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第三章 二人の距離
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『フィルロード、おまえはどうするつもりだ?』
ジュシルスが去り、沈黙の落ちた自分の部屋でフィルロードはその問いかけを反芻していた。
動揺に揺れ動く紅の瞳を伏せ、早鐘をうって止まない胸元を右手でドンと叩いて強引に鎮める。
姫の居場所が、見つかった。
すごく喜ばしいことだと思う。自分たちで見つけられなかったことは不甲斐ないとは感じるものの、リリセニーナ女王代行殿下からの勅命はこれで全う出来るのだから。
見つかってからどうこうとは、命令されていない。兄の言うように、姫自身の意志だとしたら、出すぎた真似をするわけにもいかない。だから、これ以上は――
そう、思うのに。
窓辺に歩み寄ったフィルロードは、ぼんやりと外を眺める。ふと思い立ち、窓枠に上半身を預けながら、取り出した銀の横笛を唇に当てた。
物悲しい音色が、流れていく。つい先日、彼女に乞われて奏でたそれとはまったく違う、その旋律。
思うままに指を動かして、息をこめる。
姫が、ウィンスベルのヴィルフレイド王と――
そんなこと、前々から覚悟はしていた。していたはずだったのに、諦めきれずに罪まで犯して。それでも、何も変えることは出来なかった。
演奏する手を止めずに、フィルロードはそっと瞳を閉じる。
『さようなら』は、本当に別れの言葉だった。
ウィンスベルがミルスガルズに侵攻してきたと知らせてくれたときに、彼女から告げられた言葉。そして――
何かに思い当り、フィルロードは笛を手繰る指を止めると薄っすらと目を開けた。
『私が、あなたを守ってみせます』
彼女は、そうも口にしていた。
俺を、守ると。あの時は、特に気にもしていなかった。守るのは、自分の役目だと思っていたから。
何からだ? 彼女は、何から俺を守ろうとしていたんだ? あの時の、俺の状況は――
「ま、さか……」
浮かんだ一つの仮説に、紅の瞳が驚きに見開かれていく。
「そんな……、まさか、まさかそんなことは……」
一気に動揺が駆け巡り、震える指先が頬を伝ってその先にあった髪をグシャとつかむ。
兄は、ミルスガルズのためと言っていた。
違う。違う……!
姫は、リリーは――
「もしかして……、俺の、ために……? 俺をウィンスベルとの戦いに行かせない、ため? 守るため……に? そんな、こと……!」
否定しようとするものの、彼女の最後の笑顔が――脳裏で再現されたそれが、焼きついて離れない。
横笛が滑るように床へと落下していき、乾いた音を立てて転がっていく。
両手で頭を押さえたフィルロードから、苦しげなうめくような声だけが漏れ落ちていった。
***
どこをどう走ってきたのか、リリーシャにはもうわからなくなっていた。
暖を取るための松明が並んでいる廊下をひたすら走り、その場に立っているだけの兵士やこちらに気づいても表情すら特に変わらない侍女たちをすり抜けて、ようやく目についた一番奥の部屋に駆けこむ。
そこは、誰かにあてがわれている部屋のようだった。
今は無人だが、大きな暖炉には火がくべられたままで、部屋全体をほのかに明るく照らしている。
テーブルには読みかけの書物と、飲み残しが少しだけあるカップが一つ。どこか安らぎを覚える雰囲気に惹かれるように、リリーシャは部屋の中へと足を進めて、暖炉の前で崩れ落ちた。
ストールごと自身を強く抱きしめ、浮かんでくる先ほどまでの光景を必死に打ち払う。
私は、道具。
道具に意志は、いらないのに。
「フィル、ロード……!」
勝手に滑り落ちていく彼の名前に、リリーシャはさらに強く首を振った。
あの月夜の晩とは、全然違う。身代わりだったとしても、あの晩とはあまりにも異なる一方的な略奪と暴虐的な行為。
彼の名前に、面影に、幻影にすがりつくのは間違っている。そんなことわかりきっている、から。
だから早く、早く――
すべてを忘れて、壊れてしまった方が楽になれるのに。
リリーシャは、そっと淡黄色の瞳を閉じる。その端から幾筋もの滴たちが、静かに彼女の頬に筋を作り、そして――冷たい床へと流れ落ちていった。
ジュシルスが去り、沈黙の落ちた自分の部屋でフィルロードはその問いかけを反芻していた。
動揺に揺れ動く紅の瞳を伏せ、早鐘をうって止まない胸元を右手でドンと叩いて強引に鎮める。
姫の居場所が、見つかった。
すごく喜ばしいことだと思う。自分たちで見つけられなかったことは不甲斐ないとは感じるものの、リリセニーナ女王代行殿下からの勅命はこれで全う出来るのだから。
見つかってからどうこうとは、命令されていない。兄の言うように、姫自身の意志だとしたら、出すぎた真似をするわけにもいかない。だから、これ以上は――
そう、思うのに。
窓辺に歩み寄ったフィルロードは、ぼんやりと外を眺める。ふと思い立ち、窓枠に上半身を預けながら、取り出した銀の横笛を唇に当てた。
物悲しい音色が、流れていく。つい先日、彼女に乞われて奏でたそれとはまったく違う、その旋律。
思うままに指を動かして、息をこめる。
姫が、ウィンスベルのヴィルフレイド王と――
そんなこと、前々から覚悟はしていた。していたはずだったのに、諦めきれずに罪まで犯して。それでも、何も変えることは出来なかった。
演奏する手を止めずに、フィルロードはそっと瞳を閉じる。
『さようなら』は、本当に別れの言葉だった。
ウィンスベルがミルスガルズに侵攻してきたと知らせてくれたときに、彼女から告げられた言葉。そして――
何かに思い当り、フィルロードは笛を手繰る指を止めると薄っすらと目を開けた。
『私が、あなたを守ってみせます』
彼女は、そうも口にしていた。
俺を、守ると。あの時は、特に気にもしていなかった。守るのは、自分の役目だと思っていたから。
何からだ? 彼女は、何から俺を守ろうとしていたんだ? あの時の、俺の状況は――
「ま、さか……」
浮かんだ一つの仮説に、紅の瞳が驚きに見開かれていく。
「そんな……、まさか、まさかそんなことは……」
一気に動揺が駆け巡り、震える指先が頬を伝ってその先にあった髪をグシャとつかむ。
兄は、ミルスガルズのためと言っていた。
違う。違う……!
姫は、リリーは――
「もしかして……、俺の、ために……? 俺をウィンスベルとの戦いに行かせない、ため? 守るため……に? そんな、こと……!」
否定しようとするものの、彼女の最後の笑顔が――脳裏で再現されたそれが、焼きついて離れない。
横笛が滑るように床へと落下していき、乾いた音を立てて転がっていく。
両手で頭を押さえたフィルロードから、苦しげなうめくような声だけが漏れ落ちていった。
***
どこをどう走ってきたのか、リリーシャにはもうわからなくなっていた。
暖を取るための松明が並んでいる廊下をひたすら走り、その場に立っているだけの兵士やこちらに気づいても表情すら特に変わらない侍女たちをすり抜けて、ようやく目についた一番奥の部屋に駆けこむ。
そこは、誰かにあてがわれている部屋のようだった。
今は無人だが、大きな暖炉には火がくべられたままで、部屋全体をほのかに明るく照らしている。
テーブルには読みかけの書物と、飲み残しが少しだけあるカップが一つ。どこか安らぎを覚える雰囲気に惹かれるように、リリーシャは部屋の中へと足を進めて、暖炉の前で崩れ落ちた。
ストールごと自身を強く抱きしめ、浮かんでくる先ほどまでの光景を必死に打ち払う。
私は、道具。
道具に意志は、いらないのに。
「フィル、ロード……!」
勝手に滑り落ちていく彼の名前に、リリーシャはさらに強く首を振った。
あの月夜の晩とは、全然違う。身代わりだったとしても、あの晩とはあまりにも異なる一方的な略奪と暴虐的な行為。
彼の名前に、面影に、幻影にすがりつくのは間違っている。そんなことわかりきっている、から。
だから早く、早く――
すべてを忘れて、壊れてしまった方が楽になれるのに。
リリーシャは、そっと淡黄色の瞳を閉じる。その端から幾筋もの滴たちが、静かに彼女の頬に筋を作り、そして――冷たい床へと流れ落ちていった。
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