらも切り捨てる事が出来る、とね」

 話ながらパパさんは静かに目を細めた。
 パパさんの言いたい事も少しは分かる。いつだったか、サラちゃんも言っていた。貴族は弱みを見せたら潰される、と。だけどーー

『公爵家の当主には周囲からの信頼が必要では? 恩人を殺すようなものに人がついて行くとは思えません』

「……いいや、付いてくるよ。普通の世界ならば義理人情というのはリーダーに求められる資質だろうね。だけどね、公爵家当主に求められるのはカリスマとーー非情さだよ」

『ですが、そのカリスマは信頼性ありきのものではありませんか?』

「普通なら、ね。だけどね玉木君。彼にも言った通り、スレイヤ君が当主になる頃には他2つの公爵家とシルフォード家の影響力ではかなりの差が出来てしまう。そうなれば、様々な人間が集まるだろうね」

「ーーあ」

 パパさんの言葉に、オレは理解した。そうか。つまりパパさんの言う、非情さを示す相手というのはーー

「気づいたかい? そう。その集まる人物の中には、自分達が美味い汁をすすろうと、ハエのようにたかる者達もいるだろうね」

『ですが、オレならそんなヤツラの監視も出来ます!』

「……君の力は充分に知っているよ。だけど、君一人でどうこう出来るものではないよ。それとも君は何十人もの人間を同時に監視出来るのかい?」

 パパさんの言葉に表情を曇らせる。分かっている。今回ですら、エレナちゃんとスレイヤ君、両方を守る事など出来なかった。たまたま今回はスレイヤ君に非があったから彼の護衛はしなかったが、これがサラちゃんだったらオレに全部を守る事が出来ただろうか。

「……済まないね。君の気持ちはありがたいが、どうしようもない事もあるんだよ」

 そうして窓に顔を向けるパパさん。
 ……確かに、今パパさんを納得させられる答えをオレは持ち合わせていない。
 だけどーー!

『分かりました。では、ギリギリまで方法を考えます。場合によっては娘さんにも相談しますので悪しからず』

「なっ!? 私の話を聞いていなかったのか!? 私の死は避けられない事でーー」

「ピピーッ!」

 眉にしわを寄せ、鏡に向かい笛を吹く。否定を示す、2回の音で。
 そんなオレに、パパさんは神妙な面持ちで問いかけてくる。

「……君は娘にーーサラに相談するという事がどういう事か分かっているのか? 最悪の場合、私を殺す選択をあの娘に選ばせることになるんだぞ!?」

 パパさんが声を荒げる。
 そこにいたのは非情な公爵家の当主ではなく、ただの娘を想う一人の父親だ。
 だからこそ、簡単に死なせてなるものか。

『えぇ、分かっています。フローラさんにも気軽に相談するつもりはありません。まずはゼルクさん、ゼリカさん。後はシルヴァ君達にも状況次第では協力をお願いします。ただどちらにせよ……オレは諦めません。オレに出来る事を全て駆使して貴方を止めてみせます』

 オレの言葉を読み、そしてオレの目をジッと見つめるパパさんだったが、しばらくの後、諦めたように脱力した。

「はぁ……分かった。君がしたいならすればいい。期待はせずに待っておくよ」
しおりを挟む

処理中です...