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第14話 鼠の穴の手がかり
しおりを挟む兄様たちが息を飲んだ音が大きく聞こえた。
「ユリア、もう良いわよ、あれをよろしくね。予定通りで大丈夫よ」
私は後ろにいたユリアに声をかけた。その声に困ったような笑みを浮かべたユリアだが、諦めたように小さく微笑んだ。
「こんな時にわたくしだけ外に出すなんてあんまりですが――、そういたします。でも、程々にい願いしますね、では」
そう言うと出ていった。それを合図にラファエルも動き出した。
「ここは私一人で大丈夫だ。戻っていいぞ」
扉の方に行くと外の騎士にそう言って戻ってきた。そして、いつものキラキラスマイル――有無を言わせぬ令嬢が倒れるような笑顔を浮かべた。
「さて、カリン。俺からもどういうことか聞きたいのだが、な。どうしてこんなところにいるんだ?」
「だから、私がここにいてはいけない訳?――それは、何故?」
私は畳み掛けるように質問を繰り返した。
でも、兄様たちは黙ったままだった。また、最初に口を開いたのも兄様だった。
「カリン、ここはそんなに簡単に出入りできるようなところではないだろう?」
「簡単にじゃありませんよ。言ったでしょう?王妃様の許可はもらった、って。何か不満でもあるわけ?」
「カリン、俺に用があるんだろう?セロシアではないだろう。ということで要件を言ってくれるだろうか?」
私たちの会話を笑いながら聞いていたマティアスは笑顔でそういった。口調こそ優しかったものの、その顔は反論を許さぬ顔だった、が。ラファエルは何が言いたいかわかったように苦笑していた。そして、その二人のことを兄様は睨んでいた。
「ええ、そうです。マティアスに用があるんです。いい?このことは誰にも言わないでよ?兄様たち、仕事脳だから言いそうで怖いんだけれど」
「仕事脳、ねぇ。誰のせいでそうなったのかね。そう、仕事を側近に押し付ける何処かの王太子さんのせいで――」
「――おい!そんなはずはないだろう。それで、早く言ってくれ」
私は一度、兄様たちのことを睨むと息を大きく吐き出した。
「お姉さまが言っていたの。あの日鼠がいたって。ドレスは汚れてしまうし、気持ち悪いわって。さて、うちの綺麗な手入れの行き届いた公爵家のどこに、鼠が入れるような隙間ができたのかしか?」
三人は同時に仕事の顔になった。もちろん、それを聞いても落ち着いていられた三人は仕事脳が出来上がった優秀な人材ともいえるだろうな、そう私は考えた。
私は三人が固まっている間にソファーにボフッと座った。一番に解凍されたのは兄様だ。
「カリン、それを何で家で言わなかった?それとも、ベレーナのことを怒るべきかな?さて、詳しく聞かせてくれるかな?」
眉間にしわを寄せて、兄様は口を開いた。その声は、いつもよりずっと低かった。
「私はマティアスに聞いたの。兄様には聞いていないわ。それでマティアス、それって、貴方に心当たりはあるかしら?」
「何故もっと早く言わなかった。――心当たりか。つまり、俺が行ったのを見越して、入ったやつがいるかもしれない、ってことだぞ。そんな奴、数えるだけ無駄だぞ。なんたって、そんなやつは王宮にわんさかいるんだから。知らなかったのか、有名だぞ」
苦笑しながら、低い声で吐き捨てるように言ったその顔には、疲労が浮かんでいた。そして私は確信した。王妃様が――叔母様が叩いていらっしゃい、といった理由を。
「おい!有名だぞ、って、だいたい、お前が仕事をもっとちゃんとやれば、重鎮も納得してくれるかもしれないのにだ。お前が仕事をやらないから――」
「なんだ、俺はへどが出そうなほど、大量の仕事をやっているぞ?――大半母上が持ってきた書類で終わってしまうからそういう事になってしまうだけだぞ」
いつもマティアスに突っ込むのはラファエルの仕事のようだ。でも、叔母様の名前が出た瞬間、みな諦めたような乾いた笑いをした。
「――つまり、多すぎて分からないってこと?でも、それって国内のことかしら。それとも、スクレイク王国以外の貴族に――貴族じゃないかもしれないけれど、心当たりはある?」
「国外のことは分からない。しかし、そうなればリオネルに話して、調査してもらうのが早いと思うのだが」
「それは――そうかもしれない。でも、もう調査はしているんでしょう?シュティール侯爵が指揮をとって。でも、それでもわかっていないのではないわけ?」
私がそう言うとマティアスは驚いたように目を開いてから苦笑した。その様子を見て、兄様たちも苦笑した。
「そこまで知っているのか。そこまで知れるカリンはさすがにすごいとしか言いようがないな」
そう呟いたマティアスの声を聞きながら、私はあったチョコレートを口に入れた。甘いはずのチョコレートは、何故かいつもよりも苦かった。
そして、口の中にずっとその苦さが残っていた。
「カリンがすごいんじゃなくて、うちの教育環境のせいかもしれなが――。おい、マティアス、あの――お前が王太子になったあの時の件とかは?」
兄様が一つ思い出したように呟いた。そして、盛大に溜息をついた。
「ああ、あれか――。大変だったよな、公爵家も」
続いてラファエルまでも思い出したように低い声で呟いた。
私はキョトンとしているしか無かった。私が知らない話だと思うから。
私のその瞳に気づいたマティアスはニッコリと笑った。
「ああ、あれか――ってのんきに語れるような話でもないぞ。これは詳しいことは母上に聞くと良いと思う。――俺が王太子になったのは、父上が疲労で倒れた時だから――もう十年以上前になるんだ」
でも、言い終わった後には難しい顔をして、口元を歪めていた。
「十年前、か。でも普通、王太子って陛下が即位した時に決めるものなんじゃないわけ?それとも、決められなかった理由があったの?」
「決められなかった理由、ね。母上は公爵家の令嬢だっただろう?父上と母上は恋愛結婚だったんだ。そして、俺ができた。勿論、母が公爵令嬢だったから俺が王太子になるのに何も問題は無かった、はずだった。でも、重鎮が納得しなかったんだ」
「またそれ?」
「また、か。いや、公爵家は――三大公爵家と他の公爵家も納得していたんだぞ。納得しなかったのは三大公爵家の下の六――八侯爵家ではなくてそれ以外の侯爵家だ。その重鎮たちが固まって断固反対したんだ。あの時は本当に国が割れてしまう危機だったかもしれない。俺もよく覚えている」
「で、一番反対して、そのトップに立っていた人は?」
「……ヘンケル侯爵、だったかな。でも、もうひとり誰かがいたな。――覚えているか?」
マティアスに聞かれた兄様は、口元にいつものあの微笑を浮かべて、目を光らせた。
「覚えているに決まってる。あともうひとりは、フィオレンツァ伯爵だ。あの時は陛下にもうひとり、他国の姫か側妃を娶るべきだ、って言っていたよな」
「フィオレンツァ伯爵?フィオレンツァって、メルー王国の王家に連なる人じゃなかった?というか何で反対していたの?」
「そう、よく知っているね。フィオレンツァ伯爵はメル―王国の王家に連なる人間だったんだけれど、色々あって亡命してきて、爵位をもらったんだ。反対理由は――確か他国との関わりも大切にしなければならないから、だったかな」
家にいる時の良き兄の顔になって、兄様は苦笑しながら言った。私も苦笑した。
「自分の王国に嫁いでくるか、なんかして、そこまでして、メルー王国をどうしたかったのかしらね」
「さぁ、分からない。でも、その時の反対は三大公爵家の力で押し切ったんだ。一番、耐えられていたのは叔母上――王妃殿下だけれどね。それにあの時は話を遅らせたかっただけなようなものだから――」
「じゃあ、心あたりがあるのはフィオレンツァ伯爵とヘンケル侯爵、メル―王国ね。でも、それなら――また?」
「いや、そのへんは母上の方が詳しいって。だから聞くなら母上の方が良いぞ。で、用件はそれだけ?」
ニコリと笑ったマティアスに笑顔を向けた。
「そう、私が聞きたかったのはそれだけ。でも、叔母様から言伝を頼まれていたの。『――わたくしの仕事はきちんとやりなさい。そして、重鎮ももう貴方が納得させなければならないのよ。いい、わたくしも陛下も、貴方をそんな人間に育てた覚えはありません』ですってよ」
「そんな――、母上、私に死ねと仰るんですか……」
天を仰ぎながらそういったマティアスのことを兄様たちはニヤニヤしながら見ていた。
私は叔母様から渡された紙の二枚目を開いた。
「それと、『確かにわたくしたちの問題もあります。ですがこれは貴方のためなのです。こんな問題すら解決できないような王太子には王になる資格などありません。わたくしが貴方のところに行かない理由も考えてごらんなさい。王たる資格のあるものになってからわたくしのところに来るのよ。貴方に今の所は結婚を迫る気もありませんが、いずれ考えてくださいね』ですって」
今度こそマティアスは机に伏せてしまった。私は鼻で笑うと、兄様たちに顔を向けた。
「あとあの件、解決策はあるんでしょう?あるなら早く言ってよね」
兄様とラファエルは顔を見合わせてから笑った。
「すぐに信じるところが子供だなって、言っているんだよ。解決策は勿論あるぞ。そこはマティアスに奮闘してもらわなければならないがな」
兄様がそういった瞬間、マティアスはこぎざみに震え始めて今度こそ本格的に気力が死んでしまったように見えた。
「じゃあ、そうしてよね。――でも、それじゃあ根本的な解決には至らないんでしょうね」
兄様たちは一瞬、ビクリと震えた。そして、そっぽを向いてしまった。私はそんな兄様たちの背を向けると扉に向かって歩き出した。
「カリン、来るならちゃんと言うんだ。お前にそんな事をされると兄は心配になるもんなんだ。お願いだから大人しくしてくれ」
弱々しく言った兄様の声にも私は振り返らなかった。
「ねえ、一応婚約者なんだよ?連絡くらいしてくれても良いんじゃないの?」
そう後ろから言ったのはラファエルだ。でも、その声にも振り返らなかった。振り返ったら、兄様たちに見透かされてしまいそうで。
「それは、ごめんなさい。でも、一応でしょう?それに、ラファエル様は姉さまの――」
私は言葉を切ると扉を開けた。
「――わっ!」
ドン、と鈍い音がしたのと同時に私の肩に衝撃が走った。
「!いった!――ごめんなさい」
「ごめんなさい!」
顔を上げると知らない男の人の顔があった。――お姉さまと同い年くらいだろうか。顔立ちは――いわゆるイケメンというやつで優しそうな顔をしていた。深くてきれいな藍色の目をしていて、その目に吸い込まれそうで、私は一人赤面した。それに、銀色の髪が輝いていて、綺麗だなって、そんな事を思ったりした。
「ごめんなさい!私がボーっとしていたあまり――。はい、書類です。散らかっちゃいましたね」
「どうもありがとう」
私達は二人で急いで書類を集めると、手元の書類をその人に渡した。
――その時の横顔に見覚えがあるような気がして、私は記憶を掘り返した。
「貴方は――」
「君は――?もしかして――」
私達はしばらくお互いの顔を見ていた。
「おい、大丈夫か?」
後ろからラファエルの声がした。その声を聞いてその人はハッとしたようにバッと立つと走って行ってしまった。
「ごめんなさい!どうもありがとうございました!」
そう言い残して。
「あの方はどなた?」
しばらくボーッとしていた私はやっと振り返ってラファエルに問いかけた。
「そっか、会ったことないのか。アルテンブルク公爵家の子息だよ。めったに社交界に顔を出していないからね」
「アルテンブルク家の子息?お姉さまの婚約者?」
私がそう問うとラファエルは苦笑いをして扉の方に向かった。
「ベレーナの婚約者か。とにかく、今は良かったものの、何があるか分からないぞ。今の王宮ではな。だから、来てほしく無かったんだ」
そう言い残すと今度こそ扉の向こうに消えていった。
お姉さまの婚約者の顔は、確かに面識はないものの、何処かで――何処かで知っている顔だった。
その時の私には分からなかった。でも、いずれまた会えるだろう、そんな事を思ってその疑問を頭の隅に追いやった。
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