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第一章 彼女の決断
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その場に、沈黙が落ちた。
互いに身動きできない状態で、ただ見つめあう。片方は困惑の眼差しで、もう片方はただじっと、まるでその瞳に相手の姿を焼きつけておこうとするかのように見おろしていた。
先刻から、どこか様子のおかしい彼。
この部屋に連れこまれたときも、そして今も。普段の温厚で優しい彼とはうって変わった激しい気性に、リリーシャは戸惑いを隠せなかった。
こんな彼は、知らない。知らない、はずだった。
でも、記憶や全身が覚えている。
あの夜の彼は、酔っていたとはいえこんな風に――
「フィル、ロード……」
リリーシャのおびえたような声音を受けて、ようやくフィルロードが我に返る。
「! す、すみません。再度のご無礼……、お許しください」
「いいえ……。私は、平気ですから。気に、なさらないで……」
あわてて身を離すフィルロードに、リリーシャは懸命に首を振りながら小さく答えた。
いつの間にか、熱を帯びている自分の身体。リリーシャはそれに両腕を回し、ギュと抱きしめた。
フィルロードを見ることができなくて、リリーシャがうつむいていると。
「あなたの優しさに甘えて……、もう一つ、ご無礼をお許し頂けるなら……」
フィルロードの静かな声が、リリーシャの耳をうつ。
ひどく落ち着いた、けれどどこか苦しげなその口調に、リリーシャはゆっくりと彼を見た。
「え……?」
「もう一度、あなたを……」
フィルロードの指先がリリーシャに伸ばされようとした、その瞬間。
内容をはっきりとは聞き取れない叫び声に続いて、荒々しい無数の足音、わめき声、怒鳴り散らす声が二人の耳に飛びこんできた。
反射的に、フィルロードがリリーシャを自身の背後に隠す。
「! なんだ? 城内が、急に騒がしく?」
「ええ。何か……、あったのでしょうか」
突然の喧騒に不安そうに身体を縮ませるリリーシャに、フィルロードが小さく頷いた。
「確認して参ります。姫は、こちらでお待ちください」
先ほどとはうって変わった、『騎士』としての表情を向けてくるフィルロードに、リリーシャはあわてて制止の声をあげた。
「だ、駄目です! あなたは、謹慎の身。今出て行ったら、もっと大変なことになるかもしれません。私が様子を見てきますから、あなたがここにいてください」
「何を仰るのですか!? 姫の身に危険が及ぶようなことがあれば……!」
焦ったように声を張りあげるフィルロードに、リリーシャは首を左右にふる。
「大丈夫です。ここは、城の中。我が国の騎士や兵士たちの力量は、私が誰よりも信じていますから」
「ですが、あなたの御手を、また煩わせることになる……!」
「いいえ。私も、何が起きているのか気になりますから。あなたは、ここから出てはいけません」
「……それは、ご命令ですか」
フィルロードの声音が、急に低くなる。
ビクッとリリーシャは肩を震わせるが、気丈に真っすぐ彼を見据えるとうなずいた。
「はい」
淡黄色の瞳を凝視していた紅の瞳がゆっくりと閉じられ、一つ嘆息を落としてから、再び開かれた。
「姫の、ご命令とあらば……、謹んでお受けいたします」
淡々と途切れ途切れに答えながら、複雑な表情のフィルロードは腕を直角に曲げる騎士の礼をリリーシャに向ける。
リリーシャは小さく息を吐いて、部屋の出入り口へと移動した。ふと思いついて、扉に手をかけながら、彼女は首だけを後方に戻す。
「何か原因がわかれば――、またこちらへ戻ってきてもいいですか?」
小声で尋ねてくるリリーシャに、フィルロードは騎士の礼を崩すと、二回ほど赤の瞳を瞬かせた。表情は変えないまま、彼は彼女に問いかける。
「それも、ご命令ですか?」
「いえ……。私の、個人的な希望です。あなたも、理由が知りたいでしょうから。……いけませんか?」
おずおずと、リリーシャはきく。
彼女を見つめていたフィルロードの目が伏せられ、その口元がフッと微笑した。
「……もちろん。わたしには、拒む理由が思い当たりませんから。姫のお心遣い、感謝致します。このようなところでよろしければ――、よろこんで」
その答えに、ようやくリリーシャもほほえみ返す。
再度、扉に力をこめようとしたところで、背後から彼女を呼ぶ声。
「姫」
「はい?」
ふり向いたリリーシャの淡黄色の瞳に、いつもの穏やかな表情を浮かべたフィルロードが映る。交わった燃えるような赤い瞳が、スッと細められた。
「もし、あなたの身に危険が迫るようなら――、主命に反しようが謹慎の身だろうがなんだろうが、わたしはあなたを助けに行きます」
「で、ですが……、それでは」
意味がありません、そう続けようとしたリリーシャの言葉を、フィルロードは強い口調でさえぎった。
「あなたを守れなければ、意味がない。あの時――、そう誓ったから」
あの時? と、リリーシャは眉根を寄せた。
初めて出会った時に私の前で語ってくれた、あの時のことを言っているの?
「俺は――」
互いに身動きできない状態で、ただ見つめあう。片方は困惑の眼差しで、もう片方はただじっと、まるでその瞳に相手の姿を焼きつけておこうとするかのように見おろしていた。
先刻から、どこか様子のおかしい彼。
この部屋に連れこまれたときも、そして今も。普段の温厚で優しい彼とはうって変わった激しい気性に、リリーシャは戸惑いを隠せなかった。
こんな彼は、知らない。知らない、はずだった。
でも、記憶や全身が覚えている。
あの夜の彼は、酔っていたとはいえこんな風に――
「フィル、ロード……」
リリーシャのおびえたような声音を受けて、ようやくフィルロードが我に返る。
「! す、すみません。再度のご無礼……、お許しください」
「いいえ……。私は、平気ですから。気に、なさらないで……」
あわてて身を離すフィルロードに、リリーシャは懸命に首を振りながら小さく答えた。
いつの間にか、熱を帯びている自分の身体。リリーシャはそれに両腕を回し、ギュと抱きしめた。
フィルロードを見ることができなくて、リリーシャがうつむいていると。
「あなたの優しさに甘えて……、もう一つ、ご無礼をお許し頂けるなら……」
フィルロードの静かな声が、リリーシャの耳をうつ。
ひどく落ち着いた、けれどどこか苦しげなその口調に、リリーシャはゆっくりと彼を見た。
「え……?」
「もう一度、あなたを……」
フィルロードの指先がリリーシャに伸ばされようとした、その瞬間。
内容をはっきりとは聞き取れない叫び声に続いて、荒々しい無数の足音、わめき声、怒鳴り散らす声が二人の耳に飛びこんできた。
反射的に、フィルロードがリリーシャを自身の背後に隠す。
「! なんだ? 城内が、急に騒がしく?」
「ええ。何か……、あったのでしょうか」
突然の喧騒に不安そうに身体を縮ませるリリーシャに、フィルロードが小さく頷いた。
「確認して参ります。姫は、こちらでお待ちください」
先ほどとはうって変わった、『騎士』としての表情を向けてくるフィルロードに、リリーシャはあわてて制止の声をあげた。
「だ、駄目です! あなたは、謹慎の身。今出て行ったら、もっと大変なことになるかもしれません。私が様子を見てきますから、あなたがここにいてください」
「何を仰るのですか!? 姫の身に危険が及ぶようなことがあれば……!」
焦ったように声を張りあげるフィルロードに、リリーシャは首を左右にふる。
「大丈夫です。ここは、城の中。我が国の騎士や兵士たちの力量は、私が誰よりも信じていますから」
「ですが、あなたの御手を、また煩わせることになる……!」
「いいえ。私も、何が起きているのか気になりますから。あなたは、ここから出てはいけません」
「……それは、ご命令ですか」
フィルロードの声音が、急に低くなる。
ビクッとリリーシャは肩を震わせるが、気丈に真っすぐ彼を見据えるとうなずいた。
「はい」
淡黄色の瞳を凝視していた紅の瞳がゆっくりと閉じられ、一つ嘆息を落としてから、再び開かれた。
「姫の、ご命令とあらば……、謹んでお受けいたします」
淡々と途切れ途切れに答えながら、複雑な表情のフィルロードは腕を直角に曲げる騎士の礼をリリーシャに向ける。
リリーシャは小さく息を吐いて、部屋の出入り口へと移動した。ふと思いついて、扉に手をかけながら、彼女は首だけを後方に戻す。
「何か原因がわかれば――、またこちらへ戻ってきてもいいですか?」
小声で尋ねてくるリリーシャに、フィルロードは騎士の礼を崩すと、二回ほど赤の瞳を瞬かせた。表情は変えないまま、彼は彼女に問いかける。
「それも、ご命令ですか?」
「いえ……。私の、個人的な希望です。あなたも、理由が知りたいでしょうから。……いけませんか?」
おずおずと、リリーシャはきく。
彼女を見つめていたフィルロードの目が伏せられ、その口元がフッと微笑した。
「……もちろん。わたしには、拒む理由が思い当たりませんから。姫のお心遣い、感謝致します。このようなところでよろしければ――、よろこんで」
その答えに、ようやくリリーシャもほほえみ返す。
再度、扉に力をこめようとしたところで、背後から彼女を呼ぶ声。
「姫」
「はい?」
ふり向いたリリーシャの淡黄色の瞳に、いつもの穏やかな表情を浮かべたフィルロードが映る。交わった燃えるような赤い瞳が、スッと細められた。
「もし、あなたの身に危険が迫るようなら――、主命に反しようが謹慎の身だろうがなんだろうが、わたしはあなたを助けに行きます」
「で、ですが……、それでは」
意味がありません、そう続けようとしたリリーシャの言葉を、フィルロードは強い口調でさえぎった。
「あなたを守れなければ、意味がない。あの時――、そう誓ったから」
あの時? と、リリーシャは眉根を寄せた。
初めて出会った時に私の前で語ってくれた、あの時のことを言っているの?
「俺は――」
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