身代わりから始まる恋の行方は夜想曲と共に

りんか

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第六章 互いの傷痕

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 入口の方が急に騒がしくなり、裏庭で木刀を振るっていた少年はその手を止めた。癖のある黒い前髪から、汗が頬へと滴り落ちていく。

 十四も年上の兄が外遊視察から帰ってきたという一報が飛びこんできて、少年は手にしていた木刀を壁に立てかけるとすぐさま駆け出した。

「兄上、お帰りなさい!」
「ああ、ただいま」

 満面の笑顔で迎えてくれた少年に、彼の兄は憔悴していた顔に微笑を浮かべた。

 少年は嬉しそうに兄に駆け寄ろうとして、足を止める。兄の腕に抱かれた、自分よりも小さな存在に気づいたからだ。
 少年が、赤い瞳を不思議そうに瞬かせる。

「誰?」
「……ああ。わたしの……、息子だよ」

 そう紹介しながら、兄は抱えていた小さな子供を少年の前に下ろした。

「兄上の?」

 自分の腰の位置くらいにある、金色のやわらかそうな髪が揺れる。ジッと見つめてくる赤色の瞳を、同じ色の瞳で見おろす少年の頭にポンと大きな掌が置かれた。

「帰ってきた早々で悪いが、おまえに頼みがある」
「なんですか?」

 少年が見上げれば、兄の紅の瞳が細められた。

「この子の、兄になって欲しい」
「え! 僕が、ですか?」

 突然の兄の申し出に、少年は頓狂な声を発した。

「ああ。おまえにしか頼めないことだ。わたしと一緒に、この子を守ってやってくれないか?」
「…………」
「出来るか?」

 無言の少年に、もう一度問いかけられる。
 少年は間を置いてから、一つ頷いた。

「わかりました。ならば――、兄上は今から父上ですね」

 ずっと見あげたままの幼子の背後に移動して、少年はその両肩に両手を添えた。

「僕たちの、父上です」
「……そうだな。それでいい、頼んだぞ」

 「はい」と返事をしてから、少年は幼子の前で膝を折った。同じくらいの目線で話しかけようとして、「あ」と少年はもう一度兄に視線を戻す。

「名前は、なんというのですか?」
「名前、か。名前……そう、だな……」

 腕を組んで、兄はしばらくの間考えこむ。

「……フィ、ル、……ロー、ド」
「フィルロード? わかりました、いい名前ですね」

 ポツリポツリと兄から漏らされた言葉を組み合わせ、少年は笑みを浮かべると幼子に向き直った。

「フィルロード。僕は、ジュシルス。今日から、おまえの兄になる」
「あ、に……?」

 金色の髪が傾き、不思議そうな表情が少年に向けられる。

「そうだよ。そうだ、早速家の中を案内してあげるから、ついておいで」
「あっ」

 立ち上がり、移動していく少年に短い両手が懸命に伸ばされた。

「まっ、て……あ、に……っ」
「ああ、ごめん。まだそんなに早く歩けないか。じゃあ、一緒に行こう」

 慌てて引き返してきた少年は小さな手を掴み、今度はゆっくりと歩き始めた。
 二人の背中が消えたことを確認した後、残された男はクッと面立ちを歪めるとそのまま天井を仰ぐ。

「ローディス……、フィオナ……!」

 うめくような言葉と共に、彼は紅の両目を静かに閉じた。



 第六章 互いの傷跡



「無事だったようね、ミルスガルズの王女様」
「フィオナ様……!」

 フィルロードに連れられて一階へと通じる階段を下りきったと同時に声をかけられ、リリーシャは声の主の名前を呼んだ。

 結いあげられた群青の髪が、宙を踊る。ところどころ崩れてはいるが、その中に差しこまれている銀色の髪飾りが美しく光った。
 フィオナは抜き身のままの剣をフィルロードに差し出しながら、微笑する。

「さっきはどうもありがとう、ミルスガルズの騎士様。あなたのこの剣のおかげで、私の悲願は果たされたわ。だからもう、お芝居もおしまい」
「お芝居? あなたは、いったい……」

 フィルロードの指が、剣の手前で一瞬静止する。彼は唇を引き結んでから改めて剣を受け取ると、空いたままだった鞘に滑りこませていく。

 身軽になったフィオナはフィルロードの横を通り過ぎると、リリーシャの前で静かに片膝を折った。

「今までの数々のご無礼を、お許しください。……姫様」
「え……?」

 戸惑うリリーシャに、フィオナは下げていた頭を戻す。

「申し遅れました。私は、フィオナ。フィオナ・ルシル・テューラー。ミルスガルズ騎士団団長マース・キュルス・テューラーの妹です」
「マースおじさまの?」
「父の……、妹? ならあなたは、わたしの叔母になるのですか?」

 驚いて尋ねるフィルロードに、フィオナは立ちあがりながら彼の方へ目を向けた。

「父? まさかあの兄に、こんなに大きな息子がいたとは思いもしなかったわ。でも、それなら納得ね。あなたが持っているその剣、それはテューラーの当主の証」

 フィオナに指摘され、フィルロードは「はい」と首肯する。

「そうです。ですが、わたしは父の本当の息子ではありません」
「あら、そうなの?」
「はい。わたしはあまり覚えていないのですが、わたしが二歳くらいのときに父がテューラーの家に連れてきたと、兄が教えてくれました」
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