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第一章 彼女の決断
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「な、何をなさるのですか……!?」
「!」
フィルロードが小さく息を飲み、赤い瞳が見開かれる。
つかまれていた腕の力がゆるんだ隙に、リリーシャはフィルロードから身を離した。その衝撃に、彼の胸元から細いものが床へと滑り落ちていく。
カン、カラララ――
乾いた音を立てて転がったそれは、記憶の中の幼い少年が腰にぶら下げていた銀色の笛。
「申し訳、ありません……、姫。ですが、わたしは……」
項垂れるようにリリーシャの方へ頭をさげながら、フィルロードは声を絞り出す。が、次の言葉をつむげず、彼は唇を引き結んだ。前髪をかきあげ、大きく嘆息すると、落とした笛の方に近づいていく。
そのうしろ姿へ、リリーシャが声をかけた。
「横笛……。まだ……、吹いていらっしゃるのですか?」
「……ええ。大事な、約束ですから」
笛を拾い上げ、ギュとつかむフィルロード。
その様子を眺めていたリリーシャは、しばらくためらったあとで「あの……」と切り出した。
「よかったら、きかせてもらえませんか? 久しぶりに、あなたの笛がききたくなりました」
「わたしの笛を、ですか?」
張りつめていた表情を少しだけゆるませたフィルロードに、リリーシャは頷いた。
「はい。……いけませんか?」
尋ねられたフィルロードは、返事もなくうつむく。
その横顔を見つめながら、リリーシャはそういえばと心の中で自問した。
彼の笛の音を、最後にきいたのはいつだっただろう? あの幼い日にきかせてもらって、城で再会してからは何度もきかせてもらっていた。
それが、ある時を境にパタリとなくなって。
そうだ。確かあれは、彼のお父様が――
リリーシャの淡黄色の瞳が少しだけ細められた先で、ただじっと笛を見おろしていたフィルロードがゆっくりと首を左右に振った。
「……いいえ。姫の、仰せのままに」
慣れたように、フィルロードが横笛を構える。
一呼吸のあと、澄んだ笛の音が響き始めた。
きき覚えのある、物悲しい旋律。どこでだっただろう、とリリーシャはぼんやり考える。
切ないけれど、すごく心に染みる音。久しぶりなのに――、変わらない。
きき入るうちに、リリーシャのこわばっていた表情が、少しずつ穏やかなものになっていく。
演奏が終わり、笛から唇を離すフィルロードへ、リリーシャは微笑しながら拍手を送った。
「――昔よりも、ずっとずっときれいな音色。少し寂しそうな雰囲気でしたが、上達しましたね、とても。耳にする機会があまりなかったことが悔やまれますが、どれだけの修練を積み重ねたのか……、私には想像もできません」
「お褒め頂きありがとうございます、姫」
笛を懐に戻し、目を伏せるフィルロード。
「ですが、根本は変わっていないような気がします」
「根本、ですか」
訝しげなフィルロードに、リリーシャは「はい」と返事をすると、胸元で両手を重ねた。
「あなたの音色は……、耳にするととても心が安らぎます。初めてきかせてもらったあの時からずっと……、それは変わりませんから」
未熟で粗削りだった、あの時の幼い笛の音。でも、懸命に演奏する横顔がすごくまぶしくて。面影が残る今の横顔からは、その時と同じまばゆさは感じられなくなってしまったけれど。
きっと、私の気持ちはあの時から変わっていない。むしろそれは、強くなってしまったのかも……
けれど、あの夜。その想いには終わりを告げたはずだった。断ち切ったはずだった。
なのに、今の笛の音に嫌でも思い知らされてしまう。
私は、まだ――
リリーシャの重ねられた両手に、ギュッと力がこめられる。
「フィルロード、あなたはどうして……」
視線をはずしたリリーシャの唇から、勝手に疑問が漏れていく。
あなたは、どうして……
何をたずねようとしたのかわからなくなって、リリーシャはそのまま口を閉ざしてしまった。
私は、何をきこうとしていたの?
今さら、何を……
トン、とした物音に、彼女が考えを中断して顔をあげる。
そこには、思いつめたように顔を歪ませたフィルロードが一歩、彼女の方へと足を踏み出していた。
「姫……、俺は……!」
「フィル、ロード? どうかしま――きゃっ……!?」
小首をかしげるリリーシャとの距離を一気につめて、フィルロードが彼女を壁に追いこんでいく。ドン、と伸ばされた彼の手が彼女の顔の近くに突かれた。
背中に硬い感触を受けて、リリーシャは自分の状況が理解できないまま、見おろしてくる赤い瞳に動揺を浮かべる。
「!」
フィルロードが小さく息を飲み、赤い瞳が見開かれる。
つかまれていた腕の力がゆるんだ隙に、リリーシャはフィルロードから身を離した。その衝撃に、彼の胸元から細いものが床へと滑り落ちていく。
カン、カラララ――
乾いた音を立てて転がったそれは、記憶の中の幼い少年が腰にぶら下げていた銀色の笛。
「申し訳、ありません……、姫。ですが、わたしは……」
項垂れるようにリリーシャの方へ頭をさげながら、フィルロードは声を絞り出す。が、次の言葉をつむげず、彼は唇を引き結んだ。前髪をかきあげ、大きく嘆息すると、落とした笛の方に近づいていく。
そのうしろ姿へ、リリーシャが声をかけた。
「横笛……。まだ……、吹いていらっしゃるのですか?」
「……ええ。大事な、約束ですから」
笛を拾い上げ、ギュとつかむフィルロード。
その様子を眺めていたリリーシャは、しばらくためらったあとで「あの……」と切り出した。
「よかったら、きかせてもらえませんか? 久しぶりに、あなたの笛がききたくなりました」
「わたしの笛を、ですか?」
張りつめていた表情を少しだけゆるませたフィルロードに、リリーシャは頷いた。
「はい。……いけませんか?」
尋ねられたフィルロードは、返事もなくうつむく。
その横顔を見つめながら、リリーシャはそういえばと心の中で自問した。
彼の笛の音を、最後にきいたのはいつだっただろう? あの幼い日にきかせてもらって、城で再会してからは何度もきかせてもらっていた。
それが、ある時を境にパタリとなくなって。
そうだ。確かあれは、彼のお父様が――
リリーシャの淡黄色の瞳が少しだけ細められた先で、ただじっと笛を見おろしていたフィルロードがゆっくりと首を左右に振った。
「……いいえ。姫の、仰せのままに」
慣れたように、フィルロードが横笛を構える。
一呼吸のあと、澄んだ笛の音が響き始めた。
きき覚えのある、物悲しい旋律。どこでだっただろう、とリリーシャはぼんやり考える。
切ないけれど、すごく心に染みる音。久しぶりなのに――、変わらない。
きき入るうちに、リリーシャのこわばっていた表情が、少しずつ穏やかなものになっていく。
演奏が終わり、笛から唇を離すフィルロードへ、リリーシャは微笑しながら拍手を送った。
「――昔よりも、ずっとずっときれいな音色。少し寂しそうな雰囲気でしたが、上達しましたね、とても。耳にする機会があまりなかったことが悔やまれますが、どれだけの修練を積み重ねたのか……、私には想像もできません」
「お褒め頂きありがとうございます、姫」
笛を懐に戻し、目を伏せるフィルロード。
「ですが、根本は変わっていないような気がします」
「根本、ですか」
訝しげなフィルロードに、リリーシャは「はい」と返事をすると、胸元で両手を重ねた。
「あなたの音色は……、耳にするととても心が安らぎます。初めてきかせてもらったあの時からずっと……、それは変わりませんから」
未熟で粗削りだった、あの時の幼い笛の音。でも、懸命に演奏する横顔がすごくまぶしくて。面影が残る今の横顔からは、その時と同じまばゆさは感じられなくなってしまったけれど。
きっと、私の気持ちはあの時から変わっていない。むしろそれは、強くなってしまったのかも……
けれど、あの夜。その想いには終わりを告げたはずだった。断ち切ったはずだった。
なのに、今の笛の音に嫌でも思い知らされてしまう。
私は、まだ――
リリーシャの重ねられた両手に、ギュッと力がこめられる。
「フィルロード、あなたはどうして……」
視線をはずしたリリーシャの唇から、勝手に疑問が漏れていく。
あなたは、どうして……
何をたずねようとしたのかわからなくなって、リリーシャはそのまま口を閉ざしてしまった。
私は、何をきこうとしていたの?
今さら、何を……
トン、とした物音に、彼女が考えを中断して顔をあげる。
そこには、思いつめたように顔を歪ませたフィルロードが一歩、彼女の方へと足を踏み出していた。
「姫……、俺は……!」
「フィル、ロード? どうかしま――きゃっ……!?」
小首をかしげるリリーシャとの距離を一気につめて、フィルロードが彼女を壁に追いこんでいく。ドン、と伸ばされた彼の手が彼女の顔の近くに突かれた。
背中に硬い感触を受けて、リリーシャは自分の状況が理解できないまま、見おろしてくる赤い瞳に動揺を浮かべる。
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